従業員満足と動機づけ

2017年03月01日

 ようやく春めいてまいりましたが、みなさまいかがお過ごしですか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 人口減少が進むなか、企業における人材確保は大きな問題です。飲食サービスを始め、建設、医療、小売りなどでは深刻な人手不足が続いています。採用に人材が殺到することで知られていた人気のカフェも、いまでは簡単には人材は集まらないと聞きます。

 人手不足といえば従業員満足の話になりますが、ドラッカーは1954年の時点で、すでにこの言葉を否定していました。

 満足は動機づけとして間違っている。満足とは受け身の気持ちである。確かに、強い不満をもつ者は辞めていく。辞めなければ不満をもち続け、企業やマネジメントに背を向ける。しかし、それでは満足な者はいったい何をするか。
 要するに、企業は働く人に対し、進んで何かを行うことを要求しなければならない。企業が要求しなければならないことは仕事であり、受け身の気持ちなどではない。
 今日、従業員満足が関心を集めている理由は、産業社会において、もはや恐怖が動機づけとなりえなくなったからである。しかし、従業員満足に関心を移すことは、動機づけとしての恐怖が消滅したことによってもたらされた問題に正面から取り組まず、横に逃げているにすぎない。今日必要とされていることは、外からの恐怖を仕事に対するうちからの動機に代えることである。ここにおいて意味あるものは満足ではなく責任である。
 他の者が行うことについては満足もありうる。しかし、自らが行うことについては責任があるだけである。自らが行うことについては常に不満がなければならず、常によりよく行おうとする欲求がなければならない。

                『現代の経営(下)』 p160-161より引用 

 
 奴隷制度を持ち出すまでもなく、かつて上司は恐怖によって部下を支配していました。当然ですが、いまでは、恐怖によって人を動かすことはできませんし、やるべきでもありません。かといって、どんなに待遇や職場をよくしても、仕事に対する部下のやる気は続きません。
 企業としてやらなくてはならないことは、社員の力の源を「内面からの動機」に変えていくことです。社員としては、自分で決めて自ら口にしたことは、自分で解決しなくてはならないわけで、責任が発生します。これが本来の自己目標管理であるわけです。逆にいいますと、環境や職場について不平不満を言いたい人は、その前に責任を果たしているかを自問すべきです。

 実は、そもそも働く人が責任を欲しようと欲しまいと関係はない。働く人に対しては責任を要求しなければならない。企業は仕事が立派に行われることを必要とする。もはや恐怖を利用することができなくなった今日、企業は働く人に対し、責任をもつよう励まし、誘い、必要ならば強く求めることによって、仕事が立派に行われるようにする必要がある。

          『現代の経営(下)』 p162より引用


 国内の消費型のビジネスにおいては、高度成長の時代と違って、短期間で売り上げを何倍にも増やすようなことはできにくくなりました。規模の達成感が希薄になったいま、社員としては人の役に立つやりがいのある仕事を担っていくことが、自身の仕事や人生を切り開く原動力になるでしょう。企業としては、そのような価値ある仕事をいかに社員に与えることができるか、です。
 当社も社員たちがお互い家族のように信頼し合いながら、それぞれが責任をもって前進できる組織でありたいと思っています。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。


 参考文献:
 『現代の経営(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

仕事の関係と人間関係

2017年02月01日

 寒中お見舞い申し上げます。
 
 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
 
 昔、小さな規模のお店(会社)は、店主(社長)の 家族や親戚が協力しながらお店を切り盛りしていました。うちもそうでした。家族、親族の人間関係でささやの仕事を担っていました。いまではそのやり方ではとても間に合いません。どのお店も規模の拡大とともに、家業から企業という組織に変わってきました。

 ドラッカーは、現代を「知識社会であり組織社会である」と指摘しましたが、仕事が複雑になり、高度な水準を求められるようになったいま、いろいろな人の力を借りなくては仕事ができなくなりました。

 さまざまな人が集まれば、人間関係が生まれます。

 『現代の経営』には次のように書かれています。
 
 仕事が一人で行うには大きすぎたり複雑で難しい場合には、連続的かつ機械的に結び付けられた個々の人間の仕事ではなく、チームで行う必要がある。ともに働く人は社会的な集団としてのチームを形成する。仕事の関係に重ねて、仕事の関係を超えた人間関係をつくる。
 
               『現代の経営(下)』 p154


 人間はロボットではありませんから、仕事の仲間とはいっても、人間らしい社会的な集団となるわけです。

 その社会的な集団が求めるものと仕事の組織が衝突するとき、犠牲にされるのは仕事のほうである。
 したがって、最高の仕事を組織するための第一の要件は、社会的な集団とその一体性が仕事に直接貢献するようにすることである。少なくとも両者の衝突を避けることである。
   
               『現代の経営(下)』 p154

 
 仕事をする仲間は社会的な集団ですから、少なくともお互いに信頼できなくてはなりません。どんなに仕事ができる集団でも、派閥に分かれていたり、仲が悪くいがみ合っていたりしたら、やがて仕事が犠牲になります。
 仕事の手順をつくるだけでは不十分です。仕事の手順を組み立てるのと並行して、集団をよいチームにつくり上げていくいくことが重要であるわけです。そのために何をするか、ドラッカーは一つの答えを提示しています。

 これを実現するには、チームの仕事を独立したものにする必要がある。すなわち、まとまった仕事、独立した段階としての仕事、しかもスキルと判断についてなにがしかの挑戦の要素を含む仕事にする必要がある。
        
               『現代の経営(下)』 p154


 チームに独立した仕事を与え、挑戦する目標をもたせて、それを達成させていく、という過程がチームのまとまりをつくっていくことになるのです。私は社員、パートナーに多少不器用な面があったとしても、お互い助け合いながら目標の実現に向かっていけるチームであってほしい、と思っています。
 
 まだまだ寒い日が続きます。お身体ご自愛くださいませ。いつもご利用ありがとうございます。

 参考文献:
 『現代の経営(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

未来をつくる

2017年01月03日

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

 昨年は大変お世話になりました。誠にありがとうございます。本年もご愛顧のほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、今年はどのような一年になるでしょうか。世界の政治経済が大きく動いていますから時代の節目となるような象徴的な出来事が起こるかもしれませんね。
 未来についてドラッカーは次のように述べています。

 われわれは未来について、二つのことしか知らない。一つは、未来は知りえない。二つは、未来は、今日現存するものとも今日予測するものとも違う。
 これは、新しくもなければ驚くべきものでもない。だが重大な意味をもつ。
 第一に、今日の行動の基礎に、予測を据えても無駄である。望みうることは、すでに発生したことの未来における影響を見通すことだけである。
 第二に、未来は今日とは違うものであって、かつ予測できないものであるがゆえに、逆に予測できないことを起こすことは可能である。
 
                  『創造する経営者』 p229


 予測できないことを起こすことは可能である・・・・・・気持ちが高まる言葉ですね。
 
 もちろん何かを起こすにはリスクが伴う。しかしそれは合理的な行動である。何も変わらないという居心地のよい仮定に安住したり、ほぼ間違いなく起こることについての予測に従ったりするよりもリスクは小さい。

                  『創造する経営者』 p229


 企業は何をするにも常にリスクとの戦いです。人生にも挑戦することが絶え間なく出てきます。しかし、何もしないよりは何かをするほうが安全なのです。
 ドラッカーは企業家がすべき未来へのアプローチとして、二つの方策を示しました。

 第一に、経済や社会の不連続性の発生とそれがもたらす影響との間の時間的な差を発見し、利用することである。すなわち、すでに起こった未来を予測することである。
 第二に、来るべきものについて形を与えるためのビジョンを実現すること、すなわち自ら未来を発生させることである。

                  『創造する経営者』 p230-231


 「すでに起こった未来」はわれわれの周りにたくさんあります。未来は到来を待つものではなく、自ら発生させるものです。今年も輝かしい未来をつくりましょう。

 みなさまにとってすばらしい一年となりますよう心よりお祈りしております。まだ寒い日が続きます。お身体ご自愛くださいませ。
 
 参考文献:
 『創造する経営者』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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外なる成長と内なる成長

2016年12月01日

 師走を迎え、何かと気忙しい毎日が続いております。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、喫茶店などで熱心に勉強している会社員の方を見かけることがありますが、ほとんどは仕事上の知識や技能を習得しているのだと思います。新人はまずは現場の仕事を覚えなくてはなりません。仕事に関係した研修を受けたり、資格を取得したりするのは当然のことです。

 では、組織において、知識、技能さえ身につければいいのでしょうか。
 
 ドラッカーは次のように述べています。

 自己開発とは、スキルを修得するだけでなく、人間として大きくなることである。おまけに、責任に焦点を合わせるとき、人は自らについてより大きな見方をするようになる。うぬぼれやプライドではない。誇りと自信である。一度身につけてしまえば失うことのない何かである。目指すべきは、外なる成長であり、内なる成長である。

          『非営利組織の経営』 p211より引用


 自己開発はスキルの修得だけはなく「人間として大きくなること」とはっきり書かれています。
 外なる成長とは、知識、技能の取得や経営能力などのこと、内なる成長とは人格、人間性、高潔さ、真摯さなどのことを指していると考えてよいでしょう。いずれも自ら開発していかねばならないことです。
 
 リーダーをリーダーたらしめるものは肩書ではない。範となることによってである。そして最高の範となることが、ミッションへの貢献を通じて自らを大きな存在にし、自らを尊敬できる存在にすることである。

          『非営利組織の経営』 p211より引用 


 組織社会において大きな成果をあげるための一つの道筋は、組織のリーダーになることです。リーダーになるためには仕事ができるだけでは不足で、範となるだけの人間性を備えなくてはならないのです。仕事で問題を起こしたり、生活面での乱れが出てきたりするのは、人間性と関係があるのではないでしょうか。

 マネジメント(マネジャー、経営者)として、知識、技能があるからと満足しているならば、不十分です。それだけでは本当の意味で周りから信頼される存在にはなれないでしょう。人間の器を大きくしていくための挑戦を自らしていかなくてはならないのです。

 今年一年間のご利用に心より御礼を申し上げます。みなさまどうぞよい年をお迎えください。

  参考文献:
 『非営利組織の経営』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

  

  

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生産性の向上と雑事の排除

2016年11月01日

 朝夕の寒気が身にしみる季節となりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、少子高齢化が進む中で、知識労働、サービス労働の労働生産性向上は喫緊の課題と言えます。
 ドラッカーは知識労働、サービス労働の生産性向上について「仕事への集中が最後の条件」であり、そのためには「雑事を排除すること」だと述べています。 

 機会を必要とせず、あるいは機械を必要としても機械に仕えさせている知識労働とサービス労働の場合、成果に貢献しない雑事は、すべて意識的に排除していくことが必要である。さもなければ知識労働者とサービス労働者は脇に逸れ、成果に集中しなくなる。雑事の排除こそが、知識労働とサービス労働の生産性向上の最高の方途である。

