2022年03月01日
太陽が少し高くなって、だんだんと春めいてきたように感じています。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
このブログでは、P.F.ドラッカーの著作『マネジメント』を読んでいます。
前回のブログでは、顧客の創造のため二つの機能のうちのひとつ、「イノベーション」についてご紹介しました。今回は『マネジメント』第7章「目的とミッション」を読んでいきます。
メディチ家、イングランド銀行の創立者からIBMのトーマス・ワトソンにいたるまで、偉大な事業の建設者は、自らの決定と行動を規定する明確な事業の定義をもっていた。ひらめきに頼ることなく、明確でシンプルな事業の定義をもつことは、自らが財をなすだけでなく、自らの亡きあとも成長を続ける組織を築きあげるという真の企業家の特徴である。
『マネジメント(上)』第7章「目的とミッション」p91より引用
自らの事業を定義するために、ドラッカーは次のように問いかけます。
われわれの事業は何か
顧客は誰か
顧客にとっての価値は何か
われわれの事業は何になるか
われわれの事業は何であるべきか
『マネジメント(上)』第7章「目的とミッション」p91-122より抜粋して引用
一人で事業をして、一代で事業を終えるのなら、自らの事業の目的やミッションを考える必要はないでしょう。
しかし、企業は人間の一生を超えて存続していきます。企業(組織)の目的がなければ、企業としてまとまるよりどころがありません。目の前の仕事でいっぱいになっている社員に、将来の夢を抱かせることができません。
企業の目的がはっきりしていなければ、新しく発生する事象に左右されることになるでしょう。外部環境が変わったときには、成り行きに任せることになり、自社を正しい方向へ変えることが出来なくなります。
この章に示されている一つの事例をご紹介します。
1930年代の大恐慌の頃、GMのキャデラック事業の責任者を任されたニコラス・ドレイシュタットは「キャデラックの顧客は誰か?」と問い直しました。そして「われわれの競争相手はダイヤモンドやミンクのコートである。顧客が購入しているのは、輸送手段ではなくステータスである」と考えつきました。こうして、当時のシボレー、フォード、フォルクスワーゲンと差別化したキャデラックは成長事業へと変身したそうです。
企業のマネジメントは、気を抜くと、短期的な結果を求めるようになってしまいます。哲学や理念よりも、儲かることの方が大事だ、と勘違いし、そちらに向かって走っていってしまいます。コンプライアンス、良心、生き方などは二の次になってしまうのです。したがって、あらかじめ、自社の存在意義を見つめ直し、揺るがない信念として、心に留めておくことは大変重要であります。
みなさま全員が日に日に幸せになっていくことを祈念しています。今月もよろしくお願いいたします。

参考文献:
『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"Management Tasks,Responsibilities,Practices" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 10:00
| ささやタイムズ記事
2022年02月01日
寒中お見舞いを申し上げます。信州はとても寒く、雪も多い冬ですが、季節感のあるこの地域に住んでいることに喜びを感じています。
このブログでは、P.F.ドラッカーの著作『マネジメント』を読んでいます。
前回のブログでは、顧客の創造のため二つの機能のうちのひとつ、「マーケティング」についてご紹介しました。
今回ははもう一つの機能「イノベーション」についてご紹介します。
イノベーションについて書かれている部分をご紹介します。
企業の第二の企業家的な機能は、イノベーションすなわち新しい満足を生み出すことである。財とサービスを供給するだけでなく、よりよく、より経済的な財とサービスを供給しなければならない。企業そのものは、より大きくなる必要はないが、常によりよいものになっていかなければならない。
イノベーションの結果もたらされるものは値下げかもしれない。しかし経済学が価格に大きな関心をもってきたのは、価格だけが定量的に処理できるからにすぎない。イノベーションの結果もたらされるものは、よりよい製品、より多くの便利さ、より大きな欲求の満足である。
『マネジメント(上)』第6章「企業とは何か」p79-80より引用
イノベーションとは革新を意味しますが、ここでは発明することや技術的なものを示しているのではありません。経済や社会のコンセプトを指します。ここに示された事例をご紹介します。
冷蔵庫を売る・・・保冷のために売るのであれば、市場の開拓であり、イノベーションではありません。しかし、イヌイット(エスキモー)に対して、食物の凍結防止のために冷蔵庫を売るとしたら、冷蔵庫の新しい用途ですから、新しい製品の創造となります。なんの技術革新もなしにお客さまを創造できたのです。
簡単にまとめますと、お客さまの望む状態をつくる(マーケティング)、新しい満足度を生み出すためにより良い製品、サービスに改善していく(イノベーション)、この二つの機能を通じて、お客さまを創っていくこと(顧客の創造)が、企業の目的ということになります。
毎日コロナにかからないように気を付けて行動していますが、この先もコロナは消えないかもしれないので、最近は、うまく共存して生きていこう、と考えております。みなさまのご多幸、ご健勝を心より祈念しております。

参考文献:
『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"Management Tasks,Responsibilities,Practices" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 10:00
| ささやタイムズ記事
2022年01月01日
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
コロナ禍のなか、昨年は大変お世話になりました。誠にありがとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
このブログでは、P.F.ドラッカーの著作『マネジメント』を読んでいます。
前回は「顧客の創造のために企業はマーケティングとイノベーションの二つの機能をもつ」というドラッカーの言葉を紹介しました。マーケティングとイノベーションとはいったい何のことでしょうか?
今回はドラッカーの「マーケティング」についてご紹介します。
真のマーケティングは、シアーズが顧客の人口構造、顧客の現実、顧客のニーズ、顧客の価値からスタートしたように、顧客からスタートする。「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」を考える。「われわれの製品やサービスにできることはこれである」ではなく、「顧客が見つけようとし、価値ありとし、必要としている満足はこれである」という。
実のところ、販売とマーケティングは逆である。同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない。
何らかの販売は必要である。しかし、マーケティングの理想は販売を不要にすることである。マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、顧客に製品とサービスを合わせ、自ら売れるようにすることである。
『マネジメント(上)』第6章「企業とは何か」p76より引用
ドラッカーのマーケティングとは、自社のお客さまをよく見極め、そのお客さまがどうされたいのか?どうなりたいのか?という状態を実現することだ、と言えます。別の言い方をすれば、お客さまの望む状態を実現することがマーケティングの目標であると言ってもいいかもしれません。
もしお客さまがそのような状態になられたとしたら、営業することも販売することも必要がなく、お客さまは自ら喜んで製品を買ってくださるのです。
このことは、企業だけに限った話ではありません。岩崎夏海さんの小説『もしドラ』では、高校の野球部の顧客を応援してくれる父母や観客と定義しました。病院、宗教団体、ロータリークラブなどいかなる組織でも顧客を定義することは出来ます。ドラッカーには『非営利団体の経営』という書籍もあります。
次回は企業のもう一つの機能「イノベーション」の意味について、深めていきたいと思います。
末筆ながら、みなさまのご多幸、ご健勝、そして、本年が明るく豊かな一年でありますことを心より祈念しております。

参考文献:
『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"Management Tasks,Responsibilities,Practices" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 09:00
| ささやタイムズ記事
2021年12月08日
師走を迎え、ますますお忙しくお過ごしのことと存じます。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
コロナ禍のなか、一年間ご愛顧いただきましたこと、心より御礼を申し上げます。誠にありがとうございます。
このブログでは、P.F.ドラッカーの著作『マネジメント』を読んでいます。前回は「顧客の創造」(to create a customer)について、お客さまと向き合い、お客さまの望む状態を実現していくことである、という私の考えをご紹介しました。
では、企業は顧客の創造のためにいったい何をすればいいのでしょうか?続きの部分を読んでみます。
企業の目的は顧客の創造である。したがって、企業は二つの、ただ二つだけの企業家的な機能をもつ。それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。他のものはすべてコストである。
『マネジメント(上)』第6章「企業とは何か」p74より引用
ドラッカーは、顧客の創造のために、企業は二つの機能をもっている、といいます。それはマーケティングとイノベーションです。それら二つ以外はコストであると言い切っています。
マーケティングとイノベーション、いずれも日本語になっていてよく聞く言葉ですが、説明するとなるとなかなか難しいのではないのではないでしょうか。
二つの言葉について、リーダーズ英和辞典を調べますと、次のように書いてあります。
marketing
1.市場での売買、市場への出荷、マーケティング
2.市場での売り物(買物)、家庭用品などの買物
innovation
革新、刷新、新機軸、イノヴェーション、新制度、新奇な事
marketingの和訳はマーケティング、innovationの和訳はイノベーションなのです。これらの翻訳では、これらがどうして「顧客の創造」と関係してくるのか分かりませんね。
次回以降は、ドラッカーのいうマーケティングとイノベーションの意味について、深めていきたいと思います。
末筆ながら、コロナが消えた豊かで明るい未来を描きつつ、みなさまのご多幸、ご健勝を祈念しております。どうぞ良いお年をお迎えください。

