組織の水準、習慣、気風

2024年04月02日

 ようやく信州も春らしくなってまいりました。
 
 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、このブログではドラッカーの『経営者の条件』を読んでいます。今回は、終章からご紹介します。
  
 組織は優秀な人がいるから成果をあげられるのではない。組織の水準や習慣や気風によって自己開発を動機づけるから、優秀な人たちをもつことになる。そして、そのような組織の水準や文化や気風は、一人ひとりの人が自ら成果をあげるエグゼクティブとなるべく、目的意識をもって体系的に、かつ焦点を絞って自己訓練に努めるからこそ生まれる。

      P.F.ドラッカー『経営者の条件』 p223より引用


 いまは大変な人手不足で、当社も大変困っておりますが、優秀な人材がほしい、というのは身勝手な話だと思っています。

 組織の水準、習慣、気風をつくることによって「自分を改革して成長したい」と考えることができる人材を組織内で育てることが先なのです。

 どのような人材が入ってこようとも、雰囲気が沈んでいる組織では、がっかりして辞めていってしまうでしょう。

 私も、社内から次のトップを担う人材が出てほしい、と思います。

 そのために、社員たちには学ぶ材料や場を提供しています。

 知識、技能、経験などは仕事に欠くべからざるものですが、それらよりも、もっと大切なことは、仕事を通じて人格を上げていくことだ、という価値観を社内で共有しています。

 二面性のある人、利己的な人、うそをつく人、他人を蹴落とそうとする人などは、いまはいいとしても、どこかでつまづく、と思っています。少々鈍重でも、誠実にまじめに仕事をしている人は必ず浮き上がってくると信じています。

 私は、どんな困難が降りかかってこようと、決してあきらめない明るい前向きな態度で対応し、ついてきてくれている社員やパートナーに恩返しをしていきたいと思っています。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。

 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
  

 米津仁志 at 15:16  | ドラッカー

データと現場

2024年03月12日

 春になっても雪がちらつく信州です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 
 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、このブログではドラッカーの『経営者の条件』を読んでいます。今回は、成果を上げるための五つの条件(時間、貢献、強み、集中、意思決定)から「意思決定」について読んでみます。
  
 大統領が手に入れられる唯一の情報たる報告書なるものはまったく助けにならない。これに対し、あらゆる国の軍が、命令を出した将校が自ら出かけ、確かめなければならないことを知っている。少なくとも副官を派遣する。命令を受けた当の部下からの報告を当てにしない。信用しないということではない。コミュニケーションが当てにならないことを知っているだけである。

 大隊長自らが隊員食堂に出かけていって隊員用の食事を試食するのもこのためである。メニューを見て料理を運ばせることはできる。だがそうはしない。自ら隊員食堂に出かけ兵隊たちと同じ鍋からとる。

 コンピュータの到来とともに、このことはますます重要になる。決定を行う者が行動の現場から遠く隔てられるからである。自ら出かけ、自ら現場を見ることを当然のこととしないかぎり、ますます現実から遊離する。コンピュータが扱うことのできるものは抽象である。抽象化されたものが信頼できるのは、それが具体的な事実によって確認されたときだけである。それがなければ抽象は人を間違った方向へ導く。

 自ら出かけ確かめることは、決定の前提となっていたものが有効か、それとも陳腐化しており決定そのものを再検討する必要があるかどうかを知るための、唯一ではなくとも最善の方法である。

      P.F.ドラッカー『経営者の条件』 p188より引用


 ドラッカーの予想の通り、コンピュータはますます経営に入りこみ、いまでは経営に必要不可欠なものになっています。『経営者の条件』は1967年の著作ですが、当時のほとんどの人にとって、この文章の意味は理解できなかったのではないでしょうか。

 いま、コンピュータのデータはいろいろな示唆を与えてくれますが、データだけで判断することは、間違いを導くかもしれません。データによって出来上がった抽象を、具体的な事実によって確認する必要があるのです。

 「おかしいな・・・よし、現場に見に行こう!」という感じです。

 コンピュータの出現が、意思決定に対する関心に火をつけることになった理由は多い。しかしそれはコンピュータが意思決定を乗っ取るからではない。コンピュータが計算を乗っ取ることによって、組織の末端の人間までがエグゼクティブとなり、成果をあげる決定を行わなければならなくなるからである。

      P.F.ドラッカー『経営者の条件』p216より引用


 データが身近になったために、誰でも意思決定ができるようになりました。意思決定ができるということは、誰でもエグゼクティブになれるということです。

 毎日、大量のデータが吐き出されていますが、うまく活用されていません。チャットGTPは誰でも使えるようになりましたが、どれだけの人が成果を上げる使い方をしているでしょうか。
 
 データの海で船をうまく操縦できていないように思います。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。

 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
  

 米津仁志 at 13:20  | ドラッカー

集中するために廃棄する

2024年02月09日

 暦の上では春となりましたが、まだ寒い日が続いております。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 
 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、このブログではドラッカーの『経営者の条件』を読んでいます。今回は、成果を上げるための五つの条件(時間、貢献、強み、集中、意思決定)から「集中」について読んでみます。
 
 集中のための第一の原則は、生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手をつけるか」を問うことである。答えが無条件のイエスでないかぎり、やめるか大幅に縮小すべきである。もはや生産的でなくなった過去のもののために資源を投じてはならない。第一級の資源、特に人の強みという稀少な資源を昨日の活動から引き揚げ、明日の機会に充てなければならない。

 つまるところ、成果をあげる者は、新しい活動を始める前に必ず古い活動を捨てる。肥満防止のためである。組織は油断するとすぐ体型を崩し、しまりをなくし、扱いがたいものとなる。人からなる組織も、生物の組織と同じようにスマートかつ筋肉質であり続けなければならない。

 古いものの計画的な廃棄こそ、新しいものを強力に進める唯一の方法である。アイデアが不足している組織はない。創造力が問題なのではない。せっかくのよいアイデアを実現すべく仕事をしている組織が少ないことが問題である。みなが昨日の仕事に忙しい。

    P.F.ドラッカー『経営者の条件』p142-146より抽出、編集して引用



 「体系的廃棄」という言葉を耳にしたことのある方も多いかと存じます。ドラッカーの言葉としてあまりにも有名です。
 
 集中するためには、まず不要なものを廃棄をすることが先だということです。

 ビジネスにおいては、何もしなくても、次々に新しい仕事がやってきますが、逆に、古い活動を見直したり、廃棄のための検討をしたりするような機会はありません。

 一般的には、優先順位を考えろ、と言われますが、何が劣後であるかを考え、劣後のものを廃棄するというのが体系的廃棄の手順です。

 当社も創業以来、組織の成果に寄与しない事業を捨てて、事業を転換してきました。昭和までは人口増加とGDPの増加というベースがありましたので、なんとかうまく転換することができてきました。
 
 「まだ行っていなかったとして、いまこれに手をつけるか?」という言葉がいつも私の耳に響いています。

 いまもまさに、コロナ禍によって立ち行かなくなった事業は廃棄し、新しい事業に挑戦しています。しかし、昭和時代とは経済のベースが違いますので、簡単ではありません。

 地方の生活関連サービス系の事業は大きな引き潮の上にいます。いままで通りというわけにはいかないと思っております。

 次回は「意思決定」を読んでみます。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。

 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
  

 米津仁志 at 10:12  | ドラッカー

企業における個人の「強み」の生かし方

2024年01月09日

 能登半島地震で被災された方、関係者のみなさまに心よりお見舞いを申し上げます。
 
 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、前回は、ドラッカーの『経営者の条件』より、成果を上げるための五つの条件(時間、貢献、強み、集中、意思決定)のうち「貢献」のなかの「三つの領域における成果」についてご紹介しました。今回は「強み」について読んでみます。
 
 成果をあげるには、人の強みを生かさなければならない。弱みからは何も生まれない。結果を生むには利用できるかぎりの強み、すなわち同僚の強み、上司の強み、自らの強みを動員しなければならない。強みこそが機会である。強みを生かすことは組織に特有の機能である。

 鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが自らの墓碑銘に刻ませた「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」との言葉ほど大きな自慢はない。これほど成果をあげるための優れた処方はない。カーネギーの部下たちは、それぞれの分野において優秀だった。それは彼が部下の強みを見出し仕事に適用させたからだった。もちろん、最も大きな成果をあげたのはカーネギーだった。

 強みを生かすことは、行動であるだけでなく姿勢でもある。しかしその姿勢は行動によって変えることができる。同僚、部下、上司について、「できないことは何か」でなく「できることは何か」を考えるようにするならば、強みを探し、それを使うという姿勢を身につけることができる。やがて自らについても同じ姿勢を身につけることができる。

 成果に関わるすべてのことについて、機会を育て、問題を立ち枯れにしなければならない。特にこのことは人事についていえる。自らを含め、あらゆる人を機会として見なければならない。強みのみが成果を生む。弱みはたかだか頭痛を生むくらいのものである。しかも弱みをなくしたからといって何も生まれはしない。弱みをなくすことにエネルギーを注ぐのではなく、強みを生かすことにエネルギーを費やさなくてはならない。

   P.F.ドラッカー『経営者の条件』p102-135より抽出、編集して引用


 どなたにもそれぞれの特徴として、強みや弱みがあります。一人で仕事をする場合は、強みを使えるはよいとしても、弱みも如実に表れてしまいます。

 しかし、組織には個人の弱みを消し、強みをより強く生かす機能があります。

 例えば、数字に強い人は経理を担当し、交渉力があり親しみやすい人は営業を担当し、手先が器用な人は製造を担当します。
 
 このように、組織は分業をすることによって、各人の強みを生かすことが出来るのです。

 カーネギーの墓碑銘が示す通り、カーネギーは人の強みを利用して大きな成果を上げました。それぞれの人の強みを生かすことで、企業はより大きな成果を上げることが出来るようになるのです。

 弱みにエネルギーを注ぐことは無駄な努力です。弱みで仕事をしなくてはならない場合は、最低限すべき(しなくてはならない)ルールを決めて、それをしっかり行ってもらうのがせいぜいか、と思います。

 今年一年のみなさまのご多幸、ご健勝を祈念いたします。

 いつもご利用ありがとうございます。

 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
  

 米津仁志 at 10:52  | ドラッカー

あらゆる組織が三つの領域における成果を必要とする

2023年12月01日

 師走を迎え、お忙しくお過ごしのことと存じます。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、前回は、ドラッカーの『経営者の条件』より、成果を上げるための五つの条件(時間、貢献、強み、集中、意思決定)のうち「貢献」についてご紹介しました。

 今回はその「貢献」の節の中で紹介された「三つの領域における成果」について解説します。
 
 あらゆる組織が三つの領域における成果を必要とする。すなわち、直接の成果、価値への取り組み、人材の育成である。
 これらすべてにおいて成果をあげなければ、組織は腐りやがて死ぬ。したがって、この三つの領域における貢献をあらゆる仕事に組み込んでおかなければならない。もちろんそれぞれの重要度は組織によって、さらには一人ひとりの人によって大きく異なる。

 第一の領域である直接の成果については、はっきり誰にでもわかる。企業においては売上げや利益など経営上の業績である。病院においては患者の治癒率である。

 第二の領域にある価値への取り組みは、技術面でリーダーシップを獲得することである場合もあるし、シアーズ・ローバックのようにアメリカの家庭のために最も安く最も品質のよい財やサービスを見つけ出すことである場合もある。

 第三の領域が人材の育成である。組織は個としての生身の人間の限界を乗り越える手段である。したがって自らを存続させえない組織は失敗である。今日、明日のマネジメントにあたるべき人間を準備しなければならない。人的資源を更新していかなければならない。確実に高度化していかなければならない。

      P.F.ドラッカー『経営者の条件』p81-83より抽出、編集して引用



 三つの領域における成果・・・①直接的な成果 ②価値への取り組み ③人材の育成

 ドラッカーの言葉として、よく知られている部分だと思います。

 直接的な成果・・・これは分かりやすいです。例示されているように、売上など経営上の業績です。組織が重要と考えるKPIとしてもよいと思います。根本的なことから考えますと、お客さまに喜んで頂けるためにどうしたらいいのか?社会のお役に立つために何をするのか?ということになると思います。

 価値への取り組み・・・直接的な成果がカロリーであるとしたら、価値への取り組みはビタミンやミネラルの役割である、とドラッカーは述べています。ただ数値を上げればよいのではなく、社会にどのような価値をもたらすことによって、直接的な成果を上げるのか、ということです。価値への取り組みを考えない企業は、最終的な目標が数字(お金)ということになり、従業員が数字を達成させるために犯罪に手を染めてしまう恐れさえあるのではないでしょうか?