        『ポスト資本主義社会』 p114より引用


 雑事とはその人に求められている中心的な仕事ではなく、付帯的な仕事のことです。例えば、医師ならば診察や手術などをすることが本来の仕事ですが、カルテの整理、医薬品の発注などの付帯的な業務が増えていくと、本来の業務のための時間が削がれてしまうことになります。
 最近、大病院では医師の傍らにセクレタリーがいて、診察中にカルテとは別の記録事務を行っています。これなどは雑事を排除している典型的な事例ではないでしょうか。

 知識労働者とサービス労働者のあらゆる活動について、「本来の仕事か」「本来の仕事に必要か」「本来の仕事に役立つか」「本来の仕事がやりやすくなるか」を問わなければならない。答えがノーならば、そのような活動は仕事ではなく雑事にすぎない。独立した別個の仕事にするか、なくしてしまう必要がある。

         『ポスト資本主義社会』 p115より引用

 
 医療の現場では高度に専門的な判断が求められますから、医師には診断や治療に専念してほしいと思います。そのための雑事排除です。
 
 雑事は、本来の仕事の生産性を破壊するだけではない。仕事への動機づけと誇りを台無しにする。

         『ポスト資本主義社会』 p115より引用


 さて問題は、医師同様に知識労働者である経営者の場合です。経営者にとって、まず、どの仕事が本来の仕事か分かりずらいという現実があります。そして分からないまま、あらゆる仕事を引き受けてしまいます。特に自分が得意なことはやってしまいたくなります。
 また仕事に見える雑事として、団体などを通じた社会的な活動や経営者同士の交流があります。社会的な活動は大切だと思いますが、それをどれだけ熱心に行っても、商品やサービスはよくなりませんから、本来の仕事ではありません。

 お客さまにもっと喜んで頂けるように、私は経営者として「本来の仕事」をしなくてはなりません。そのために雑事を見極め、排除していくことです。経営者に課せられた使命であると自戒しております。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。今月もご指導のほどよろしくお願いいたします。

 参考文献:『ポスト資本主義社会』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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マネジャーとは何をする人か?

2016年10月01日

 小春日和のうららかな季節となりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて「マネジャー」とは何をする人だと思いますか?
 ドラッカーは次のように述べています。(経営管理者=マネジャーと考えてください。)

 第二次世界大戦中とその直後、私が初めてマネジメントの研究を始めた頃、経営管理者とは「部下の仕事に責任をもつ者」と定義されていた、いい換えればボスであり、地位と権力を意味した。
 いまなお多くの人たちが、マネジメントというと心に描くであろう定義がこれである。しかし一九五〇年代の初めにはすでに、経営管理者とは「他の人の働きに責任をもつ者」と定義されるようになっていた。しかも今日われわれは、この定義さえあまりに狭義であることを知っている。正しくは「知識の応用とその働きに責任をもつ者」である。
 
        『ポスト資本主義社会』 p59より引用


 何かにつけて激怒するマネジャーはいまでもいると思いますが、恐怖によって人を支配する経営は昔のことになりました。それで経営がうまくいくならある意味簡単ですが、部下を罵倒したところでよくなることはありません。そもそも部下を支配するという考え方は奴隷支配に端を発するものですから、現代に合うはずがありません。

 いまは、知識社会であり、組織社会ですから、どんな仕事をするにも知識のかたまりが必要ですし、部下のみならず横の関係にある人や上司に動いてもらわなければ、仕事は進みません。
 続きの部分をご紹介します。

 このような定義の変化は、知識が中心的な資源と見られるようになったことを意味する。今日では、土地、労働、資本は主に制約条件として重要である。それらのものがなければ、知識といえども何も生み出せないし、経営管理者がマネジメントの仕事をすることもできない。だがすでに今日では、効果的なマネジメント、すなわち知識の知識への応用がなされれば、他の資源はいつでも手に入れられるようになっている。

         『ポスト資本主義社会』 p58-59より引用


 「知識の知識への応用がなされれば、土地、労働、資本という制約条件が解除できる」と見通したところはさすがドラッカーと思いました。
 部下をまとめるとしても、どうしたらみんなが士気高く前向きに動いてくれるかは、知識のなせる技です。お金がないから新規事業ができないということもありません。有望なビジネスモデルを論理的に説明できれば、出資者は集まるはずです。

 こう考えてくると、精神的な圧力によって人を支配するのは、非常に小さくて古臭いことに思えます。他人を精神的に支配したい人は何か別の意図があるのでしょう。
 若者や新人に社会の厳しさを教えることは必要かもしれませんが、もう立派な社会人になった社員をいくら叱っても動きません。もっと大きなところ、高いところから組み立てをして、本人に納得してもらう必要があります。マネジャーは大きな構想をもたなくてはならないのです。

 機械化、IT化がだいぶ進み、いまではAI化に移ってきています。この数年で世の中は大きな変化をするかもしれません。知識を知識に応用するマネジャーの働きがますます期待されています。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。今月もご指導のほどよろしくお願いいたします。

 参考文献:『ポスト資本主義社会』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 


  

  

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生産性向上と仕事の満足

2016年09月01日

 朝夕日毎に涼しくなってまいりました。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、最近は有効な経済政策があまり出てこなくなってきたような気がします。戦後の高度成長を演出した目の覚めるような政策はもう出てこないのでしょうか。ドラッカーは1969年の『断絶の時代』で次のように述べています。

 イノベーションと技術変化の時代にあっては経済政策が難しい。おそらく企業家が行うべきことよりも難しい。特に新しい産業が生まれる時代にあっては、政策が生産資源の移動を妨げることがあってはならない。人と資金は、常に最も生産的な仕事に移動できなければならない。

              『断絶の時代』 p48より引用


 国境を超える場合の制限はまだ多いですね。
 経済活動とは関係がありませんが、リオデジャネイロオリンピックに出場した選手の所属国を見ていましたら、前回のロンドンオリンピックのときとは別の国籍に変更している選手がちらほらいました。条件によっては人は自由に移動しています。
 資金の移動という面では、友人の中で海外でビジネスを行う方が増えてきました。大企業は当然ですが、中小企業においても投資活動が国境を超えることは珍しくなくなってきています。
 
 人の移動の自由は一人ひとりの人間にとって必要である。生産的でない雇用は所得も低い。生産的な仕事への移動を妨げることは、結局は低い所得を押しつけることになる。事実そのような政策は、一人ひとりの人間に対し、失業あるいはその不安をもたらす。

              『断絶の時代』 p48より引用


 新興国の方がさまざまな方法や経路を通じて、生産性の高い我が国のビジネスに関わり始めていることを考えると、人の移動はますます活発化していくのでしょう。

 生産的であれば仕事は楽しく満足も大きい。このことは、生産的な仕事が知識労働となっている今日特にいえる。知識労働では、仕事を楽しみ、かつ仕事に誇りをもちつつ、生計を立てることができる。
  
              『断絶の時代』 p48より引用


 越境するかせざるかに関わらず、生産的な仕事を選択したほうが、働く人は満足し仕事も楽しくなるのです。我が国ではどんな仕事であろうと少なからず知識が必要ですから、働く人にとっては、生産的な仕事を選ぶこと、仕事を生産的にしていくことは大変重要です。

 最近、アマゾン奥地の部族を取材したテレビ番組を見ました。そこで「今の暮らしは幸せか?」という質問に対して「幸せかどうかは分からない」と答えていたのは大変印象的でした。

 自由気ままに暮らしている人を見てうらやましがる構図は表面的であって、本質的ではないかもしれません。生産性を上げるという取り組みは資本家や経営者のためと思われていますが、実は大いに働く人のためでもあるのです。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
 『断絶の時代』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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ミッションと道徳

2016年08月01日

 残暑お見舞い申し上げます。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、ほとんどのみなさまは何らかの形でインターネットの検索機能を使っておられると思います。私も検索をしない日はないといっていいくらい、グーグルを利用しております。
 グーグルは世界で最も働きやすい会社といわれています。『ワーク・ルールズ!』は、その人材採用、育成、評価、チーム作りの方法を教えてくれる本です。グーグルの人事システムを設計した人事担当上級副社長のラズロ・ボックによるものです。

 その中にグーグルのミッション(使命)についての記述がありました。グーグルのミッションは次のようなものです。

 世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする


 一般的な企業のミッション(または経営理念)とは少し違う感じですね。説明を読んでみましょう。
 
 グーグルのミッションは、簡潔である点と、多くのことが話題になっていない点で際立っている。利益も市場も出てこない。顧客、株主、ユーザーにも触れていない。これがわが社のミッションなのはなぜか、これらの目標を追求しているのは何のためなのかもわからない。むしろ、情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることが良いのは自明だと考えられている。
 この種のミッションが個人の仕事に意味を与えるのは、それが事業目標ではなく道徳だからだ。歴史上きわめて大きな力を振るった運動は、そこで求められたものが独立であれ平等な権利であれ、道徳的な動機を持っていた。こうした考え方を拡張しすぎたくはないが、革命を起こすのは利益や市場シェアではなく理念だと言っていいだろう。

               『ワーク・ルールズ!』 p64より引用


 道徳という言葉にびっくりしました。ミッションが道徳とは!!!。しかし、ミッションが道徳だからこそ、グーグルは世界中を突き動してきたのです。

 社員が自社と自分の仕事に自信を持つことができて、社会を動かすようなミッションが企業には必要だということです。それは顧客や事業内容のことを説明するようなものではなく、世界の新しい仕組みを作るような大きなものです。

 ドラッカーでいえば、三つの成果のうち「価値への取り組み」に近いのではないか、と思います。(cf.『経営者の条件』p81)

 私はこの本を読んでから、ずっと考えています。私がわが社の経営を通じて作り上げたい道徳は何なのか・・・・・・???