参考文献:
『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"Management Tasks,Responsibilities,Practices" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 17:09
| ささやタイムズ記事
2021年11月01日
秋も一段と深まってまいりました。コロナ禍の中ではありますが、秋の旅行シーズンもピークとなり、人の動きが増えているようです。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
このブログでは、ただいまP.F.ドラッカーの著作『マネジメント』を読んでいます。先月のブログでは「顧客の創造」(to create a customer)について、ご紹介しました。続きの部分を読んでみます。
市場をつくるのは、神や自然や経済ではなく企業である。企業が満足させようとする欲求は、顧客がそれを満たす手段の提供を受ける前から感じていたものかもしれない。飢饉における食物への欲求のように、生活全体を支配し、人にそのことばかり考えさせていた欲求かもしれない。しかしそれでも、有効需要に変えられるまでは、潜在的な欲求であったにすぎない。有効需要に変えられて初めて、顧客と市場が誕生する。 欲求が感じられていなかったこともある。
コピー機やコンピュータへの欲求は、それらのものが手に入るようになって初めて生まれた。イノベーション、信用供与、広告、販売活動によって欲求が創造されるまで欲求は存在しなかった。顧客を創造するものは、常に企業である。
『マネジメント(上)』第6章「企業とは何か」p73より引用
顧客の創造とは、一人一人の人間に注目し、お客さまがかなえてほしいと願っている需要や願望にお応えすることを意味しているのではないでしょうか。それはお客さまご自身が明確に想像できていて、説明できる商品・サービスかもしれませんし、本人でさえ全く想像がついていない商品・サービスかもしれません。
おなかがすいた、というはっきりした需要に、レストランで食事を提供する、コンビニでおにぎりを販売する、という見える形でお応えするのも顧客の創造ではありますが、お客さまがまだ気がついていない便利な商品やサービスを作り出し、お客さまにご満足いただける状態をつくりだすも顧客の創造であるのです。
コピー機やコンピュータはそれができて使ってみるまで、どんなに便利なものなのか誰も知らかったのです。私も中学生の頃はコンピューターとは何なのか全く知りませんでしたし、インターネットの仕組みなど頭の片隅にもありませんでした。
企業の努力(イノベーションとマーケティング)により、便利な商品、サービスが発明されると、これを便利だと思うお客さまが次々に購入します。そして、世界中に広がっていき、世界を豊かにします。このようなことが出来るのは、企業がお客さまの一人一人にしっかり向き合って、お客さまの願望を解決しようと努力を積み重ねてきたからにほかなりません。これが create a customerの意味であると思っています。
いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
末筆ながら、コロナ禍が一刻も早く終息し、安心で豊かな社会が戻りますことを、みなさまのご多幸、ご健勝を祈念しております。

参考文献:
『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"Management Tasks,Responsibilities,Practices" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 10:00
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2021年10月01日
信州の神無月はしっとりした雨降りで始まりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
このブログでは、P.F.ドラッカーの著作を読んでいます。先月のブログで「利益は企業の目的ではない」という文章をご紹介しました。
では、企業の目的とは何なのでしょうか?
ドラッカーの『マネジメント(上)』第6章の「企業とは何か」p73より引用します。
企業とは何かを知るには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、それぞれの企業の外にある。企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的の定義は一つしかない。それは顧客の創造である。
『マネジメント(上)』 p73より引用
「企業の目的は外にある」とはどういう意味でしょう?もしも企業の目的が企業の内部にあるのなら、自社だけが儲かればいいという考え方になってもおかしくありません。経営者は自社だけが良くなることを考え、特に、自分だけが得をすることを考え、社会やお客さまのことを考えなくなります。
社員は内部が大事だと考えれば、お客さまよりも企業の内部にいる上司や社長を喜ばせるような行動をとるようになるでしょう。ですから、ドラッカーは企業の成果は外部にあると言ったのです。
ドラッカーは、企業は社会の一機関であり、社会にとって有用な存在であると認められてようやく存在が許されているのだ、と言います。ですから、企業の目的は社会になくてはならない。それは顧客の創造である、といいます。
「顧客の創造」とは何でしょうか?この言葉だけを見ると、営業回りや販売促進をしてお客さまを増やすことが企業の目的なのだろうか?と思ってしまいます。
原書を見ると「顧客の創造」はto create a customerとなっています。日本語の翻訳文では分からなかったのですが、英語では顧客が単数形になっています。a customer つまり、たった一人のお客さまを創るというのです。
原書をご紹介します。
To know what a business is we have to start with its purpose. Its purpose must lie outside of the business itself. In fact, it must lie in society since business enterprise is an organ of society. There is only one valid definition of business purpose: to create a customer.
"Management Tasks,Responsibilities,Practices" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
この続きは来月検討してまいります。
いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
末筆ながら、コロナ禍の早々の終息とみなさまのご多幸、ご健勝を祈念しております。

参考文献:
『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"Management Tasks,Responsibilities,Practices" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 10:00
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2021年09月01日
さわやかな秋晴れが続いております。それに引き換え、コロナの感染拡大がなかなか収まりません。気持ちは曇っています。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
このブログでは、P.F.ドラッカーの著作を紹介しています。先月まで『現代の経営(上)』を読んでいましたが、都合により今月から『マネジメント 課題・責任・実践 (上)』に切り替えます。私の興味のある部分を取り上げてご紹介していきます。
『マネジメント』には、『エッセンシャル版 マネジメント 基本と原則』という一冊にまとまった書籍もありますが、こちらはかなり縮約されていると感じますので、私としては上中下の三分冊になっている『マネジメント 課題、責任、実践』の方が読みやすいです。こちらを読んでいきます。
今回は『マネジメント 課題、責任、実践 (上)』「第6章 会社とは何か」の章よりご紹介します。
企業とは何かを聞けば、ほとんどの企業人が営利組織と答える。経済学者もそう答える。だがこの答えは、間違っているだけでなく的はずれである。
『マネジメント(上)』 p71より引用
この部分を原書で見てみましょう。
Asked what a business is, the typical businessman is likely to answer, “An organization to make a profit.” The typical economist is likely to give the same answer. This answer is not only false, it is irrelevant.
"Management" Peter.F.Drucker
いきなり核心部です。続きを読みます。
利潤動機なるものには、利益そのものの意義を間違って神話化する危険がある。利益は、個々の企業にとっても、社会にとっても必要である。しかしそれは、企業や企業活動にとって、目的ではなく条件である。利益は、企業活動や企業の意思決定にとって、原因や理由や根拠ではなく、その妥当性の判定基準となるものである。
しかし、企業の判定基準は利潤の極大化ではない。それは経済活動に伴うリスクを補填し損失を回避するために必要な利益の実現である。
『マネジメント(上)』 p71より引用
原書では次のように表現されています。
The danger in the concept of profit maximization is that it makes profitability appear a myth. Profit and profitability are, however, crucial—for society even more than for the individual business. Yet profitability is not the purpose of but a limiting factor on business enterprise and business activity. Profit is not the explanation, cause, or rationale of business behavior and business decisions, but the test of their validity.
The first test of any business is not the maximization of profit but the achievement of sufficient profit to cover the risks of economic activity and thus to avoid loss.
"Management" Peter.F.Drucker
「利益は企業の目的ではなく条件である」というドラッカーの言葉はあまりにも有名です。
ドラッカーに言わせれば、利益とはその会社の妥当性の判定基準であります。原因、理由、根拠ではないのです。
もしも、企業の目的を利益追求(an organization to make a profit)にしたら、どうなるでしょうか?お客さまへのサービスや従業員の待遇を切り詰め、企業だけにお金が残るような行動をとるようになるのではないでしょうか。そのような態度は、お客さまや従業員にはどう映るでしょうか。
いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
末筆ながら、コロナ禍の早々の終息とみなさまのご多幸、ご健勝を祈念しております。