 人材の育成・・・文字通り、組織は個としての生身の人間の限界を乗り越える手段である、です。いま、コロナ禍が明けて、まさにこのような状況がハッキリと見えてきていると思います。個人ではなしえない高い成果を組織が出し続けています。今後はますます人材育成が重要になり、それができない企業は非常に厳しくなるでしょう。(自戒です。)

 本年もあっという間の一年でした。コロナは終わったと言いますが、私にとっては激動の日々が続いております。

 自分で選び、決めた道ですから、どのようなデコボコ道でも、決して他人のせいにせず、自分の足で乗り越えていく所存です。(艱難辛苦が楽しくなっているふしがあります。)

 一年間大変お世話になりました。心より御礼を申し上げます。

 来年がみなさまにとってますます豊かで幸福な年でありますことを祈念いたします。

 どうかよい年をお迎えください。
 
 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 10:00  | ドラッカー

成果を上げる貢献とは?

2023年11月15日

 秋があっという間に去ってしまって、早々に冬が来てしまった感じです。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、前回は、ドラッカーの『経営者の条件』より、成果を上げるための五つの条件(時間、貢献、強み、集中、意思決定)のうち、「時間」についてご紹介しました。

 今回はそのうちの「貢献」について読んでみます。「貢献」とは何のことでしょうか。
 
 貢献に焦点を合わせることによって、自らの狭い専門やスキルや部門ではなく、組織全体の成果に注意を向けるようになる。成果が存在する唯一の場所である外の世界に注意を向ける。自らの専門やスキルや部門と、組織全体の目的との関係について徹底的に考えざるをえなくなる。政策にせよ、医療サービスにせよ、自らの組織の産出物の究極の目的である顧客や患者の観点から物事を考えざるをえなくなる。その結果、仕事や仕事の仕方が大きく変わっていく。

 なすべき貢献には、いくつかの種類がある。あらゆる組織が三つの領域における成果を必要とする。すなわち、直接の成果、価値への取り組み、人材の育成である。
 これらすべてにおいて成果をあげなければ、組織は腐りやがて死ぬ。したがって、この三つの領域における貢献をあらゆる仕事に組み込んでおかなければならない。もちろんそれぞれの重要度は組織によって、さらには一人ひとりの人によって大きく異なる。

 第一の領域である直接の成果については、はっきり誰にでもわかる。企業においては売上げや利益など経営上の業績である。病院においては患者の治癒率である。

 第二の領域にある価値への取り組みは、技術面でリーダーシップを獲得することである場合もあるし、シアーズ・ローバックのようにアメリカの家庭のために最も安く最も品質のよい財やサービスを見つけ出すことである場合もある。

 第三の領域が人材の育成である。組織は個としての生身の人間の限界を乗り越える手段である。したがって自らを存続させえない組織は失敗である。今日、明日のマネジメントにあたるべき人間を準備しなければならない。人的資源を更新していかなければならない。確実に高度化していかなければならない。

 新任の病院長が最初の会議を開いたとき、ある難しい問題について全員が満足できる答えがまとまったように見えた。そのとき一人の出席者が、「この答えに、ブライアン看護師は満足するだろうか」と発言した。再び議論が始まり、やがてはるかに野心的なまったく新しい解決策ができた。
 その病院長は、ブライアン看護師が古参看護師の一人であることを知った。特に優れた看護師でもなく、看護師長をつとめたこともなかった。だが彼女は、自分の病棟で何か新しいことが決まりそうになると、「それは患者さんにとっていちばんよいことでしょうか」と必ず聞くことで有名だった。事実、ブライアン看護師の病棟の患者は回復が早かった。

 貢献に焦点を合わせるということは、責任をもって成果をあげるということである。貢献に焦点を合わせることなくしては、やがて自らをごまかし、組織を壊し、ともに働く人たちを欺くことになる。

     P.F.ドラッカー『経営者の条件』p79-84より抽出、編集して引用


 組織の成果を上げるための貢献とは、成果を上げることにそれぞれが責任を持つことです。
 
 一般の従業員は目の前の仕事を遂行することに精一杯で、組織全体のことを考えている余裕はありません。
 しかし、どうしたら組織のために貢献できるだろうか?という視点をもったときに、仕事に対する向き合い方が変わり、自分の仕事が成果につながるようになるのです。

 引用文に出てきましたブライアン看護師は、注射を打つ、血圧を測るという業務で満足するのではなく「どのような仕事をしたら、患者さんにとっていちばんよいことになるのか」と考えました。
 目の前の仕事に真摯に取り組みながら、組織の成果に目を向ける、このような行動が患者さんの回復を早めることに繋がりました。患者さんの回復が早いことは病院としては大きな成果です。

 次回は「三つの領域における成果」について検討したいと思います。

 みなさまのご多幸を祈念しています。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 09:48  | ドラッカー

ドラッカーの「時間」のまとめ方

2023年10月06日

 日照りの夏が終わり、突然秋がやってきた感じがします。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、前回はドラッカーの『経営者の条件』から、成果を上げるための五つの条件(時間、貢献、強み、集中、意思決定)をご紹介しました。

 今回はその五つの条件のうちの「時間」について読んでみます。成果を上げるための時間の使い方とはどんなものでしょうか。
 
 時間の使い方は練習によって改善できる。だがたえず努力をしないかぎり、仕事に流される。したがって次にくる一歩は体系的な時間の管理である。時間を浪費する非生産的な活動を見つけ、排除していくことである。そのための方法は三つある。

 第一に、する必要のまったくない仕事、何の成果も生まない時間の浪費である仕事を見つけ、捨てることである。すべての仕事について、まったくしなかったならば何が起こるかを考える。何も起こらないが答えであるならば、その仕事は直ちにやめるべきである。
 第二に、他の人間でもやれることは何かを考えることである。毎晩会食していた社長は、さらに三分の一はほかの幹部に任せられることを知った。参席者のリストに社名が出ていればよかった。
 時間管理のための第三の方法は、自らがコントロールし、自らが取り除くことのできる時間浪費の原因を排除することである。人は、他人の時間まで浪費していることがある。
 そのような時間の浪費が簡単にわかる徴候はなくとも、発見のための簡単な方法はある。聞くことである。「あなたの仕事に貢献せず、ただ時間を浪費させるようなことを私は何かしているか」と定期的に聞けばよい。

   P.F.ドラッカー『経営者の条件』p58-61より抽出、編集して引用


 コロナ禍を通じて、私は時間の使い方がだいぶ変わりました。おそらく、多くの人もそうではなかったかと思います。

 特に、二番目の事例にもありますが、会食の機会がだいぶ減りました。そして、会食をしなくても何とかなる・・・という空気が社会に生まれました。

 私は宴会場を経営しておりましたので、宴会を盛り上げようと、どの店であろうと、いままでできる限り宴会には参加してきましたが、これほど宴会のなかった期間はいまだかつてありませんでした。この期間を通じて、ノンアルコールの日が、人生で最も増えてきました。(健康のために良いことです。)

 成果をあげるには自由に使える時間を大きくまとめる必要がある。大きくまとまった時間が必要なこと、小さな時間は役に立たないことを認識しなければならない。たとえ一日の四分の一であっても、まとまった時間であれば重要なことをするには十分である。逆にたとえ一日の四分の三であってもその多くが細切れではあまり役に立たない。
 したがって時間管理の最終段階は、時間の記録と仕事の整理によってもたらされた自由な時間をまとめることである。
 時間をまとめるには方法がある。ある人たち、なかでも年配の人たちは、週に一日は家で仕事をしている。編集者や研究者がよく使う方法である。
 ある人は会議や打ち合わせなど日常の仕事を週に二日、例えば月曜日と金曜日に集め、他の日、特に午前中は重要な問題についての集中的かつ継続的な検討に充てている。

               P.F.ドラッカー『経営者の条件』p73より引用


 ドラッカーの成果を上げるための時間の使い方とは、以下のようなものではないかと思います。

 自分の時間の使い方をよく調べて、時間の浪費があるのだとしたら、それらを廃棄します。そこに細切れの時間が生まれます。
 そこで生み出された細切れの時間を大きくまとめていって、自由な時間の大きな塊をつくります。
 そこで出来た時間の塊を、やりたいこと、やるべきことに投入していくということです。

 誰にも邪魔されないように、ホテルで一泊二日の一人合宿をする方法もあるでしょう。私は経営計画書を作るための合宿や、社長としての個人計画を作るための泊まり込みの合宿に、かつて何度も参加したことがあります。

 そこまでしなくても、カラオケボックスに入ったり(歌うためではありません)、JR東日本のステーションワークに入って集中するのもよいでしょう。平日昼間のカラオケボックスの料金はとても安いです。最近、長野駅や上田駅にもステーションワークはあります。

 「する必要のまったくない仕事」「何の成果も生まない時間の浪費である仕事」というドラッカーの言葉を冒頭でご紹介しましたが、改めて、ここはよく考えてください。
 
 子供や親との食事、会社の同僚との共有時間、コーヒーを入れる時間など、人によって異なりますが、そのようないつもの時間がその人にとって、とても大切な時間である場合があります。間違って大切な時間を捨てることのないようにしてほしいものです。
 
 私は自分のシャツやパンツ(ズボン)はすべて自分でアイロンをかけていますが、この時間は結構好きです。アイロンに集中できるからです。(坐禅をしているのと同じだと思っています。)

 どうかすてきな秋をお過ごしください。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 16:08  | ドラッカー

成果を上げるための5つの能力

2023年09月12日

 台風の季節となり、各地で災害が発生しております。被災されたみなさま、関係者のみなさまにお見舞いを申し上げます。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、今回のブログから、ドラッカーの『経営者の条件』をご紹介します。

 この本はドラッカーの著作の中で唯一、セルフマネジメントについて書かれた本です。

 セルフマネジメントとは、直訳すると自己管理です。自分の行動、精神、健康など管理して、仕事や人生において、よりよい成果を上げるための方法です。

 以下、ドラッカーの「成果を上げるための能力」について、本文を編集して引用します。
 
 私は、成果をあげる人のタイプなどというものは存在しないことにかなり前に気づいた。私が知っている成果をあげる人は、気質と能力、行動と方法、性格と知識と関心などあらゆることにおいて千差万別だった。共通点はなすべきことをなす能力だけだった。
 
 成果をあげるために身につけておくべき習慣的な能力は五つある。

 (1) 何に自分の時間がとられているかを知ることである。残されたわずかな時間を体系的に管理することである。
 (2) 外の世界に対する貢献に焦点を合わせることである。仕事ではなく成果に精力を向けることである。「期待されている成果は何か」からスタートすることである。
 (3) 強みを基盤にすることである。自らの強み、上司、同僚、部下の強みの上に築くことである。それぞれの状況下における強みを中心に据えなければならない。弱みを基盤にしてはならない。すなわちできないことからスタートしてはならない
 (4) 優れた仕事が際立った成果を領域に力を集中することである。優先順位を決めそれを守るよう自らを強制することである。最初に行うべきことを行うことである。二番手に回したことはまったく行ってはならない。さもなければ何事もなすことはできない。
 (5) 成果をあげるよう意思決定を行うことである。決定とは、つまるところ手順の問題である。そして、成果をあげる決定は、合意ではなく異なる見解に基づいて行わなければならない。もちろん数多くの決定を手早く行うことは間違いである。必要なものは、ごくわずかの基本的な意思決定である。あれこれの戦術ではなく一つの正しい戦略である。

    P.F.ドラッカー『経営者の条件』p41-44より抽出、編集して引用


 ドラッカーは成果を上げる人にタイプというものはないと述べています。

 穏やかな人でも、声の大きな人でも、論理的な人でも、感情豊かな人でも、どのようなタイプの人でも成果を上げることができるのです。

 成果を上げる人の共通点はなすべきことをなす能力だけである、というのです。

 なすべきことをなす能力とは何か?