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
 『ワーク・ルールズ!』 ラズロ・ボック (東洋経済新報社)
 

 『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 


  

  

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江戸時代のドラッカー

2016年07月01日

 暑中お見舞い申し上げます。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて「江戸時代のドラッカー」と呼ばれる人物を、みなさまはご存知でしょうか。

 ドラッカーが活躍した時代(1909~2005)は江戸時代よりもずっと後のことです。親日であったドラッカーですが、生前その人物のことを知っていたどうかは定かではありません。しかし、その人物の文章を読むと、ドラッカーと似ている部分が浮き上がってくるのです。

 その人物とは、石門心学で知られる江戸時代の思想家、倫理学者、石田梅岩(1685-1744)です。

 梅岩の次の文章をご覧ください。

 富の主は天下の人々なり。主の心も我が心と同きゆへに我一銭を惜む心を推て、賣物に念を入れ少しも粗相にせずして賣渡さば、買人の心も初は金銀惜しと思へども、代物の能を以て、その惜む心を自ら止むべし。惜む心を止善に化するの外あらんや。
  
              『都鄙問答』 石田梅岩 (岩波文庫) p26

 
 ・・・富の根源は世の中のお客さまです。心をこめて商品を仕上げ、お客さまにお売りすれば、はじめはお金が惜しいと思っていたとしても、やがてその商品を買ってよかった、と思っていただけるでしょう。・・・

 私なりに意訳しましたが、これはドラッカーの「顧客の創造」と似ているのです。
 
 企業とは何かを知るためには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、それぞれの企業の外にある。企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的の定義は一つしかない。それは、顧客を創造することである。

           『マネジメント エッセンシャル版』 p15

  
 経営(商売)の倫理について、梅岩は次のように述べています。
  
 商人の道を知らざる者は、貪ることを勉めて家を亡ぼす。商人の道を知れば、欲心を離れ、仁心を以て勉め、道に合って栄ゆるを学問の徳とす。
  
          『都鄙問答』 石田梅岩 (岩波文庫) p57


 ・・・経営の倫理を知らない者は、お金を求めるばかりになり、会社を亡ぼすでしょう。倫理を学んで理解できるようになれば、欲求から離れ、仁の心で経営に努めるようになるでしょう。・・・・
 
 経営の倫理的なことについてドラッカーの文章を探すと次のようなものが見つかります。

 マネジメント層が自分たちの誠実さや真剣さを証明するには、最終的には、人間としての高潔さをどこまでも訴えつづけるほかない。

     『マネジメント 務め、責任、実践 Ⅲ』 有賀裕子(訳)p206

 
 しかし経営管理者であるということは、親であり教師であるということに近い。そのような場合、仕事上の真摯さだけでは十分ではない。人間としての真摯さこそ、決定的に重要である。
  
         『現代の経営(下)』 上田惇生(訳) p221


 江戸時代に経営(商売)を説いていた人がいたことに驚きましたし、うれしかったです。
 実は「江戸時代のドラッカー」と聞いて興味がわき、ほうぼうの書籍をひっくり返して調べてみましたが、東洋と西洋という文化の違いがあり、産業革命の前後という時代の違いもあり、同じといえるような文章はありませんでした。これについては少しがっかりしました。考え方が近いということだと思います。
 
 ドラッカーは日本の水墨画を研究し、展覧会を開けるほど膨大なコレクションをもっていました。日本の財閥の起源について言及した文章もあります。もしも石田梅岩を知っていたとしたら、そこに日本的な経営の原点を見たかもしれません。
 
 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
 『都鄙問答』 石田梅岩 (岩波文庫)
 

 『マネジメント 課題、責任、実践(下)』
 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 


 『マネジメント 務め、責任、実践 Ⅲ』
 P.F.ドラッカー(著) 有賀裕子(訳) (日経BP社)
 

 『マネジメント [エッセンシャル版]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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真摯さとは

2016年06月01日

 若葉青葉のみぎり、みなさまいかがお過ごしですか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、このコラムでは何度もご紹介しているドラッカーの「真摯さ」について再考します。(しつこくてすみません。)

 ドラッカーは組織のマネジメントを担うものに欠くべからざる資質として「真摯さ」を挙げました。  

 マネジャーにできなければならないことは、そのほとんどが教わらなくとも学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、初めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。

        『マネジメント[エッセンシャル版]』 p130


 真摯さだけは、身につけておかなければならないのです。子供のころから教育をしておかないと、あとから加えることはできないのです。(こう考えると帝王学の意味があるわけです。)

 真摯さを絶対視して、初めてマネジメントの真剣さが示される。それは人事に表れる。リーダーシップが発揮されるのは、真摯さによってである。範となるのも、真摯さによってである。真摯さは、取って付けるわけにはいかない。

      『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 上田惇生(訳) p109


 少し分かりずらいので、同じ部分を別の翻訳者の訳文で見てみましょう。こちらでは「真摯さ」が「高潔さ」と訳されています。

 マネジメント層が自分たちの誠実さや真剣さを証明するには、最終的には、人間としての高潔さをどこまでも訴えつづけるほかない。これは、「人材」をめぐる判断に何よりも強く表れるはずである。というのも、リーダーシップは人柄を通して発揮される。模範を示し、追随を招くのもまた、人柄なのである。人柄は後天的に変えられるものではない。

      『マネジメント 務め、責任、実践 Ⅲ』有賀裕子(訳) p206


 「真摯さ」とは、人間性が高いこと、信頼できる人間であること、を示しているようですね。いくら仕事ができる人でも、信頼できないならばやがて人はついてこなくなるでしょう。
 『経営者の条件』には次のような文章があります。

 人間性と真摯さは、それ自体では何事もなしえない。しかしそれらがなければ、ほかのあらゆるものを破壊する。したがって、人間性と真摯さに関わる欠陥は、単に仕事上の能力や強みに対する制約であるにとどまらず、それ自体が人を失格にするという唯一の弱みである。
 
             『経営者の条件』 p120


 ドラッカーは、人間性と真摯さに関わる欠陥は、人として失格になる、とまで強調しています。

 かつて企業では数字をあげればすべてのマイナスがかすんでしまうような風潮がありました。私も若かりし頃そんな場面を見たことがあります。
 経営者としては数字に目がくらんで、ぶれてしまってはいけないところです。長期的な人間関係においては、必ずどこかでその人物の人間性が顔を出すでしょう。仕事の成果をみるときには、そのプロセスや人間性の成長を見なくてはなりません。
 
 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:
 『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『マネジメント 務め、責任、実践 Ⅲ』 P.F.ドラッカー(著) 有賀裕子(訳) (日経BP社)
 

 『マネジメント [エッセンシャル版]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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チェンジ・エージェントたれ

2016年05月02日

 若葉萌ゆるよい季節となりました。みなさまいかがお過ごしですか。
 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、早いもので北陸新幹線延伸から一年が経ちましたね。子供のころ金沢へ行ったことはありませんでしたが、上田駅で金沢行きの特急白山号の勇姿を見かけては、遠いところまで行くんだなあ、と思っていました。それがいまでは日帰りもできるようになりました。

 昔のことを思い出しますと、時代の移り変わりがよく分かります。これからも知らず知らずのうちに、まだまだと思っていたことがどんどん進んでいって、世の中は大きく変わっていくのだろうと考えています。

 組織においては、変えられるのを待つのではなく、自ら変えていくことが求められます。ドラッカーは『ネクスト・ソサエティ』において次のように述べています。

 組織が生き残りかつ成功するためには、自らがチェンジ・エージェント、すなわち変革機関とならなければならない。変化をマネジメントする最善の方法は、自ら変化をつくりだすことである。
 経験の教えるところによれば、既存の組織にイノベーションを移植することはできない。組織自らが、全体としてチェンジ・エージェントへと変身しなければならない。
                 『ネクスト・ソサエティ』 p63より引用


 組織は外部からの刺激によって変化させられるのを待つのではなく、チェンジ・エージェント(変革機関)となって、自ら変化を起こしていかねばならないのです。

 そのためには、第一に、成功していないものはすべて組織的に廃棄しなければならない。第二に、あらゆる製品、サービス、プロセスを組織的かつ継続的に改善していかなければならない。すなわち日本でいうカイゼンを行わなければならない。第三に、あらゆる成功、特に予期せぬ成功、計画外の成功を追求していかなければならない。第四に、体系的にイノベーションを行っていかなければならない。
                 『ネクスト・ソサエティ』 p63より引用


 変革の第一は自ら廃棄することです。新しいことを始めるには大きな力が必要ですが、廃棄については、力というよりも意思決定が問題になるでしょう。廃棄するという決断ができるかどうか、です。
 廃棄することができない理由としては、少ないながらに売り上げがある、求めてくださるお客さまがいる、思い入れがある、などでしょう。忍び難いことではありますが、短期的な視点や感情的な要素も入り混じっています。

 チェンジ・エージェントたるための要点は、組織全体の思考態度を変えることである。全員が、変化を脅威でなくチャンスとして捉えるようになることである。
                 『ネクスト・ソサエティ』 p63より引用


 長年にわたり当社の経営を担ってきた父や母と話してみると、私以上に捨てられないものが多いようで、その気持ちも少し分かります。私も年をとればとるほど捨て難い傾向になるかもしれません。情と理の釣り合いをとりながら、廃棄を進めていくつもりです。  

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
 
 参考文献:『ネクスト・ソサエティ』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

ワンマンか?チームか?

2016年04月01日

 吹く風も柔らかな季節となりました。みなさまいかがお過ごしですか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である」と言ったのは、経営コンサルタントの故一倉定先生でした。
 この言葉を初めて聞いたときにはとても衝撃的でした。お亡くなりになってもう十五年以上になりますが、いまでも一倉先生を慕う経営者は多いと聞きます。

 最近、私もその教えに触れる機会に恵まれ、それをきっかけに先生の御本を読み返してみました。社長だけを対象とするコンサルタントとおっしゃるだけあって、社長の仕事には大変厳しいです。

 会社がつぶれたときの責任は、明らかに「社長ただ一人」にある。
 社会のすべての批判は、文字通り「社長だけ」に集中する。副社長や専務が責任を追及されることは絶対にない。
 文字通り「ワンマンの責任」なのである。このような意味合いからも、”ワンマン経営”が正しいのである。
 このことを知っておれば、心ない人々が「あの人はワンマン社長だ」などという言葉が、いかに誤っているか分かるはずである。
 合議制、民主経営などということはまったくの誤りで、「ワンマン経営」以外はありえないのである。

              『経営の思いがけないコツ』 p190より引用

 
 ワンマン社長というと、わがままな振る舞いをする社長のイメージがありますが、本来はこの意味でワンマンであるべきなのですね。

 何事も部下に相談し、会議で決めるというようなことは、厳しい現実に対しては、決して正しいことではない。
 部下に相談したくてもできない、会議にかけたくてもかけられない、ということもある。それらのことは、それが重要なことであればあるほど起こる可能性が高いということを、社長以外の人々は心得ていなければならないのだ。
 何事も部下に相談するというのは、”管理”に関することであって、”経営"にはまったく当てはまらないのである。

              『経営の思いがけないコツ』 p191より引用

 
 誰にも相談できないことを抱えている、ということについてはその通りだと思います。社長はいつも孤独です。

 P.F.ドラッカーは、ワンマン経営には否定的でした。ヘンリー・フォードの失敗を見たからです。フォードは他人がマネジメントの一員たることを許さず、経営管理者抜きでマネジメントをしました。そして、社内に目を光らせる秘密警察的な組織をつくるまでになります。ドラッカーは、チームによるマネジメントの必要性を説いています。

 ワンマン経営か、チームによるトップマネジメントか、これらは相対する考え方のように見えますが、同列にとらえるものではなく、どちらかを選ぶようなものでもないと考えます。ワンマン経営とトップマネジメントチームについて、自社らしい組み込みが必要です。

 当社には経営会議という名のトップマネジメントチームがあり、重要な機能です。しかし、最後は私の決断です。会社経営は少なくとも民主主義ではありません。

 一倉先生のご本には、ある社長の言葉として「独裁すれども独断せず」とありました。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。

 
 参考文献:
 『経営の思いがけないコツ』 一倉定 (日本経営合理化協会出版局)
 

 『一倉定の経営心得』 一倉定 (日本経営合理化協会出版局)
 

 『現代の経営(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

人間的な真摯さ

2016年03月01日

 日増しに暖かになりましたが、みなさまいかがお過ごしですか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 最近、国民的な人気を誇っていたタレントや将来を嘱望された若手国会議員が、私的な行動で不祥事を起こし、大きな話題となりました。

