われわれの事業はなにか?

2019年09月01日

 秋風が心地よい季節となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 
 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、ドラッカーには「われわれの事業は何か」という有名な問いかけがあります。当社の事業は何か?という問いに対して、飲食店は食事を提供すること、鉄道は人や物を運ぶこと、カーディーラーは自動車を売ること、と答えるのは当たり前の返答であって、間違っているわけではありません。
 しかし、AT&T(アメリカ電話電信会社)のセオドア・N・ヴェイルは「われわれの事業はサービスである」と答えたそうです。

 事業とは何かを決めるのは、生産者ではなく顧客である。社名や定款ではない。顧客が製品やサービスを購入して、自らを満足させる欲求が何であるかが事業を決める。したがって、「われわれの事業は何か」という問いに対する答えは、事業の外部、すなわち顧客や市場の立場から事業を見ることによってのみ得られる。

              P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p64-65


 経営者が「うちは飲食店だから食事を提供するのが事業だ」と答えたら、それはあまりにもプロダクトアウトの考え方であり、お客さまのことを考えていないことになります。
 お客さまはどなたか?お客さまがなぜ当社をご利用くださるのか?どうして他社ではなく当社なのか?当社のどんなところに魅力を感じてくださったのか?お客さまからお声を頂かなくては、自らの事業が何であるのか、本当のところは、分からないのです。

 当社には売り上げが減少しているお店があります。お客さまが離れていってしまったとき、正しいのはお客さまです。お客さまの考えをお店が変えることはできません。お店側の何かが間違っているのです。経営者として、お客さまの立場でお店のことを考えていかないと、自分の事業が分からなくなってしまいます。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

  


 参考文献:
 『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

利益は目的か?結果か?

2019年08月01日

 残暑お見舞い申し上げます。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 
 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、企業にとって利益は目的とすべきものか、結果として生まれるものか、という議論がされて久しいですね。時代ごとに論調は変わってきましたし、みなさまもさまざまなお考えをおもちかと存じます。特に、上場されている企業の場合は、株主の要求がありますから、利益を追求することは避けられないものと思います。 

 ドラッカーは利益について、次のように述べています。

 企業にとって第一の責任は、存続することである。言い換えるならば、企業経済学の指導原理は利益の最大化ではない。損失の回避である。企業は事業に伴うリスクに備えるために、余剰を生み出さなければならない。リスクに備えるべき余剰の源泉は一つしかない。利益である。
 しかも、事業は自己のリスクだけに備えればよいわけではない。利益をあげられない他の事業の損失の穴埋めにも貢献することが必要である。社会には、いくつかの企業が損失を出して消滅していくという経済的な新陳代謝が不可避である。それこそが、自由で柔軟、かつ開放された経済の維持のための条件である。
 企業は、教育や防衛などの社会的に費用に貢献する必要もある。税金を納められるだけの利益をあげる必要がある。
 事業の拡大のための資金を生み出す必要がある。そして何にもまして、自らのリスクを賄うに足る利益をあげる必要がある。 
 要約するならば、利益の最大化が企業活動の動機であるか否かは定かではない。これに対し、未来のリスクを賄うための利益、事業の存続を可能とし、富を生み出す資源の能力を維持するための最低限度の利益をあげることは、企業にとって絶対の条件である。

              P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p60-61


 ドラッカーによれば、利益は目的とすべきものではなく、企業が事業を発展させていくためのコストであります。経済全体を考えた場合には、利益が出ている会社がなければ、経済の新陳代謝が進まないと指摘しているのです。
 利益が企業の動機であり、目的であるとするならば、経営者は本業よりも財務的なテクニックに走り、より簡単な方法で利益の数値を上げることを考えることになるでしょう。私も儲け話のような事業を紹介されることがありますが、その類のことです。

 利益は企業及び社会にとって絶対に必要なものでありますが、始めから追い求めていく数字ではないのです。私どものような中小企業は、徹底してお客さまお役に立つことを考えていかねばなりません。よい仕事の結果が利益になるわけです。厳しく指摘してくださる外部の株主の方々がおられないことに甘んじてはいけないと思っております。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

  


 参考文献:
 『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

飲食サービス業の生産性向上の取り組み

2019年07月01日

 暑中お見舞い申し上げます。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 
 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 当社は、今期(第67期)の重点目標の一つに生産性の目標を掲げました。飲食サービス業は、多くの従業員を投入しなくてはならない労働集約型産業であり、学生や主婦などのパートタイマーを多く抱えています。また、ある一定の時期に集中して人手が必要となるため、一人当たりの業務量が多いです。そのため、生産性が低い業界であります。

 ドラッカーは生産性について、次のように述べています。

 企業は、顧客の創造という目的を達成するために資源を利用する。企業は、資源を生産的に利用する機能をもつ。これが事業の管理的機能である。その経済的側面が生産性である。

              P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p52


 顧客の創造のために、限られた資源を効率的に利用する経済的側面が「生産性」であるわけです。

 生産性の向上は、肉体労働によっては実現されない。逆にそれは、肉体労働をなくす努力、肉体労働を他のものに置き換える努力によってもたらされる。こうして肉体労働を代替したものの一つが、資本財すなわち機械設備の力だった。
 生産性の向上にとって、機械設備への代替に劣らず重要でありながら、いまだ十分に行われていないものが、熟練未熟練の肉体労働者を教育ある理論的、分析的な人的資源に代えること、すなわち肉体労働者を経営管理者や専門職に代えること、体の駆使を頭脳の駆使に代えることである。実は、そのような代替は、肉体労働から機械設備への代替の前に行われる。なぜなら、機械設備を計画し設計するという理論的、分析的、概念的な仕事を、誰かが行わなければならないからである。

              P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p53-54


「肉体労働」は、原書では“manual worker”となっています。つまり、マニュアルにそってのみ仕事をする人のことを指しています。マニュアルも、それにそって働いてくださる人もとても大切で、欠くべからざる存在ですが、生産性を上げるためには、そのマニュアルを進化、改善できる人がいなくてはならないのです。
 製造業のみなさまが日々大変な努力をされて生産性を上げておられる中、私たち飲食サービス業も生産性向上に向き合っていかなければ、生き残ることはできないでしょう。生産性が低いということは、生産性を上げる伸びしろが大きいということです。なんといってもお客さまのご満足の向上が第一義でありますが、そのうえで、生産性向上に取り組んでまいります。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

  


 参考文献:
 『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

ドラッカーのイノベーション

2019年06月03日

 すがすがしい初夏の季節となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 
 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 先月の記事ではドラッカーのマーケティングについてご紹介しました。ドラッカーは企業が持つ二つの機能として、マーケティングとイノベーションをあげています。

 今月はイノベーションについてみてみましょう。

 
 マーケティングだけでは企業は成立しない。静的な経済の中では企業は存在しえない。企業人さえ存在しえない。静的な社会における企業人は、手数料収入を得るブローカーにすぎない。
 企業は、発展する経済においてのみ存在しうる。少なくとも変化が当然であり望ましいとされる経済においてのみ存在しうる。企業とは、成長、拡大、変化のための機関である。
 したがって、第二の起業家的機能がイノベーションである。すなわち、より優れ、より経済的な財やサービスを創造することである。企業は、単に経済的な財やサービスを供給するだけでは十分でない。より優れたものを創造し供給しなければならない。企業にとって、より大きなものに成長することは必ずしも必要ではない。しかし、常により優れたものに成長する必要はある。

              P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p50


 経済が動いているからこそイノベーションが必要なのですね。次のような具体的な例示があります。

 
 冷蔵庫を食物の凍結防止用としてエスキモーに売り込むことに成功した営業マンは、新しいプロセスを開発した者と同様、イノベーションの担い手である。食物を冷たくしておくためのものとして冷蔵庫を売ることは、市場を開拓したことになる。しかし、食品が冷えすぎないようにするためのものとして冷蔵庫を売ることは、製品を創造したことになる。もちろん技術的には、いずれも同じ製品である。しかし経済的には、後者はイノベーションである。