 ドラッカーは5つの能力を示しています。時間、貢献、強み、集中、意思決定です。この5つさえ自分で管理できれば、大きな成果を上げることができるということです。
 
 (1)時間について
 自分の時間の使い方を計算してみると、成果のために利用している時間は少ないものです。一度一日の行動を記録してみるとよいです。

 (2)貢献について
 自分に期待されている貢献は何かを明確に把握することです。意味のないことにこだわってしまって、別の方向に走っていることもあるでしょう。

 (3)強みについて
 自分で自分の強みは理解できているでしょうか。強みでないことを基盤としているならば、自分の立ち位置を見直す必要があるかもしれません。

 (4)集中について
 いろいろなことを一度に行うと、成果を上げるまでに時間がかかります。まず何に集中して仕上げるか?逆に言えば、劣後順位を定めることです。

 (5)意思決定について
 つまるところ、最終的には、意思決定をしないと成果は上げられないです。意思決定をすることは壁を破ることであり、戦略であり、決断です。反対されることが多いです。
 
 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 09:59  | ドラッカー

マネジメントの正統性とは?

2023年08月30日

 みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、このブログではドラッカーの『マネジメント』を読んでいます。前回から下巻に入りましたが、途中をだいぶ飛ばしまして、結論に入ります。

 「結論 マネジメントの正統性」を読んでみます。以下、本文を編集して引用します。

 社会においてリーダー的な階層にある者は、自らの役割を果たすだけでは不十分である。成果をあげるだけでは不十分である。正統性をもたなければならない。社会から正統なものとしてその存在を是認されなければならない。

 マネジメントがその権限を認められるうえで必要とされるものが、正統性である。マネジメントたる者は、自らの権限の基盤を、組織なるものの目的と特性に由来するところの正統性に置かなければならない。

 そのような正統性の根拠は一つしかない。それが組織の特性である。したがって、マネジメントの権限の基盤となるものである。すなわち、人の強みを生産的なものにすることである。組織とは、個としての人間一人ひとり、および社会的存在としての人間一人ひとりに貢献を行わせ、自己実現させるための手段である。

 組織の基盤となる原理は、「私的な強みは公益となる」である。これが、マネジメントの正統性の根拠である。マネジメントの権限の基盤となりうる正統性である。

 マネジメントは、制御されず制御しえず、したがって専制的たらざるをえない存在としての中央の政治権力の僕ではないという意味において私的な存在である。と同時に、意識して公然と、公的なニーズを自らの自立した組織にとっての私的な機会に転換すべく働くという意味において、公的な存在である。

 そしてさらに必要とされるものが、マネジメントの人間としての役割と機能に関わる仕事である。自立した存在としての組織のマネジメントたらんとするのであれば、自らを公的な存在としえなければならない。すなわち組織としての責任の真髄、一人ひとりの人間の強みを生産的なものとし、成果をあげさせるという責任を負わなければならない。

     P.F.ドラッカー『マネジメント(下)』 
     結論「マネジメントの正統性」p297-304より抽出、編集して引用

 この部分は『マネジメント』の結論が述べられているところで、私が大変好きな部分です。

 初めてここを読んだとき「マネジメントって、いろいろな経営者やコンサルがいろいろなことを言うけれど、結局これだ!」と感動したことを覚えています。

 二段目の文章を原書で読んでみます。

 What managers need to be accepted as legitimate authority is a principle of morality. They need to ground their authority in a moral commitment which, at the same time, expresses the purpose and character of organizations.

 “morality”(道徳)、"moral"(道徳的な)という言葉が訳文では飛ばされているのは少し気になるところです。

 企業において社長が権限を行使してマネジメントをしてよい根拠は、その企業の目的から導き出される正統性にもとづかなくてはならないのです。「正統性」は原書ではlegitimate authorityと表記されています。正統な権威、正当な権力ということです。

 その正統性は道徳的な原則、コミットメントにもとづいていなくてはなりません。(こう書いてしまってよいかと私は思います。)
 
 「マネジメント」という行為は、お役所にも、他人にも、誰にも制御されることはないですから、公的なものではなく、私的なものであります。

 しかし、企業は、道徳的な価値観にもとづいて、世の中の人々がもっているニーズや問題を解決したり、欲しいと考えている商品、サービスを創り出したりすることができます。この意味において、企業には公的な存在としての要素があります。企業がこれらを実現することができるならば、企業は世の中の役に立つ公的な存在となりうるのです。

 (道徳的な価値観にもとづかないマネジメントは、お客さまのご満足よりも、自社の売上重視、利益重視となるのではないでしょうか。)

 企業で働く人々にとっては、企業において自分の強みを生かすことができます。企業という機関を通じて、自分の力を生かして(レバレッジを効かせて)社会に成果を上げることが出来ます。

 つまり、企業は、所属する個人が力を発揮し自己実現をできるように活躍する場を提供しつつ、経営理念を達成するべく経営しますし、個人は自らの強みをもって企業に貢献します。
 
 企業は個人の力の貢献を得て、社会に対して成果を上げるのです。
 
 これらの機能の間に存在して、この働きをさらに良くしていこうというのが「マネジメント」です。

 この仕組みが「マネジメントの正統性」であろう、と私は考えています。

 私はまた至っておりませんが、ここに達するように経営をしておこう!(こうなろう!)と常に考えております。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 参考文献: 『マネジメント 課題、責任、実践(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
  
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 米津仁志 at 10:00  | ドラッカー

トップマネジメントの仕事

2023年07月13日

 梅雨明けが待ち遠しい今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、このブログではドラッカーの『マネジメント』を読んでいます。前回の続きですが、中巻の後半をだいぶ飛ばしまして、下巻に入ります。「第50章 トップマネジメントの仕事」を読んでいきます。以下、本文を編集して引用します。
 
 トップマネジメントの仕事の一部を列挙するならば、次のとおりである。

 (1)組織としてのミッションを考える役割がある。すなわち、「われわれの事業は何か。何であるべきか」を考えなければならない。
 (2)基準を設定する役割、すなわち組織全体の規範を定める役割、良識機能を果たす役割がある。
 (3)組織をつくりあげ、それを維持する役割がある。明日のための人材、特に明日のトップマネジメントを育成する必要がある。加えて、組織構造を設計する役割がある。
 (4)トップの座にある者だけの仕事として、渉外の役割がある。顧客や取引先との関係である。金融機関や労働組合との関係、政府機関との関係である。
 (5)公的行事や夕食会への出席など、数限りない儀礼的な役割がある。これは、むしろ大企業よりも、地域において目立つ存在になっている中企業、小企業のトップマネジメントとして逃れられない仕事である。
 (6)重大な危機に際しては自ら出動するという役割、著しく悪化した状況に取り組む役割がある。

 「組織の成功と存続にとって決定的に重要な意味をもち、かつトップマネジメントだけが行いうる仕事は何か」

 「事業全体を見ることができ、今日と明日のニーズをバランスさせることができ、最終的な意思決定をなしうる者だけが行うことのできるものは何か」

    P.F.ドラッカー 『マネジメント(下)』
     第50章「トップマネジメントの仕事」p9-12より抽出、編集して引用


 トップマネジメントのなすべき仕事が紹介されています。トップマネジメントはミドルマネジメントやマネジャーとは異なり、組織のトップに立つ社長や経営陣のことです。私はこの中では(1)~(3)が最も大切だと思います。

 (1)はドラッカーの有名な問いかけですが、組織のミッション(使命)を考えることです。組織の直接的な成果は何か?なによりもまずこれがなくては事業が始まりません。わが企業が何をするのか、目的を決めて、その達成に努めることです。

 (2)には「良識機能」という聞きなれない言葉が出てきます。組織の良心をつくり、保つのはトップマネジメントの仕事です。組織の価値観への取り組みといえます。

 (3)は組織をつくることであり、人材育成であります。

 (1)~(3)はそれぞれ、直接の成果、価値への取り組み、人材育成とよばれるものです。あらゆる組織に必要な三つの成果としてドラッカーが取り上げているものです。『経営者の条件』第3章81ページを参照してください。

 (4)は会社の代表として利害関係者と関係を保つことです。
 
 (5)には地域や業界での儀礼的なイベントに参加することであり、ロータリークラブなどで活動することもこれに当たるのではないかと思います。現代においては、社長は本業に専念しなさい、と言われることが多いですが、ドラッカーはトップマネジメントの役割として、社会的な活動を認めていました。
 
 (6)は、重大な問題が発生した時には、自ら前に出て対応することです。指揮官先導ということではないでしょうか。

 そして、最後の二つの問いは、社長に対して「そのような仕事をしているか?」と問われていることです。

 6月末をもちまして当社の祖業であります上田市の『ささや』を閉店いたしました。永い間ご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました。

 組織の成功と存続を想い、今日と明日のニーズをバランスさせるために、5年後、10年後を見据えて、経営者として、大きな決断をいたしました。
 
 『ささや』は閉店いたしましたが、ささや株式会社は社員、パートナー一同、元気に営業を続けてまいります。今後の御利用を心よりお待ちしております。
 
 みなさまどうぞご自愛ください。今月もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 参考文献: 『マネジメント 課題、責任、実践(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  
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 米津仁志 at 13:10  | ドラッカー

真摯さに欠ける者は組織を破壊する

2023年06月08日

 さくらんぼの季節となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、このブログではドラッカーの『マネジメント(中)』を読んでいます。今回は「第36章 成果中心の精神」の「真摯さ」(Integrity, the Touchstone)の節からご紹介します。

 以下、p109-110の本文を編集して引用します。
 
 真摯さ(integrity)を絶対視して、初めてマネジメントの真剣さが示される。それは人事に表れる。リーダーシップが発揮されるのは、真摯さによってである。範となるのも、真摯さによってである。真摯さは、取って付けるわけにはいかない。

 真摯さはごまかせない。ともに働く者、特に部下には、上司が真摯であるかどうかは数週でわかる。無能、無知、頼りなさ、態度の悪さには寛大になれる。だが真摯さの欠如は許さない。そのような者を選ぶ者を許さない。真摯さを定義することは難しい。しかし、マネジメントの地位にあることを不適とすべき真摯さの欠如を明らかにすることは難しくない。

 ①人の強みよりも弱みに目のいく者をマネジメントの地位に就けてはならない。
 ②マネジメントたる者は実践家でなくてはならない。評論家であってはならない。
 ③何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心をもつ者をマネジメントの地位に就けてはならない。
 ④真摯さよりも頭のよさを重視する者は、マネジメントの地位に就けてはならない。
 ⑤できる部下に脅威を感じることが明らかな者も、マネジメントの地位に就けてはならない。
 ⑥自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネジメントの地位に就けてはならない。

 いかに知識があり、聡明であって、上手に仕事をこなしても、真摯さに欠ける者は組織を破壊する。

 このことは特にトップマネジメントについていえる。しかも、組織の精神はトップで形成される。組織が偉大たりうるのはトップが偉大なときだけである。組織が腐るのはトップが腐るからである。「木は梢から枯れる」との言葉どおりである。したがって、範とすることのできない者を高い位置に就けてはならない。

            『マネジメント(中)』第36章「成果中心の精神」
                   p109-110より抽出、編集して引用


 真摯さ(integrity)は、日本語としては普段はあまり使われることがないと思います。上田先生の翻訳によるドラッカーの言葉として大変有名になりました。

 しかし、真摯さとは何か?と聞かれると、なかなか答えづらいと思います。

 『マネジメント』には日経BPから出版されている別の訳書があります。有賀裕子さんが翻訳をされていて、integrityを「高潔さ」と訳されています。

 ドラッカーは「真摯さ」は後から身につけることでのできない資質で、この資質がない者をマネジメントにつけてはならない、と述べています。

 真摯さに欠けるマネジャーとはどんな人なのか、引用した①~⑥を解説します。自分だったらどうかと考えながら読んでいただくと分かりやすいかと思います。

 ①ほめることが出来ず、揚げ足取りをして、怒ってばかりいるマネジャーです。素直でないとも言えます。
 
 ②行動しないで評論ばかりする人です。
 
 ③気に入った部下や好きな部下をえこひいきするマネジャーや有名人や他人の言うことを盲信するマネジャーです。
 
 ④頭がよいことよりも誠実な人柄が大切だということです。

 ⑤将来自分を追い越す恐れのある優秀な部下を蹴落とそうとする人です。

 ⑥自分の出来る範囲、やりやすい範囲で考えてしまう人です。これでは企業は伸びません。
 
 真摯さに欠ける者(高潔さに欠ける者)が社長だったら、組織が破壊されます。真摯さに欠けるマネジャーも然りです。耳が痛い言葉です。

 ご覧いただきありがとうございました。みなさまどうぞご自愛ください。今月もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  
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 米津仁志 at 12:05  | ドラッカー