 犯罪ではないかもしれませんが倫理的な問題です。これだけ大きな話題になるのは、社会的に重要な地位にある人物に対して、国民が崇高な姿を思い描き、立場にふさわしい行いを求めているからだと思います。

 企業内における経営管理者の立場について、ドラッカーは次のように述べています。

 経営管理者は部下とともに生き、部下の仕事を決め、部下を方向づけし、部下を訓練し、部下の成果を評価し、しばしば部下の将来を左右する。商人とその顧客、自由業者とその顧客の間に必要とされているものは、仕事上の真摯さにすぎない。
 しかし経営管理者であるということは、親であり教師であるということに近い。そのような場合、仕事上の真摯さだけでは十分ではない。人間としての真摯さこそ、決定的に重要である。

            『現代の経営(下)』 p221より引用 

 
 商取引で求められる真摯さと、上司と部下との関係において求められる真摯さは同じものではありませんでした。上司と部下との関係は利害だけではないのです。上に立つ者には「人間としての真摯さ」が必要です。仕事ができるだけでは経営管理者として不十分で、部下から尊敬される人間性が求められます。

 就中、社長ともなれば、部下からはさらに厳しい視線が注がれています。スター精密の佐藤肇社長のご著書から引用します。

 もし読者の会社の社風がすばらしいと、外部からの評判であれば、社長は今の行き方を自信をもって、進めていただきたい。しかし、ちょっと気になるような評判を耳にするようなことがあったら、その原因は社長自らがおつくりになっていると自覚してほしいものだ。
 すなわち、社長の器、あるいは社長の人格が、社格を決めると言っても過言ではないということである。

     『社長が絶対に守るべき経営の定石<50項>』 p411-412より引用


 佐藤社長はどんな経営環境でも会社と社員を守る「鉄人社長」として知られている方です。

 経営を術と捉えてテクニックに溺れる、ということなく、人の道に反することのないよう社会のため、従業員のためと、あらゆる人の道に通じるよう、いわば経営道を自らのなかで築くことができれば、会社というのは自ずと良いものになっていく。
 だから、スター精密という会社を率いていく以上、我々は常に人格を高め、経営道を極めていく努力を怠ってはならない。

     『社長が絶対に守るべき経営の定石<50項>』 p412-413より引用

 
 これは佐藤社長のお父様が残してくださった言葉だそうです。

 私は数字を追い求めていくよりも、社会のため、従業員のため、どなたかのお役に立つ、という志をもって真面目に仕事に向かっていくことのほうが大切だと考えます。その方が従業員にとっても、やりがいや生きがいがついてくると思っています。
 リーダーの背中は常に見られています。ずるく仕事を進めようとしたり、裏表があるようなやり方をしたりしていると、やがて見透かされることになります。自分や社内にそのようなことが発生していないか、心して行動いたします。

 いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。

 
 参考文献:
 『現代の経営(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

 『社長が絶対に守るべき経営の定石<50項>』 佐藤肇 (日本経営合理化協会)
 

  

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

カリスマとリーダーシップ

2016年02月01日

 寒中お見舞い申し上げます。

 暖冬といわれたお正月から一転、信州らしい冬になりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。。

 さて、世の中にはカリスマ経営者と呼ばれる優れた経営者が数多おられます。カリスマ経営者とは一般人の水準を超えた資質をもつ経営者のことを意味します。

 ドラッカーは、カリスマ的なリーダーシップを好みませんでした。それは若き日のドイツにおいて、ヒトラーというカリスマを見たからだ、とも言われています。

 そんなドラッカーの気持ちを窺わせる文章があります。

 リーダーシップとは人を惹きつけることではない。惹きつけるだけでは扇動者にすぎない。友だちをつくり、影響を与えることでもない。それでは人気取りに過ぎない。
          
               『マネジメント(中)』 p111より引用 


 カリスマでなければリーダーシップを発揮できないのだとすれば、経営者としての成功はその人の固有の性質で決まってしまうことになります。そんなことはないわけです。
 ドラッカーの考えるリーダーシップは次のようなものでした。

 リーダーシップとは、人のビジョンを高め、成果の水準を高め、通常の限界を超えて人格を高めることである。そのようなリーダーシップの基盤として、行動と責任についての厳格な原則、成果についての高度の基準、個としての人と仕事に対する敬意を、日常の実践によって確認していくという組織の精神に勝るものはない。

               『マネジメント(中)』 p111より引用

 
 演説がうまいとか、格好がいいとか、食事をおごってくれるというような世俗的なリーダーシップとは全く違いますね。
 ドラッカーのリーダーシップとは、人のビジョンと成果の水準を高め、人格を飛躍的に高めることです。そのために①行動と責任についての厳格な原則②高い成果基準③人と仕事に対する敬意を、組織の精神として仕事に組み込み、日々実践するようにしておかなくてはなりません。リーダーには成果だけでなく、高い人間性が求められているのです。
 
 理想的なリーダーの出現を待つことは、不確実な賭けです。しかし、リーダーシップは育てることができるのです。
 ただ待っているよりも、組織においてリーダーシップを醸成することのほうが確実です。もしもリーダーシップが育たないとすれば、社長が組織の精神を浸透させなかったことに原因があります。社長としてもっと考え、語り、つくりあげ、決断し、実行をしていかねばならないのだろうと考えます。私としてもまだまだ足りていない部分です。

 まだまだ寒い日が続きます。お身体ご自愛くださいませ。いつもご利用ありがとうございます。

 参考文献:
 『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

トップマネジメント・チームと会社の良心

2016年01月04日

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

 昨年は大変お世話になりました。誠にありがとうございます。本年も引き続きご愛顧のほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、中小企業では、すべての仕事を一人で抱え込んでいる社長も多いと思います。ドラッカーによれば「トップマネジメントの仕事とはチームによる仕事」です。トップマネジメントの仕事が一人ではだめでチームでなくてはならない理由は四つあります。 

 
 1.マネジメントの役割が要求するさまざまな体質を一人で併せ持つことは不可能である。
 2.一人ではこなしきれない量がある。
 3.一人だと継承の問題がある。
 4.ワンマン体制では企業が成長できない。
          
               『マネジメント(下)』 p20より抜粋して引用 

 
 これらの理由は、ほとんどの中小企業には当てはまる問題です。中小企業においては家族で分担することによってこれらの問題をカバーしている場合もあります。
 トップマネジメント・チームの条件としては次の六つが挙げられています。

 第一に、トップマネジメント・チームのメンバーは、それぞれの担当分野において最終的な決定権をもつ。各メンバーの決定に対し、他のメンバーが異議を唱えることはできない。
 第二に、トップマネジメント・チームのメンバーは、自らの担当以外の分野について意思決定を行うことはできない。
 第三に、トップマネジメント・チームのメンバーは、仲良くする必要はない。尊敬しあう必要もない。ただし攻撃し合ってはならない。
 第四に、トップマネジメントは委員会ではない。チームである。チームにはキャプテンがいる。キャプテンはボスではなくリーダーである。
 第五に、トップマネジメント・チームのメンバーは、自らの担当分野では自ら意思決定を行わなければならない。しかし、ある種の意思決定はチームに留保する必要がある。それらはチームとしてのみ判断しうる問題である。
 第六に、トップマネジメントの仕事は、トップマネジメント・チーム内のコミュニケーションに精力的に取り組むことを要求する。

           『マネジメント(下)』 p26-29より抜粋して引用

 
 チーム内で仲良くする必要も尊敬する必要もない、というのは興味深い指摘ですね。だからこそコミュニケーションには精力的に取り組まなくてはならないのです。理想的なトップマネジメント・チームをつくるのは簡単なことではないことを私自身感じています。

 チームによる経営で会社の理念がぶれてしまう恐れがあるのも心配です。よいチームができたとしても、成果だけ上げればよいわけではなくて、そのプロセスにおける価値観が当社の基準にあっているかどうかが大切だと思います。ドラッカーはトップマネジメントの仕事の一つとして次のように述べています。

 基準を設定する役割、すなわち組織全体の規範を定める役割、良識機能を果たす役割がある。組織には、目的と実績の違いに取り組む機関が必要である。
 
               『マネジメント(下)』 p10より引用  


 良識機能という言葉にほっとしました。ドラッカーを読んでいると、求めていた言葉がどこかに隠れているのですよね。これは会社の良心や道徳心を守る役割と考えてよいでしょう。成果を上げるためなら何をしてもいいわけではありません。会社の理念と現実が離れていないかどうかをチェックすることです。トップマネジメントが一人ならその人自身が体現することですが、チームとなると特に社長が見ていかねばなりません。

 みなさまにとってすばらしい一年になりますことを心よりお祈りしております。まだ寒い日が続きます。お身体ご自愛くださいませ。
 
 参考文献:
 『マネジメント 課題、責任、実践(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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企業に利益はない

2015年12月01日

 いよいよ年の瀬も押し詰まってまいりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 年男だね・・・と言われ始めたのが昨日のことのようですが、もう師走になってしまいました。今年もいろいろな場面でお客さまにご迷惑をおかけしてしまい、反省することばかりでしたが、何とかここま進んでまいりました。

 師匠のN先生は「人生は真っ暗闇の道を一人でとぼとぼ歩いていくようなもので、誰もついてこなくても信じた道を歩いて行かねばならない。」と説きます。ありがたいことに信頼する部下や家族が私を支えてくれますが、それでもときには驚くべきことが起こります。内面的には永遠に孤独感から解放されることはないと覚悟しています。

 さて、みなさまは「企業には利益はありません」と言われたら、どのように思われますか?