              P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p50-51


 マーケティングの機能があれば、今までと同じ営業を続けていくことはできます。しかし、やがて経済構造が変化したときには、ついていけなくなるでしょう。イノベーションには科学技術が必要だと思ってしまいますが、冷蔵庫の事例で分かるように、既存の知識でイノベーションを起こすことはできるのです。イノベーションは最も取り組みずらいことではありますが、企業を継続していくために必ず取り組んでいかなくてはならない重要な機能です。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

  


 参考文献:
 『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 
  

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マーケティングとは顧客から見た全事業である

2019年05月01日

 いよいよ令和の時代が始まりました。謹んでお慶びを申し上げますとともに、平和な世界でありますことを祈念しております。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、私は大学生時代、マーケティングには全く興味がなく、授業もほとんどとりませんでした。マーケティングのゼミには女性が多く、華やかなイメージがあったことだけはよく覚えています。
 
 ドラッカーを読むようになってから、マーケティングに対するイメージは大きく変わりました。

 
 マーケティングは企業に特有の機能である。財やサービスを市場で売ることが、企業を他のあらゆる人間組織から区別する。教会、軍、学校、国家のいずれも、そのようなことはしない。財やサービスのマーケティングを通して自らの目的を達成する組織は、すべて企業である。逆に、マーケティングが欠落した組織やそれが偶発的に行われるだけの組織は企業ではないし、企業のようにマネジメントすることもできない。 

              P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p47


 いまでは企業以外の組織もマーケティングの考え方を取り入れるようになってきましたが、このとき(1954年)ドラッカーは、マーケティングが欠落した組織は企業ではない、とまで言い切っています。  

 
 マーケティングは販売よりもはるかに大きな活動である。それは専門化されるべき活動ではなく、全事業に関わる活動である。まさにマーケティングは、事業の最終成果、すなわち顧客の観点から見た全事業である。したがって、マーケティングに対する関心と責任は、企業の全領域に浸透させることが不可欠である。

              P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p49


 私の考えるマーケティングは、大学の授業で教わるような広告戦略や市場調査などの狭義のマーケティングではなく、ドラッカーのマーケティングです。
 それはまさしく「顧客の観点から見た全事業」であります。お客さまにどのようになって頂きたいか?ということであり、お客さまの求めている状態をつくることです。当社では「状態目標」という呼び方をすることもあります。マーケティングの目標は当社において最も重要な目標であります。
 私は独自のマーケティングの目標を立て、その達成をすることで、お客さまのお役に立ちたいと考えております。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

  


 参考文献:
 『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 
  

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顧客の創造と働き方改革

2019年04月01日

 春風が心地よい季節となりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、今月より働き方改革関連法が施行されます。我が国にとって、働く人の待遇改善は喫緊の課題であります。当社といたしましても、法律を遵守することは言うまでもありませんが、さらなる職場環境の改善に取り組んでいかなければ、従業員から見放されることになり、企業として生き残ることはできない、と覚悟をしております。

 さて、ドラッカーは『現代の経営』(1954年)で、企業について次のように述べています。

 企業とは何かを理解するには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、それぞれの企業の外にある。事実、企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的として有効な定義は一つしかない。すなわち、顧客の創造である。
 市場は、神や自然や経済によって創造されるのではなく、企業によって創造される。企業が満足させる欲求は、それを充足する手段が提供される前から顧客が感じていたものかもしれない。その欲求は、飢饉における食欲のように、顧客の全生活を支配し、常時顧客の頭を占めていたものかもしれない。しかしそのような欲求は、単に想定されるものであって現実の欲求ではない。実際には、企業の行為が人の欲求を有効需要に変えたとき、初めて顧客が生まれ、市場が生まれる。

              P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p46


 ドラッカーのあまりにも有名な言葉「顧客の創造」です。企業は、社会のお役に立たなければ存在することができません。お客さまが気づいている欲求、気づいていない欲求のそれぞれについて、企業が形につくり上げ、お応えできたとき、「顧客の創造」が実現されるのです。

 企業の目的が達成されてこそ、働き方改革が有効になってきます。お客さまが一人もいらっしゃらないお店には働き方改革はあり得ないのです。経営者には、経営の仕事に全力を尽くして、お店をお客さまでいっぱいにするという重大な使命が課せられています。企業の目的を果たしていない企業は、働き方改革といっても、手を打つことができません。働きやすい職場にするためにこそ、絶対にお客さまに喜んで頂かなくてはならない、と思っています。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

  


 参考文献:
 『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 
  

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そこに利潤動機はあるのか?

2019年03月01日

 桃の蕾がふくらみはじめました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、三月は日本の多くの企業が期末を迎え、一年間の成果が数字になって表れる時期です。世の中に損益のことを考えていない社長などいないでしょう。一円でも多く利益があげたいと考えるのが社長の情です。

 ドラッカーは『現代の経営』(1954年)で次のように述べています。

 事業体とは何かを問われると、たいていの企業人は利益を得るための組織と答える。たいていの経済学者も同じように答える。この答えは間違いなだけではない。的外れである。
 同じように、企業とその行動に関する一般に流布されたある経済理論、すなわち利益最大化の理論も完全に破綻している。それは「安く買って高く売る」というセリフの言い換えにすぎない。

              P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p43


 では、利益とは何か?ドラッカーは次のように述べています。

 利益は、企業や事業の目的ではなく条件なのである。また利益は、事業における意思決定の理由や原因や根拠ではなく、妥当性の尺度なのである。(中略)

 利益についてこのような混乱を招いた原因は、利潤動機という本能的な動機が企業人の行動の動機であり基準であるとする誤った考えにある。しかし、利潤動機なる本能的な動機の存在そのものさえ疑わしい。利潤動機とは、そもそも古典派経済学が経済行為を説明するために考え出したものである。

              P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p44


 利潤動機は経済学が考え出したものだと言いますが、昔も今も、利潤動機で仕事をする人などいるでしょうか?
 時代劇では、お客さまのために誠心誠意働いているお店の主人は善人で繁盛しています。一方、廻船問屋上総屋(時代劇の一例です)は、利益を得るためなら何でもしてしまう悪者と決まっておりました。
 当社のお取引先さまは、仕事で役に立ちたいと考えている企業ばかりです。もしも、営業担当者から「当社は利益最大化を目的にしています」と言われたら、取引を考えてしまいます。そのことを隠すような二面性があったとしても、やがては露わになり、信頼を失うことになるでしょう。
 利益は企業経営にとって欠くべからざるものですが、目的にすべきものではないのです。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

  


 参考文献:
 『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 
  

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従業員はロボットではない

2019年02月01日

 春は名のみで寒さは一層つのるばかりです。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、各地に出張していますと、ときには対応の悪いお店に当たることがあります。地理的に分断され独自の経済圏を持っていた地域は、競合が少ないせいなのか、売る側の立場が強い傾向があります。
 先日、ある地方で、お客さまと連れ立って有名な和菓子屋さんの喫茶に入ったときのことです。和服姿の中年女性が対応する高級なお店です。入口の立て看板に表示されていた抹茶と和菓子のセットを注文したところ、ショーケースに並んでいる和菓子を選べないという対応に遭遇しました。色とりどりに並んだ和菓子を見たから食べたいと思ったのです。別料金でよいので、とお願いしても「こちらで選ばせていただきます」との返答でした。
 
 従業員はロボットではないのです。いや、AIのディープラーニングが効いてくれば、むしろロボットのほうがサービスがよい、と言われるようになるかもしれません。

 ドラッカーは『現代の経営』で次のように述べています。

 人の成長ないし発展とは、何に対して貢献するかを人が自ら決められるようになることである。しかし我々は、通常、一般従業員を経営管理者と区別し、彼らを自分や他の人の仕事についての決定に責任もなければ関与もせず、指示されたとおりに働く者として定義する。ということは、一般従業員を物的資源と同じように見、企業への寄与に関しても機械的な法則の下にあるものと考えていることを意味する。これは重大な誤りである。
 しかし、この誤りは、従業員の仕事の定義に原因があるのではない。むしろ、従業員の行うことの多くがマネジメント的な要素を含み、うまくマネジメントするならば、きわめて生産的な仕事にすることができるという事実を見逃しているところに原因がある。