参考文献:
『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"Management Tasks,Responsibilities,Practices" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 10:00
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2021年08月01日
残暑お見舞い申し上げます。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
このブログでは、ドラッカーの『現代の経営(上)』を読んでいます。私の興味のある部分を取り上げてご紹介しております。
今回は「第12章 経営管理者は何をすべきか」の「経営管理者の権限」の節をご紹介します。
マネジメントにおいては権限委譲という言葉をよく耳にしますが、ドラッカーはどう考えているのでしょうか。
経営管理者の仕事は、その範囲と権限を可能なかぎり大きくしなければならない。すなわち、意思決定は可能なかぎり下の階層、可能なかぎりその意思決定が実行される現場に近いところで行わなければならない。これは、上からの権限の委譲という従来の考えとはまったく異なる。
『現代の経営(上)』 p193より引用
上に権限がありそれを下に降ろす、という考え方ではないですね。意思決定は出来る限り下の階層で行われるものである、というのがドラッカーの考えです。続きの部分を読んでみましょう。
最も基本的なマネジメントの仕事を行うのは、第一線の現場管理者である。つまるところ、彼らの仕事がすべてを決定する。このように見るならば、上位の経営管理者の仕事はすべて派生的であり、第一線の現場管理者の仕事を助けるものにすぎないことになる。組織構造の観点からも、権限と責任は第一線に集中させなければならない。彼らにできないことだけが上位に委ねられる。第一線にこそ遺伝子がある。上の組織はすべて、この遺伝子によって規定される。
『現代の経営(上)』 p194より引用
原書では次のように表現されています。
The managers on the firing line have the basic management jobs—the ones on whose performance everything else ultimately rests. Seen this way, the jobs of higher management are derivative, are, in the last analysis, aimed at helping the firing-line manager do his job. Viewed structurally and organically, it is the firing-line manager in whom all authority and responsibility center; only what he cannot do himself passes up to higher management. He is, so to speak, the gene of organization in which all higher organs are prefigured and out of which they are developed.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
firing lijneとは最前線部隊=第一線のことです。本当に遺伝子(gene)という言葉が出てきましたね。当社でいえば、店舗でお客さまと接触しているサービスや調理をしているキッチンに遺伝子があり、上の組織はこの遺伝子により形作られ、発現させられるということになります。
この節のまとめに、より具体的な文章がありました。
経営管理者に与えられる決定権限については、一つの簡単なルールがある。GEの電灯事業部の経営憲章は、アメリカ合衆国憲法をもじって、「明確かつ成文をもって上位のマネジメントに留保されていない権限は、すべて下位のマネジメントに属する」と定めている。 これはまさに、市民の権利についてのプロシアの考え、「明文をもって許されていないことは、すべて禁ずる」とは逆の考え方である。仕事の範囲内において決定の権限が与えられていないことは、すべて細かく規定する必要がある。そのように規定されていないことについては、すべて権限と責任が与えられているものとみなさなければならない。
『現代の経営(上)』 p195より引用
店舗においては、そこに所属するマネジャーないし社員に、ある程度の権限が与えていなければ、お客さまへの対応は後手後手になり、まったく不十分なものになってしまうでしょう。店舗の社員をよく研修、教育し、より大きな権限を持てる状態にしておく必要があるわけです。そもそもfiring lineにgeneがあるわけですから、店舗に力を入れるのは当然のことであるわけです。
いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
末筆ながら、コロナ禍の早々の終息とみなさまのご多幸、ご健勝を祈念しております。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 10:00
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2021年07月01日
暑中お見舞い申し上げます。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
このブログではただいま、ドラッカーの『現代の経営(上)』を読んでいます。私の興味のある部分を取り上げてご紹介しております。
今回は「第11章 自己管理による目標管理」の「マネジメントの哲学」の節をご紹介します。
今日必要とされているものは、一人ひとりの人の強みと責任を最大限に発揮させ、彼らのビジョンと行動に共通の方向性を与え、チームワークを発揮させるためのマネジメントの原理、すなわち一人ひとりの目標と全体の利益を調和させるためのマネジメントの原理である。
これらのことを可能にする唯一のものが、自己管理による目標管理である。自己管理による目標管理だけが、全体の利益を一人ひとりの目標にすることができる。
『現代の経営(上)』 p187より引用
この部分を原書で見てみましょう。
What the business enterprise needs is a principle of management that will give full scope to individual strength and responsibility, and at the same time give common direction of vision and effort, establish team work and harmonize the goals of the individual with the common weal.
The only principle that can do this is management by objectives and self-control. It makes the common weal the aim of every manager.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
現代は組織社会であります。ビジネスに関わるほとんどの人は何らかの組織に属しています。人々は、組織を通じてのみ、自分の能力を社会のために役立てることが出来るのです。このことは一人でビジネスをなさっている方々を否定したり評価したりするものではありません。現代においては、大多数の人々が組織に所属してビジネスを行うようになったという事実であります。
この節のまとめの部分を読んでみましょう。
自己管理による目標管理こそ、まさにマネジメントの「哲学」と呼ぶべきものである。この原理は、マネジメントのコンセプトそのものを基盤とし、マネジメントのニーズと障害についての分析からスタートしている。人の行動や動機づけについての洞察を基礎としている。企業の規模を問わず、あらゆるレベルのあらゆる人に適用することができる。それは、成果を確実なものにするために、客観的なニーズを一人ひとりの目標に変える。こうして真の自由を実現する。
『現代の経営(上)』 p187-188より引用
原書では次のように表現されています。
But management by objectives and self-control may legitimately be called a “philosophy” of management. It rests on a concept of the job of management. It rests on an analysis of the specific needs of the management group and the obstacles it faces. It rests on a concept of human action, human behavior and human motivation. Finally, it applies to every manager, whatever his level and function, and to any business enterprise whether large or small. It insures performance by converting objective needs into personal goals. And this is genuine freedom, freedom under the law.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
奴隷制度や労働争議を振り返るまでもなく、働く人と組織との関係は簡単に割り切れるものではありません。そこでドラッカーが考えたことは「自己管理による目標管理」でした。 これこそ”philosophy” of managementであり、concept of the job of managementであります。
組織で働く人々に組織を通じて自己実現してもらうために「自己管理による目標管理」が生まれました。組織として成果を上げるために、自分の能力を使って、組織にどう貢献するかを自分で決めるのです。仕事は上司が決める、命令されたことだけを行えばいい、という仕事のやり方とは全く違う世界です。「マネジメント」は、働く人の人格をより大切にし、働く人に自由を与えられるようになったのです。
いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
末筆ながら、コロナ禍の早々の終息とみなさまのご多幸、ご健勝を祈念しております。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 10:00
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2021年06月01日
早いものでもう6月、一年の折り返し地点の頃となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
このブログでは、ドラッカーの『現代の経営(上)』の「第11章 自己管理による目標管理」を読んでおります。興味のある部分を取り上げてご紹介しております。
今回は「報告と手続きに支配されるな」の節をご紹介します。
ドラッカーは「報告と手続き」は「道具」であるとし、誤った使い方をすると「道具」ではなく「支配者」になると警告しています。そして、誤った使い方として次の三つを挙げています。
第一によく見られる誤りは、手続きを規範とみなすことである。もちろんそうであってはならない。手続きは完全に効率上の手段である。何をすべきかは規定しない。(中略)
第二によく見られる誤りは、手続きを判断の代わりにすることである。しかし手続きが有効に働くのは、もはや判断が不要になっているときである。すでに判断を行い、その判断の正しさが検証されているという反復的な状況だけである。(中略)
第三に、最もよく見られる間違った使い方としては、報告と手続きを上からの管理の道具として使うことである。このことは、特にマネジメントの上層に情報を提供するための報告や手続き、つまり日常の諸々の書式についていえる。自らの仕事に必要のない情報を本社の経理部、技術部、その他のスタッフに知らせるために、二〇種類もの書式に記入しなければならないという工場長の例は、いくらでも目にする。その結果、工場長の注意は肝心の本来の仕事からそらされる。
『現代の経営(上)』 p183-184より引用
この部分を原書で見てみましょう。
There are three common misuses of reports and procedures. The first is the all too common belief that procedures are instruments of morality. They are not; their principle is exclusively that of economy. They never decide what should be done, only how it might be done most expeditiously. Problems of right conduct can never be “proceduralized” (surely the most horrible word in the bureaucrat’s jargon); conversely, right conduct can never be established by procedure. The second misuse is to consider procedures a substitute for judgment. Procedures can work only where judgment is no longer required, that is, in the repetitive situation for whose handling the judgment has already been supplied and tested. Our civilization suffers from a superstitious belief in the magical effect of printed forms.And the superstition is most dangerous when it leads us into trying to handle the exceptional, non-routine situation by procedure. In fact, it is the test of a good procedure that it quickly identifies the situations that, even in the most routine of processes, do not fit the pattern but require special handling and decision based on judgment. But the most common misuse of reports and procedures is as an instrument of control from above. This is particularly true of those that aim at supplying information to higher management—the “forms” of everyday business life. The common case of the plant manager who has to fill out twenty forms to supply accountants, engineers or staff people in central office with information he himself does not need, is only one of thousands of examples. As a result the man’s attention is directed away from his own job.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
部下を支配するために報告や手続きを利用するということはいまでもよく聞くある話です。報告や手続きの些細な間違いを指摘して仕事を進めさせないように意地悪をするのです。
また、間接部門の力が強い組織においては、間接部門の存在意義を高めるために、無駄な報告書や手続きを残しているような状況もあるのではないでしょうか。
官庁は、企業や市民を報告書や手続きで支配していると思います。これは批判をしているのではなく、官庁とはそういうものだと理解しています。もう相当昔のことですが、あるお役所の手続きの際に、書類のたたみ方が悪い、提出の仕方が失礼だ、とだいぶ絞られたことを思い出しました。私も若かったので、自分でやってみようと、専門家に頼まなかったのがいけなかったのだと思います。
続きを読んでみましょう。
報告や手続きは、重要な領域で成果をあげるうえで必要なものに限定すべきである。すべてを管理しようとすることは何も管理しないに等しい。成果に直接関係ないことを管理することは、人を誤って導く。
最後に、報告と手続きは、記入する者自身にとっての道具でなければならない。記入者を評価するための道具にしてはならない。生産に関する書式への記入の出来栄えによって人を評価してはならない。書式への記入ぶりによって評価してよいのは、それを専門にしている事務員だけである。 生産に関わっている者は生産上の成果によって評価しなければならない。このことを確実にするための唯一の方法は、彼ら自身が成果をあげるうえで必要な書式と報告以外は、いっさい書かせないことである。
『現代の経営(上)』 p186より引用
原書では次のように表現されています。
Reports and procedures should focus only on the performance needed to achieve results in the key areas. To “control” everything is to control nothing. And to attempt to control the irrelevant always misdirects. Finally, reports and procedures should be the tool of the man who fills them out. They must never themselves become the measure of his performance. A man must never be judged by the quality of the production forms he fills out—unless he be the clerk in charge of these forms. He must always be judged by his production performance. And the only way to make sure of this is by having him fill out no forms, make no reports, except those he needs himself to achieve performance.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
To “control” everything is to control nothing.
ドラッカーらしいズバッと切り込む文章ですね。
成果に結びつかない報告書や手続きを増やしていくのは、生産性が低いと言わざるを得ません。報告書や手続きは一瞬利用して、消えていくものです。私は一瞬見るということで役立てています。報告書や手続き、稟議などを何度も見返したりすることはほとんどありません。
必要なものは絶対にしなくてはなりませんが、最低限に絞るべきです。ましてやマネジメントや間接部門の好みでやられてはたまったものではありません。
課されている立場の者には、この報告書、この手続きがなぜ必要かは分からないのです。だから無駄なことも言われたとおりにやってしまいます。無駄なものを廃棄するのはマネジメントの仕事です。
いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
末筆ながら、みなさまのご多幸、ご健勝を祈念しております。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 10:00
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2021年05月01日
風薫る五月となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
このブログでは、ドラッカーの『現代の経営(上)』の「第11章 自己管理による目標管理」を読んでおります。興味のある部分を取り上げてご紹介しております。
今回は「自己管理によるマネジメントへの変革」の節から抜粋します。
目標管理の利点は、自らの仕事を自ら管理することにある。その結果、最善を尽くすための動機がもたらされる。高い視点と広い視野がもたらされる。目標管理は、マネジメント全体の方向づけや仕事の一体性のためには不要としても、自己管理によるマネジメントには不可欠である。
『現代の経営(上)』 p179より引用
この部分を原書で見てみましょう。
The greatest advantage of management by objectives is perhaps that it makes it possible for a manager to control his own performance. Self-control means stronger motivation: a desire to do the best rather than just enough to get by. It means higher performance goals and broader vision. Even if management by objectives were not necessary to give the enterprise the unity of direction and effort of a management team, it would be necessary to make possible management by self-control.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
目標管理の利点は、自らの仕事を自ら管理できることにあります。セルフコントロール(自制)することにより、ただ達成すればよいというのではなく、最善を尽くそうという意欲が生まれるのです。
そして、逆説的ではありますが、セルフコントロールするためには目標管理が不可欠であるのです。
続きを読んでみましょう。
マネジメントたる者は自らの成果について全面的に責任をもつ。しかし、それらの成果をあげるための仕事は、彼ら自らが、そして彼ら自らのみが管理する。反社会的、反プロ的行為でないかぎり、自らの行動は自ら管理しなければならない。人は自らの仕事について情報をもつとき、初めてその成果について全責任を負うことができる。
『現代の経営(上)』 p182より引用
原書では次のように表現されています。
And every manager should be held strictly accountable for the results of his performance. But what he does to reach these results he—and only he—should control. It should be clearly understood what behavior and methods the company bars as unethical, unprofessional or unsound. But within these limits every manager must be free to decide what he has to do. And only if he has all the information regarding his operations can he fully be held accountable for results.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
マネジャーは、自分の仕事についてすべての情報をもつとき、その成果について全面的に責任をもつことになります。これは自営業をなさっている方のことを考えれば、当たり前のことです。自分の仕事のことは自分がすべて把握しているので、すべての責任を自分が負うのです。組織に所属している人であっても同じことであるはずです。しかし、組織となると、責任の所在がぼやけてしまいます。
経営者がマネジャーに対して仕事を課す際には、その仕事についてのすべての情報を共有しなくてはなりません。でなければ、マネジャーは自分の意思で自由に動けませんし、責任をとろうという意思も持てないのです。
いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
末筆ながら、みなさまのご多幸、ご健勝を祈念しております。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 10:00
| ささやタイムズ記事
2021年04月01日
春の日差しがうららかな季節を迎えました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
このブログでは、ドラッカーの『現代の経営(上)』の「第11章 自己管理による目標管理」を読んでおります。興味のある部分を取り上げて、飛ばしながらご紹介しております。
前回は「キャンペーンによるマネジメント」をご紹介いたしました。続きの部分を読んでみます。
マネジメントとは、その定義づけからして、自らの率いる部門がその属する上位部門に対してなすべき貢献、つまるところ企業全体に対してなすべき貢献について責任をもつ者である。その仕事は、下ではなく上に向かって行われる。すなわち目標は、その属する上位部門の成功に対してなすべき貢献によって規定される。
『現代の経営(上)』 p176より引用
この部分を原書で見てみましょう。
By definition, a manager is responsible for the contribution that his component makes to the larger unit above him and eventually to the enterprise. His performance aims upward rather than downward. This means that the goals of each manager’s job must be defined by the contribution he has to make to the success of the larger unit of which he is a part.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
マネジメント(=マネジャー)とは、部下の行動を管理したり、部下の目標達成に寄与する者というイメージがあるかもしれません。しかし、ドラッカーはその概念を”aims upward rather than downward”と明確に否定します。
自部署よりも上位部門の成功に対して責任を負うのがマネジメントであると指摘しています。
続きを読んでみましょう。
目標は、好みではなく、組織の客観的なニーズによって設定しなければならない。まさにそれゆえに、誰もが自らの属する上位部門の目標の設定について積極的に参画しなければならない。「事業全体の究極の目標は何であるか」を知り、その内容を理解しなければならない。そして「自らに何が求められ、それはいかなる理由でか」「自らの成果は、何によって、いかに評価されるか」を知り、理解しなければならない。
『現代の経営(上)』 p177より引用
原書では次のように表現されています。
Precisely because his aims should reflect the objective needs of the business, rather than merely what the individual manager wants, he must commit himself to them with a positive act of assent. He must know and understand the ultimate business goals, what is expected of him and why, what he will be measured against and how.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
上位の部門や企業全体に対しての貢献が求められている以上、自部署の目標は、企業の目指している大きな目標から導かれなくてはならないのです。
自らの仕事でお客さまに喜んで頂いた、ということは大変尊い経験で、それを積み重ねていくことにより人は成長していくと思います。しかし、そのことだけで満足してしまっては、組織という視点が抜け落ちています。
飲食店には、接客が好きだという従業員は多いです。自分の接客でお客さまに喜んで頂いている、という実感があることでしょう。
そのうえで、自分の仕事がお店の経営にどのように寄与しているだろう?という視点をもっているでしょうか?
自部署の目標達成で満足してしまうマネジャーは企業全体のことを考えていません。隣の部署と競争しているのだとしたら、向きが間違っています。我が部署は企業全体から見て何を求められているのか、どう行動すべきか、という全体観が必要です。
”must know and understand the ultimate business goals”の部分ですが、この企業が何を目指しているのか?という視点から目標を設定し、行動するようになると、マネジャーはさらに大きな力を発揮できるようになるでしょう。
奮闘している一人の従業員の成果よりも、より多くのお客さまに、より大きなご満足を、組織として提供して差し上げられるようになります。
今回の内容はドラッカーの本には繰り返し出てきますが、それだけ重要なことだからだと思います。
いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。みなさまのご多幸、ご健勝を祈念しております。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 10:00
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2021年03月01日
暖かな日差しが春の訪れを感じさせる今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
このブログでは、ドラッカーの『現代の経営(上)』の「第11章 自己管理による目標管理」を読んでおります。興味のある部分を取り上げて、飛ばしながらご紹介しております。
前回は、高度な専門性の追求が事業の全体観を失わせる恐れがある、という内容をご紹介いたしました。続きの部分を読んでみます。
マネジメントを的確に行うには、目標間のバランスが必要である。危機感をあおるマネジメントや、キャンペーンによるマネジメントを行ってはならない。
『現代の経営(上)』 p174より引用
この部分を原書で見てみましょう。
Proper management requires balanced stress on objectives, especially by top management. It rules out the common and pernicious business malpractice: management by “crisis” and “drives.”
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
少しおおまかに訳されていますね。ところで、この章の題名にもなっている「キャンペーンによるマネジメント」とは何でしょうか?
「キャンペーンによるマネジメント」は、原書ではmanagement by drivesとなっています。driveという言葉の意味を辞書で調べてみると「(獲物の)駆り立て、(群れの)追い立て、(仕事を進めていく)迫力、精力、気力、(寄付募集などの)猛運動、大宣伝」という意味がありました。目標達成のために、後ろから激しく追い立てていくようなイメージでしょうか。
今週は〇〇商品を売れ、来週は経費削減だ、来月は代理店を回れ、というように、マネジャーの思い付きと気合でマネジメントを行うことを示しているのだと思います。いまでもこのようなマネジメントをしている会社はあると思います。キャンペーンという訳語は、さすが上田先生の翻訳ですね。
キャンペーンによるマネジメントは、当座しのぎのマネジメントと同じように、混乱の兆候である。無能の証拠である。いかに計画するかをトップマネジメントが知らないことを示す。何を期待すべきか、いかに方向づけすべきかを知らないことを示す。人を間違った方向に導いていることを示す。
『現代の経営(上)』 p176より引用
原書は次の文章です。
Management by drive, like management by “bellows and meat ax,” is a sure sign of confusion. It is an admission of incompetence. It is a sign that management does not know how to plan. But, above all, it is a sign that the company does not know what to expect of its managers—that, not knowing how to direct them, it misdirects them.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
経営者には、あれもやりたい、これもやりたい、という気持ちがあると思いますが、それは単なる気まぐれやブームに振り回されているだけかもしれません。わが社は何のために存在しているのか、わが社の顧客はどなたか、という基本的な問いを忘れてしまうと、その場しのぎの施策になってしまいます。やがては、社員たちはあきれてしまい、会社は迷ってしまうでしょう。浮利を追うような態度は戒めなくてはなりませんね。
いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。みなさまのご多幸、ご健勝を祈念しております。