目標管理と自己目標管理の違い

2023年05月01日

 風薫る季節となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、このブログではドラッカーの『マネジメント(中)』を読んでいます。今回は「自己目標管理」の節を読みます。

 よく耳にする「目標管理」とは「自己目標管理」のことだった、という点について解説します。
 
 自己目標管理(MBO:Management by Objectives and Self-control) の最大の利点は、自らの仕事を自らマネジメントできるようになることにある。自己管理が強い動機づけをもたらす。適当にこなすのではなく、最善を尽くす願望を起こさせる。目標を上げさせ、視野を広げる。

 自己目標管理の値打ちは、支配によるマネジメントの代わりに、自己管理によるマネジメントを可能にするところにある。
 自らの仕事ぶりを管理するには、自らの目標を知っているだけでは十分でない。目標に照らして、自らの仕事ぶりと成果を評価できなければならない。
 したがって、あらゆる分野にわたって、自己評価のための明確な情報を与える必要がある。それらの情報は数学である必要はない。厳密である必要もない。しかし明瞭でなければならない。意味があり、かつ直截でなければならない。正確さの程度を知りうるだけの信頼性をもつものでなければならない。難しい説明や解釈を必要としない平易なものでなければならない。
 あらゆる者が自らの仕事ぶりを測定するための情報を手にすることが不可欠である。しかも、必要な措置がとれるよう、それらの情報は早く提供しなければならない。
 それらの情報は、彼ら自身に伝えるべきであって上司に伝えるべきではない。情報は、自己管理のためのツールであって、上から管理するためのツールではない。このことは、情報の収集、分析、統合に関わる技術進歩の結果、それらの入手能力が急速に増大した今日、特に強調しておく必要がある。

    『マネジメント(中)』第34章「自己目標管理」p83-85より抽出して引用


 日本において「自己目標管理」は「目標管理」である、と誤解して広まり、大手企業などにおいて、成果主義を導入するための道具にされてしまいました。故に、みなさまの中には「目標管理」という言葉に嫌悪感をお持ちになる方もいらっしゃるかもしれません。
 
 ドラッカーもいい迷惑だったと思います。ご紹介した『マネジメント(中)』p83にはわざわざ原語が添えられています。

 
自己目標管理(MBO:Management by Objectives and Self-control)



 これをもう少し言葉を加えて訳せば「自己規律による目標管理」ということになると思います。

 ドラッカーがMBOを考えだす以前の企業では、上司の指示通りに仕事をするのが当たり前であり、仕事の目標に自分の考えを入れることは出来ませんでした。半分ジョークではありますが、MBOが発明される前の言葉として、MBB:Management by Boss(上司による管理)というものがあります。

 日本にMBOが導入されたときの問題があります。
 
 原文には”Management by Objectives”の後に、”and Self-control”とはっきり書かれているのですが、それが抜け落ちてしまいました。「自己目標管理」は文字通り、組織の目標を元にして、自分で自分の目標を決める方法です。しかし「自己」がなくなり、ただの「目標管理」になってしまいました。

 当時、欧米のように成果主義を導入して、人件費の削減をしたいと思っていた日系企業が、「目標管理」という言葉だけを取り上げて、自社に都合の良いように解釈しました。
 そして、部下の仕事もよく分かっていない上司が無理な目標を課し、その結果をもって、降格したり、降給したりという、裏でやりたいと思っていたことを、権力によって表で堂々と実行するようになったのです。

 本来目標は自分で決めるべきものですし、ここに書かれていますように、それに必要な情報をすべて、上司ではなくて、本人に与えなくてはならなかったのです。誤った「目標管理」により、パワハラなどさまざまな問題が発生しました。これによる経済、経営への影響は大きかったと思います。

 本日はありがとうございました。みなさまどうぞご自愛ください。今月もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  
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 米津仁志 at 10:00  | ドラッカー

マネジメント教育

2023年04月04日

 風に舞う花吹雪が目にまぶしい今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、このブログではドラッカーの『マネジメント(中)』を読んでいます。今回は「マネジメント教育」という節をご紹介します。
 
 すでに社会は、「どれだけの教育ある者を扶養できるか」から、「どれだけの教育のない者を扶養できるか」へと問題の焦点を移している。こうしてマネジメント教育は、企業が社会に対して果たすべき責任を果たすためにも必要とされている。
 もし企業にその力がなくなれば、社会は放置しない。なぜならば、組織、特に大企業が継続して成果をあげていくことが、社会にとっては死活的に重大だからである。社会は、企業という富を生み出す機関が、有能なマネジメントの欠落のために危機に瀕することを許さないし、その余裕もない。
 しかも今日の社会においては、仕事は生計の資以上のものを意味する。人は、仕事に誇りと自己実現という金銭を超えた満足を求める。したがって、マネジメント教育とは、仕事を生計の資以上のものにすることであるといって過言でない。それは、働く者が自らの能力をフルに発揮できるようにすること、すなわち仕事をよき人生にすることである。
 マネジメントの人間は、育つべきものであって、生まれつきのものではない。したがって、われわれは明日のマネジメントの育成、確保、スキルに体系的に取り組まなければならない。運や偶然に任せることは許されない。

    『マネジメント(中)』第33章「マネジメント教育」p55-56より引用


 企業は社会の一つの機関であり、企業が社会にとって有益なことをしているから 存在を許されているのだ、というのがドラッカーの考え方です。
 
 この文章で述べられていることは、その考え方の一つであると言えます。マネジメント教育を行って、マネジャーを育成することも、社会が企業に要請している重要なことの一つであるのです。
 
 マネジメントはドラッカーが考えた概念ですから、せいぜいこの100年で構築されてきたことです。マネジメントの能力を生まれつき持っている人はいないのです。マネジャーは企業が育てるものであり、マネジメント教育は企業の責任の一つであります。
 
 働く人から見ると、企業からマネジメントを教えてもらい、マネジメントができるようになる(マネジャーになる)ことで、給料の増額はもちろんですが、給料以上の価値、すなわち誇りと自己実現という満足を得ることが出来るようになるのです。
 
 これは企業に都合の良い考え方では?と勘繰る向きもあるかもしれませんが、私はそうではないと思います。
 ドラッカーは、企業を観察している中で、ボスから命令された仕事にイヤイヤ取り組んでいる労働者も見たでしょうが、一方で、マネジャーとして前向きな態度で生き生きと働き、大きな成果を上げている労働者も見たのです。これらのことから、マネジメントの構造に気がついたのではないでしょうか。
  
 今年の夏は暑くなるそうです。みなさまどうぞご自愛くださいませ。今月もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  
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 米津仁志 at 15:41  | ドラッカー

現場にマネジメントを任せるには?

2023年03月02日

 少しずつ暖かくなり、春らしさが感じられるようになりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、このブログでは『マネジメント』の中巻を読んでいます。今回は「マネジメントの権限」という節から重要な部分を抽出してご紹介します。
 
 いかなるマネジメントを行うかはトップマネジメントが決める。そのための最終製品が決定され、事業上の目標が設定される。
 しかしマネジメントの仕事は、下から決めていかなければならない。生産、販売、設計の最前線の活動からスタートしなければならない。すべては最前線のマネジメントの仕事ぶりにかかっている。上層のマネジメントの仕事は、この最前線のマネジメントを助けるための派生的な仕事にすぎない。
 あらゆる権限と責任が最前線にある。彼らにできないことだけが上層にゆだねられる。いわば、最前線のマネジメントが組織のDNAである。上層の機関のなすべきことは、すべてそこで規定される。

 マネジメントが行うことのできる決定の限界については、一つだけ簡単なルールがある。GEの電球事業部の内規は、アメリカ憲法をなぞって、「明文をもって規定されていないかぎり、権限は下位のマネジメントにある」としている。これは「命じられていないかぎり、すべては禁じられる」とのプロシア法の考えの逆である。 担当する仕事について行うことのできない決定は、すべて明文をもって明らかにしておかなければならない。他のことについては、すべて権限と責任を有するものと解さなければならない。

『マネジメント(中)』第32章「マネジメントの権限」p50-52より抽出して引用


 この企業の経営理念は何か?
 この企業はなんのために存在するのか?
 どのような事業を行っていくのか?

 ・・・など、企業の最重要事項を決めるのは、社長です。しかし、それをどのように行っていくかについては、現場の最前線のマネジャーに任せるべきなのです。社長の仕事は、経営理念のもとで、最前線のマネジャーを助けることです。
 
 GEの事例にありますように、「やってはいけない」と書いてない限り、すべては現場のマネジャーに権限と責任があります。権限と責任の両方ですから、自分で決めたことは当然自分で責任をとってもらうことになります。
 権限と責任をセットにして下位のマネジャーに移管していかないとマネジメントは機能しません。社長としてはすべてのことに口を出したい気持ちがありますが、それをやり始めると、マネジメントにはなりません。家業のごとく、一日中、社長が怒鳴り、騒ぎ続けることになってしまうでしょう。
 
 ただし、現場のマネジャーに任せる際には、大前提として、現場のマネジャーは、企業の経営理念をよく理解し、納得し、賛同していなければなりません。この前提がなくして任せることはできないでしょう。
 
 私自身も社内で繰り返し繰り返し経営理念を説き続けていますが、どのくらい分かってもらえているのか?不十分であると反省しております。まだ到達点は見えません。

 季節の変わり目です。みなさまどうぞご自愛くださいませ。今月もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  
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 米津仁志 at 17:00  | ドラッカー

職務設計の間違い6つ

2023年02月01日

 春の温かさが待ち遠しい今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、このブログでは『マネジメント』の中巻を読んでいます。

 前回は、マネジメントに不可欠であり、後天的に備えることが出来ない資質として「真摯さ」についてご紹介しました。本日は続きの部分、マネジメントの仕事を設計する際の「職務設計の間違い」の6項目について、重要な部分を抽出してご紹介します。

 以下は引用です。

 (1)第一に、最も一般的な間違いは、仕事を狭く設計し、人が仕事で成長することを妨げることである。マネジメントの仕事は、その職にあるかぎり、学び、育つことのできるものにしなければならない。大きく設計した仕事が害をなすことはない。たとえ害があっても、直ちに直すことができる。ところが、小さく設計した仕事は、人と組織を知らぬ間に麻痺させる。

 (2)マネジメントの働きを妨げる間違いの第二に、仕事とはいえない仕事、つまり補佐の仕事がある。マネジメントの仕事には目的、目標、役割がなければならない。明確な貢献ができるものでなければならない。責任ある存在となれなければならない。 ところが、補佐の役には直接貢献できることがない。自分だけでは責任ある存在とはなりえない。自身の目的、目標、役割がない。

 (3)間違いの第三は、マネジメントが自分の仕事をもたないことである。マネジメントとは仕事である。しかしそれは、マネジメントがすべての時間を費やすほど時間を要する仕事ではない。マネジメントの人間の仕事は、マネジメントの仕事と自分の仕事の二つからなる。マネジメントの人間とは、マネジメント兼専門家である。 したがって、自分の仕事がなければならない。十分な仕事がないとき、マネジメントの人間は部下の仕事をとってしまう。

 (4)第四に、マネジメントの仕事は、一人あるいはその直接の部下を使うだけでなしうるものにしなくてはならない。会議や調整を常に必要とする仕事は間違いである。最初から人間関係を織り込むことは無用としなければならない。

 (5)第五に、報奨の不足を肩書で補ってはならない。もちろん、仕事の中身の不足を肩書で補ってはならない。採用すべき原則は、優れた仕事ぶりには報酬を与えることとし、肩書は仕事、地位、責任が変わったときにのみ変えることとすべきである。

 (6)第六に、「後家づくり」の仕事は再考して廃止しなければならない。今日では、優秀な者が連続して失敗する仕事が「後家づくり」である。理屈ではよくできた仕事に見える。しかし、実績のある者が二人続けて失敗したならば、そのような仕事は廃止し、仕事の内容を再構成しなければならない。