            P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p16


 企業が長い歴史と伝統を持っていることは、それだけでその企業の大きな財産です。しかし、その財産に胡坐をかいていたのでは、お客さまから見放されることになってしまいます。ドラッカー的にいうならば、マネジメントされていないということです。この従業員が悪いのではなく、マネジメントしない会社がいけないのです。
 従業員の給与支払も、今日の食材購入も、こうやって私が文章を書いていられるのも、すべてはお客さまが当社を使ってくださっているから出来ることです。当社においてもお客さまのご要望を見失ってしまうことのないよう、自らへの戒めといたします。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

  


 参考文献:
 『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 
  
タグ :現代の経営

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企業の目的とは

2019年01月04日

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

 昨年は大変お世話になりました。心より御礼を申し上げます。本年もご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

 さて、新年にあたり、企業の目的とはなにか?を改めて考えてみたいと思います。以下に引用しましたのは、あまりにも有名なドラッカーの文章です。『マネジメント』に掲載されている文章と認識される方が多いと思いますが、実は『現代の経営』にもほぼ同じ内容の文章があります。今回は『現代の経営』から引用しました。

 企業とは何かを理解するには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、それぞれの企業の外にある。事実、企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的として有効な定義は一つしかない。すなわち、顧客の創造である。
 市場は神や自然や経済によって創造されるのではなく、企業によって創造される。企業が満足させる欲求は、それを充足する手段が提供される前から顧客が感じていたものかもしれない。その欲求は、飢饉における食欲のように、顧客の全生活を支配し、常時顧客の頭を占めていたものかもしれない。しかしそのような欲求は、単に想定されるものであって現実の欲求ではない。実際には、企業の行為が人の欲求を有効需要に変えたとき、初めて顧客が生まれ市場が生まれる。
 欲求が感じられていないこともある。企業が広告、営業活動、新製品の開発によって欲求を生み出したとき、はじめて欲求が生まれるケースである。いずれにせよ、顧客を創造するのは企業の行為である。

            P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p46


 この文章には、三つのポイントがあります。まず第一に、企業の目的は企業の外、すなわち社会にある、ということです。我が社のためにという内向きな目的があるとしたら、そもそも目的の創り方が間違っていることになります。
 第二に、企業の目的は顧客の創造である、ということです。利益の増大を目的として掲げる企業があるかもしれませんが、利益の追求は過去さまざまな間違いを導いています。
 第三に、企業が人の欲求を有効需要に変えたときに顧客が創造される、ということです。顧客の創造とは、営業に力をいれて顧客を増やす、という単純な話ではないのです。お客さまが気付いている欲求、気付いていない欲求のいずれでありましても、それらを企業が商品やサービスに組み立てたり、開発したりして、お客さまに喜んで頂けたならば、顧客が創造されたことになるのです。

 お客さまから求められていないものは市場で生き残ることができません。売り上げが落ちていくのは社会から必要とされていないからです。当社もわが身を厳しく省みてお客さまのお役に立てるよう、努力してまいります。
 
 みなさまにとりまして今年一年が素晴らしい年になりますことを祈念しております。本年もどうぞよろしくお願いいたします

  


 参考文献:
 『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 
  

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経営者に必要な道具

2018年12月03日

 年の瀬もいよいよ押し迫り、みなさまお忙しくお過ごしのことと存じます。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、私は社内で社員やパートナーに向かって話をする機会がよくありますが、なかなかうまく話すことができず、そのたびごとに「話が下手だなー」と反省しております。
 ドラッカーは、経営者の表現力について次のように述べています。

 経営管理者は、情報という特有の道具をもつ。経営管理者は人を操ろうとしてはならない。一人ひとりの仕事について、動機づけし、指導し、組織しなければならない。そのための唯一の道具が、話す言葉であり、書く言葉であり、数字の言葉である。経営管理者の仕事の成果は、たとえそれがエンジニアリング、経理、販売のいずれであろうとも、聞き、読み、話し、書く能力にかかっている。
  
                 『現代の経営(下)』 p217より引用 

 
 話す言葉だけでなく、書く言葉も重要だということですが、私の書く能力はせいぜいこのブログの文章程度で、あまりうまくなっている気がしません。

 経営管理者は言葉を知る必要がある。言葉とは何であり、何を意味するものであるかを知らなければならない。そしておそらく何よりも、人に与えられた最も貴重な能力としての言葉を尊重することを学ばなければならない。知識を愛することへと引き寄せる術としての言葉の意味を理解しなければならない。経営管理者は、話し言葉や書き言葉によって人を動機づける能力がなければ成功しえない。

                 『現代の経営(下)』 p218より引用


 まず、根本として自分の底を流れる信念があることです。そして、自分の考えを熱意をもって話すことができ、聞き手がその考えを理解し納得してくれたとき、話し手としてうまくいったと感じることができるでしょう。また、書いた文章に対して意図した内容の感想をもらえたときに、よく書けたと思えるでしょう。
 私にはまだまだですが、そんな状態を思い描きながら修練を続けています。いままで経済や経営に関する本をたくさん読んできましたが、最近はあえて小説を読むようにしています。論理的な正解からは導き出せない経営という巨人の全体像に少しでも近づくために、小説から響いてくる言葉をつかみ取ろうとしています。

 今年も一年間大変お世話になりました。心より御礼を申し上げます。どうぞよい年をお迎えください。

 参考文献:
 『現代の経営(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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適材適所と適所適材

2018年11月01日

 朝夕の寒気が身にしみる季節となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、経営において、人事の問題が尽きることはありません。当社では社員もパートナーも本当によく働いていますが、評価、採用、異動、倫理の問題など、次から次へと問題は発生します。人事は会社経営において最も大きな問題の一つです。ドラッカーは次のように述べています。

 人事の決定が時間をとるのは、神は、人を組織のための資源として創造したわけではないという単純な理由による。人は、組織においてなすべき仕事に適した大きさや形では現れてくれない。仕事に適するように組み立て直したり鋳直したりすることはできない。
 人は常に、仕事に関してせいぜい及第点であるにすぎない。したがって、ほかに代えるべき資源が存在せず、人を使って仕事をせざるをえないときには、多くの時間と思索と判断が必要となる。

                      『経営者の条件』 p55


 組織をつくってビジネスを行うようになったのは、人類の歴史から見たら最後のほんの一瞬です。人はやはり人であって、組織のために人がいるのだ、と考えてしまったら経営者の傲慢です。自分で自分を変えようとしてもなかなか変わることができないのに、組織の思うように人を変えるなどということは、夢のまた夢です。この組織と人の不適合が人事を難しくしているのだと思います。

 しかし、だからといって、その人に合うように仕事内容を変えてしまっては成果が上がりません。それではその人の能力までしか仕事はできないということになり、お客さまのお役に立つことはできないでしょう。凡人をして非凡な成果を上げるのがマネジメントです。マネジメントにおいては、仕事の設計が先で、その仕事がうまくできるように人を教育し、訓練していくことになります。その意味では、適材に適所を提供する「適材適所」ではなく、適所に適材を担当させ教育・訓練していく「適所適材」のほうが正しいのではないかと思います。

 日々悩みながら経営しております。いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
 『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

  

  

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マネジメントの権限

2018年10月01日

 秋の夜長、読書の好季節となりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、マネジメントというと、上位から下位へ権限を委譲していくようなイメージがありますが、ドラッカーの示したマネジメントの権限はこれとはまったく違うものでした。

 いかなる事業を行うかはトップマネジメントが決める。そのための最終製品が決定され、事業上の目標が設定される。そこから、行われるべきことが一つひとつ明らかにされていく。
 しかし、マネジメントの仕事は、下から決めていかなければならない。生産、販売、設計の最前線の活動からスタートしなければならない。すべては最前線のマネジメントの仕事ぶりにかかっている。上層のマネジメントの仕事は、この最前線のマネジメントを助けるための派生的な仕事に過ぎない。
 あらゆる権限と責任が最前線にある。彼らにできないことだけが上層にゆだねられる。いわば、最前線のマネジメントが組織のDNAである。上層の機関のなすべきことは、すべてそこで規定される。