 「粗利益だって、営業利益だって、経常利益だってあるじゃないか!会計の基礎だ。財務諸表に書いてあるよ。」と指摘されてしまいそうです。

 しかし、これはドラッカーの唱えた概念の一つなのです。

 一般の人の無知を訴える企業人自身が、同じ無知という罪を犯している。彼ら自身、利益や利益率について初歩的なことを知らない。
 (中略)
 利益に関する最も基本的な事実は、「そのようなものは存在しない」ということだからである。存在するのはコストだけなのである。

           P.F.ドラッカー 『すでにおこった未来』p57より引用


 確かに、会社の中をどんなに探し回っても「利益伝票」というものは出てきません。あるのは納品書と請求書ばかりです。

 およそ企業の内部には、プロフィットセンターはない。内部にあるのはコストセンターである。技術、販売、生産、経理のいずれも、活動があってコストを発生させることだけは確実である。しかし成果に貢献するかはわからない。
 
           P.F.ドラッカー『創造する経営者』p5より引用


 会社の中の活動はすべてがコストを生み出すものです。営業は利益を生み出すぞ、とおっしゃいますが、まず会議を開き、チラシをつくり、車で移動してお客さまのところまで行く、という行動すべてがコストです。しかもその行動が成果を生むかどうかは分かりません。

 では、社内のコストを徹底的に切り詰めればいいのでしょうか。

 管理可能な支出については、好況時に予算を増額し、景気にちょっとしたかげりが見えただけでそれを減額するような場当たり的な方法ではなく、たとえ間違っていたとしてもマネジメントの判断によって行う必要がある。
 管理可能な支出については長期的な視点が必要である。あらゆる活動が短期間だけ強化しても成果はあがらない。しかも支出の急激な減額は、長年築いてきたものを一日で壊す。

           P.F.ドラッカー 『現代の経営(上)』 p117より引用


 単純なコストの切り詰めはますます会社を追い詰めていきます。社内のコストをカットすることと売り上げを増加させることには全く因果関係がないのです。コストカットは企業の目的である「顧客の創造」にはつながらないのです。

 例えば、事業の目標として利益を強調することは、事業の存続を危うくするところまでマネジメントを誤らせる。今日の利益のために明日を犠牲にする。売りやすい製品に力を入れ、明日のための製品をないがしろにする。研究開発、販売促進、設備投資を目まぐるしく変える。そして何よりも資本収益率の足を引っ張る投資を避ける。そのため、設備は危険なほどに老朽化する。言い換えるならば、最も稚拙なマネジメントを行うよう仕向けられる。

           P.F.ドラッカー 『現代の経営(上)』 p82より引用


 私の読んできたドラッカーのいろいろな書籍から引用してきてしまいましたが、いくら説明してもこの概念はなかなか理解されません。私はうちの社員たちにこのことを一生懸命説明しています。

 今年も当社をご愛顧いただき、心より御礼を申し上げます。これからも少しでもみなさまのお役に立てるよう努力をしてまいります。なにとぞご指導のほどよろしくお願いいたします。

 どうぞよい年をお迎えください。みなさまのご多幸、ご健勝を心よりお祈りしております。
 
 参考文献:
 『すでに起こった未来』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 『創造する経営者』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 『現代の経営』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)

  

  

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マーケティングの八つの現実

2015年11月01日

 枯葉舞い散る時節となりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 「マーケティング」というと、もう使い古された言葉のように感じますが、では具体的に何のことですか?と問われると、答えにくいのが本当のところではないでしょうか。

 ドラッカーは1964年の著作『創造する経営者』で次のように述べています。

 今日マーケティングと称されているものの多くは、せいぜい、販売予測、出入庫、広告を統合した体系的販売活動に過ぎない。もちろんそれはそれでよいことである。
 しかしそれらのマーケティングは、依然としてわが社の製品、わが社の顧客、わが社の技術からスタートしている。内部からスタートしている。

            『創造する経営者』 p117-118より引用 


 マーケティングが販売のための市場調査や広告活動のことだけを指すのであれば、冒頭の問いに対する答えも難しくはありません。

 いまやお金さえ払えば売上や利益を上げるための怪しげなマーケティングの手法はいくらでも手に入れることができます。それらは表面的なテクニックです。短期的な結果は出るかもしれません。ただ、そのような活動が本当の意味で企業を繁栄させ、世の中のためになるのかどうか?です。

 ドラッカーは「マーケティングの現実」として次の八つを紹介しています。

 (1) 顧客と市場を知るのは、顧客のみ
 (2) 顧客は満足を買う
 (3) 競争相手は同業他社にとどまらない
 (4) 質を決めるのは企業ではない
 (5) 顧客は合理的である
 (6) 顧客の企業に対する関心は些細なものである
 (7) 決定権をもつ者、拒否権をもつ者
 (8) 市場や用途から顧客を特定する

             『創造する経営者』p118-129より引用


 自社をとりまく状況は分かっているようで、実は分かっていません。

 「組織の成果は外部にしか存在しない」というドラッカーの言葉があります。

 市場の現実からいえることは一つだけである。すなわち、事業にとって重要なことは、顧客の現実の世界、すなわちメーカーやその製品がかろうじて存在を許されるに過ぎない外部の現実の世界を知ることだということである。

             『創造する経営者』 p129より引用

 
 よい商品をつくったぞ、よいサービスを提供しているぞ、と喜んでいるのは企業の勝手です。お客さまには全く関係がありません。

 ときどき飲食店の親方が「おれが作った料理だ!」といばっている様子を見かけることがありますが、自己満足ですね。
 われわれの商品は「かろうじて」市場に存在を許されてるわけです。お客さまの現実は常に変化します。お客さまや社会の役に立たなければマーケティング活動の意味はないのです。
 企業としてはマーケティングを便利な手法としてとらえるのではなく、むしろ達成すべき目標として考え、謙虚に自分に問いかけていかねばなりません。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。今月もご指導のほどよろしくお願いいたします。

 参考文献:
 『創造する経営者』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 


  

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

経営者に贈る5つの質問

2015年10月01日

 日増しに秋の深まりを感じます。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、我が国において人口が減少しているのはよく知られていることです。はっきりと見えてきたことに対しては誰もが何らかの手を打とうとします。

 ドラッカーは『明日を支配するもの』(1999年)において、企業にはまだ気づいていないことがある、と指摘しました。

 人口構造の変化と同じように重要でありながら、経営戦略上ほとんど関心を払われていない二一世紀の現実として、支出配分の変化がある。二一世紀に入ってからの数十年というものは、この支出配分の変化が、人口構造の変化と同じように大きな意味をもつ。

         『明日を支配するもの』 p57より引用


 企業は人口の減少を知っていても、自社が提供する商品、サービスに対する支出割合が変化していることには疎い、ということです。

 私が子供のころ(昭和40年代)、町内には魚屋さん、肉屋さん、喫茶店、ねじやさん、洋傘店、小鳥店、ミシン店、金魚屋さんなどがあり、それぞれ賑わいを見せていました。いろいろなお店があって楽しい雰囲気でした。いまでは街の様相はまったく変わってしまいました。

 事業を取り巻く環境の変化は必ずしも明確に見えるものではありません。それぞれの事業の前提となるものは水面下で静かに変化しています。経営が下手だからうまくいかないのではなく、事業の前提となっていたものの変化に気が付かないことが問題なのです。

 そこで、ドラッカーは経営者に5つの質問を投げかけました。

 1.われわれのミッションは何か?
 2.われわれの顧客は誰か?
 3.顧客にとっての価値は何か?
 4.われわれにとっての価値は何か?
 5.われわれの計画は何か?

        『経営者に贈る5つの質問』より引用


 これらの質問の文章は平易ですが、答えるのは簡単ではありません。一度出した答えがずっと有効というわけではなく、環境変化に対応するために繰り返し問いかけていくべきものです。

 何ごとにも満足することなく、すべてを見直していかなければならない。だが最も見直しが求められるのは、成功しているときである。下向きに転じてからでは遅い。
 明日の社会をつくっていくのは、あなたの組織である。そこでは全員がリーダーである。ミッションとリーダーシップは、読むもの、聞くものではない。行うものである。

         『経営者に贈る5つの質問』 p7-8より引用 


 平穏無事だと感じているときに行動を起こすことが求められます。
 当社は問題だらけで、私自身、自分にまったく納得できておりません。しかし、こんな文章を書くことができるのはまだ自分に余裕があるからです。経営者としてなすべきことを早急に実行しなくてはいけないと感じます。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。今月もご指導のほどよろしくお願いいたします。

 参考文献:
 『明日を支配するもの』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

 『経営者に贈る5つの質問』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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トップマネジメントの役割

2015年09月01日

 残暑も和らいでまいりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、私は、社長になる前から、また社長になってからも、社長の仕事とは何か?をずっと考えています。自分のやっていることがお客さまのお役に立っているか、社会に成果をあげているのか?ということは、私にずっと付きまとっている課題です。

 若いころ現場の仕事をしていたとき、常連のお客さまから「あなたはそんなことしないで、料理の味だけみてうまいとかまずいとか言っていればいいんだよ」と言われたことがあります。当然そんなことだけですむはずはありませんでした。

 ドラッカーは『マネジメント』において、トップマネジメントの仕事は他のマネジメントの仕事とは根本的に異なるものである、と述べています。

 どの組織のトップマネジメントにも共通して使えるような具体的な仕事があるわけではありません。トップマネジメントの仕事は個々の組織ごとに変わります。

 「組織の成功と存続に致命的に重要な意味を持ち、かつトップマネジメントだけが行ないうる仕事は何か」(『マネジメント』p225)ということになります。

 ドラッカーはトップマネジメントの役割として次の六つを挙げています。

 ①事業の目的を考えるという役割
 
 ②基準を設定する役割、すなわち組織全体の規範を定める役割

 ③組織をつくりあげ、それを維持する役割

 ④トップの座にある者だけの仕事として渉外の役割

 ⑤行事や夕食会への出席など数限りない儀礼的な役割

 ⑥重大な危機に際しては、自ら出動するという役割、著しく悪化した問題に取り組むという役割

          『エッセンシャル版 マネジメント』 p224より抜粋


 ここには社長がやるべきことがよくまとめられていると思います。大企業の話だ、と切り捨てるものではありません。

 現場の仕事に精を出すことは大変尊いことで欠くべからざることですが、社長としては①②③の役割を果たすほうが重要です。
 
 しかし、⑥にあるように、どんな問題であろうと危機的な状況が発生した場合には社長が自ら出ていって解決に導くことが求められます。このことは頭の片隅から消えることはありません。

 ④はお客さま、株主、取引先、金融機関、公共団体などとの関係づくりです。

 ⑤については、社長は毎日こればっかりやっている!と非難されそうですが、ドラッカーが指摘していることですから、これはこれで重要な役割であります。
 私は若いころ父からいろいろな会に参加しなさいと言われ、それを守ってきましたが、頼まれた公的な仕事をすべて引き受けて自分自身を追いつめてしまったことがありました。公的な活動を通じて社会に貢献することは大事ですが、仕事で社会のお役に立つことの方がもっと重要であることを忘れてはいけない、と思います。

 これからもみなさまのお役にたてますように努力してまいります。ご指導のほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
 
 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。
 
 参考文献:
 『エッセンシャル版 マネジメント 基本と原則』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

 
  

  

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ドラッカー・コレクションについて

2015年08月01日

 残暑お見舞い申し上げます。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、ただいま長野県信濃美術館において『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画「マネジメントの父」が愛した日本の美』という展覧会が開催されています。(8月23日日曜日まで)

 ドラッカーは若いときに日本の古美術に興味をもち、大学で講義をするほどの研究家にまでなると同時に有名な収集家でもありました。ドラッカーも奥様もお亡くなりになったいま、このコレクションをまとめて見ることができるのは最後になるかもしれません。ドラッカーはお子さんたちに、作品は売ってよいという言葉を残されたと聞きます。千葉市美術館から信濃美術館に移動し、秋の山口県立美術館での開催を残すのみです。

 私は7月中に一度見てまいりましたが、いくつかの新しい気づきがありました。お恥ずかしながら水墨画の展覧会は初めてでした。信濃美術館では、前期、後期で作品の入れ替えがあるようですので、後期も見に行くつもりです。 

 まず私が感じたのは、ドラッカーが集めた作品は年月とともにだんだんと変わってきたことです。初期のものと後期のものとはずいぶん変わっています。私は後期のほうがドラッカーの作品を見る目がより深まっているように思いました。これはドラッカーの著作の変遷とも重ね合わせながら考えてみました。
 