         『マネジメント(中)』第32章「マネジメントの仕事の設計」
                       p33-41より抽出して引用


 これらはマネジャーの仕事を設計する際に気をつけなくてはならないことを6項目にまとめたものです。一つずつ見ていきます。

 (1)マネジャーの仕事を小さく設計すると、仕事を軽々とこなしてしまい、マネジャーはそれ以上成長することができません。仕事を大きく設計することの害はありませんが、小さく設計すると人と組織を麻痺させてしまいます。

 (2)マネジャーに補佐の仕事をさせることは避けなければなりません。補佐の仕事は、マネジャーには小さすぎます。責任がないために、貢献もはっきりしません。
 
 (3)マネジメントは仕事ですが、フルタイムの仕事ではありません。例えば1000人が働く巨大工場であるならば、工場長はマネジメントだけに専念する必要があるでしょう。しかし、一般のマネジャーがマネジメントの仕事だけに専念するということはありません。マネジャーは自分の専門の仕事を抱えながら、マネジメントをすることになります。
 
 (4)マネジメントの仕事は自分一人で完結できるものか、せいぜい一人の部下を使って出来るものでなければなりません。マネジャーなのに、一人で決められず、常に会議を開く必要があったり、多くの同僚の援助が必要だったりしたら、マネジャーの地位である意味がありません。

 (5)報奨が少ないから、肩書をつけてあげようというのは、経営者の都合であります。優れた仕事をする人の報奨は上げなくてはなりません。肩書で埋め合わせすることは出来ないのです。

 (6)「後家づくりの仕事」とは、ドラッカーらしい面白い表現ですね。原書でもその言葉通り“widow-makers”と表現されています。(1)とは逆の意味ですが、誰もできないような仕事があるとしたら、それは仕事の設計が間違っています。それを部下にやらせるのはあまりにも無責任です。

 マネジメントの仕事の設計と言いますと、難しい感じがしますが、以上のことに気を付けて考えていきます。このように、原則が頭に入っていると、間違った判断はしなくなるでしょう。
 ドラッカーは細かいところまでよく見ているな、と感心します。

 この冬は本当に寒い日が続きます。1月には会社の水道も凍結してしまったほどです。どうぞご自愛くださいませ。今月もどうぞよろしくお願いいたします。


 参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  
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 米津仁志 at 10:00  | ドラッカー

たった一つだけ、必要な資質「真摯さ」とは?

2023年01月04日

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。昨年は大変お世話になりました。誠にありがとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、このブログでは『マネジメント』の中巻を読んでいます。前回は「マネジメントの5つの仕事」についてご紹介しました。続きを読んでいきます。

 人のマネジメントに関わる能力、例えば議長役や面接の能力は学ぶことができる。管理体制、昇進制度、報奨制度を通じて、人材開発に有効な方策を講ずることもできる。

 だが、それだけでは十分でない。スキルの向上や仕事の理解では補うことのできない根本的な資質が必要である。すなわち真摯さである

 最近は、愛想をよくすること、人を助けること、人づきあいをよくすることが、マネジメントの資質として重視されている。だがそのようなことで十分なはずはない。
 事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいもよくない者がいる。この種の者は、気難しいくせにしばしば人を育てる。好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。自ら知的な能力をもちながら、真摯さよりも知的な能力を評価したりしない。
 逆に、このような資質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきあいがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。そのような者は、マネジメントとしても紳士としても失格である。
 マネジメントの仕事は、体系的な分析の対象となる。マネジメントにできなければならないことは学ぶことができる。

 しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、初めから身につけていなければならない資質が一つだけある。才能ではない。真摯さである。

   『マネジメント(中)』第31章「マネジメントの仕事」p29-30より引用


 ドラッカーは後から身に付けることが出来ない資質、始めから身に付けていなければならない資質として、たった一つだけ「真摯さ」を挙げました。その他のマネジメントの仕事は学ぶことができるが「真摯さ」だけは学ぶことは出来ない、と言ったのです。
 「真摯さ」はドッラカリアン(ドラッカー好きな人たち)の中でしばしば議論になる言葉です。上の文章のうち「真摯さ」が含まれる部分の原書の英文を紹介します。

 
But when all is said and done, developing men still requires a basic quality in the manager which cannot be created by supplying skills or by emphasizing the importance of the task. It requires integrity of character.


 But one quality cannot be ‘learned, one qualification that the manager cannot acquire but must bring with him. It is not genius; it is character.


 原書では「真摯さ」は、integrity of characterit is characterという英語で表現されています。

 上田惇生先生の翻訳(ダイヤモンド社発行の『マネジメント』)では、両方とも「真摯さ」と訳されていますが、有賀裕子先生の翻訳(日経BP社の『マネジメント』)では、順に「人間としての誠実さ」「人格」と訳されています。

 リーダーズ英和辞典でこれらの単語を調べますと、以下のような説明があります。

 integrity
 ⦅道徳的、人格的に信頼できる⦆正直、清廉、高潔、誠実、健全、完全、無欠(の状態)

 character
 ⦅個人、国民の⦆性格、品性、人格、人柄、気骨

 新明解国語辞典で「真摯」を調べると次の意味が説明されています。

 真摯:他事を顧みず、一生懸命やる様子、まじめ 

 Integrityはintegrate(全体にまとめる、統合する)という動詞から派生した言葉で、語源は完全を意味するintegritasというラテン語にあるようです。
 
 アメリカはではリーダーに求められる資質としてintegrityと言う言葉がよく使われるようです。私はそのまま「誠実」「高潔」などの意味として解釈していいのではないかな、と思っています。
 
 人の上に立つリーダーには、高い人格が求められます。あたりまえですが、人格はあとからとってつけるのは難しいのです。誠実さ、高潔さ、真摯さなどの資質をもたない人が経営者になったらどうなるでしょうか。

 そういう人がいたとしても「私は違う」と言われればそこまでなので、指摘することはできませんものね。なかなか人にそんなこと言えません。
 
 結局、何かの事件が発生してようやく、経営者にそぐわない人格だったことが発覚するのだと思います。
 
 他人ごとではありません。私も経営者の端くれです。流されないように、常に我が身を省み続けなくてはならないことです。

 今年がみなさまに昨年よりももっと幸せな年となりますことを祈念しております。寒い日が続きます。どうぞご自愛ください。


 参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  
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 米津仁志 at 10:00  | ドラッカー

マネジメントの5つの仕事

2022年12月01日

 師走を迎え、何かと気忙しい毎日を過ごしております。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、このブログではただいま『マネジメント』の中巻を読んでいます。今回は「マネジメント」とは何か、という問題を考えてみたいと思います。
 
 少々長くなってしまい恐縮ですが『マネジメント(中)』から引用します。よく読んでみてください。
 
 マネジメントの仕事には基本的なものが五つある。それら五つの仕事が相まって、活力にあふれた成長する組織を生み出す。

 (1)目標を設定することである。すなわち、目標をもつべき領域を定め、そのそれぞれについて到達地点を決める。そのために行うべきことを決める。連携する人たちとのコミュニケーションによって、それらの目標を意味あるものにする。
 (2)組織することである。すなわち、活動、決定、関係を分析し、仕事を分類する。分類した仕事を活動に分割し、作業に分割する。それらの活動と作業を組織構造にまとめる。それらの活動とそれぞれの部門のマネジメントを行うべき者を選ぶ。
 (3)チームをつくることである。すなわち、動機づけを行い、コミュニケーションを図る。組織においてこれを行う。人との関係においてこれを行う。昇給、配置、昇進などの人事においてこれを行う。部下、上司、同僚とのコミュニケーションによってこれを行う。
 (4)評価をすることである。すなわち評価のための尺度を定める。評価測定の尺度ほど、組織全体と一人ひとりの成果にとって重要な要因はない。部下の全員が組織全体の成果と自らの成果について評価の尺度をもつようにする。彼らの成果を分析し、評価する。尺度の意味と成果を部下と上司、同僚に知らせる。
 (5)自らを含めて人材を育成することである。

 これら五つの仕事は、さらに細分化することができる。その細分化した仕事の一つひとつについて一冊の本を書けるとさえいってよい。
 そのうえ、これら五つの仕事に必要とされる能力が多様である。
 例えば目標を設定するには、バランスの能力を必要とする。自らの信条の実現と事業上の成果とのバランス、将来のニーズと眼前のニーズとのバランス、入手可能な手段と期待する結果とのバランスである。明らかに、目標の設定には分析と統合の能力を必要とする。
 組織するには分析の能力を必要とする。稀少な資源を最も経済的に使用しなければならない。それと同時に、人を扱うがゆえに、正義の原則のもとにあって終始真摯たるべきことが要求される。人材の育成にも、分析の能力と真摯さが要求される。
 動機づけとコミュニケーションを行うには、対人能力を必要とする。分析よりも統合の能力が要求される。公正さが主であって、経済性は二の次である。ここでも、分析的な能力よりも真摯さのほうがはるかに重要である。
 評価をするには、分析の能力を必要とする。評価とは上からの管理ではなく、自己管理を可能にするためのものである。この大原則を破っていることが、マネジメントの仕事のうち評価測定が最も貧弱な分野になっている原因である。上からの管理手段としているかぎり、評価はマネジメントにとって不毛な分野であり続ける。
 目標設定、組織、動機づけとコミュニケーション、評価、人材開発は、マネジメントの仕事のいわば形式的な分類である。しかしこれらの分類は、あらゆるマネジメントとその活動に適用することができる。

    『マネジメント(中)』第31章「マネジメントの仕事」p26-28より引用


 ドラッカーはマネジメントの仕事として以下の五つを挙げました。
 (1)目標を設定すること。
 (2)組織すること。
 (3)チームをつくること。
 (4)評価をすること。
 (5)自らを含めて人材を育成すること。

 (2)と(3)は一見似ています。
 「組織する」とは、仕事を客観的に分解し、それらを組織の仕事として統合し、組み立て直すことです。冷静に行う作業です。
 一方「チームをつくる」とは、チーム内でコミュニケーションをとり、動機づけを行うことであり、人間の情にも関わる温かさのある作業であると言えます。

 「組織すること」は、仕事を部品に分解し、組み立てることですから、例えば自動車を作る際には、このような作業は欠くべからざることで、これがなければ仕事が進まないことは明らかです。製造業では当たり前に行われていることでありましょう。
 サービス業ではこの思考は遅れていました。しかし、ドラッカーのマネジメントの考えが理解され、チェーンストア理論が広がり、いまではお寿司屋さんでさえ仕事が分解され、統合され、一つの体系となりました。回転寿司チェーンは世界中で営業しており、品質の安定したお寿司を提供しています。

 そういう私も飲食サービス業の経営者ですが、属人的な職人の仕事を「マネジメントの仕事」に変えていく難しさを日々実感しております。

 一年間大変お世話になり、誠にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 よいお年をお迎えください。みなさまにとって、来年がより幸多き一年でありますことを強く願っております。


 参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  
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 米津仁志 at 10:00  | ドラッカー

マネジメントの二つの課題

2022年11月01日

 秋も深まり、すっかり日足も短くなってまいりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、今回はドラッカーの『マネジメント』の中巻を読んでいきます。

 「マネジメントの二つの課題」についてご紹介します。

 『マネジメント(中)』より引用します。
 
 マネジメントの人間たるためには、肩書や個室などの地位を示すシンボル以上のものが必要である。卓越した能力と高度の仕事ぶりが要求される。
 しかし、マネジメントの仕事のためには、天賦の才能は必要か。直感と方法論のいずれが重要か。マネジメントの人間はいかに仕事を行うべきか。
 マネジメントには二つの課題がある。

(1)第一に、部分の総和よりも大きな全体、すなわち投入した資源の総和よりも大きなものを生み出すことである。それは、自らのビジョン、働き、リーダーシップによって、多くの楽器をまとめあげるオーケストラの指揮者に似ている。だが指揮者が手にしているのは、作曲家の手になる楽譜である。これに対し組織のマネジメントは、指揮者であると同時に作曲家である。

(2)第二に、自らのあらゆる決定と行動において、直ちに必要とされるものと、遠い将来に必要とされるものとをバランスさせることである。いずれを犠牲にしても組織は危険にさらされる。いわば、石臼に鼻を突きつけつつ丘の上を見るという曲芸をしなければならない。