            『マネジメント(中)』 p50-51より引用


 「わが社は何をするか?」はトップマネジメント(経営者)が決めますが、それを「どのように行うか?」は最前線のマネジャーが決めなくてはいけません。(この文章のマネジメントはマネジャーと置き換えて読んでもいいと思います。)
 成果を上げる事業計画を作る責任は経営者にありますが、その計画を分析し仕事に分解し、実行する責任は最前線のマネジャーにあります。その仕事こそが組織のDNAをつくるのです。ですからマネジャーの教育はとても重要です。(もちろん最終の結果責任はトップマネジメントにあります。)

 私は出来る限りお店に行ってお客さまの状況を把握し、緊急なことはすぐに修正させます。しかし、基本的には最前線のマネジャーの考えを尊重しています。マネジャーの方法で実行してもらい、成功するための手助けを私が行うようにしております。もしもうまくいかなかったら、本人に理解させ、トップマネジメントが修正することになります。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。なにかお気づきの点がございましたら、ご遠慮なくお申し付けください。今月もご指導のほどよろしくお願いいたします。

 参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 


  

  

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マネジメントの適性

2018年09月03日

 秋風が心地よい季節となりました。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、最近ではマネジメント思考が広まったせいか、仕組みづくりという言葉をよく聞くようになりました。仕組みづくりさえすれば、社長が留守にしても会社はうまく回っていく・・・というような話です。
 
 仕組みで動いている大企業をみてそのような話が出てくるのだと思いますが、仕組みづくりに巨額の投資をしている点、能力が高い社員がたくさんいる点、において中小企業と違いがあります。仕組みだけで会社がうまくいくという論理は、経営者にとっては聞こえが良いですが、全体のうちの一部しか見ていないと思います。

 ドラッカーは、仕組みづくりよりも重要な前提条件を指摘しています。

 いかなる仕組みをつくろうとも、マネジメントへの昇格人事で日頃いっていることを反映させなければ、優れた組織の文化をつくることはできない。本気であることを示す決定打は、人事において、断固、人格的な真摯さを評価することである。なぜならば、リーダーシップが発揮されるのは、人格においてだからである。多くの人の模範となり、まねされるのも人格においてだからである。
 真摯さは習得できない。仕事についたときにもっていなければ、あとで身につけることはできない。真摯さはごまかしがきかない。一緒に働けば、特に部下にはその者が真摯であるかどうかは数週間でわかる。部下たちは、無能、無知、頼りなさ、不作法などほとんどのことは許す。しかし真摯さの欠如だけは許さない。そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない。

            P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p218


 マネジメント(経営者)としては、手っ取り早く仕事ができる人を選びたいところですが、そこはよく考えて、人格的な真摯さをじっくりと見つめなくてはなりません。数週間とはいかなくても、いつかは分かってしまうことです。

 知識がなく、仕事もたいしたことがなく、判断力や能力が不足していても、害をもたらさないことはある。しかし真摯さに欠ける者は、いかに知識があり、才気があり、仕事ができようとも、組織を腐敗させる。企業にとって最も価値ある資産たる人材を台無しにする。組織の文化を破壊する。業績を低下させる。

           P.F.ドラッカー 『現代の経営[上]』 p219


 マネジメントの適性を見誤ることは会社の崩壊につながります。当社ではリーダーシップを発揮できる社員を育てることが急務です。そのために組織の文化を醸成してまいります。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします

  


 参考文献:
 『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 
  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

報告と手続きは道具である

2018年08月01日

 残暑お見舞い申し上げます。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
 
 さて、ドラッカーには、体系的廃棄という有名な言葉があります。ことほど左様に、ビジネスでは無駄なことやものが増えていき、行き場を失い、仕事の進行を妨げているのです。何かのきっかけで始められた仕事が、不要な状況になっても放置され、やみくもに続けられています。特に、報告と手続きは、膨張しやすい仕事と思います。
 
 報告と手続きは道具である。だがこれほど誤って使われ、害をもたらしているものもない。報告と手続きは誤った使い方をされるとき、道具ではなく支配者となる。
 報告と手続きの誤った使い方は三つある。
 第一によく見られる誤りは、手続きを規範とみなすことである。
 第二によく見られる誤りは、手続きを判断の代わりにすることである。
 第三に、最もよく見られる間違った使い方としては、報告と手続きを上からの管理の道具として使うことである。
 
                 『現代の経営(下)』 p183-184より抜粋


 報告と手続きは道具であるはずです。ところが、マネジメントの仕組みを作りすぎて、あるいは、部下を管理するために過剰に課すことによって、報告と手続きが支配者になってしまうのです。
 このようになってしまうのは、経営の分からない人が思い付きや気分でつくるからです。当初は有意義に見えたものでも、後から考えてみると、自分または自部門の仕事を確保するため、利益を優先するため、責任を逃れるため、などの理由が隠れている場合があります。しかも、つくった人が素直でない場合は、過ちを認めたくないが故に、自分では廃棄しません。

 報告や手続きは、重要な領域で成果をあげるうえで必要なものに限定すべきである。すべてを管理しようとすることは何も管理しないに等しい。成果に直接関係ないことを管理することは、人を誤って導く。
   
                        『現代の経営(下)』 p186


 定期的かつ体系的な廃棄に、重要な意義があることが理解できます。

 まだまだ暑い日が続きます。お身体ご自愛くださいませ。いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。

 参考文献:
 『現代の経営(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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不可能な仕事

2018年07月02日

 暑中お見舞い申し上げます。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、ドラッカーの『マネジメント』には「後家づくりの仕事」という言葉がでてきます。穏やかではないですね。私もこの言葉を初めて目にした時にはびっくりしました。いったい何を意味しているのでしょうか?(ドラッカーからの引用ですので、失礼な表現をお許しください。)

 帆船全盛の頃、いずれの船会社にも「後家づくり」と呼ばれる船が現れたものである。「後家づくり」とは、なぜか死亡事故を起こす船に付けられる名である。船主たちは、そのような船は思い切って解体した。そうしないことには、船長や航海士のほうが辞めていってしまった。
 今日では、優秀な者が連続して失敗する仕事が「後家づくり」である。理屈ではよくできた仕事に見える。しかし、実績のある者が二人続けて失敗したならば、そのような仕事は廃止し、仕事の内容を再構成しなければならない。あとになってみれば、どこが悪かったかも明らかになる。

              『マネジメント(中)』 p40より引用


 「後家づくりの仕事」とは、普通の人にとって不可能な仕事のことを指しているのです。
 

 通常、「後家づくり」は偶然生まれる。それは、たまたま一人の人間のなかにはなかなか見られない二つの資質を併せもつ者が、うまくこなしてしまったために生まれる。当然のことと思われていた仕事が、属人的な偶然の産物だった。それでは同一の資質の者を探すことは不可能である。

              『マネジメント(中)』 p41より引用


 特別な能力をもつ人でなければうまくこなすことができない仕事があったとしたら、できなかった人の責任ではなく、その仕事を設計した人の責任です。マネジメントは特殊な能力をもつ人によって構成されるものではありません。凡人をして非凡な成果を上げさせるのがマネジメントです。不可能な仕事は分解、分析し、再統合しなくてはなりません。

 当社にも、誰が後を継いでもうまくいかない仕事がときどき出てきます。そのときは「誰かできる人はいないのか?」と考えてしまうことがあります。しかし、変えるべきは人ではなく、仕事の設計なのかもしれません。気合の入った上司が、自分ならできるのに・・・と言ってしまっては、いつまでも解決できません。仕事を客観的に見る態度が必要です。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。今月もご指導のほどよろしくお願いいたします。時節柄お身体ご自愛くださいませ。

 参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 


  

  

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社会と経済の許し

2018年06月01日

 山の緑が日に日に濃くなっています。みなさまいかがお過ごしですか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、昨今、CSRの目標をホームページなどで明らかにしている企業は多いですね。CSRとは、corporate social responsibilityの略で企業の社会的責任を意味します。当社は、あまりたくさんのことはできませんが、できる限りの範囲で地元の行事などに協力しております。

 ドラッカーは『マネジメント』のなかで、企業の社会的責任について目標を定め、戦略に組み込まなくてはならない、と述べています。企業というものは、社会と経済によってつくられたものであって、自然に存在するものではないからです。

 社会や経済は、いかなる企業をも一夜にして消滅させる力を持つ。企業は、社会や経済の許しがあって存在しているのであり、社会と経済が、その企業が有用かつ生産的な仕事をしていると見なすかぎりにおいて、その存続を許されているにすぎない。

        『マネジメント[エッセンシャル版]』 p35


 原文では以下の通りです。

Society or the economy can put any business out of existence overnight.The enterprise exists on sufferance and exists only as long as society and economy believe that it does a job,and a necessary, useful, and productive one.