 また、古美術といえどもまったく古くない、ということです。例えば伊藤若冲の「梅月鶴亀図」の鶴はまさに現代のデザインそのものだと思いましたし、仙厓の「鍾馗図」は、失礼かもしれませんが、いい意味で現代の漫画でも通じるものだと感じました。時代が変わっても芸術の本質は変わりません。同様にドラッカーの慧眼も生きて続けていることを感じます。

 ドラッカーの『すでに起こった未来』の11章「日本画に見る日本」にドラッカーの日本画に対する考え方が述べられています。

 この日本人の美意識を西洋や中国の美意識と対照するならば、西洋画は基本的に幾何学であると規定することができる。近代的な西洋絵画が、一四二五年ごろの直接投影法の再発見、すなわち幾何学による空間の征服とともにはじまったということは偶然ではない。
 これに対して、中国の絵画は代数学である。中国画では比例が支配する。それは儒教の倫理と同じである。
 それらに対して、日本画は位相的である。位相は、形と線が空間によって規定される。それは、直線と曲線の区別がないという面と空間の特性を扱い、一七〇〇年ごろに成立した数学の一分野である。位相は角度や渦巻きや境界線を扱う。それは、空間を規定するものではなく、空間が規定するものを扱う。
 日本の画家は、その美意識において位相的である。彼らはまず空間を見て、次に線を見る。線からスタートすることはない。

                『すでに起こった未来』 p256より引用

  
 ドラッカーは我が国の戦後の発展を日本画を通して見ていました。

 日本の近代社会の成立と経済活動の発展の根底には、日本の伝統における知覚の能力がある。これによって日本は、外国である西洋の制度や製品の本質と形態を把握し、それらを再構成することができた。日本画から見た日本について言える最も重要なことは、日本は知覚的であるということである。

                『すでに起こった未来』 p268より引用


 ドラッカー・コレクションを通じて、われわれは自らが知覚的であることを認識することができるでしょうか。
 ドラッカーをよく理解するためにも見て頂きたい展覧会です。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

 
 参考文献:『すでに起こった未来』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

 長野県信濃美術館ホームページ
 http://www.npsam.com/
 ホームページから観覧料の割引券が印刷できるようです。
 
  

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

マネジメントの正統性について

2015年07月01日

 暑中お見舞い申し上げます。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、組織においてはごく当たり前にマネジメントが遂行されています。しかし、組織のトップはなぜマネジメントを遂行してよいのでしょうか。

 ドラッカーは次のように述べています。 

 マネジメントがその権限を認められるうえで必要とされるものが、正統性である。マネジメントたる者は、自らの権限の基盤を、組織なるものの目的と特性に由来するところの正統性に置かなければならない。

            『マネジメント(下)』p300-301より引用

 
 正統性とは組織におけるマネジメントの妥当性と言ってもよいでしょう。内閣総理大臣が政治を行うことに正統性があるのと同様に、組織においてマネジメントを行うには正統性がなくてはならないのです。企業ならば、社長はなぜマネジメントを執行していいのか?ということです。

 社会的な目的を達成するための手段としての組織の発明は、人類の歴史にとって一万年前の労働の分化に匹敵する重要さをもつ。組織の基盤となる原理は、「私的な悪徳は公的となる」ではない。「私的な強みは公益となる」である。これが、マネジメントの正統性の根拠である。マネジメントの権限の基盤となりうる正統性である。
 
            『マネジメント(下)』p302より引用


 いまやほとんどの個人は組織に所属しています。組織のトップは所属する個人の強みを生かして組織として社会に対して成果をあげます。一方、個人は組織という道具を使って自己実現を果たします。
 私的な強みは、個人のためだけに使われるのではなく、社会がよくなるために使われるのです。その機能を果たすのが組織です。

 マネジメントは制御されず制御しえず、したがって専制的たらざるをえない存在としての中央権力の僕ではないという意味において私的な存在である。と同時に、意識して公然と、公的なニーズを自らの自立した組織にとっての私的な機会に転換すべく働くという意味において、公的な存在である。

            『マネジメント(下)』p303より引用

 
 組織(企業)が公的な存在であることを見抜いたドラッカーの洞察はすごいですね。
 私は民間企業を経営しておりますが、お客さまのニーズにお応えしてご満足頂くという意味においては、公的な存在でなくてはならないのです。逆に、当社が一円でも多く利益を上げるためにお客さまのニーズを利用するとしたら、これは私的な存在です。おかしいですね。ドラッカーの考えとは全く違います。

 自立した存在としての組織のマネジメントたらんとするのであれば、自らを公的な存在としえなければならない。すなわち組織としての責任の真髄、一人ひとりの人間の強みを生産的なものとし、成果をあげさせるという責任を負わなければならない。

            『マネジメント(下)』p304より引用


 実はこの文章はドラッカーの『マネジメント 課題、責任、実践』三分冊のいちばん最後の文章です。大事なことが書かれていると思います。

 経営者はお客さまに喜んで頂くという大きな目的があります。同時に、その実現のために働いてくれている社員たちの強みを生かして、生産性を上げ、成長させるという責任があります。

 これこそがマネジメントの正統性です。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

 
 参考文献:
 『マネジメント 課題、責任、実践(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

 参考ブログ:「マネジメントの正統性」
 http://highlyeffective.naganoblog.jp/e1591537.html
 
  

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

経営理念をつくった経緯

2015年06月01日

 日ごとに暑さが増してまいりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 最近、ある調査で当社の経営理念のできた経緯について質問をされました。
 
 数年前に私が作ったものです。そのとき、すでに自分でつくった経営理念がありましたが、内容に満足していなかったので、改めて作り直しました。

 迷ったことは、どの範囲のことまで書けばいいのか?ということです。分野ごとに書きたいことは大体決まっていましたが、どこからどこまで書けばいいのかが分かりませんでした。何が必要で何が不要か?ということです。全部書いてしまうと経営理念としては長すぎるだろうと思いました。
 企業の経営理念を集めた本やホームページを通じて、上場、非上場、いろいろな企業の経営理念を拝見しましたが、統一された形はありませんでした。

 悩んだ結果、ドラッカーの『経営者の条件』に書いてある「組織の三つの領域における成果」を参考にすることにしました。

 あらゆる組織が三つの領域における成果を必要とする。すなわち、直接の成果、価値への取り組み、人材の育成である。これらすべてにおいて成果をあげなければ、組織は腐り、やがて死ぬ。したがって、この三つの領域における貢献をあらゆる仕事に組み込んでおかなければならない。 

          P.F.ドラッカー 『経営者の条件』 第3章 p81より引用


 三つの成果(直接の成果、価値への取り組み、人材育成)を経営理念に謳うことにしたわけです。(当社の経営理念の本文は下の欄に掲載されております。)

 私の思いはこめられていますし、必要なものは含んでいて、組織にもしっくりしてきている、と自分では思っています。社内に浸透させるように会議などで都度確認をしております。

 最近のドラッカー研究によれば、ご紹介した文章は「どのような貢献ができるか」の章に書かれていますし、文章中にある「成果」について原文ではperformanceとなっており、「成績」や「業績」と翻訳するほうが近いのではないか、という解釈もあるようです。

 For every organization needs performance in three major areas

 (”The Effective Executive” p55)


 となると、この三つは目標にすべきであって、目的としての経営理念にするのはおかしい、という話になってしまいます。

 しかし、私としてはここ数年間この経営理念で当社をまとめてきまして、社員の納得度も高いので、いまの段階としては、この理念のもとに経営を進めていきたいと考えております。

 経営理念の変更については、してよいという人としてはならないという人といますが、私は伝統などの制約のある企業でないのなら、経営者、企業の成長と社会の価値観、倫理観の変遷に合わせて、変更してもよいのではないかと思っています。

 経営理念のもとに、お客さまのお役に立つよう努力してまいります。なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 末筆となりますが、みなさまのご繁栄を心よりお祈り申し上げます。

 いつもご利用ありがとうございます。

  


 参考文献:
 『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 ”The Effective Executive” P.F.Drucker (Harper Business)
 
  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

自己目標管理とは

2015年05月01日

 春の日差しが心地よくなってまいりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、みなさまは「目標管理」というとどのようなイメージをもっておられるでしょうか。

 日本では「目標管理」という言葉だけが独り歩きしてしまったように感じます。会社で決められた予算を上司が部下に配分し、それを命令によって各個人が効率的に達成していく、というようなイメージではないですか。ノルマ主義と混同されており、あまりいい意味では使われていないようです。

 目標管理という言葉をつくったのはドラッカーだといわれています。ドラッカーの目標管理とは、「自己目標管理」(MBO:Management by Objectives and Self-control)でした。

 自己目標管理(MBO:Management by Objectives and Self-control)の最大の利点は、自らの仕事を自らマネジメントできるようになることにある。自己管理が強い動機づけをもたらす。適当にこなすのではなく、最善を尽くす願望を起こさせる。目標を上げさせ、視野を広げさせる。

          『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 p83より引用 


 自己目標管理の「自己」がどういうわけか取り去られ、目標管理に変わってしまいました。自己目標管理とは、組織が定めた目標のなかで各人が自分の担当する仕事に自由に目標を定め自分自身の責任において達成させることです。そもそもMBOという言葉も独り歩きしていますが、Management by Objectivesまでだけが取り上げられ、and Self-controlの部分が抜け落ちています。

 目標管理が上からの管理に使われてしまう恐れがあることをドラッカーは分かっていました。

 ここまで本書において、私は管理という言葉はあまり使っていない。評価という言葉を使ってきた。これは意図してのことだった。管理という言葉は誤解を生みやすい。管理という言葉は、自らと自らの仕事を方向づける能力を意味する。しかし、人を支配する能力も意味する。目標は前者の意味での管理の手段でなければならない。後者の意味での管理のためのものであってはならない。それではすべてが台無しである。
                                      
          『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 p84より引用


 すべてが台無しである・・・とまで言ってまで注意を促していましたが、結局のところ目標管理は「人を支配する」という意味で広まってしまいました。恐れていたことが実際に起こってしまったのです。

 自己目標管理の値打ちは、支配によるマネジメントの代わりに、自己管理によるマネジメントを可能にするところにある。

         『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 p84より引用


 現代においては、命令と統制だけで組織を維持するのは難しくなりました。軍隊にみられるC&C型(Comand &Control:命令と統制 )型組織はビジネスにおいては昔の話です。

 もはや命令だけで人は動きません。いま望まれる組織の形は、E&E(Empower & Energize:権限移譲)型組織です。この組織は、よりフラットな階層になり、上の立場にいる者はコミュニケーションによって部下の力を引き出します。命令ではなく権限委譲です。このような組織に必要な方法が自己目標管理です。

 部下を支配するために会社が目標管理を利用しようとしたことが、大きな誤解の元となりました。それはドラッカーの考えていた自己目標管理とはかけ離れたものでした。
 
 末筆となりますが、みなさまのご繁栄を心よりお祈り申し上げます。今月もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 いつもご利用ありがとうございます。

  


 参考文献:
 『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 
  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

事業の目標

2015年04月01日

 桜の便りが次々に聞かれるこの折、みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、今回は、事業において何を目標にするべきなのか、ドラッカーから繙いてみます。
 