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『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
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2021年02月01日
寒中お見舞い申し上げます。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
コロナ禍に明け暮れて一年が経ってしまいました。当社は依然、大変厳しい状況に直面しており、このまま何もしなければ、お客さまから不要の存在となってしまうことでしょう。私自身の力不足を反省しつつ、あきらめずに前へ向かってまいります。
さて、ドラッカーの『現代の経営(上)』の「第11章 自己管理による目標管理」を読んでおります。
前回は、個人の目標を組織の目標に合わせなければ組織の成果は上がらない、という内容をご紹介いたしました。続きの部分を読んでみます。
機能別部門の経営管理者がもつ専門的な能力における追求心は、企業全体の目標とのバランスが失われるならば、強力な遠心力となって組織を分解させる方向に働く。それぞれがそれぞれの分野にしか関心をもたず、それぞれの分野を聖域として守ろうとする。事業全体を築こうとせず、領土の拡大に熱心な機能別部門の緩やかな連邦をつくろうとする。
この危険は、今日進行しつつある技術の変化によってさらに大きくなる。組織に働く知識労働者の数は、今後大きく増加していかざるをえない。彼らに要求される能力の水準も高まらざるをえない。したがって、機能それ自体を目的にする傾向はさらに顕著となる。
『現代の経営(上)』 p169より引用
この部分を原書で見てみましょう。
The functional manager’s legitimate desire for workmanship becomes, unless counterbalanced, a centrifugal force which tears the enterprise apart and converts it into a loose confederation of functional empires, each concerned only with its own craft, each jealously guarding its own “secrets,” each bent on enlarging its own domain rather than on building the business. This danger will be greatly intensified by the technological changes now under way. The number of highly educated specialists working in the business enterprise is bound to increase tremendously. And so will the level of workmanship demanded of these specialists. The tendency to make the craft or function an end in itself will therefore be even more marked than it is today.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
この本が書かれたのは1954年ですが、いまではさらに仕事の専門性が高くなっています。仕事が分業化され、それぞれの専門性が高まれば高まるほど、自分の仕事のことだけを考えてしまう恐れがあり、その機能を目的化してしまう恐れが出てくるのです。
製造は作ることだけを、営業は売ることだけを、総務は型にはめることを求め、それが達成されることだけに喜びを感じるようになってしまいます。各部署は自分の利益や利権を守るために他部署と戦うことになります。これでは企業の目標の達成は置いてけぼりになってしまいます。
コロナ禍でテレワークが進み、ジョブ型採用も注目されていますが、この流れによって、さらに専門性が求められるようになり、結果しか見ないようなマネジメントを生み出すようなことになるかもしれません。いまは全体観のある経営者、マネジャーが求められているのではないでしょうか。
なお、訳書で引用した部分に「知識労働者」という言葉が出てきますが、原書はspecialistsの表記です。「知識労働者」(=knowledge worker)という言葉は、一般的にはドラッカーの『断絶の時代』(1968年)から登場すると言われています。knowledge workerでしたら、知識労働者と訳してもいいですが、ここは文脈からしても、また平仄を合わせるためにも「専門家」と訳したほうがよかったのかもしれません。
いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。時節柄ご自愛くださいませ。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
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2021年01月04日
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。昨年はコロナ禍のなか、格別のご厚情を賜りましたこと、心より御礼を申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、ドラッカーの『現代の経営(上)』を読んでおります。「第11章 自己管理による目標管理」に入ります。
「目標管理」という言葉は日本語に訳した際に「自己管理による」が抜け落ちた上で独り歩きしてしまいました。上司から示された目標を達成させるというイメージの言葉になってしまいましたが、もともとは「自己管理による目標管理」だったのです。原書ではManagement by objectives and self-controlと表現されています。この点については、この章の後半に述べられていますので、追い追いご紹介いたします。
組織の目標と個人の目標について書かれている部分を引用いたします。
組織はチームをつくりあげ、一人ひとりの人の働きを一つにまとめて共同の働きとする。組織に働く者は共通の目標のために貢献する。彼らの働きは同じ方向に向けられ、その貢献は隙間なく、摩擦なく、重複なく、一つの全体を生み出すよう統合される。 事業が成果をあげるには、一つひとつの仕事を事業全体の目標に向けなければならない。仕事は全体の成功に焦点を合わされなければならない。期待すべき成果は事業の目標に基づいて決められる。それは組織の成功に対する貢献によって評価される。
『現代の経営(上)』 p166より引用
この部分を原書で見てみましょう。
ANY business enterprise must build a true team and weld individual efforts into a common effort. Each member of the enterprise contributes something different, but they must all contribute toward a common goal. Their efforts must all pull in the same direction, and their contributions must fit together to produce a whole—without gaps, without friction, without unnecessary duplication of effort. Business performance therefore requires that each job be directed toward the objectives of the whole business. And in particular each manager’s job must be focused on the success of the whole. The performance that is expected of the manager must be derived from the performance goals of the business, his results must be measured by the contribution they make to the success of the enterprise.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
もしも個人の目標が組織の目標とかけ離れたものであったなら、その個人の仕事はいつまでたっても「部分」であり、組織全体への貢献する、という価値観を共有することはできないでしょう。
以前、当社に、ある一つの仕事しかしないという従業員がいました。その人はその仕事については一番早くうまくこなすのですが、他の仕事を覚えることや他の仕事を手伝うことを拒否していました。飲食店はさまざまな仕事の組み合わせで成り立っており、周辺の仕事を覚えた方が、お客さまや他の従業員のためになり、全体最適は向上するのです。しばらくはその仕事だけやる、とがんばっていましたが、結局は、会社の方針に合わせられない、ということで自主的に辞めていってしまいました。
小さな店舗の中でもこのようなことが起こるのです。誰もが自分の仕事をこなすのに精一杯だと思います。しかし、企業が成果を上げるためには、個人の目標は企業の目標から引き出されたものでなくてはなりませんし(must be derived from the performance goals of the business)、その評価も企業への貢献によって測られなくてはならない(his results must be measured by the contribution they make to the success of the enterprise)ということになります。
自分のやりたいことや過去に起こったことばかりを主張する人には、企業の理念やビジョンをよく理解して頂かなくてはならないと思います。
いつもご利用ありがとうございます。本年のみなさま方のますますのご繁栄を祈念いたします。