           『Management』  p113


 企業はお情けによって存在しているのであって、もしも社会のお役に立たないのであれば、存在することはできないのです。ときどき「企業ぐるみ」とか「組織が関与」などの言葉を聞きますが、とんでもないことです。
 企業の経営をしていると毎日さまざまなことが起こります。そのときに自分がぶれてしまって間違った判断をくだしたら、当社は一瞬で消滅してしまうでしょう。戒めたいと思います。
 
 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
 『マネジメント [エッセンシャル版]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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営業数値目標の廃止

2018年05月01日

 風薫る五月となりました。みなさまいかがお過ごしですか。
 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、多くの企業では売上や利益の数値目標を掲げておられると存じます。
 当社には売上や利益の数値目標はありません。売上や利益が経営にとって重要な指標であるということは、十分に認識しておりますが、それらを目標とすることはやめたのです。(ただし、数値がなくなってしまうと、店がよくなっているか、悪くなっているかの判断が出来ませんので、数値自体は注意深く見ております。)

 なぜやめたかというと、売上や利益の数値とは、あくまでも仕事をした結果であって、頭から目標にもってくることは当社の仕事にはなじまない、と思ったからです。
 例えば、今月の利益目標を100万円と決めたとします。100万円は単なる金額であって、どういうことをすれば100万円になるのかが分かりません。このような目標では、とにかく100万円の利益をとりなさい、ということになります。もう少し分解して、A商品から30万円の利益、B商品から50万円の利益、C商品から20万円の利益をあげる、と決めたとします。この方法でもお客さまの状態は見えず、自社のために分類しただけのように思えます。

 どなたかのお役に立って、そのお礼として頂くものが売上であり利益である、と私は考えています。日々お客さまからお叱りを頂いている身としては、数値目標などとんでもないことで、その前にやらなくてはならないことが山のようにあります。数値を重要視すると、とにかく今月のうちに予算を達成しなくてはならない、ということになり、無理な営業につながっていきます。
 
 私はドラッカーの言葉を忘れません。

 そもそも利益とは目的ではなく結果である。マーケティング、イノベーション、生産性向上の結果、手にするものである。
             
       『マネジメント(上)』P.F.ドラッカー(ダイヤモンド社) p87 


 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。

 参考文献:
 『マネジメント 課題、責任、実践(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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社長の条件

2018年04月02日

 うららかな春の日差しが心地よい季節となりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、マネジメントというと、成果を上げるために冷徹に進めていくようなイメージがありますが、マネジメントの資源は人です。人を抜きにしてマネジメントは語れません。ドラッカーは次のように述べています。

 人と働くことは人の成長に関わりをもつということである。いかにともに働くかが、個としての人間および働く者としての人間の成長を助けるか妨げるかを左右する。このことは、マネジメントの対象となる者だけでなく、マネジメントをする者にも当てはまる。部下を正しい方向へ導き、より大きく、より豊かな人間にすることが、直接的に、自らがより豊かな人間となるかより貧しい人間となるか、成長するか退化するかを決める。
 人のマネジメントに関わる能力、例えば議長役や面接の能力は学ぶことができる。管理体制、昇進制度、報奨制度を通じて、人材開発に有効な方策を講ずることもできる。だが、それだけでは十分でない。スキルの向上や仕事の理解では補うことのできない根本的な資質が必要である。すなわち真摯さである。

              『マネジメント(中)』 p29より引用

 
 マネジメントに必要な知識やスキルは、意欲さえあればさまざまな方法で学ぶことができます。私も若い頃に意欲的に学んだのは、ほとんどが知識やスキルに関することでした。では、知識とスキルさえあれば十分だったのか。そうではありませんでした。

 マネジメントの仕事は、体系的な分析の対象となる。マネジメントにできなければならないことは学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、初めから身につけていなければならない資質が一つだけある。才能ではない。真摯さである。

              『マネジメント(中)』 p30より引用

 
 「真摯さ」は人に関わることです。原文ではintegrityという単語で表されています。リーダーズ英和辞典をみるとintegrityに「真摯さ」という訳はなくて「(道徳的、人格的に信頼できる)正直、清廉、高潔、誠実」とあります。「真摯さ」は分かりずらい言葉であるために、さまざまな解釈がありますが、私は辞書に書いてあるように、人間的に信頼できる高潔さ、誠実さのことを指していると思っています。
 経営者(マネジメント)として人の上に立つためには、大前提としてそれだけの人間性が求められるのです。人間性は後からは身につけられません。そもそも、ひどい社長(上司)についていってくれる社員さんはいるのでしょうか?
 私が人格者であるなどという不遜なことは考えてもおりませんが、このようなことを書くことさえためらうほどぶれてしまったら、そのときこそ本当に経営者失格だろうと思い、自戒のつもりで書いてみました。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。今月もご指導のほどよろしくお願いいたします。

 参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 


  

  

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成果をあげる意思決定とは

2018年03月01日

 日増しに暖かくなり、早春の息吹を感じる今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、私は経営者として毎日何らかの意思決定をしています。意思決定には、不安や悩みを感じることがありますが、それが経営者の仕事です。
 ドラッカーは意思決定について次のように述べています。

 成果をあげるには意思決定の数を多くしてはならない。重要な意思決定に集中しなければならない。個々の問題ではなく根本的なことについて考えなければならない。問題の根本をよく理解して決定しなければならない。不変のものを見なければならない。したがって、決定の早さを重視してはならない。あまりに多くを操ることはかえって思考の不十分さを表す。何についての決定であり何を満足させるかを知る必要がある。形にこだわることなく、インパクトを求めなければならない。賢くあろうとせず、健全であろうとしなければならない。

                    『経営者の条件』p154より引用


 まず、意思決定の数を多くしないために、経営理念をもち、それに基づいて期初に年間計画を立てることが必要です。これらがあれば、何かが発生した都度判断に迷う必要がありません。計画通りに進めればいいわけです。理念や計画が社内に浸透していれば、現場で発生する小さな問題についても、いちいち社長に相談しなくてもその場で意思決定ができます。特例ばかりを求めてくる社員は理念や計画を軽視しているということも分かります。

 次に、意思決定の本質についてです。現場の意思決定を見ると、中には、自分だけ利益を得ようとするもの、自分のミスを取り繕うようなもの、他者を追い詰めるようなもの、が紛れ込んでいる場合があります。何のための意思決定で、誰を満足させなくてはならないか、という本質を考えていないからです。自己中心の意思決定は見透かされます。健全であろうとしなくてはならない、とドラッカーが指摘したのはこの意味だと思います。

 その場しのぎに思いついた意思決定は、早晩脆くなり、再検討が必要となります。見かけはよくても健全ではないからです。自分だけよければいい、という雑念が、本質に切り込まなくてはならない意思決定の根本を揺るがします。経営者に高い倫理観が求められるのは、このようなことが生じやすいからといえます。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
 『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

  

  

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仕事と労働の違いとは

2018年02月01日

 春の陽気が待ち遠しい今日この頃、みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、政府は「人づくり革命」と「生産性革命」を政策の柱として、予算を重点的に配分していくことを表明しました。目標としている名目GDP600兆円達成のために、2020年度までの3年間を「生産性革命集中投資期間」とし、税制・予算・規制改革などを進め、企業による設備や人材への投資を促していくそうです。
 人口減少が止められない我が国において、GDPを増やすためには、移民を受け入れて人口を増やすか、生産性を上げるか、のいずれかが必要です。