 今日、目標管理すなわち目標によるマネジメントについての議論のほとんどが、「唯一の正しい目標」を探求するものである。しかしそれは、賢者の石を探し求めるように空しいだけではない。明らかに毒をなし、誤って人を導く。
 例えば、事業の目標として利益を強調することは、事業の存続を危うくするところまでマネジメントを誤らせる。今日の利益のために明日を犠牲にする。

               『現代の経営(上)』 p82より引用


 ドラッカーは事業において利益を始めから目標にしてしまうことをよしとしません。利益は目的ではなく結果である、とはよく知られた言葉です。ただ、現実の世界においては、企業の目的は利益の最大化であることを明言し、大きな成果を上げている経営者が多く存在します。

 では、利益が目標でないとしたら、いったいどのように目標を定めればよいのでしょうか。『マネジメント』には次のように述べられています。

 (1) 目標とは「われわれの事業は何か。何になるか。何であるべきか」という問いから導き出されるものである。
 (2) 第二に、目標とは、行動のためのものである。具体的な仕事と成果に、そのままつながるものである。仕事と成果にとって、基準となり動機づけとなるものである。
 (3) 第三に、目標とは、資源と行動の集中を可能にするものである。事業活動のうち重要なものを区別し、人、金、物という主たる資源の集中を可能にするものである。
 (4) 第四に、目標とは、一つではなく、複数のものである。
 (5) 第五に、目標とは、事業の成否に関わる領域すべてについて必要である。

              『マネジメント(上)』p128-129より要約して引用


 ドラッカーは目標を定めるべき事業の領域として、次の八つを挙げています。

 (1) マーケティング
 (2) イノベーション
 (3) 人的資源
 (4) 資金
 (5) 物的資源
 (6) 生産性
 (7) 社会的責任
 (8) 必要な条件としての利益

                 『マネジメント(上)』p130より引用


 八つ目に「利益」が掲げられていますが、これはその前に並ぶ7つの領域の目標を達成するために必要な利益です。目標を達成し事業を続けるための費用として利益なのです。
 例えばバザーは一回で終わりです。最大の利益をあげて会計を締め、そのお金を何かに活用できれば、みんながハッピーです。しかし、企業となると終わりがありませんから、継続させていくためにさまざまな手立てが必要となります。
 八つの領域にわたる目標を考えてみますと、利益だけを目標にすることは単純すぎるし大まかであると思えてしまします。

 ドラッカーはもう40年以上前に企業の存続を念頭においた目標設定を考えていました。利益は事業の経営に絶対に必要なものですが、あくまでも後からついてくるものです。ドラッカー流の経営としては、目標の数字を追いかけていくという態度ではなく、企業の存在価値や顧客の創造という観点から目標を導き出さねばなりません。
 
 今年の上田城の千本桜はどんな姿を見せてくれるでしょうか。どうぞお身体ご自愛くださいませ。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。
 
 参考文献:
  『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

 『マネジメント 課題、責任、実践(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

個人事業の法人化

2015年03月02日

 日ごとに暖かさを感じられるようになってまいりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 先日、ある会合の席で、個人で事業をされている友人から、法人にしようかどうかを迷っている、という話を聞きました。起業すると一人で事業が始まりますが、事業規模が拡大するにつれ、やがてこのような問題が起こってくるのでしょう。
 私は家族の経営していた企業を継承しましたので、法人化するかどうかという悩みはもったことはありませんでした。ただ、法人といっても家族経営でしたから、そこからだんだんと改革を進め、まだ道半ばといったところです。有限会社から株式会社に改組したときに悩んだことが頭をかすめました。

 こういうときの私の先生はドラッカーです。ドラッカーはどんなことを言っていたかな~と著書を繙いてみました。

 ドラッカーの『現代の経営』にはヘンリー・フォードの失敗について書かれた「フォード物語」という章(第10章)があります。後継者として期待されていた息子を亡くしたヘンリー・フォードは、当時10億ドル規模だった巨大企業フォードにおいて、社内の秘密警察的な機能と技術者だけを優遇し、経営管理者抜きでマネジメントをしていました。

 老フォードは、フォード社を個人の所有物としてマネジメントした。そして彼の経験は、法律上の規定はどうあれ、近代企業がそのようにはマネジメントされえないことを明らかにした。企業に寄託された資源は、一人の人間の一生という時間的な制約を超えて富を生む。企業は永続する。そのためには経営管理者が必要である。
 また、企業のマネジメントはあまりに複雑であって、たとえ中小であっても一人の人が助手を使って行うことはできない。組織化され一体化したチームが必要である。チームのメンバーが、それぞれマネジメントの仕事を行うことが必要である。 

                『現代の経営(上)』 p162より引用


 私の友人の経営者のなかには、自分の代をもって廃業する、と宣言している方もいます。個別の事情もありますから、それはそれで一つの考え方です。
 一方で、経営者として事業に資源を投入し、事業を通じて社会の役に立とう、社会に富を生んでいこう、と考えるならば、自分がいなくなっても事業を終わらせず長く続いていくことを望むでしょう。

 確かに発生学的には、マネジメントは、小さな事業のオーナーが一人では果たせなくなった仕事を助手たちに代理させることから生まれる。そして事業の成長すなわち量的な変化が、マネジメントを必要不可欠の存在にする。しかし、そこにもたらされる変化は質的なものである。
 
               『現代の経営(上)』 p163より引用 


 事業の成長はマネジメントの機能を要求しますが、企業となってマネジメントの機能を執行した結果として現れるのは、量的な変化だけではなく、質的な変化です。

 ひとたび企業となるや、マネジメントの機能はもはやオーナーの助手として定義することはできない。マネジメントは客観的なニーズによる機能をもつ。それらの機能を軽視し否定することは、企業そのものを破滅させる。
 
               『現代の経営(上)』 p163より引用 


 企業となったら、マネジメントの機能を執行せねばなりません。身内だからといって許されていた甘えはなくなるでしょう。例えば、経理を任せていた奥さんが長時間の残業を厭わなかったとしても、雇った社員の方が担当するとなれば、そういうわけにはいきません。

 友人の話を聞いたときに、法人化するならばすればいいのに・・・・・・と簡単に考えていましたが、法人化して企業組織になるということは、単に名称の変更だけではない大きな変革です。家族の理解や覚悟も必要でしょう。その決定に逡巡があるのはもっともなことです。最後は社長の決断にかかります。
 いずれの道に進むにせよ、起業家のチャレンジです、うまくいってほしい、と思いました。

 末筆となりますが、みなさまのご繁栄を心よりお祈り申し上げます。今月もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 いつもご利用ありがとうございます。

  


 参考文献:
 『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  
タグ :現代の経営

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

管理とはなにか?

2015年02月02日

 余寒なお厳しいこの頃、みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、仕事においては「管理する」という言葉をよく聞きます。「管理」とはいったい何のことでしょうか。分かっているようで分からない言葉です。

 ドラッカーの『マネジメント』を繙いてみます。

 仕事とはプロセスである。プロセスはすべて管理しなければならない。したがって、仕事を生産的なものとするには、仕事のプロセスに管理手段を組み込まなければならない。 

            『マネジメント(上)』p266より引用


 ここで、仕事とは人の活動(労働)のことを意味するのではなく、あくまでも客観的な仕事の論理を意味します。労働を管理するのではなく「仕事のプロセスを管理する」というところが重要ですね。

 あらゆる仕事がそれぞれ管理を必要とする。標準などはない。しかし、管理には共通の条件がある。

           『マネジメント(上)』p266より引用


 ドラッカーは、仕事の管理について三つの条件を示しています。ご紹介します。(以下は『マネジメント(上)』p267~269より引用)

 (1) 第一に、仕事のプロセスを管理することは、仕事を管理するということであって働く人を管理することではない。管理とは、人の道具(ツール)であって人の主人となるべきものではない。しかも、それは働くことの妨げとなってはならない。 


 「部下を管理する」としたら、働く人を管理することになります。それは間違いであって、正しくは「仕事を管理」しなくてはならないのです。また、「管理」は道具ですから、人が人間らしく働くことを妨げるものであってはなりません。

 (2)第二に、管理手段は予め設定しておかなければならない。基準と基準からの乖離の許容範囲を決めておく。管理とは本質的に例外管理である。基準からの乖離が大きな場合に限り、管理が作動するのでなければならない。


 仕事のどの部分をどのような方法でみていくのか、手段や基準を決めておかねばなりません。あるべき状態の基準を決めたならそこから乖離している例外が浮き上がってきます。そこで個別に対応します。

 (3)第三に、管理は、仕事の成果からのフィードバックによって行わなければならない。仕事自身が管理のための情報を提供するようにしておく。仕事そのものを常時チェックしていかなければならないというのでは、管理はできない。

 
 仕事を常にチェックするのは経済的ではありません。また「検査」は管理ではありません。仕事の成果について必要な情報が常に送られてくるような仕組みをつくっておくことです。        

 以上の部分を読んでみると、ドラッカーの「仕事の管理」とは、一般的に「管理」とされている概念とは全く別のものだということが分かります。たとえば「先輩の背中を見て仕事を覚えなさい」というのは全く客観的ではありません。客観的でないものを管理しても成果はぶれてしまいます。
 管理とは、働くこと(労働)と仕事を分けて、仕事についてプロセスを明確にし、そのプロセスを客観的、定期的に注視していくことだっだわけです。

 まだまだ寒さが続きます。どうぞお身体ご自愛くださいませ。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。

 
 参考文献:
 『マネジメント 課題、責任、実践(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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時間の金銭的価値

2015年01月05日

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

 昨年は大変お世話になりました。誠にありがとうございます。本年もみなさまのお役にたてるよう一生懸命努力いたします。引き続きご愛顧のほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、年頭にあたり、時間の価値について考えてみました。

 ドラッカーは『経営者の条件』において、時間は普遍的な制約条件である、と述べました。

 時間は特異な資源である。主要な資源のうちでは、資金は豊富にある。経済発展や経済活動の阻害要因になっているものは、資金供給ではなく資金需要であるとさえいってよい。もう一つの資源である人材は、雇うことができる。ところが時間は、借りたり、雇ったり、買ったりして増やすことができない。
 時間の供給は硬直的である。需要が大きくとも供給は増加しない。価格もない。限界効用曲線もない。簡単に消滅し、蓄積もできない。永久に過ぎ去り決して戻らない。したがって時間は常に著しく不足する。

           P.F.ドラッカー 『経営者の条件』 p46-47より引用


 時間が取り換えのきかない資源であることは頭では分かっているのですが、金銭的な価値とは明示的には連動していないので、気を抜けば無駄に消費してしまうことも多いと思います。

 松岡真宏さんは『時間資本主義の到来』において、時間の価値を金銭的な価値と結びつけて説明しています。

 時間資本主義の時代においても、需要と供給で価格が決まるという原則は変わらない。しかし、これからは物やサービスを選ぶ際に、「時間価値」という新しい選択要素が組み込まれる。価格とその物・サービスから得られる満足度が見合っているだけでなく、時間制約から抜け出せる付加価値を提供する物・サービスほど需要が高まり、価格は上がっていく。