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『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 10:00
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2020年12月01日
師走を迎え、ますますお忙しくお過ごしのことと存じます。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、ドラッカーの『現代の経営(上)』「第10章 フォード物語」の「経営管理者をマネジメントすることの意味」を読んでいます。その最終部分です。
ここでは、経営管理者(=マネジャー)のマネジメントにおいて必要とされるものとして以下の6項目が挙げられています。
1.目標と自己管理によるマネジメント
2.経営管理者の仕事を適切に組織すること
3.組織に正しい文化を生み出すこと
4.CEOと取締役会(統治のための機関)
5.明日の経営者の育成
6.経営管理者の健全なる組織構造
これらの項目はとり立てて行うことではなく、あらゆる企業において既に行われていることです。選択肢は、正しく行うか、間違って行うか、のいずれかであり、それが企業の盛衰を決める、と述べられています。
この6つの中で私が重要だと感じましたのは3番の「組織の文化」です。その部分を引用します。
経営管理者はそれぞれが別の人間でありながら、働くときはチームとして働く。そしてチームとして組織された集団は、組織としての文化をもつことになる。この組織としての文化は、一人ひとりの人、一人ひとりのものの見方、それぞれの仕事の仕方、それぞれの姿勢、それぞれの行動パターンからなる。しかし組織に特有の文化は、組織の全員に共有されるものとなる。
組織の文化は、それを最初に形成した人たちがいなくなったはるか後においても生き続ける。それは、新しく入ってくる者の姿勢と行動を規定する。組織の中で成功する者を決める。組織が卓越性として認め報いるべきものを決める。また凡庸として無視すべきものを決める。さらに組織内の人間が成長するか、いじけるかを左右する。健全に育つか、育ち損なうかを左右する。組織の卑しい文化は卑しい経営管理者をつくり、偉大な文化は偉大な経営管理者をつくる。
『現代の経営(上)』 p164より引用
この部分を原書で見てみましょう。
Though managers are individuals, they have to work together in a team, and such an organized group always has a distinct character. Though made by individuals, their vision, their practices, their attitudes, and behavior, this character is a common character.
It survives long after the men are gone who originally created it. It molds the behavior and attitudes of newcomers. It decides largely who will succeed in the organization. It determines whether the organization will recognize and reward excellence or scuttle into the shallow harbor of placid mediocrity. Indeed, it controls whether men will grow or become stunted, whether they will stand straight and erect or become crooked and misshapen. A mean spirit in the organization will produce mean managers, a great spirit great managers.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
最後の行にありますmeanには、形容詞として「卑劣な、下品な、さもしい」という意味があるそうです。始めの行でcharacter(=性格、気質)が「文化」と訳されています。「組織の文化」は社風のようなものと考えていいと思います。それと区別して、最終行のspiritは「精神」でもいいのかもしれません。組織のもつ卑劣な精神は卑劣なマネジャーをつくり、偉大な精神は偉大なマネジャーをつくる、ということになります。
組織の文化は組織全員に共有されます。卑劣な文化はマネジャーが代々受け継いでいってしまうのです。企業をよくするためには、正しい文化の醸成が絶対に必要であるわけです。
以前、社内問題が起こった際に、良くないことをしているにも関わらず「昔からそういうやり方だから」という答えがありました。私自身が把握していなかったところで文化になってしまったことに悲しい気持ちを覚えましたし、自分の力不足が従業員に迷惑をかけているということを大変申し訳なく思いました。
いつもご利用ありがとうございます。どうぞ良いお年をお迎えください。みなさまのご多幸、ご繁栄を祈念しております。