   『マネジメント(中)』第31章「マネジメントの仕事」p24-25より引用


 managementという言葉は、英語だけにある言葉で、他の言語には同じ意味の言葉はない、と言われています。リーダーズ英和辞典を開くとmanagementについて、次のような意味が説明されています。

 Management (マネジメント)

 1a.取り扱い、統御、運用、経営
 1b.経営力、支配力、経営の手腕
 2.経営幹部、経営陣、経営者
 
        『リーダーズ英和辞典』p1526より


 経営者が経営を行う際の課題として、(1)では、組織全体として成果を上げることを示しています。言うまでもなく、経営は投入した資源以上に成果を生み出さなくてはなりません。そのために、経営者は、組織を動かす指揮者でありますし、組織そのものを作り出す作曲家でもある、ということです。

 (2)では、短期と長期のバランスを指摘しています。石臼と丘の上の事例がありますが、これは今年一年を何とか生き延びるという目の前の課題と、来年以降をどう生き延びていくか、という将来の課題の両方を考え、そのバランスをとっていかなくてはならない、ということです。
 いまだけを考えるなら、どんな方法をとろうとも今年の決算だけ(いまの数字だけ)をよくすればいいということになりますが、それでは企業は継続することができません。経営の立場にない方にはなかなか理解し難いことだと思いますが、経営者としてはどのように長短のバランスとるかは、決断をしなくてはならないところです。

 仕事でも家でもときどき嬉しいことがあって、とても小さな喜びですが、私はその瞬間を、幸せだなー、と思って、楽しんでいます。それを原動力に遠くを見ています。

 当社はいま営業構造を転換するべく取り組んでおります。一刻も早くお客さまのお役に立てるよう努めてまいります。いつもご利用くださり、ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

 参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  
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 米津仁志 at 10:00  | ドラッカー

通常とは昨日の現実に過ぎない

2022年10月03日

 信州では秋も深まり、日に日に肌寒くなってまいりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 コロナ禍の波は大変大きく、生活や経済を激変させました。当社のビジネスについては、いまだに先行きが見えません。

 冷たい秋の雨に打たれながら、この環境変化は何なのだろう・・・と考えます。

 消滅した商売や企業があるのですから、環境の激変は、われわれの身の回りで、過去、繰り返し発生してきました。

 元に戻るのだろうか・・・?
 
 ドラッカーの『創造する経営者』からご紹介します。

 あらゆる意思決定と行動がそれを行った瞬間から古くなり始める。したがって通常の状態に戻そうとすることは不毛である。通常とは昨日の現実に過ぎない。

              P.F.ドラッカー『創造する経営者』p10より引用


 以下は原文です。

 Any human decision or action starts to get old the moment it has been made.
 It is always futile to restore normality; ”normality” is only the reality of yesterday.

 
 翻訳で「通常」と訳されている言葉は、原書では”normality”となっています。

 ”normality”を英和辞典で調べますと「常態」「正常」「正常性」などと訳されておりますので「正常」と訳してもよいかと思います。(上田先生の翻訳は独特ですので、原書を突き合わせていく楽しみがあります。)

 「通常」と「正常」では少し印象が変わりますね。

 「正常」と訳せば、コロナ禍の今に合うような気がします。

 私が「正常」だと思っていたコロナ前の状態は、その瞬間から古くなっていました。「正常」とは戻るべき場所ではなくて、「過去の現実」に過ぎないわけです。

 みなさまが当社のことを心配をしてくださって「ご商売どうですか?」と聞いてくださるのですが、いまや「元には戻らないでしょうね」と答えるしかありません。

 これは、この3年間で、生活様式、行動様式が変わってしまい、「元」がなくなったからです。

 ドラッカーは「正常」とは絶対的な定位置ではなくて、相対的な概念であることを見抜いていました。

 私が「元」だと思っていたコロナ前の2019年の姿は「2019年の現実」であり、もはや過ぎ去ってしまったことです。コロナ禍がなかったとしても、「正常」はやがて確実に過去の出来事になってしまうのです。

 あれは夢だったのか・・・

 私の仕事もコロナ前とはだいぶ変わり、2019年の「正常」に対して、喪失感を覚えております。

 ただいま当社は事業の再構築を進めております。みなさまには大変ご迷惑をおかけいたしております。心よりお詫び申し上げます。

 一日一日、未来に向けて歩みを進めております。今月もよろしくお願いいたします。-


 参考文献:
 『創造する経営者』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  
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 米津仁志 at 10:00  | ドラッカー

プロフェッショナルの倫理

2022年09月01日

 残暑もいくぶん和らぎ、過ごしやすい季節となりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、今回はドラッカーの『マネジメント(上)』の第28章から「プロフェッショナルの倫理」についてご紹介します。

 プロフェッショナルにとっての最大の責任は、二五〇〇年前のギリシャの名医ヒポクラテスの誓いの中にはっきり明示されている。「知りながら害をなすな」である。
 医師、弁護士、組織のマネジメントのいずれであろうと、顧客に対し、必ずよい結果をもたらすと保証することはできない。最善を尽くすことしかできない。しかし、知りながら害をなすことはしないとの約束はしなければならない。
 顧客となる者は、プロたる者は知りながら害をなすことはないと信じられなければならない。これを信じられなければ何も信じられない。
       
           『マネジメント(上)』p430より引用


 「知りながら害をなすな」は、紀元前5世紀に、科学に基づく医学の基礎をつくった医師、ヒポクラテスの弟子たちが後にまとめた「ヒポクラテスの誓い」の中の一文です。インターネットを検索すると、さまざまな訳文があります。一つご紹介します。

 「私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。」

 私たちは、どんなに名医であっても絶対に大丈夫、ということはない、もしかしたら手術や治療に失敗することがあるかもしれない、ということは知っており、それを恐れています。事実、いまでも医療事故の発生を聞き及びます。

 そのことを重々知りながらも、なぜ私たちはお医者さんに身を委ねるのでしょうか。

 それはお医者さんが、自分のために最もよい方法で、誠意をもって、治療に当たってくれている、と信じることができているからです。われわれがお医者さんを信じることができるのは、人が人を信じるという社会の基盤であります。

 これは医師だけに限ったことではなくて、あらゆる職業に言えることであります。私の商売もお客さまとの信頼関係によって成り立っています。お客さまは私のことを信じてくださっているからご利用くださいます。私は、私の倫理として、絶対に知りながら害をなすことはありません。

 それでもなぜ、世の中では、ビジネスの不祥事が起き続けるのでしょうか?人間は、追いつめられると、自分や組織を守るために、簡単に悪いことをしてしまうからです。新聞をにぎわすビジネスの犯罪のほとんどは「会社のために」という、一瞬、良いことをしていると勘違いしてしまいそうな、聞こえの良い理由で発生しています。
 
 私の世代は、小さい頃からよい成績をとるために、あるいはスポーツの大会で勝つために、がんばれ、がんばれ、と追い立てられながら育てられました。限界を超えようとする態度はほめられこそすれ、やめろと言われることはありませんでした。
 だから、ビジネスにおいても出来る限りがんばってしまいます。コンプライアンスぎりぎりまで攻めていく傾向があります。私が大学を卒業し、社会人となったのは1990年ですが、そのとき流行っていたCMが「24時間戦えますか?」で有名な「勇気のしるし~リゲインのテーマ~」です。(聞いたことのない方は後で検索してみてください。)

 しかし、いくらがんばっても限界はあります。自分の力では、その限界を超えられない、と分かったとき、それでも成果を上げなくてはならないという重圧や他人に対する見栄のようなものが、あったとしたら?越えてはいけない一線を越えようとする人が出てきます。

 仕事の数字を達成するために、生き方を捨ててしまっていいのでしょうか?知りながら害をなしてはならないのです。

 ただいま当社はコロナ禍の影響を受けて営業構造の転換に取り組んでおります。みなさまには大変ご迷惑をおかけいたしております。心よりお詫び申し上げます。

 一日一日だんだんと幸せになっていきますように。今月もよろしくお願いいたします。-

 


 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 10:00  | ドラッカー

禅方式と修養

2022年08月01日

 残暑お見舞い申し上げます。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 今回は、日本企業の仕事に対する向き合い方の特徴をドラッカーの『マネジメント』からご紹介します。世界各国がwithコロナの生活になろうとする中で、日本がいまだにコロナウィルスに対して深く向き合っていることとも少し関係があると思っています。

 日本的経営に言及している部分(『マネジメント』第20章 成功物語「禅と儒教」)からご紹介します。
 
 仕事とツールへの現場の関与は、日本では継続訓練の一環である。あらゆる人間、しかもトップマネジメントまでもが、退職するまで研鑽を日常の課題とする。週一回のサークル活動が仕事の一部として日程化されている。

 日本企業には、人事、教育訓練、購買などについて通信教育を受けている者、外部のセミナーに出ている者、夜間の専門学校に行っている者が大勢いる。 私はある大企業の社長から、その日の午後は溶接の勉強会に参加するのでお会いできないといわれたことがある。これは特殊な例である。しかし、コンピュータのプログラムについて通信講座を受けている社長は珍しくない。もちろん人事の若い人も通信講座を受けている。
 
 これは、学ぶことの目的と本質が欧米とは異なるからである。儒教の伝統のある中国とも異なる。儒教では欧米と同じように、学ぶことは次の仕事のためである。”to qualify oneself for a new, different, and bigger job”

 学ぶことの本質は学習曲線で示される。一定の学習によって高原に達し、そこにとどまる。

 ところが、日本の考えは禅方式“Zen approach.”とでも呼ぶべきものである。学ぶことの目的は修養“self-improvement“である。いま行っている仕事を、より高度のビジョン、能力、期待値をもって行うためのものである。学習曲線に高原はない。継続学習は学習曲線を突き抜けさせる。そこから新しい学習曲線が始まる。



 上の節の原書部分です。

 The Japanese concept may be called the “Zen approach.” The purpose of learning is self-improvement. It qualifies a man to do his present task with continually wider vision, continually increasing competence, and continually rising demands on himself. While there is a learning curve, there is no fixed and final plateau. Continued learning leads to a break-out, that is, to a new learning curve, which peaks at a new and higher plateau, and then to a new break-out.


 すでにわれわれは、二〇世紀に入って、学ぶことの本質についての正しい考え方は儒教のそれではなく、禅のそれであることを知るにいたっている。継続学習によって人は自らの仕事ぶり、基準、同僚の仕事を知ることができる。仕事を「われわれの仕事」として見ることができるようになる。

 日本の組織では、継続学習が、新しいもの、革新的なもの、より生産的なものを受け入れやすくしている。サークル活動での焦点は、常によりよくである。新しいことを違った方法で行うことである。

 サークル活動はインダストリアル・エンジニアに圧力をかける。欧米ではエンジニアは現場からの抵抗を覚悟しなければならない。日本では現場からの要求に閉口する。 この継続訓練へのコミットがあるからこそ、日本では変化とイノベーションに抵抗するどころか、進んでそれを受け入れる土壌ができあがっている。同時に現場の経験と知識が不断の改善に寄与している。


 以上は『マネジメント(上)』p301~302より抜粋して引用しました。
 
 『マネジメント』は昭和48年(1973年)に著されました。ドラッカーは、この頃(昭和40年代中盤)の日本企業の姿をみてこの文章を書きました。高度成長期には欧米に追い付き、追い越すために、より良い製品を作ろうと懸命に働く日本人の姿がありました。

 ここからの話は、日本人のことを特別にひいきに見たものではありません。ドラッカーが日本企業を客観的にみたときの気づきを、私自身の気づきに発展させたものです。

 ドラッカーは日本企業で働く従業員が仕事のために学習することを「禅方式」“Zen approach”と呼びました。禅方式は、仕事に求められたことを学んだら終わりにするのではなく、より高い水準を求めて学びを深めていく学習の姿勢です。ドラッカーはこの姿勢を修養“self-improvement“と呼んでいます。

 この節の題名は「禅と儒教」となっております。対比されている儒教の考え方においては(欧米も同じですが)、学ぶことは、新しい仕事、今までと違う仕事、より大きな仕事をできるようになるためのもので、そこまで達すればそれ以上を求めることはありません。

 私の気づきは、日本がコロナウィルスに対して、いつまでも向き合おうとするのは、日本人の物事に対する対応が、禅方式にあるのではないかということです。コロナ禍において、徐々に感染防止策の知見が分かってくると、われわれは決められたルールを守り、グループ内、家族内で徹底し、例外を許しませんでした。手を洗ったり、うがいをしたりという行為がこれまで以上に徹底され、手が抜かれることなく実施されました。何事にもしっかり向き合い、放置せず、はっきりするまで改革や改善を続ける日本人の姿勢です。この姿勢がコロナウィルスを中途半端に放置することを許さない一つの理由ではないか、と思うのです。

 当社はコロナ禍の影響による行動様式や生活スタイルの変化を受けて、営業内容を変革しております。みなさまには大変ご迷惑をおかけいたしますことをお詫び申し上げます。

 みなさまが日に日にだんだんと幸せになっていきますように。今月もよろしくお願いいたします。

 


 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 10:00  | ドラッカー

仕事と労働

2022年07月02日

 暑中お見舞い申し上げます。あっという間に梅雨が明けてしましたね。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 このブログではドラッカーの『マネジメント』を読んでいます。今回は「仕事と労働」についてご紹介します。

 わかっていることで最も重要なことは、仕事と働くことすなわち労働とが根本的に異なるということである。もちろん働く人が仕事を行うのであって、仕事は常に人が働くことによって行われる。しかし、仕事を生産的なものにするうえで必要なものと、人をして成果をあげさせるうえで必要なものとはまったく異なる。          

           『マネジメント(上)』p231より引用


 この部分を原書でご紹介します。
 The most important thing we know is that work and working are fundamentally different phenomena. The worker does, indeed, do work; and work is always done by a worker who is working. But what is needed to make work productive is quite different from what is needed to make the worker achieving.

