入梅間近となり、不安定な天気が続いております。みなさまお元気でお過ごしでしょうか。
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今回は、ドラッカーの有名な問い「何によって憶えられたいか」をご紹介したいと思います。
私が13歳のとき、宗教の先生が「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。すると、「答えられると思って聞いたわけではない。でも五〇になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ」といった。
長い年月が経って、私たちは六〇年ぶりの同窓会を開いた。ほとんどが健在だった。あまりに久しぶりのことだったため、初めのうちは会話もぎこちなかった。
すると一人が、「フリーグラー牧師の問いのことを憶えているか」といった。みな憶えていた。ある者は四〇代になるまで意味がわからなかったが、その後、この問いのおかげで人生が変わったといった。二五くらいになってから考え始めたという者も何人かいた。
二〇世紀最高の経済学者ジョセフ・シュンペーターは二五のとき、ヨーロッパ一の馬術家、ヨーロッパ一の美人の愛人、偉大なる経済学者として憶えられたい、といった。しかし、亡くなる直前の六〇の頃、同じ問いを再びされたときには、馬のことも女性のことも言わなかった。インフレの危機を最初に指摘した者として憶えられたいといった。事実、彼はそのように憶えられた。それこそ憶えられるに値することだった。
今日でも私は、いつもこの問い「何によって憶えられたいか」を自らに問いかけている。これは自己刷新を促す問いである。自分自身を若干違う人間として、しかしなりうる人間としてみるよう仕向けてくれる問いである。
P.F.ドラッカー『非営利組織の経営』p219-220より引用
私がこの書籍を読んだのはもう10年以上前のことです。
そして、年齢も50歳をとうに過ぎ、60歳が近くなっています。
「何によって憶えられたいか?」という問いは、自分に何か秀でたものがあるのか、人と比較するための問いではないと思います。
自分がやってきたことの中で、憶えていてほしいことがあるなら、それが人のためになったことでしょうし、自分の好きなことでもあるはずです。それが憶えられたいことです。
私のことを考えると、これというのはあるのですが、これは憶えられたいが、まだ憶えられれてはいないなー、ということもあります。
なりたい、なりうる人間になれていないのです。
活動量を増やそう、という気持ちになりました。
いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0081M7YFS/ref=nosim?tag=shachouinshin-22
"The Practice of Management" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
https://www.amazon.co.jp/dp/B003F1WM8E/ref=nosim?tag=shachouinshin-22
Hitoshi Yonezu at 14:23
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