 企業が生産性を上げるためにはどのようにしたらいいのでしょうか。ドラッカーは次のように述べています。

 仕事を生産的なものにするには、仕事が客観的な存在であり、スキルや知識は、仕事側ではなく労働側の問題であることを認識しておかなければならない。なぜならば、仕事がそのようなものであるからこそ、仕事を生産的なものにすることに体系的に取り組むことができるからである。
 人をして成果をあげさせるための第一歩は、仕事を生産的なものにすることである。仕事が要求するものを理解すれば、それだけ仕事を労働という人間活動に適合させることができる。仕事を理解すれば、それだけ人により多くの自由を与えられる。

              『マネジメント(上)』p251-252より引用


 この文章を理解するためには、まず、仕事と労働とは別のものであることを理解しなくてはなりません。現実の世界では、人が労働することを通じて仕事をしているので、仕事と労働を混同しがちです。
 仕事とは、手順と成果が明確に示されており、客観的なものです。一方、労働とは、ある一人の人間によってなされるものですから、一人一人のスキルや知識やモチベーションによって異なるものです。
 生産性を上げるためには、まずは仕事を体系的に把握し、生産的な手順に改善することです。個々人のスキルやモチベーションを突き詰めていくのはその後のことです。生産性の向上は労働の質によって左右されるものであってはならないのです。
 経済が緩やかに拡大しているいまのうちに、次の手を打っておく必要があります。生産性を高めるための前向きな投資を進める明るい年にしたいものです。
 
 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
 『マネジメント 課題、責任、実践(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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イノベーションとは天才のひらめきではない

2018年01月04日

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

 昨年は格別のご厚情を賜り、心より御礼を申し上げます。本年もご愛顧のほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、新年を迎え、新規事業や事業の変革を検討されている方もおられると存じます。
 ドラッカーの言葉でいえば、イノベーションを起こす、ということになるかと思います。ドラッカーはイノベーションを起こすのための機会として7つを紹介しています。

 
 産業の内部に四つ
 1.予期せぬこと 2.ギャップ 3.ニーズ 4.産業の構造変化
 産業の外部に三つ
 5.人口構造の変化 6.認識の変化 7.新しい知識の獲得 
         
                 『P.F.ドラッカー経営論集』より引用


 この七つは起こりやすい順に並べられており、最も身近なものが1番の「予期せぬこと」です。これは「予期せぬ成功」「予期せぬ失敗」の両方を含みます。
 「予期せぬ成功」の事例をご紹介します。通販で販売されている卓上型の小型食器乾燥機が急に売れ出したことがあったそうです。新規顧客の利用目的を調べてみると、食器乾燥のためではなく、プラモデル愛好家が塗装したプラモデルをを乾燥させるために便利に使っていることが分かりました。主婦のために作った商品がプラモデル愛好家に喜ばれていたのです。
 
 つまるところ、イノベーションとは、天才のひらめきではなく、仕事である。それは知識を必要とする。創意を必要とする。焦点を必要とする。(中略)本当に不可欠とされるものは、目的意識を伴う激しく集中的な労働である。勤勉、忍耐、決意が欠けているならば、せっかくの才能、創意、知識も役に立たない。

                 『P.F.ドラッカー経営論集』より引用

 
 イノベーションは仕事である・・・・・・イノベーションは研究室で考えて発見するようなものではなく、目の前にある仕事に集中し、真摯な態度で取り組んでいくなかで気づき、見つかってくるものです。今年も一生懸命仕事をして、お客さまのお役に立つ光るものに出会いたいと思っています。

 今年一年がみなさまにとって豊かで幸せな年になりますことをお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 参考文献:
 『P.F.ドラッカー経営論集』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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人事の四原則

2017年12月01日

 年の瀬を迎え何かと忙しい毎日をお過ごしのことと存じます。いかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、企業において人事は大変重要であり、かつ大変難しいものです。当社においても人事の問題はよく発生し、その度に改善にとりかかりますが、なかなか思い通りにはなりません。悪い人事は結果的にお客さまにご迷惑をおかけすることになります。

 ドラッカーは「人事ほど長く影響しかつ取り消しの難しいものはない」と述べ、人事について四つの原則を紹介しています。

(1)ある仕事につけた者が十分な成果をあげられなければ、人事を行った自分の間違いである。
(2)責任感のある者が成果をあげられるようにすることは、経営陣の責任である。
(3)人事は組織そのものの能力を左右するため、正しく行われなければならない。
(4)外部からスカウトしてきた人間にはじめから新しい大きな仕事を与えてはならない。
   
          『P.F.ドラッカー経営論集』p178-179より引用


 これらの原則は当たり前のことのように思えますが、私も実際に何度も失敗してきました。

 (1)について、Aの職場では全く元気がなかった社員が、Bの職場へ移動させたら急に元気になって、成果を上げ始めたということがありました。似たような仕事でも店の雰囲気や仕事の内容はだいぶ違うので、本人に合っていたのはBの職場だったのです。どの部署で勤務するかということについて、本人の自由度は低いので、人事を行った者の責任です。

 (2)について、有能な経営者、上司がいなければ、部下は力を発揮できません。ある従業員の言い分や行動が正しいにも関わらず、周りの従業員からいじめられて意見が全く通らなくなってしまっているような場合、企業が正しい者を助けなければ、その者は早晩辞め、組織は壊れるでしょう。経営者は部下が成果をあげられるように、環境を整えたり、適切に援助したりしてあげなくてはなりません。

 (3)について、人事は企業の将来を左右するものです。上司のえこひいきや好みで人事が決まるのだとしたらやがて組織は崩壊します。たとえ社長の家族であろうと、その仕事に向いていないなら配置転換をせねばなりません。社長や上司に愛人がいるのだとか、人事に裏取引があるのだとか、ドラマのような話も聞きますが、そのようなことがあるのだとしたら最悪の組織です。人事を行う者には人間性が求めれらます。

 (4)について、新事業を始めるにあたり外部からその道の専門家をスカウトしてくるという話はよく聞きますが、その人に丸投げをしてうまくいくのでしょうか。私の経験では全くうまくいきませんでした。どんな専門家であっても小さな仕事から始めてもらい、会社として仕事ぶりを注視し援助をしながら、だんだんと仕事の範囲を広げていってもらうことが必要です。

 お客さまのお役に立つために、企業では正しい人事が行われなくてはなりません。「人事を正しく行う」ということは、企業理念に立脚し、企業の利益追求や個人の役得にまみれていない、公平で、成果の上がる人事が行われることではないでしょうか。経営者や上司の人格が問われるところです。

 一年間のご利用に心より御礼を申し上げます。みなさまどうぞよい年をお迎えください。来年もご指導ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

 参考文献:
 『P.F.ドラッカー経営論集』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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突然やってくる危機

2017年11月01日

 肌寒い日が続きますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
 
 さて、今年はヨーロッパや中国で自動車のEV化に関する戦略が次々と打ち出されました。日本にとって自動車製造業は大変重要な産業です。我が国の自動車メーカーの戦略は大丈夫なのだろうか、と少し心配になりました。外部環境の変化は突然発生し、企業の経営に大きな影響を及ぼします。
 
 突然やってくる危機について、ドラッカーは次のように述べています。

 最近よく聞く話として、つい昨日まで順風満帆だった大会社が、突然、問題と危機に直面し、低迷し挫折する。
 (中略)
 原因はマネジメントの方法が下手だからではない。マネジメントに失敗したためでもない。たいていは事業を正しく行っている。単に実を結びえないことを行っているにすぎない。その原因はなにか。
 それは、組織の設立とその後の経営に際して基礎とした前提が、現実に合わなくなったためである。組織の行動を規定し、何を行い、何を行わないかを決め、何を意味ある成果とするかを規定すべき前提が、時代遅れとなったためである。第一に、環境としての市場である。すなわち顧客や競争相手の価値観と行動である。第二に、自らの使命、目的である。第三が、自らの強みと弱みである。これらのものが、私が事業の定義とよぶものを構成する。

                   『P.F.ドラッカー 経営論集』 p154


 事業の定義が陳腐化し、実効性を失ったとき、企業は危機を迎えるのです。これを防ぐため、ドラッカーは二つの方策を示しています。
 
 第一の予防策は、私の言うところの体系的廃棄である。三年おきに、すべての製品、サービス、流通チャンネル、方針を根本的に見直すことである。
 (中略)
 第二の予防策は、外で起こっていること、とくにまだ顧客になっていない人たちについて知ることである。
 
               『P.F.ドラッカー 経営論集』 p166-167


 体系的廃棄も、ノンカスタマーに尋ねることも、いずれも難しい仕事ではありません。目標を決めて淡々と執行していくことです。

 われわれは組織を蘇生させようとするとき、魔法の力をもつ人を探す。だが、事業の定義を見直すには、ジンギスカンやダヴィンチが必要なわけではない。
 必要なのは天才ではない。勤勉さである。問題意識である。そもそもCEOとはそのための存在である。

               『P.F.ドラッカー 経営論集』 p172


 奇跡に頼っていては経営はできません。経営者はお金のまわっているときにこそ、勤勉に働き、秘められた問題点を見つけていくことが求められています。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
 『P.F.ドラッカー経営論集』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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マネジメントの仕事とは何か?