          “ Managerment : tasks, responsibilities, practices”


 続きを読んでみます。

 われわれは仕事を未熟練労働、熟練労働、知識労働に分けるが、これは間違いである。仕事が未熟練であったり、熟練であったりするわけではない。働く者が未熟練であったり、熟練であったりするだけである。仕事そのものは変わらない。
 かつては靴をつくるのに熟練を要した。しかし一〇〇年も前から、さほどのスキルは必要なくなった。いまや完全にオートメ化して肉体労働を不要にしてしまうことさえできる。それでも靴という製品は変わらない。仕事のプロセスも変わらない。革を用意し、裁断し、折り曲げ、縫い、のりづけする。製品にいたるまでのステップに違いはない。ツールやスキルは変わっても靴をつくるという仕事は変わらない。手製か機械製かさえ一瞥しただけではわからない。
 仕事を生産的なものにするには、仕事が客観的な存在であり、スキルや知識は、仕事側ではなく労働側の問題であることを認識しておかなければならない。なぜならば、仕事がそのようなものであるからこそ、仕事を生産的なものにすることに体系的に取り組むことができるからである。

           『マネジメント(上)』p251より引用


 私たちは「仕事」と「労働」をあまり区別することなく使っていますが、この二つの言葉は意味が全く違います。
 仕事とは客観的な存在であり、論理的に組み立てることが出来るものです。分析、統合、管理の対象です。
 一方、労働とは労働者に属するものであります。その労働者が未熟練であったり、熟練であったりするのは、こちら側の側面です。

 発生している問題が、仕事の問題なのか、労働の問題なのかをはっきりさせない限り、解決をすることは出来ません。
 仕事を分解し、分析し、統合し、管理することで、仕事の生産性を上げることが出来ます。その仕事に取り組む労働者が熟練なのか、未熟練なのか、勤勉なのか、怠慢なのかということは、これとは別の問題であるわけです。労働者を教育し、さまざまなことが出来るようにすることは重要ですが、仕事が生産的でない限り、成果は上がらないということになります。

 当社はコロナ禍の影響による行動様式や生活スタイルの変化を受けて、営業内容を転換しております。みなさまには大変ご迷惑をおかけいたしますことをお詫び申し上げます。

 日に日に平和でみんなが幸せな世の中になっていきますように。今月もよろしくお願いいたします。

 


 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 11:01  | ドラッカー

必要条件としての利益

2022年06月11日

 入梅とともにはっきりしない天気が続いております。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 このブログではドラッカーの『マネジメント』を読んでおります。前回は「八つの目標」のうち「社会的責任」についてご紹介しました。。

 八つの目標
 (1)マーケティング
 (2)イノベーション
 (3)人的資源
 (4)資金
 (5)物的資源
 (6)生産性
 (7)社会的責任
 (8)必要条件としての利益

 今回は「必要条件としての利益」の部分を読んでみます。

 利益とは企業存続の条件である。利益とは、未来の費用、事業を続けるための費用である。 諸々の目標を実現するうえで必要な利益をあげている企業は、存続の手段をもっている企業である。諸々の目標を実現するうえで必要な利益に欠ける企業は、限界的な危うい企業である。

 それら七つの領域における目標達成に必要な利益とは、企業がその社会的かつ経済的機能を果たすうえで必要とする利益でもある。
 (1)事業の継続に伴うリスクをカバーする。
 (2)雇用を創出する。
 (3)イノベーションを行い経済発展の担い手となる。

 もちろん利益計画の作成は必要である。しかしそれは、無意味な常套語となっている利潤極大化についての計画ではなく、利益の必要額についての計画でなければならない。ただしその必要額は、多くの企業が実際にあげている利益はもちろん、その目標としている極大額をも大きく上回ることを知らなければならない。           
 
                    『マネジメント(上)』p148より引用

 
 当然のことですが、上場している企業は株主を見ていますから、利益額を経営の目標に組み込んでいます。このドラッカーの文章を読んで、企業が利益を目標にして何が悪い!と思われる方も多いでしょう。
 日本の中小企業のは株主と経営者が同じであることがほとんどで、その場合、経営者が株主の顔色を窺うということがありません。「顧客の創造」のために、経営者(=株主)は自由に経営ができます。日本の中小企業がドラッカーと親和性が高い所以です。

 ドラッカーは利益を否定しているわけではありません。利益の最大化を目標にしてはいけないのです。「利益は企業存続の条件である」ということになります。

 企業存続の条件とは八つの目標のうち「必要条件としての利益」を除く七つの目標を達成するために必要な経費を確保するための利益ということになります。利益は最大化することを目標にするのではなく、必要額を確保する目標を立てるということになります。

 それなら少しだけ利益があればいいのか?ということになりますが、引用しました文章にありますように、その金額は一般に考えられている金額よりもずっと大きなものであるということです。
 ドラッカーは、具体的な金額や売上高に対する比率は示していませんが、(1)~(7)を達成するために必要な金額と言えば、どの企業にとってもかなり大きな金額になることはご想像して頂けるかと思います。

 すべてのみなさまが日に日に少しずつ幸せになっていきますように。今月もよろしくお願いいたします。

 


 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 17:20  | ドラッカー

社会的責任に目標を設定する

2022年05月20日

 信州も若葉が萌え少しずつ初夏の雰囲気を感じます。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 このブログではドラッカーの『マネジメント』を読んでおります。前回は「目的とミッション」の章から体系的廃棄をご紹介しました。今回は「目標」についてです。

 目標は次の八つの領域において必要とされる。

 (1)マーケティング
 (2)イノベーション
 (3)人的資源
 (4)資金
 (5)物的資源
 (6)生産性
 (7)社会的責任
 (8)必要条件としての利益

 これらの領域についての目標が五つのことを可能にする。事業の全貌の把握、個々の活動のチェック、とるべき行動の明示、意思決定の評価、現場での活動の評価と成果の向上である。
 
 目標は絶対のものではない。方向づけである。命令されるものでもない。自ら設定するものである。未来を定めるためのものでもない。未来をつくるために、資源とエネルギーを動員するためのものである。

       『マネジメント(上)』第8章「目標」p130-133より抜粋して引用


 ご覧のようにドラッカーは「社会的責任」を目標に掲げています。

 「企業の目的は顧客の創造である」というのはドラッカーの有名な言葉ですが、顧客が喜ぶなら何をしてもいいのか?という疑問があるかと思います。

 ベストセラー書『ホモデウス』には、次のような逸話が載っていました。

 スウェーデンのウプサラ大学で遺伝子学を研究しているレイフ・アンダーソン教授は、乳房が重いためろくに歩くことのできない牛や、特別に肉付きが良いために立ち上がることさえできないニワトリを、遺伝子操作により開発したそうです。これらの遺伝子操作は動物たちに大きな苦しみを生むのではないか?との問いに対して、アンダーソン教授は次のように答えています。

 「もとをたどれば、すべては個々の消費者にたどり着きます。消費者が肉にいくら払う気があるかという疑問に……現在の世界的な肉の消費レベルは、[能力を強化された]現代のニワトリ抜きではとうてい維持できないだろうことを、思い出さなければなりません……消費者が私たちにできるかぎり安い肉だけを求めていたら──消費者はそれを手にすることになるのです……消費者は自分にとって何がいちばん重要かを決める必要があります──価格か、何かそれ以外のものなのかを」

                     『ホモデウス(下)』より引用


 消費者が望んでいるものを実現させるのが科学だと言わんばかりです。

 私(昭和42年生まれ)は子供の頃、目的に向かって頑張ることは、ほめられこそすれ、非難されるものではありませんでした。
 
 しかし、そのがんばる体質が、倫理観や哲学を後回しにしてしまいます。そして、数値目標を絶対に達成する、という個人や組織の達成欲を満たすためだけのものに歪曲されてしまうことがあります。
 
 ドラッカーが目標に「社会的責任」を加えたのは、目的のためになんでもやってしまう恐れのある現代経営に警鐘を鳴らしていたものと言えましょう。

 一刻も早く世界に平和が訪れますことを祈念しております。今月もよろしくお願いいたします。

 


 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 12:46  | ドラッカー

体系的廃棄とは?

2022年04月07日

 上田城の桜も週末には見ごろとなりそうです。す。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 前回のブログからドラッカーの『マネジメント(上)』の「目的とミッション」を読んでいます。ここに「体系的廃棄」という概念が出てきます。どのような意味でしょうか?「体系的廃棄」について、ドラッカーの著作からいくつかの文章をご紹介します。

 新事業への参入の開始と同じように重要なこととして、事業の目的とミッションに合わなくなったもの、顧客に満足を与えなくなったもの、業績に貢献しなくなったものの体系的な廃棄がある。

     『マネジメント(上)』第7章「目的とミッション」p121-122より引用


 集中のための第一の原則は、生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手をつけるか」を問うことである。答えが無条件のイエスでないかぎり、やめるか大幅に縮小すべきである。もはや生産的でなくなった過去のもののために資源を投じてはならない。第一級の資源、特に人の強みという稀少な資源を昨日の活動から引き揚げ、明日の機会に充てなければならない。    
  
                『経営者の条件』 p142より引用


 つまるところ、成果をあげる者は、新しい活動を始める前に必ず古い活動を捨てる。肥満防止のためである。組織は油断するとすぐ体型を崩し、しまりをなくし、扱いがたいものとなる。人からなる組織も、生物の組織と同じようにスマートかつ筋肉質であり続けなければならない。        
              
                『経営者の条件』 p145より引用


 古いものの計画的な廃棄こそ、新しいものを強力に進める唯一の方法である。アイデアが不足している組織はない。創造力が問題なのではない。せっかくのよいアイデアを実現すべく仕事をしている組織が少ないことが問題である。みなが昨日の仕事に忙しい。

                『経営者の条件』 p146より引用

 
 「体系的廃棄」はドラッカーの言葉として有名です。かっこいい言葉である反面、意味が分かりづらいです。
 原書を読むと「体系的廃棄」を意味する"systematic abandonment"という言葉も出てきますが、節の題名は「体系的廃棄」(the need for planned abandonment)でありまして、その” planned abandonment"の方がドラッカーの意図するところではないか、と私は思いました。
 であるならば「体系的廃棄」ではなく「計画的廃棄」としてもよいわけです。また、事業については、廃棄という言葉がそぐわないなら、撤退と置き換えて「計画的撤退」としてもよいと思います。
 
 一般的に、新しい事業を検討する際には計画的、体系的に考えますが、廃棄または撤退することについては、あらかじめ計画をもつことはありません。困りに困ってようやく撤退というケースもあると思います。

 ドラッカーは廃棄、撤退も体系的、計画的に行うべきであると言います。廃棄、撤退を実行しない限り、新しい事業に移ることが出来ませんし、組織の足を引っ張る事業が亡霊のようにいつまでも残ってしまう事になります。「○○になったら、撤退する」「売上○○円に到達しなければ撤退する」というような条件を予めて決めておくということです。