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Hitoshi Yonezu at 10:00
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2020年11月02日
肌寒さが身にしみる冬隣。年末に向けて何となく慌ただしい気持ちになってまいりました。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、ドラッカーの『現代の経営(上)』「第10章 フォード物語」を読んでおります。前回はマネジメントの必要性についてご紹介しました。続きを読んでみます。
確かに発生学的には、マネジメントは、小さな事業のオーナーが一人では果たせなくなった仕事を助手たちに代理させることから生まれる。そして事業の成長すなわち量的な変化が、マネジメントを必要不可欠の存在にする。しかし、そこにもたらされる変化は質的なものである。
ひとたび企業となるや、マネジメントの機能はもはやオーナーの助手として定義することはできない。マネジメントは客観的なニーズによる機能をもつ。それらの機能を軽視し否定することは、企業そのものを破滅させる。
マネジメントはそれ自体が目的ではない。それは企業の機関にすぎない。それは一人ひとりの人からなる。したがって、経営管理者のマネジメントにおいてまず必要とされることは、一人ひとりの経営管理者の目を企業全体の目標に向けさせることである。彼らの意思と努力をそれらの目標の実現に向けさせることである。
『現代の経営(上)』 p163より引用
事業が成長することによって、仕事の量が増えますから、マネジメントが必要になることは必然でありましょう。しかし、マネジメントを導入することによってもたらされる変化は質的なものである、とドラッカーは言います。
この部分を原書で見てみましょう。
But while growth in size, that is quantitative change, makes management necessary the change itself is qualitative in its effects.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
マネジメントが効果的であるならば、量をさばけるようになるだけでなく、質も高くなるということです。
当然ですが、マネジメントは目的とするものではありません。一人一人の経営管理者(=マネジャー)は企業の機能であります。彼らの意思と努力を企業全体の目標の実現に向けさせることが必要です。
その部分を原書で読んでみましょう。
The first requirement in managing managers is therefore that the vision of the individual managers be directed toward the goals of the business, and that their wills and efforts be bent toward reaching these goals.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
自分の部署の数字だけをよく見せようとするマネジャーがいるとしたら、マネジメントの悪い副作用と言えましょう。マネジャーは社長から企業の一部分の機能を委譲されたわけですが、到達すべき場所はあくまでも企業として成果を上げることです。自分たちだけの成果で満足しているとしたら、小さな了見であります。
私自身、理想の職場づくりができていないことに反省するばかりの毎日です。
いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

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2020年10月01日
秋の声が聞こえる美しい季節になりました。みなさまいかがお過ごしですか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、ドラッカーの『現代の経営(上)』「第10章 フォード物語」を読んでおります。前回ご紹介したように、フォードの独断的なワンマン経営と秘密警察による人事管理は失敗に終わりました。
老フォードは、フォード社を個人の所有物としてマネジメントした。そして彼の経験は、法律上の規定はどうあれ、近代企業がそのようにはマネジメントされえないことを明らかにした。企業に寄託された資源は、一人の人間の一生という時間的な制約を超えて富を生む。企業は永続する。そのためには経営管理者が必要である。
また、企業のマネジメントはあまりに複雑であって、たとえ中小であっても一人の人が助手を使って行うことはできない。組織され一体化したチームが必要である。チームのメンバーが、それぞれマネジメントの仕事を行うことが必要である。
『現代の経営(上)』 p162より引用
原書を見てみましょう。
The older Ford ran his company quite consciously as a single proprietorship. His experience proves that, whatever the legal rules, the modern business enterprise cannot be run this way. The resources entrusted to it can produce wealth only if they are maintained beyond the life-span of one man. The enterprise must therefore be capable of perpetuating itself; and to do this it must have managers. The complexity of the task is such, even in a small business, that it cannot be discharged by one man working with helpers and assistants. It requires an organized and integrated team, each member of which does his own managerial job.
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker
家業と企業の違いを考えればわかりやすいと思います。家族の幸せのために成果を上げる家業の考え方を否定するものではありませんし、素晴らしい成果を上げている家業はいくらでもあります。
しかし、企業を標榜するのであれば、企業とは、創業者一代で終わるものではなく、永続するものであり(perpetuating)、寄託された資源を活用することで人間の一生を超えた富(produce wealth only if they are maintained beyond the life-span of one man)を生んでいくものである、ということを根底に考えなくてはならないのです。
社長とそのヘルパー、アシスタントだけで、経営はできないということをフォードは教えてくれました。企業経営は複雑ですから、どうしてもマネジメント(経営管理者)が必要になるわけです。
コロナ禍における経済はだんだんと回復しているようですが、当社の営業はまだ先が見えてきません。少しでもお客さまのお役に立てますよう、変革を進めてまいります。
いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

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2020年09月01日
さわやかな秋晴れの季節となりました。みなさまいかがお過ごしですか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、ドラッカーの『現代の経営(上)』「第10章 フォード物語」から、フォードの失敗について考えてみます。
1920年代の初め、フォードの市場シェアは2/3でした。しかし、その15年後には、シェアは1/5まで落ちてしまいました。フォードの深刻さは、当時デトロイトでささやかれていたある救済計画にうかがうことができます。業界4位で企業規模がフォードの1/6以下というスチュードベイカー社に公的資金を導入し、フォードをフォード家から買収させるという計画でした。もしも、この方法が取れなければ、フォードの崩壊がアメリカ経済や国家に影響を与えないよう、国有化するしかない、と考えられていたそうです。フォードはなぜ失敗したのでしょうか?
ヘンリー・フォードの失敗の原因は、一〇億ドル規模の巨大企業を経営管理者抜きにマネジメントしようとしたところにあった。彼はその秘密警察のおかげで、他の役員が行おうとする決定をすべて知ることができた。マネジメント上の権限や能力や責任をもつようになった役員は、ただちにクビにした。しかも、社内の秘密警察長官ハリー・ベネットが絶対的な権力をもつようにいたったのは、老人の完全な僕となり、しかもマネジメント上の経験や能力をまったく欠いていたからだった。
何者にもマネジメントの一員たることを許さないという彼の方針は、フォード創立の頃からのものだった。例えば、当時すでに彼は、現場管理者が増長して、今日の地位にあるのは彼のおかげであることを忘れないよう、何年かに一度は意図的に降格させた。(中略)
フォードの役員は、彼のいうままに動く助手でなければならなかった。業務を執行するだけであって、マネジメントすることは許されなかった。
『現代の経営(上)』 p156-157より引用
フォードの独断的なワンマン経営と秘密警察による人事管理は、究極の状態にまでいってしまっていたのです。戦前の話とはいえ、これでは優秀な人は離れていってしまうでしょう。
社長は企業の全責任を負うわけですから、ワンマンで決断しなくてはならない一面があることは確かです。その意味で、企業は民主主義とは言えません。しかし、それは社員の衆知を集め、能力を発揮してもらったうえでの独裁であります。社長が個人的に好きなようにできるという意味ではありません。
マネジャー(ミドルマネジメント)にとっても、同様であります。部長や課長という立場の人は気をつけなくてはなりません。部下は決して上司の奴隷ではないのです。地位が高いことは仕事の機能であると理解することが大切で、人間的に偉いことでありません。自分の行動を常に反省する態度でありたいと思います。
コロナ禍の先行きはいまだにはっきりしませんが、この災いとの戦いは人類が必ず勝利する、と信じて日々の仕事に向き合っております。いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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2020年08月03日
残暑お見舞い申し上げます。みなさまいかがお過ごしですか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、ドラッカーの『現代の経営(上)』「第10章 フォード物語」より引用します。
企業において、その秩序、構造、動機づけ、リーダーシップに関わる基本的な問題の多くは、経営管理者をマネジメントすることによって解決される。経営管理者は、企業にとって最も基礎的かつ最も希少な資源である。完全にオートメーション化された工場では、一般従業員はほとんどいなくなるかもしれない。しかし経営管理者はいる。それどころか、今日の工場と比べて数倍の経営管理者が必要となる。
ほとんどの企業において、経営管理者はもっとも高価な資源である。最も早く陳腐化する資源であって、最も補充を必要とする資源である。彼らのチームを築くには数年を要する。しかし、それはわずかの間の失敗によって破壊される。
『現代の経営(上)』 p152より引用
オートメーションされた工場では一般従業員はほとんどいなくなる・・・ドラッカーが1954年に言い当てていました。
「経営管理者」とは、今ではあまり使われない古めかしい言い回しですね。こういう言葉を使っているところが、この翻訳のおもしろいところでもあります。原書では "managers" となっています。
この文章の前後では、"president", "board of directors", "vice-presidents" などの単語も出てきております。文脈を読み解くと、経営管理者 ”managers” は、日本でいう、マネジャー、課長、部長などのミドルマネジメントのことを指しています。
経営管理者をいかにマネジメントするかによって、事業の目標が達成されるか否かが決まる。人と仕事をマネジメントできるか否かも決まる。なぜならば、働く人の姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映するからである。彼らの姿勢は経営管理者の能力と構造を映す。働く人が成果をあげるか否かは、主として彼らの上司たる経営管理者が、いかにしてマネジメントされるかにかかっている。
『現代の経営(上)』 p153より引用
ドラッカーの指摘通り、マネジャーの働きが大変重要になっています。一般従業員が企業に貢献できるかどうかは、マネジャーによって決まってくるのです。そのマネジャーをいかにマネジメントするかが需要なのですが、今だに大きな問題として残っています。
私もマネジャーの育成にはいつも悩んでいます。マネジャーを育てることができなければ、これ以上お客さまのお役に立つことはできないだろうと思っています。
いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