2017年10月02日

 秋たけなわの好季節となりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。
 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、ビジネスでの名刺交換の際には、私は〇〇のマネジャーですとか、〇〇のマネジメントをしています、などという言葉が飛び交います。では、マネジメントの意味とは何か、マネジャーとはどんなことをする人のことを言うのか、考えたことはありますか?

 マネジメントの父と呼ばれるドラッカーからひも解いてみます。(マネジャーなどマネジメントする立場の人のことを総称してマネジメントとも呼びます。)

 かつてマネジメントは、「人の仕事に責任をもつ者」と定義された。この定義は当時としては役に立った。マネジメントの機能をオーナーの機能と区別した。マネジメントの仕事が、分析、研究、改善の対象となる独立した仕事であることを明らかにした。(中略)
 だが、この定義はあまり満足できるものではなかった。満足できたことなど一度もなかった。組織には初めから、明らかにマネジメントでありながら、しかも責任ある立場にありながら、人の仕事に責任をもたない人たちがいた。

         『マネジメント(中)』 p16-17より引用


 「人の仕事に責任をもつ」ということでは、仕事の成果よりも、仕事を進めるための要素に責任をもつという意味になってしまいます。極端に言えば、人の仕事ぶりさえ見ていれば、成果はどうでもよい、ともとれてしまいます。

 「人の仕事に責任をもつ者」という従前の定義では、マーケットリサーチ担当のマネジメントとは、「マーケットリサーチャーのマネジメント」ということになる。しかし、われわれが通常意味しているのは「マーケットリサーチのマネジメント」である。この通常の意味こそ、マネジメントの責任を正しく理解しているものである。

         『マネジメント(中)』 p17より引用


 マネジメントがすべきことは、マーケットリサーチャーを管理することではなくて、マーケットリサーチの結果に責任をもつことです。その中にはマーケットリサーチャーの働きぶりを評価することももちろん含まれます。
 「上司による部下という人間の管理」は本当の意味でのマネジメントではありません。人を管理するのではなく、成果に責任をもつことがマネジメントです。

 マネジメントの人間を見分ける基準は、命令権の有無ではない。貢献の責任の有無である。権限ではなく機能がマネジメントを見分ける基準である。

         『マネジメント(中)』 p18より引用

 
 おれが部長だ、と部下を叱って威張っている人はマネジメントではありません。仕事で貢献して、部の成果をあげる人、その部の成果に責任をもつ人がマネジメントです。
 マネジャーとは地位の名称ではないのです。マネジメントをするということが大変重い仕事であることが分かります。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。今月もご指導のほどよろしくお願いいたします。

 参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 


  

  

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寿命100歳時代の働き方

2017年09月01日

 秋風が心地よい時節となりました。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、最近『ライフシフト』という本が売れているそうで、私も読んでみました。簡単にまとめますと、将来、人類の平均寿命が100才にになると予測し、100歳時代にふさわしい生き方、働き方を準備していかなくてはならない、という内容です。

 私は読みながら、この内容は昔ドラッカーが指摘していたことだなー、と感じました。この本ほど詳しくは論じていませんが似たようなことを述べています。興味のある方は『明日を支配するもの』の第6章を読んでみてください。

 『ライフシフト』もドラッカーも論じたように、将来は雇う雇われるという関係だけでなく、さまざまな働き方を選択する人が増えていくのだろうと思います。
 そういう時代においては、出世のために働くとか、どのような地位についたか、ということを重視する思考は無意味です。〇〇派についたから出世した、〇〇から嫌われたから不遇である、というような話はいまだによく聞きますが、そこを超越していく個人でであり、組織でなくてはならないと思います。

 ポスト資本主義(この言葉は古いですが考え方は古くありません)について、ドラッカーは次のように述べています。

 民主的という言葉は、政治や法律の言葉だ。参加的などという最近はやりの言葉も使いたくない。権限移譲という概念はもっと悪い。権限を一番下にもっていっても進歩にはならない。それは依然として権限だからだ。成果をあげるには、権限に代えて、責任を中心に据えなければならない。
 私は管理者という言葉もあまり使いたくない。部下の存在を想定してるからだ。エグゼクティブという言葉を使いたい。支配ではなく、責任を意味しているからである。

                   『P.F.ドラッカー 経営論集』 p147


 上司が部下を管理する組織形態は、軍隊などでは有効でしょうが、企業ではもはや古びたものになりつつあります。

 これからの組織は、上司と部下の関係ではなく、一人ひとりの人間とその支援者の関係になっていく。これまでの一〇〇年間、組織の骨格や構造は、地位と権力の組み合わせだった。これからは、理解と責任の組み合わせでなければならない。

                   『P.F.ドラッカー 経営論集』 p147


 いま、政府の働き方改革が進められていますが、制度の変更は働き方の中の一部にすぎません。会社は働いてくれる社員、パートナーを絶対に守っていかねばなりませんが、働く人も自律して自らの力で組織に貢献し、成果をあげていかねばなりません。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
 『ライフシフト』 リンダ・グラットン (東洋経済新報社)
 

 『明日を支配するもの』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『P.F.ドラッカー経営論集』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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勝って兜の緒を締めよ

2017年08月01日

 残暑お見舞い申し上げます。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 このところ、日本を代表するような企業が次々と倒れ、外資系企業に安く買われていく姿を目にして、とても悲しい気持ちになっております。日本の経営はどうなっているのか?経営者は正しかったのだろうか?慢心はなかったか?と我が事のように反省をしております。

 ドラッカーは危機について次のように述べています。
 
 幸か不幸か、いかなる組織にも危機はくる。必ずくる。その時がリーダーに頼る時である。リーダーにとって最も重要な仕事は、危機の到来を予期することである。回避するためでなく備えるためである。危機がくるまで待つことは責任の放棄である。暴風雨を予期し、先手を打たなければならない。それがイノベーションである。倦むことのない刷新である。

          『非営利組織の経営』 p9より引用


 危機になってからリーダーが出てくるのでは遅いのです。変化を読み先手を打っておかなくてはなりません。そのことをドラッカーはイノベーションと呼んだのですね。

 万事がうまくいかなくなるきっかけは、失敗したときではなく、成功しているときである。失敗したときには、誰もが働かなければならないことを承知している。ところが、成功しているときには、自己陶酔がやってくる。手持ちの資源が無駄遣いされる。

          『非営利組織の経営』 p10より引用 


 うまくいっているいまが一番危ない、と認識すべきです。「勝って兜の緒を締めよ」ですね。

 当社も、なんとかやっていけているいま、お客さまのお声をよくお聞きし、仕事を改善して成果につなげていかなくてはならない、と考えております。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。

  参考文献:
 『非営利組織の経営』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

  

  

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サービス労働の生産性向上

2017年07月03日

 暑中お見舞い申し上げます。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、日本は世界でも有数の先進国というイメージがあると思いますが、日本生産性本部の調査によれば、2015年の日本の労働生産性は世界22位であり、一人当たりGDPも世界18位(37,372USD)となっています。世界第三位の経済大国である我が国も、一人当たりという計算でみると普通の国です。