 そういう私もコロナ禍で複数の店舗を閉店し撤退しております。いま考えると、コロナ禍になる前に、撤退すべき案件でありました。これからも「撤退するか?それとも続けるか?」という事態に直面するでしょうが、「まだやっていなかったとして、今これに手をつけるか?」という問いかけを自分にしたいと思います。

 地震、戦争などが終息し、世界に平和が訪れますことを祈念しております。今月もよろしくお願いいたします。

  


 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 10:56  | ドラッカー

われわれの事業はなにか

2022年03月01日

 太陽が少し高くなって、だんだんと春めいてきたように感じています。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 このブログでは、P.F.ドラッカーの著作『マネジメント』を読んでいます。
 前回のブログでは、顧客の創造のため二つの機能のうちのひとつ、「イノベーション」についてご紹介しました。今回は『マネジメント』第7章「目的とミッション」を読んでいきます。 

 メディチ家、イングランド銀行の創立者からIBMのトーマス・ワトソンにいたるまで、偉大な事業の建設者は、自らの決定と行動を規定する明確な事業の定義をもっていた。ひらめきに頼ることなく、明確でシンプルな事業の定義をもつことは、自らが財をなすだけでなく、自らの亡きあとも成長を続ける組織を築きあげるという真の企業家の特徴である。
 
     『マネジメント(上)』第7章「目的とミッション」p91より引用


自らの事業を定義するために、ドラッカーは次のように問いかけます。

 われわれの事業は何か
 顧客は誰か
 顧客にとっての価値は何か
 われわれの事業は何になるか
 われわれの事業は何であるべきか

 『マネジメント(上)』第7章「目的とミッション」p91-122より抜粋して引用


 一人で事業をして、一代で事業を終えるのなら、自らの事業の目的やミッションを考える必要はないでしょう。
 しかし、企業は人間の一生を超えて存続していきます。企業(組織)の目的がなければ、企業としてまとまるよりどころがありません。目の前の仕事でいっぱいになっている社員に、将来の夢を抱かせることができません。
 企業の目的がはっきりしていなければ、新しく発生する事象に左右されることになるでしょう。外部環境が変わったときには、成り行きに任せることになり、自社を正しい方向へ変えることが出来なくなります。
 
 この章に示されている一つの事例をご紹介します。
 1930年代の大恐慌の頃、GMのキャデラック事業の責任者を任されたニコラス・ドレイシュタットは「キャデラックの顧客は誰か?」と問い直しました。そして「われわれの競争相手はダイヤモンドやミンクのコートである。顧客が購入しているのは、輸送手段ではなくステータスである」と考えつきました。こうして、当時のシボレー、フォード、フォルクスワーゲンと差別化したキャデラックは成長事業へと変身したそうです。
 
 企業のマネジメントは、気を抜くと、短期的な結果を求めるようになってしまいます。哲学や理念よりも、儲かることの方が大事だ、と勘違いし、そちらに向かって走っていってしまいます。コンプライアンス、良心、生き方などは二の次になってしまうのです。したがって、あらかじめ、自社の存在意義を見つめ直し、揺るがない信念として、心に留めておくことは大変重要であります。

 みなさま全員が日に日に幸せになっていくことを祈念しています。今月もよろしくお願いいたします。

  


 参考文献:
 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 10:00  | ドラッカー

マーケティングとは?

2022年01月01日

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
 コロナ禍のなか、昨年は大変お世話になりました。誠にありがとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 このブログでは、P.F.ドラッカーの著作『マネジメント』を読んでいます。
 前回は「顧客の創造のために企業はマーケティングとイノベーションの二つの機能をもつ」というドラッカーの言葉を紹介しました。マーケティングとイノベーションとはいったい何のことでしょうか?

 今回はドラッカーの「マーケティング」についてご紹介します。

 真のマーケティングは、シアーズが顧客の人口構造、顧客の現実、顧客のニーズ、顧客の価値からスタートしたように、顧客からスタートする。「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」を考える。「われわれの製品やサービスにできることはこれである」ではなく、「顧客が見つけようとし、価値ありとし、必要としている満足はこれである」という。
 実のところ、販売とマーケティングは逆である。同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない。
 何らかの販売は必要である。しかし、マーケティングの理想は販売を不要にすることである。マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、顧客に製品とサービスを合わせ、自ら売れるようにすることである。 

        『マネジメント(上)』第6章「企業とは何か」p76より引用 



 ドラッカーのマーケティングとは、自社のお客さまをよく見極め、そのお客さまがどうされたいのか?どうなりたいのか?という状態を実現することだ、と言えます。別の言い方をすれば、お客さまの望む状態を実現することがマーケティングの目標であると言ってもいいかもしれません。
 もしお客さまがそのような状態になられたとしたら、営業することも販売することも必要がなく、お客さまは自ら喜んで製品を買ってくださるのです。
 このことは、企業だけに限った話ではありません。岩崎夏海さんの小説『もしドラ』では、高校の野球部の顧客を応援してくれる父母や観客と定義しました。病院、宗教団体、ロータリークラブなどいかなる組織でも顧客を定義することは出来ます。ドラッカーには『非営利団体の経営』という書籍もあります。
 次回は企業のもう一つの機能「イノベーション」の意味について、深めていきたいと思います。

 末筆ながら、みなさまのご多幸、ご健勝、そして、本年が明るく豊かな一年でありますことを心より祈念しております。

  


 参考文献:
 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 09:00  | ドラッカー

ただ二つだけの企業家的な機能

2021年12月08日

 師走を迎え、ますますお忙しくお過ごしのことと存じます。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 コロナ禍のなか、一年間ご愛顧いただきましたこと、心より御礼を申し上げます。誠にありがとうございます。

 このブログでは、P.F.ドラッカーの著作『マネジメント』を読んでいます。前回は「顧客の創造」(to create a customer)について、お客さまと向き合い、お客さまの望む状態を実現していくことである、という私の考えをご紹介しました。
 では、企業は顧客の創造のためにいったい何をすればいいのでしょうか?続きの部分を読んでみます。

 企業の目的は顧客の創造である。したがって、企業は二つの、ただ二つだけの企業家的な機能をもつ。それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。他のものはすべてコストである。
 
        『マネジメント(上)』第6章「企業とは何か」p74より引用 


 ドラッカーは、顧客の創造のために、企業は二つの機能をもっている、といいます。それはマーケティングとイノベーションです。それら二つ以外はコストであると言い切っています。

 マーケティングとイノベーション、いずれも日本語になっていてよく聞く言葉ですが、説明するとなるとなかなか難しいのではないのではないでしょうか。
 
 二つの言葉について、リーダーズ英和辞典を調べますと、次のように書いてあります。

 marketing
 1.市場での売買、市場への出荷、マーケティング
 2.市場での売り物(買物)、家庭用品などの買物

 innovation
 革新、刷新、新機軸、イノヴェーション、新制度、新奇な事

 marketingの和訳はマーケティング、innovationの和訳はイノベーションなのです。これらの翻訳では、これらがどうして「顧客の創造」と関係してくるのか分かりませんね。
 
 次回以降は、ドラッカーのいうマーケティングとイノベーションの意味について、深めていきたいと思います。

 末筆ながら、コロナが消えた豊かで明るい未来を描きつつ、みなさまのご多幸、ご健勝を祈念しております。どうぞ良いお年をお迎えください。

  


 参考文献:
 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 17:09  | ドラッカー

Create a customer

2021年11月01日

 秋も一段と深まってまいりました。コロナ禍の中ではありますが、秋の旅行シーズンもピークとなり、人の動きが増えているようです。
 みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 このブログでは、ただいまP.F.ドラッカーの著作『マネジメント』を読んでいます。先月のブログでは「顧客の創造」(to create a customer)について、ご紹介しました。続きの部分を読んでみます。

 市場をつくるのは、神や自然や経済ではなく企業である。企業が満足させようとする欲求は、顧客がそれを満たす手段の提供を受ける前から感じていたものかもしれない。飢饉における食物への欲求のように、生活全体を支配し、人にそのことばかり考えさせていた欲求かもしれない。しかしそれでも、有効需要に変えられるまでは、潜在的な欲求であったにすぎない。有効需要に変えられて初めて、顧客と市場が誕生する。 欲求が感じられていなかったこともある。
 コピー機やコンピュータへの欲求は、それらのものが手に入るようになって初めて生まれた。イノベーション、信用供与、広告、販売活動によって欲求が創造されるまで欲求は存在しなかった。顧客を創造するものは、常に企業である。

        『マネジメント(上)』第6章「企業とは何か」p73より引用


 顧客の創造とは、一人一人の人間に注目し、お客さまがかなえてほしいと願っている需要や願望にお応えすることを意味しているのではないでしょうか。それはお客さまご自身が明確に想像できていて、説明できる商品・サービスかもしれませんし、本人でさえ全く想像がついていない商品・サービスかもしれません。

 おなかがすいた、というはっきりした需要に、レストランで食事を提供する、コンビニでおにぎりを販売する、という見える形でお応えするのも顧客の創造ではありますが、お客さまがまだ気がついていない便利な商品やサービスを作り出し、お客さまにご満足いただける状態をつくりだすも顧客の創造であるのです。

 コピー機やコンピュータはそれができて使ってみるまで、どんなに便利なものなのか誰も知らかったのです。私も中学生の頃はコンピューターとは何なのか全く知りませんでしたし、インターネットの仕組みなど頭の片隅にもありませんでした。

 企業の努力(イノベーションとマーケティング)により、便利な商品、サービスが発明されると、これを便利だと思うお客さまが次々に購入します。そして、世界中に広がっていき、世界を豊かにします。このようなことが出来るのは、企業がお客さまの一人一人にしっかり向き合って、お客さまの願望を解決しようと努力を積み重ねてきたからにほかなりません。これが create a customerの意味であると思っています。
 
 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。

 末筆ながら、コロナ禍が一刻も早く終息し、安心で豊かな社会が戻りますことを、みなさまのご多幸、ご健勝を祈念しております。

  


 参考文献:
 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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 米津仁志 at 10:00  | ドラッカー

企業の目的は外部にある

2021年10月01日

 信州の神無月はしっとりした雨降りで始まりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 このブログでは、P.F.ドラッカーの著作を読んでいます。先月のブログで「利益は企業の目的ではない」という文章をご紹介しました。

 では、企業の目的とは何なのでしょうか? 

 ドラッカーの『マネジメント(上)』第6章の「企業とは何か」p73より引用します。

 企業とは何かを知るには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、それぞれの企業の外にある。企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的の定義は一つしかない。それは顧客の創造である。

              『マネジメント(上)』 p73より引用


 「企業の目的は外にある」とはどういう意味でしょう?もしも企業の目的が企業の内部にあるのなら、自社だけが儲かればいいという考え方になってもおかしくありません。経営者は自社だけが良くなることを考え、特に、自分だけが得をすることを考え、社会やお客さまのことを考えなくなります。
 社員は内部が大事だと考えれば、お客さまよりも企業の内部にいる上司や社長を喜ばせるような行動をとるようになるでしょう。ですから、ドラッカーは企業の成果は外部にあると言ったのです。
 ドラッカーは、企業は社会の一機関であり、社会にとって有用な存在であると認められてようやく存在が許されているのだ、と言います。ですから、企業の目的は社会になくてはならない。それは顧客の創造である、といいます。

 「顧客の創造」とは何でしょうか?この言葉だけを見ると、営業回りや販売促進をしてお客さまを増やすことが企業の目的なのだろうか?と思ってしまいます。

 原書を見ると「顧客の創造」はto create a customerとなっています。日本語の翻訳文では分からなかったのですが、英語では顧客が単数形になっています。a customer つまり、たった一人のお客さまを創るというのです。

 原書をご紹介します。

 To know what a business is we have to start with its purpose. Its purpose must lie outside of the business itself. In fact, it must lie in society since business enterprise is an organ of society. There is only one valid definition of business purpose: to create a customer.

       "Management Tasks,Responsibilities,Practices" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books


 この続きは来月検討してまいります。
 
 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。

 末筆ながら、コロナ禍の早々の終息とみなさまのご多幸、ご健勝を祈念しております。

  


 参考文献:
 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

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