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『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
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2020年07月01日
暑中お見舞い申し上げます。街や店舗にだんだんとにぎわいが戻ってきました。みなさまいかがお過ごしですか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、ドラッカーの『現代の経営(上)』「第8章 明日を予期するための手法」より引用します。
今日の決定を明日の情勢に適応させ、理性的な推測を現実の成果に結びつけることができるのは、明日の経営管理者である。今日行った決定を明日の情勢に適応させることができるのは、今日の経営管理者ではなく明日の経営管理者である。
経営管理者の育成に関しては、明日の決定を行うことができる経営管理者の育成を問題にしがちである。それも確かに正しい。しかし体系的な経営管理者の育成は、何よりも今日行った決定のフォローのために必要である。
経営管理者の育成は、今日の決定が明日の頭痛の種となったときに、今日の決定とその背後の考えを理解し賢明な行動をとることのできる人たちを準備しておくという意味において必要である。
つまるところ、事業のマネジメントは、いかに経営学が健全であり、いかに経済分析が慎重であり、いかに諸々の手法が優れていたとしても、常に人間的な要因になる。
『現代の経営(上)』 p128-129より引用
ドラッカーは、引用した文章の前段で、景気循環がいかなる段階にあろうと事業を発展させることのできるマネジメントの手法が必要であるいいつつ、それさえも将来にわたる決定は推測にすぎないと述べています。
結局のところ、明日の経営管理者を育成するという、人間的な要因が最終的な鍵になるのです。
経営管理者の育成のために、今日行った決定のフォローができる人、今日の決定とその背後の考えを理解し賢明な行動をとることのできる人たちを準備しておく、とあります。
このことは、突如、優秀な人材を他社からヘッドハンティングしてきて、マネジメントを丸投げし、成果だけを見ようとする方式とは違うわけです。
日本の中小企業は世襲制がほとんどです。子供の頃から親の働く姿を見て、やがて入社し、親と共に働いて、最終的に継承してく、という形です。その間に求められることは、テクニカルなことよりもむしろ人間的な成長です。世襲ではない企業においても、社内から同様な人材を育てることが重要であるということになります。
いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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2020年06月01日
梅雨空にコロナウィルスを洗い流してくれ、と祈る毎日です。みなさまいかがお過ごしですか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、ドラッカーの『現代の経営(上)』「第7章 事業の目標」より引用します。
利益には三つの役割がある。
第一に、利益は事業活動の有効性と健全性を測定する。まさに利益は事業にとって究極の判断基準である。
第二に、利益は陳腐化、更新、リスク、不確実性をカバーする。この観点から見るならば、いわゆる利益なるものは存在しないことになる。事業存続のコストが存在するだけである。こうしたコストを生み出すことは、企業の責任そのものである。
第三に、利益は、直接的には社内留保による自己金融の道を開き、間接的には事業に適した形での外部資金の導入誘因となることによって、事業のイノベーションと拡大に必要な資金の調達を確実にする。
これら三つの機能のいずれも、経済学者のいう利益の最大化とは何ら関係がない。これら三つのいずれの機能も、最大ではなく最小に関わる概念である。事業の存続と繁栄にとって必要な利益の最小限度に関わる概念である。
『現代の経営(上)』 p104より引用
新型コロナウィルス感染症の蔓延によって、お客さまが活動をお控えになっておられますので、当社の仕事も「ほぼ」と言っていいほど、なくなってしまいました。このような時期だからこそ、テクニカルな話はやめて、原点に返らなくては、と思っております。
ドラッカーが指摘した利益の役割の二つ目「利益は陳腐化、更新、リスク、不確実性をカバーする」という観点から考えますと、新型コロナウィルスによる不振をカバーできるだけの体制が整っていないことは、利益というものの使い道を甘く見ていた結果であります。
この状況を予想できなかったとしても、今までその刹那刹那に、やるべきことは無数にあったはずで、決算書に載っていた利益は、実は存在していなかったのです。利益を増やすという概念ではなく、必要な最小限度を見て、行動すべきでした。経営者として反省しなくてはならないことです。
大きな経済停滞が再び起こったときに、同じ状況に陥らないように、いまから別次元の新しい行動をしていかなくてはなりません。
いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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2020年05月01日
鯉のぼりが元気よくひるがえる青空に、新型コロナウィルスが影を落としています。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
新型コロナウィルス感染症の蔓延により、当社は営業を自粛、縮小しております。お客さまには大変ご迷惑をおかけし、申し訳ございません。電話での受付は致しておりますが、少ない人数で対応しておりますため、お時間を頂戴する場合がございますことをご承知くださいませ。
さて、この状況下で、仕事や外出する機会が減り、子供から大人まで誰もが大きなストレスを感じるようになっています。あてどころのないマグマがたまりつつあります。
私は商売をしている家に育ち、商売の場が生活の場でしたので、物心のつく頃から大人たちの醜い諍いを目の当たりにしてきました。大人たちの表の姿と裏の姿も見ました。それらはがっかりすることばかりで、美しい思い出ではありません。
執行草舟さんの著書からご紹介いたします。
目上を批判することは、自己の生存のもとを断つ行為となり、善悪や理屈の問題ではない。心の中で、如何に批判があっても、決して口に出してはならぬ。口に出せば、批判だけが現実化し、形として残ってしまう。時間を経なければ、全く分からないのが目上の恩恵だから、有難さが分かるまで、批判があっても決して言わないことが、世の中と自分に対する礼儀となる。
捨てぜりふも決して口に出してはならぬ。捨てぜりふとは、絆や関係がそれで終わりになる言葉を言う。本当のことであろうがなかろうが、関係ない。弱く臆病な人間は、すぐに捨てぜりふを吐く。
『生くる』 執行草舟(講談社) p112-113より引用
執行草舟さんによれば、目上とは、年上の意味ではなく、恩ある人すべてを始めとして、祖先、仕事上の先達、国の歴史と文化など自分を創り上げているものの総体をいうそうです。家族、友人、同僚、組織なども含まれることでしょう。
新型コロナウィルス感染症の問題が一刻も早く解決し、平和な世の中が戻りますことを、強く願っております。みなさま、そのときの幸せな状況を想像しながら、ここを生き抜いていきましょう。どうかお身体にお気をつけてお過ごしくださいませ。
日頃のご愛顧に感謝を申し上げます。またお会いできる日を楽しみにしております。

参考文献:
『生くる』 執行草舟 (講談社)
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2020年04月01日
春風が心地よい季節となりましたが、みなさまいかがお過ごしですか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、先月までドラッカーの『現代の経営(上)』の「第6章 われわれの事業は何か」を読んできました。次の章「第7章 事業の目標」に移ります。
事業の目標として利益を強調することは、事業の存続を危うくするところまでマネジメントを誤らせる。今日の利益のために明日を犠牲にする。売りやすい製品に力を入れ、明日のための製品をないがしろにする。研究開発、販売促進、設備投資を目まぐるしく変える。そして何よりも資本収益率の足を引っ張る投資を避ける。そのため、設備は危険なほどに老朽化する。言い換えるならば、最も稚拙なマネジメントを行うよう仕向けられる。
『現代の経営(上)』 p82より引用
最近は、利益最大化を公言する企業は少なくなったように思います。しかし、株主資本主義で考えるならば、株主は利益を上げることを企業に求めるでしょう。「稚拙」とは「技術や作品が子供っぽくへたなこと」です。ここでいう稚拙なマネジメントとは、利益の最大化を求めて数字の制御だけをしようとする態度でありましょう。利益だけを目標にしてしまうと、短期的な結果ばかりを追うようになります。
事業の目標は、事業の存続と繁栄に直接かつ重大な影響を与えるすべての領域において必要である。すべての領域とは、マネジメントの意思決定の対象として考慮に入れるべきすべての領域である。
実に、それらの領域における目標が、事業の内容を具体的に規定する。事業が目指すべき成果とその実現に必要な手段を教える。ここにいう目標とは、次の五つのことを可能とするものでなければならない。
(1) なすべきことを明らかにする
(2) なすべきことをなしたか否かを明らかにする
(3) いかになすべきかを明らかにする
(4) 諸々の意思決定の妥当性を明らかにする
(5) 活動の改善の方法を明らかにする
利益の最大化という昔ながらの目標は、これら五つのことのすべてはおろか、そのいずれも満たすことができない。故に目標として失格である。
『現代の経営(上)』 p83-84より引用
利益というのはあくまでも事業の結果であります。ドラッカーは利益が不要だ、とは言っておりませんし、『マネジメント』では、利益は企業存続の条件である、と言っています。利益の重要性は十分に認識しています。ただし、始めから目標にすべき性質のものではないのです。
いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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2020年03月02日
三寒四温の言葉どおり、冬が行きつ戻りつしている今日この頃、みなさまいかがお過ごしですか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、先月のブログでは、ドラッカーの「われわれの事業は何でなければならないか」という問いをご紹介しました。続きのパラグラフをご紹介します。
ここまで述べてきたことは、つまるところ、事業は目標を設定してマネジメントする必要があるということである。
言い換えるならば、事業は直感で行うことはできない。意思決定からその結果が出るまでの時間的な感覚がきわめて長くなっている現代の経営においては、直感に頼るマネジメントは、企業の大小に関わらず許されざる贅沢である。優れたマネジメントのもとにある事業があげる利益は偶然のものではない。まさにあげるべくしてあげるものである。
事業の目標を達するには、障害物を避けるために迂回しなければならないことがある。実際のところ、障害物との正面衝突を避けて迂回することこそ、目標によるマネジメントにおいて最も重要なことである。
不況のときには目標の達成を遅らせる必要もある。暫時停止する必要もある。あるいは、競争相手による新製品の導入など情勢が変化すれば、目標そのものを変更しなければならない。したがって、目標は常に点検する必要がある。
しかし、目標を設定することによって初めて、事業は晴雨、風向き、事故に翻弄されることなく、達すべきところに達することができる。
『現代の経営(上)』 p80-81より引用
直感でマネジメントができるなら、時間も費用もかからず、生産性は高いですが、そのような優れた直感力をもつ経営者はどのくらいいるのでしょうか?かつて私は自分の直感を信じて行動して、その結果、たくさんの失敗をしました。私の直感力はお粗末なものでした。いまは直感に頼ることがないように、経営計画書をつくり、目標を明確にしています。
個人の生活でも同じことです。私は年末から年始にかけて一年間の目標を仕事、家族、社会などのカテゴリー毎に紙に書き出しています。ときどき見返して方向を確認しますし、途中で状況が変わったときには修正をします。目標があると反省をすることができます。目標は実現します。
いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

