報告と手続きは道具である

2018年08月01日

 残暑お見舞い申し上げます。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
 
 さて、ドラッカーには、体系的廃棄という有名な言葉があります。ことほど左様に、ビジネスでは無駄なことやものが増えていき、行き場を失い、仕事の進行を妨げているのです。何かのきっかけで始められた仕事が、不要な状況になっても放置され、やみくもに続けられています。特に、報告と手続きは、膨張しやすい仕事と思います。
 
 報告と手続きは道具である。だがこれほど誤って使われ、害をもたらしているものもない。報告と手続きは誤った使い方をされるとき、道具ではなく支配者となる。
 報告と手続きの誤った使い方は三つある。
 第一によく見られる誤りは、手続きを規範とみなすことである。
 第二によく見られる誤りは、手続きを判断の代わりにすることである。
 第三に、最もよく見られる間違った使い方としては、報告と手続きを上からの管理の道具として使うことである。
 
                 『現代の経営(下)』 p183-184より抜粋


 報告と手続きは道具であるはずです。ところが、マネジメントの仕組みを作りすぎて、あるいは、部下を管理するために過剰に課すことによって、報告と手続きが支配者になってしまうのです。
 このようになってしまうのは、経営の分からない人が思い付きや気分でつくるからです。当初は有意義に見えたものでも、後から考えてみると、自分または自部門の仕事を確保するため、利益を優先するため、責任を逃れるため、などの理由が隠れている場合があります。しかも、つくった人が素直でない場合は、過ちを認めたくないが故に、自分では廃棄しません。

 報告や手続きは、重要な領域で成果をあげるうえで必要なものに限定すべきである。すべてを管理しようとすることは何も管理しないに等しい。成果に直接関係ないことを管理することは、人を誤って導く。
   
                        『現代の経営(下)』 p186


 定期的かつ体系的な廃棄に、重要な意義があることが理解できます。

 まだまだ暑い日が続きます。お身体ご自愛くださいませ。いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。

 参考文献:
 『現代の経営(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

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