さくらんぼの季節となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、このブログではドラッカーの『マネジメント(中)』を読んでいます。今回は「第36章 成果中心の精神」の「真摯さ」(Integrity, the Touchstone)の節からご紹介します。
以下、p109-110の本文を編集して引用します。
真摯さ(integrity)を絶対視して、初めてマネジメントの真剣さが示される。それは人事に表れる。リーダーシップが発揮されるのは、真摯さによってである。範となるのも、真摯さによってである。真摯さは、取って付けるわけにはいかない。
真摯さはごまかせない。ともに働く者、特に部下には、上司が真摯であるかどうかは数週でわかる。無能、無知、頼りなさ、態度の悪さには寛大になれる。だが真摯さの欠如は許さない。そのような者を選ぶ者を許さない。真摯さを定義することは難しい。しかし、マネジメントの地位にあることを不適とすべき真摯さの欠如を明らかにすることは難しくない。
①人の強みよりも弱みに目のいく者をマネジメントの地位に就けてはならない。
②マネジメントたる者は実践家でなくてはならない。評論家であってはならない。
③何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心をもつ者をマネジメントの地位に就けてはならない。
④真摯さよりも頭のよさを重視する者は、マネジメントの地位に就けてはならない。
⑤できる部下に脅威を感じることが明らかな者も、マネジメントの地位に就けてはならない。
⑥自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネジメントの地位に就けてはならない。
いかに知識があり、聡明であって、上手に仕事をこなしても、真摯さに欠ける者は組織を破壊する。
このことは特にトップマネジメントについていえる。しかも、組織の精神はトップで形成される。組織が偉大たりうるのはトップが偉大なときだけである。組織が腐るのはトップが腐るからである。「木は梢から枯れる」との言葉どおりである。したがって、範とすることのできない者を高い位置に就けてはならない。
『マネジメント(中)』第36章「成果中心の精神」
p109-110より抽出、編集して引用
真摯さ(integrity)は、日本語としては普段はあまり使われることがないと思います。上田先生の翻訳によるドラッカーの言葉として大変有名になりました。
しかし、真摯さとは何か?と聞かれると、なかなか答えづらいと思います。
『マネジメント』には日経BPから出版されている別の訳書があります。有賀裕子さんが翻訳をされていて、integrityを「高潔さ」と訳されています。
ドラッカーは「真摯さ」は後から身につけることでのできない資質で、この資質がない者をマネジメントにつけてはならない、と述べています。
真摯さに欠けるマネジャーとはどんな人なのか、引用した①~⑥を解説します。自分だったらどうかと考えながら読んでいただくと分かりやすいかと思います。
①ほめることが出来ず、揚げ足取りをして、怒ってばかりいるマネジャーです。素直でないとも言えます。
②行動しないで評論ばかりする人です。
③気に入った部下や好きな部下をえこひいきするマネジャーや有名人や他人の言うことを盲信するマネジャーです。
④頭がよいことよりも誠実な人柄が大切だということです。
⑤将来自分を追い越す恐れのある優秀な部下を蹴落とそうとする人です。
⑥自分の出来る範囲、やりやすい範囲で考えてしまう人です。これでは企業は伸びません。
真摯さに欠ける者(高潔さに欠ける者)が社長だったら、組織が破壊されます。真摯さに欠けるマネジャーも然りです。耳が痛い言葉です。
ご覧いただきありがとうございました。みなさまどうぞご自愛ください。今月もどうぞよろしくお願いいたします。
参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)

Hitoshi Yonezu at 12:05
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