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『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
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2020年02月03日
一年で最も寒さの厳しい時期、楽しい冬をお過ごしですか?日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、先月のブログでは、ドラッカーの「われわれの事業は何になるか」という問いをご紹介しました。この問いは、現在の事業を改善し、発展させていくための問いでした。
次の問いは「われわれの事業は何でなければならないか」というものです。
次に、「われわれは正しい事業にいるか」「われわれの事業を変えるべきか」を問う必要がある。
もちろん、意図してではなく偶然事業に参入する企業も多い。しかし、たとえ偶然にせよ、自らの労力と資源を新しい製品に移行させるという決定、すなわち新しい事業への参入の決定は、「われわれの事業は何でなければならないか」という分析に基づいて行う必要がある。
『現代の経営(上)』 p76より引用
「われわれの事業は何でなければならないか」という問いは、現在の事業をまったく別の事業に変えることによって生存の機会を探る問いであり、より大きな問いであります。ここでは、保険会社が投資信託や株式投資を扱うようになった事例や、クリスマス用玩具の卸売業者が水着卸の事業に進出した事例などが紹介されています。
事業を放棄するかどうかは、利益の状況よりも、マーケティング、イノベーション、生産性に関わる状況が先に教えてくれる。
『現代の経営(上)』 p79より引用
経営者にとって、利益率の時系列的変化を見ていくことは大切ですが、それ以上に、経済や技術の先行き、生活や嗜好の変化、競合他社の動向などを敏感に察知して行動していくことが重要です。
これからの10年間で我が国の労働力人口はおよそ200万人減少すると言われています。2030年には今とは全く違う世界が目の前に広がっていることでしょう。そのときに生き延びていられるかどうか、です。
いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

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『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
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2020年01月06日
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。昨年は大変お世話になりました。誠にありがとうざいました。本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。
さて、先月のブログでは、ドラッカーの「顧客は何を価値をあるものとするか」という問いをご紹介しました。その続きを読んでみます。
これまでのところ、「われわれの事業」の本質についての問いはすべて現在の関するものだった。
しかし、「われわれの事業は何になるか」についても問いを発しなければならない。そしてそれに答えるには、次の四つのことを明らかにすることが必要である。
第一に、市場の潜在的な可能性と趨勢である。
第二に、経済の発展、流行や好みの変化、競争の変動による市場の変化である。
第三に、顧客の欲求を変化させ、新しい欲求を創造し、古い欲求を消滅させるイノベーションの可能性である。さらには、顧客の欲求を満足させる新しい方法を生み出し、価値のコンセプトを変え、より大きな満足を可能とするイノベーションの可能性である。
第四に、今日のサービスや製品によって満足させられていない顧客の欲求である。
『現代の経営(上)』 p73-75より引用
移り変わりの早い現代のビジネス環境において、事業の将来を考えることは大変重要であります。
先日参加したある勉強会で「現状のままでは自社は10年後どうなるか?」という問いを突き付けられました。
弊社の場合、このままでは生き残ることは難しいでしょう。
昨今は業種の新旧に関わらず、どのような業種であっても、改革を進めている会社は非常に優れていて、大きな成果を上げています。一方、何もしない会社はどんどん遅れている、という二極化の状況があるように思います。
弊社には、昔のことを思い出してノスタルジックな感傷にふけっている余裕はありません。
「何になるか?」の四つの問いに答えることは簡単ではありませんが、仮説を立て、少しずつでも試行していくしかありません。みなさまのお役に立てますよう努力してまいります。
本年がみなさまにとって素晴らしい年となりますことを、心よりお祈り申し上げます。いつもご利用ありがとうございます。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
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2019年12月02日
師走を迎え何かと気忙しい毎日ですが、みなさまお元気でお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、先月のブログでは、ドラッカーの「顧客は何を買うか」という問いをご紹介しました。その続きを読んでみます。
最後に、「顧客は何を価値あるものとするか」「製品を買うとき何を求めているか」という最も難しい問いがある。
これまでの経済理論は、この問いに対し一語をもって答える。「価格」である。だがこの答えは誤解を与える。確かに価格が重要な要素の一つでない製品はほとんどない。しかし、まず第一に、価値としての価格が単純なコンセプトではない。第二に、価格は価値の一部にすぎない。第三に、サービスをはじめとする顧客側の価値観がある。
顧客が価値とするものは、あまりに複雑であって彼らにしか答えられないものである。憶測しようとしてはならない。常に顧客のところへ行って答えを求める作業を系統的に行わなければならない。
『現代の経営(上)』 p70-73より引用
価格だけで消費活動が決まるなら、企業のとる行動は安売りのみとなりますが、現実はそんなに簡単ではありません。経済学が想定したのは経済的合理性のみに基づいて個人主義的に行動するホモエコノミクスという架空の人物像でした。かつては経済モデルを構築するためにこのような単純な人物像を想定せざるを得ませんでした。(現代の経済理論はこんなに単純ではありません。)しかし、自分のことを考えれば分かるように、価格だけで消費を決めているわけではありません。
最近、出張用に数年間使ってきたスーツケースが壊れてしまったのですが、このスーツケースは車輪が小さくて滑りが悪く、段差に引っかかりますし、ジッパーも閉まりづらく、不便な思いをしていました。また、40歳代の頃は、どんなに重いカバンでも平気でしたが、最近は重いものは重いと感じるようになりました。買い替える時には、少々高くても、軽くて動きのよいものがいいな、と思っております。
お客さまの声をお聞きする仕組みがなくては、当社の商品、サービスは、当社のお客さまが価値ありと考えておられるものからどんどん離れていってしまうことになります。
本年も大変お世話になりました。心より御礼を申し上げます。みなさまどうぞ良いお年をお迎えください。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
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2019年11月01日
肌寒さが身に染みる冬隣り。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、先月のブログでは、ドラッカーの「顧客は誰か」という問いをご紹介しました。その続きを読んでみます。
次の問いは、「顧客は何を買うか」である。GMのキャデラック事業部の人間ならば、自分たちの事業はキャデラックを生産し販売することであると考える。しかし、四〇〇〇ドルのキャデラックを買う者は、交通手段を買っているのか、それとも富のシンボルを買っているのか。言い換えると、キャデラックはシボレーやフォードと競争しているのか、それともダイヤモンドやミンクのコートと競争しているのか。
『現代の経営(上)』 p69
1954年に書かれた本ですから、4000ドルという金額はその当時のことです。キャデラックとダイヤモンドを同じ土俵に上げたのはドラッカーの慧眼ですね。
似たような事例として、最近の若者の車離れについて、自動車はスマホと競争しているのではないか、という話があります。ドライブをしなくても、スマホで話をしたり、チャットをすることで充分用が足りてしまうから、自動車を買わない、ということです。
結婚披露宴の競合相手が新婚旅行ということもありえます。結婚披露宴よりも新婚旅行に費用をかけたい、という思いからです。かつては親の意を汲んで、盛大な披露宴を開くという考え方がありました。その場合、ご両親のご友人や仕事関係の方が招待客の大半を占めていました。それはそれで、慣習のようなものでしたし、親孝行でよいことだったと思いますが、昨今は義理やお付き合いをもとにした行事はだんだんと省略される傾向にあるように思います。
「顧客は何を買うか」というと、競合他社の動きにばかり目線がいってしまいますが、実は全く違うところに競合相手がいるかもしれません。お客さまの立場になるということが重要だと感じております。
今月もどうぞよろしくお願いいたします。お身体ご自愛くださいませ。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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2019年10月01日
金木犀の甘くさわやかな香りが漂い始めました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、先月のブログでは、ドラッカーの「われわれの事業は何か」という問いをご紹介しました。続きを読んでみます。
われわれの事業は何かを知るための第一歩は、「顧客は誰か」という問いを発することである。「現実の顧客は誰か」「潜在的な顧客は誰か」「顧客はどこにいるか」「顧客はいかに買うか」「顧客にいかに到達するか」を問うことである。
『現代の経営(上)』 p67
どうして、こんなにもしつこく「顧客は誰か?」と問うのでしょうか?
それは、お客さまがいらっしゃらなければ、企業は、原材料を買うことも、人件費を払うことも、工場や店を建設することもできないからです。存続どころか、存在することさえできません。お客さまの属性がはっきりすればするほど、そのお客さまにあった商品やサービスを提供することができるようになり、お客さまに喜んで頂けます。
当社にはさまざまなお客さまがいらっしゃいます。宴会をしてくださる企業や団体さま、法事やお祝いをしてくださる個人のお客さま、行事でご利用くださるお寺さまなど、細かく分けていくと、相当な分類のお客さんがいらっしゃいます。それぞれのお客さまが違った目的をおもちになって当社に来てくださいます。
当社がお客さまにしっかりと向き合い、お客さまのご要望にお応えしていかなければ、お客さまは離れていかれてしまうでしょう。「顧客は誰か?」とは、それほど大切な質問であるわけです。
今月もどうぞよろしくお願いいたします。お身体ご自愛くださいませ。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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