 ドラッカーは、30年も前に「先進国において緊急を要する社会的な課題は、サービス労働の生産性向上である」と指摘していました。

 敗戦後の焼け野原から経済大国になるまで、我が国の経済を発展させてきた原動力は、傾斜生産方式などの産業政策の効果も大きかったでしょうが、生産性の向上、とりわけ、ドラッカーのいう肉体労働(manual worker)の生産性向上が相当寄与してきたと思います。先人たちの努力が今につながっているのです。

 しかし、いまでは産業構造は大きく変わりました。我が国において第三次産業の占める割合は7割弱(昭和35年は4割弱でした)となり、世の中の大部分の仕事をサービス労働が占めています。少し古いですが、ドラッカーはサービス労働として次のような職種を挙げています。製図工、商店の店長、ハンバーガーショップの16歳の少年、皿洗い、清掃人、保険会社のデータ入力係・・・。いまではいろいろなサービス労働がありますね。

 安倍内閣の「働き方改革」で進められている労働時間の短縮は、働く人の人生を豊かにするためのもので、誠に結構なことです。しかし、GDPの水準が一定だとしたら、単なる労働時間の短縮は個人の所得を減らすことになります。時給で働く人のことを考えれば分かります。時間数の減少は所得を下げますから、それを補うためには時給単価を上げる必要があります。時給単価を上げるには、企業にそれまで以上の利益が必要になります。労働時間短縮と所得維持とを両立するためには、生産性の向上が絶対に必要な条件です。

 かつて工場労働において実現したものに匹敵する生産性の向上をサービス労働において実現することは、先進国社会にとっての最優先課題である。
 実質所得が生産性を越えられないことは、経済学の公理である。サービス労働の生産性を急速に向上させないかぎり、この膨大な階層、かつての肉体労働者と同じくらいの規模にまで大きくなったサービス労働者という階層の社会的、経済的地位は低下していくほかない。

          『P.F.ドラッカー経営論集』 p124より引用

 働く人々がもっと幸せになるために、サービス労働の生産性向上は欠かせません。生産性向上の余地はまだかなりあると思います。政府の働き方改革は、時間短縮と生産性向上の双方を刺激するものであってほしいと願っています。
 
 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
 『P.F.ドラッカー経営論集』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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仕事はロボットにとられてしまうのか?

2017年06月01日

 すがすがしい初夏の季節となりました。みなさまいかがお過ごしですか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、前回のブログで、AI化の進展により世の中が便利になるという話題を申し上げましたところ、人間の仕事がロボットにとられてしまうのでは?という声がありました。
 
 この点について、経営の視点から考えてみます。企業はお客さまのお役に立つために存在していますから、知恵を絞って、お客さまに喜んで頂けるように努力することが第一義です。お客さまのお役に立つためには、社長一人で出来ることは限られていて、従業員の力が絶対に必要です。

 仕事がロボットにとられてしまうのかどうかの境界線は、指示命令されたこと、決まりきったことだけしかやらない人なのか、自ら仕事の方法を改善したり企画したりして成果をあげることができる人なのか、ではないかと思います。

 ドラッカーは、それぞれを肉体労働者、知識労働者と名づけ、区別しました。(上田惇生さんの翻訳です。)
 肉体労働者とは、日本語の文字通りの意味ではありません。原語ではmanual workerとなっており、マニュアルに書かれたその通りのことしかできない人のことを指すと考えてよいでしょう。
 一方、知識労働者とは知的な仕事に就く人のことを指すのではなく、どのような業種のどのような仕事を担当する人であっても、自分の仕事に知識を応用し、仕事の成果を改善出来る人のことを指します。

 ドラッカーは次のように述べています。

 肉体労働者と知識労働者の違いは、彼らをめぐる経済的な原理において最も大きい。経済学も、現実の企業経営も、肉体労働者をコストとして扱う。しかるに、知識労働者を生産的な存在とするためには、資本財として扱わねばならない。コストは管理し、減らさなければならないが、資本財は増やさなければならない。

                『明日を支配するもの』 P175 より引用

 
 私としましては、従業員には企業が成長するとともに人間的に成長してほしいですし、この考えに賛同してくれる人を雇用したいと思います。そしてmanual workerに甘んじることなく、知識労働者としての自らの地位を固めてほしいです。

 少なくとも、すべての人間の仕事が、ただロボットにとられてしまうことはないと考えます。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:『明日を支配するもの』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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AI化と人間の情

2017年05月01日

 行く春が惜しまれる今日この頃、みなさまいかがお過ごしですか。
 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 生まれたばかりの娘の手足を見ると、実に細かくよくできたおもちゃのようで、これが本当に大きくなるのかな?ととても不思議な感じがします。あまりにもかわいくて食べたくなっちゃうね~と言う友人もいました。
 全身を振るわせてぎゃあぎゃあと泣き叫ぶ姿はパワー全開です。自分の存在を主張し、いまこの瞬間を生き延びることに必死です。そこには何のたくらみもありません。この世に出てきてくれたことへの感謝を思うと大騒音もBGMのようなものです。もともとは、誰もがこんなに純粋無垢な赤ちゃんだったのですね。

 奈良時代の歌人、山上憶良に次のような歌があります。

 術も無く苦しくあれば出で走り去ななと思へど兒らに障りぬ
 
 (すべもなくくるしくあればいではしりいななとおもえどこらにさわりぬ)

                        万葉集 巻五 八九九


 
 策も尽き果て苦しくて走り出て死んでしまおうかと思うけれど、子供のことを考えるとそんなことできないなあ・・・と解釈しました。

 奈良時代から1000年以上経ったいまも、人の親心はまったく変わらず、すぐに共感できました。世の中変わったものだらけの中で、人間の愛情や情緒は変わっていない、というのはすごいことではないですか!人間の情は技術革新のようなものとは無関係で、いまそのときが最大限度の状態にあります。(私の仕事は楽なものではありませんが逃げたい状況ではありませんのでご安心を・・・)

 このところ、人口減少問題に対してAI化を進めていくという話がよく出てきます。これからはさまざまな分野にAIが使われ、生活がますます安全で便利になっていくことでしょう。それは誠に結構なことで、当社でもお客さまに喜んで頂けることで、かつ仕事が効率的になることがあるのなら、AI化(機械化)を進めるべきである、と社員たちには話しています。

 しかし、どんなにAI化が進んだとしても、愛情、情緒、倫理、義理、社会、文化、芸術などの課題は、人間にしか解決ができない(感受することができない)のです。よい人間に成長するためにはこういうことが大切な基盤になるのではないかと考えます。

 一日一日を何とか生き延びていこう、と力いっぱい泣き叫ぶ赤ちゃんに、人間を豊かにする、人間性や人格を高めるような教育、環境整備をするのが親の責任なのだろう、と思います。

 いつもご利用くださり、ありがとうございます。今月も御指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
 
 参考文献:『新訂 新訓 万葉集 上巻』 佐々木信綱編  (岩波文庫)
 

  

  

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リーダーとなるために

2017年04月03日

 うららかな春の訪れとなりました。みなさまいかがお過ごしですか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、私は今月いよいよ50歳になります。もう、・・・です。
 子供の頃に描いていた自分の姿になれていないことに、もどかしさと至らなさを感じます。(もっと大きな夢を描いていました・・・)
 これからは、世の中のお役に立てるように、ますます自分の力を発揮していきたい、と考えております。

 ドラッカーは、リーダーの要件を四つ挙げています。

 1.リーダーシップを仕事として見ること。
 2.リーダーシップを地位や特権ではなく責任と見ること。
 3.信頼が得られること。
 4.リーダーシップは賢さに支えられるものではなく、
  一貫性に支えられるものであること。

            『プロフェッショナルの条件』 p185-187より抜粋


 リーダーとなるのに近道はありません。生まれつき持った要素によって決まってしまうものでもありません。自分を律して、毎日積み重ねていくことで醸成されるものです。

 まず、自らの人生のリーダーは自分であることを確信する。組織ではリーダーシップを発揮し、仲間を率いていく。自分のなりたい姿を明確にイメージする。自分の人生は、自分で思うように切り開いていくことができます。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。

 参考文献:
 『プロフェッショナルの条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(編訳) (ダイヤモンド社)
 

 父が描いてくれた、母と私です。(昭和42年作)


  
  

 

  

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