      『時間資本主義の到来』 p 64より引用

 
 松岡さんの指摘する時間価値とは次の二つです。

 1.その物やサービスを使うことによって時間が短縮でき、有意義な時間が生み出される=「節約(saving)時間価値」 
 
 2.その物やサービスを利用することによって、有意義な時間が生み出される=「創造(creative)時間価値」

      『時間資本主義の到来』 p 64-65より引用


 1に該当するものは、すすぎ時間を短縮できる洗剤、求めるニュースだけを配信してくれるアプリ、電子書籍、コンビニなどであり、2に該当するものは、よい雰囲気でコーヒーを飲めるスターバックス、たくさんの選択肢がある新宿伊勢丹のメンズ売り場、居心地のよいホテルや旅館などです。

 これらの視点は商売を展開する側のために提示されたものですが、時間を使う側としても切り口は同じです。

 1.時間を生み出す。時間のかたまりを作るために、便利なサービスや仕組みはどんどん使う。間に挟まった細切れの時間も有効に活用する。 

 2.まとまった時間ができたなら、その時間の目的にあった正しい選択をして、効果的に生かす。仕事であっても遊びであってもその時間内に最大限の成果をあげる。


 今年私は年男になり、人生の後半であることをいままでよりも強く意識しています。時間を提供する企業としてはお客様にご満足いただけるように、時間を消費する個人としては自分が納得できるように行動してまいります。

 みなさまにとってすばらしい一年になりますことを心よりお祈りしております。寒さ厳しき折、どうぞご自愛くださいませ。
 
参考文献:
 『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『時間資本主義の到来』 松岡真宏(著) 草思社
 


  

  

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顧客の創造とは

2014年12月01日

 年の瀬もいよいよ押し詰まってまいりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 あっという間に一年が過ぎたような気がします。なすべきことはたくさんあるのですが、追いついていません。来年はもっと自分に厳しくなろう、と誓っています。

 今年はP.F.ドラッカーの著作を読むことに多くの時間をとりました。週に3~4時間をドラッカーの著書の精読にあてました。ドラッカーの言葉を引用し、文章にまとめて、約100回ブログに投稿しました。その他にも、ドラッカー経営の合宿に参加して学んだ時間や、主宰しているドラッカー読書会とその準備の時間を含めると、1年間で300時間くらいはドラッカーに費やしたと思います。

 ある分野で専門家になるには、その研究に1万時間を費やさなくてはならない、と言われています。私がドラッカーを本格的に読み始めたのは3年前からですから、このペースでいくと、ドラッカーの専門家になるためにはあとおよそ30年かかることになります。

 ドラッカー以外の本は110冊ほど読みましたが、1冊を読むのに3時間かかるとすると330時間です。この時間をドラッカーにあてたとしても、合計は630時間ですから、1万時間達成にはあと15年かかることになります。(私は専門家になるためではなく、お客さまのお役に立つためにドラッカーを読んでいます。) 

 芸術は長く人生は短し、とはよくいったもので、なすべきことに集中しない限り、何もなし得ることはないのだろうと感じています。

 さて、ドラッカーには「企業の目的は顧客の創造である」という言葉があります。

 私はかつてこの言葉に違和感をもっていました。企業はお客さまをつくるだけでいいのか?という疑問でした。なんとなく中途半端のような気がします。

 では『マネジメント エッセンシャル版』から該当部分を引用してみます。

 企業とは何かを知るためには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、それぞれの企業の外にある。企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的の定義は一つしかない。それは、顧客を創造することである。

         『マネジメント エッセンシャル版』 p15より引用


 確かに、企業の唯一の目的は顧客の創造である、と言い切っています。

 続きの部分を読んでみましょう。

 市場をつくるのは、神や自然や経済的な力ではなく企業である。企業は、すでに欲求が感じられているところへ、その欲求を満足させる手段を提供する。それは、飢饉における食物への欲求のように、生活全体を支配し、人にそのことばかり考えさせるような欲求かもしれない。しかしそれでも、それは有効需要に変えられるまでは潜在的な欲求であるにすぎない。有効需要に変えられて、初めて顧客と市場が誕生する。
 欲求が感じられていないこともある。コピー機やコンピュータへの欲求は、それが手に入るようになって初めて生まれた。イノベーション、広告、セールスによって欲求を創造するまで、欲求は存在しなかった。

          『マネジメント エッセンシャル版』 p15-16より引用


 大事なことはこちらに書かれているように思います。

 人の欲求は、はじめは潜在的なものにすぎません。欲求が有効な需要に変えられて、商品やサービスという形となったとき初めて顧客と市場が誕生したことになります。人が顧客になり市場ができる、という過程こそが顧客の創造であります。

 その意味では、お客さまのお役に立ち、繰り返しほしいと思っていただいて、継続的にご注文を頂かない限り、顧客を創造したことにはなりません。
 「顧客の創造」という言葉には、顕在化していなかった欲求を有効需要に変えていく、という意味がこめられていたのです。

 今年も当社をご愛顧いただき、本当にありがとうございます。まだまだ力不足でございますが、少しでもお役に立てるよう努力をしてまいります。ご指導のほどよろしくお願いいたします。

 みなさまにおかれましては、どうぞよい年をお迎えください。ご多幸、ご健勝を心よりお祈りしております。
 
 参考文献:『マネジメント エッセンシャル版』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

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マネジメントの正統性

2014年11月04日

 日ごとに寒気加わる時節となりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、いまでは世の中のほとんどの人が企業や団体で働いています。組織に所属していることに何の違和感もないでしょう。

 しかし、我々が組織に所属していることは現代社会の大きな特徴なのです。

 産業革命以前は、農家はコメをつくり、パン屋はパンをつくり、鍛冶屋は鉄を金物をつくるというように、それぞれが自分の生業に従事していることが当たり前でした。

 P.F.ドラッカーは、社会における組織の出現に注目しました。

 知識によって生計を立てられるようになったのは組織社会になったからであり、組織が存在し機能しうるようになったのは、多くの人が高度の学校教育を受けるようになったからである。
 マネジメントは、この二つの発展の原因であり結果である。マネジメントは、組織が機能し、それぞれの使命を遂行することを可能にする機関である。

            『マネジメント(下)』p297より引用


 ここで組織社会と知識社会の関係において「マネジメント」という言葉が登場します。誰もが使っている「マネジメント」とはいったい何のことなのでしょうか。

 組織をして、社会、経済、コミュニティ、一人ひとりの人間のために成果をあげさせることが、今日のマネジメントの役割である。
 
            『マネジメント(下)』p298より引用


 マネジメントの役割についてさらに次のように述べています。

 マネジメントの第一の役割は、組織が自らの使命を果たすようマネジメントすることである。成果をあげることである。第二の役割は、仕事を生産的なものにし働く者に成果をあげさせることである。第三に、よりよい社会をつくることである。

            『マネジメント(下)』p299より引用 

          
 成果をあげるさせることはマネジメントの役割ですが、成果をあげるだけでは不十分である、とドラッカーはいいます。

 社会から正統なものとしてその存在を是認されなければならない。
 
            『マネジメント(下)』p300より引用 


 マネジメントの正統性とは、なんでしょうか?

 そのような正統性の根拠は一つしかない。それが組織の特性である。したがって、マネジメントの権限の基盤となるものである。すなわち、人の強みを生産的なものにすることである。組織とは、個としての人間一人ひとり、および社会的存在としての人間一人ひとりに貢献を行わせ、自己実現させるための手段である。

            『マネジメント(下)』p302より引用


 マネジメントとは、利益をあげるための方法ではありません。

 経営者は組織に所属する人々の強みを生かし組織の理念を追求するために、組織で働く人は仕事を通じて自己実現を図るために、組織を道具として利用せねばなりません。この活動がマネジメントそのものであり、よりよい社会をつくる道筋です。

 お風邪などお召しになりませぬようご自愛くださいませ。今月もどうぞよろしくお願いいたします。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。

 
 参考文献:
 『マネジメント 課題、責任、実践(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

  

  

 Hitoshi Yonezu at 10:00  | ささやタイムズ記事

卓越の戦略

2014年10月01日

 日増しに秋の深まりを感じます。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、アベノミクスでお金の流れは大きく変わりつつありますが、私には好況感はありません。

 私の商売は世の中の需要が喚起されたとしても、派生的に回ってくる業種です。景気の循環を待つのはナンセンスです。今できることを進めていくしかありません。

 ジェイ・エイブラハムの『ハイパワーマーケティング』には「卓越の戦略」という手法が紹介されています。
 マーケティングとか戦略とかというと、儲け話のように聞こえて少しいやらしい感じがします。実際、この本もそのような面を否めませんが、純粋に内容を受け止めたいと思います。

 「卓越の戦略」とは、お客さまのニーズを自分のニーズよりも常に優先させることです。たとえば次のようなことです。

 「あなたに本当に必要なのは、欲しいとおっしゃった商品より安い商品ですよ」
 この方法では、最初の販売額は小さくなるが、新しい友人ができ、そのうちの何人かは、次の購入時期まであなたを覚えていてくれる。その人は間違いなくあなたやあなたの会社について、自分の友達にそのすばらしさを伝えてくれるだろう。

            『ハイパワーマーケティング』 p65より引用


 自分の売上げを重視するのではなくお客さまが得になることを考える・・・・・・手段として上手に行おうとするのではなく、純粋に愚直に行うことが大切です。

 多くの人々が犯している致命的なミスは、間違ったものに愛着をもっていることである。
 具体的にいえば、自社の製品、サービス、自分の会社に惚れ込んでいるのだ。
 あなたは、自分の製品やサービス、または会社を盲目的に信じているに違いない。しかし、本当に愛着を持つべき相手は、あなたのクライアントなのだ。

        『ハイパワーマーケティング』 p69より引用


 このような考え方を実践している企業があります。埼玉県にあるホテルグリーンコアの事例です。

 グリーンコアでは、満室になった後に受けた「今日、空いていますか?」という宿泊予約の電話に対し、簡単に「満室です」で終わらせない。まずは、そのお客さまの連絡先を聞いて控える。次に、近隣ホテルの空き状況を電話で尋ね、もし空いていたらそこの予約を代わりに取って差し上げて、その旨を伝える。もし、どこも満室で部屋が取れない場合は、部屋が空き次第伝える。
 そうやって宿泊希望のウェイティングリストが出来上がる。多いときで五組くらいになる。

          『包むマネジメント』 p145-146より引用

 
 競合のホテルの空きまで探して差し上げるというのは、お客さまのニーズを優先していることに他なりません。

 このようなサービスを行おうとする際に障害となるのは、経営者が収支を心配してしまうことです。
 かつてこのホテルでは、低反発枕を気に入ったので売ってほしいと頼まれたお客さまに、その枕を差し上げたことがあるそうです。それについて、当ホテルの会長である金子卓司さんは次のように述べています。

 「まず、全員が欲しがるということはあり得ないでしょう。あり得ないことを想定して行動を止めるという判断が、いろんなことのネックになっていると思います。もし、万が一にでも『全員が欲しい』というようなことになったら、今度は販売すればいいんです。あり得ないリスクを想定して行動しないという判断は、グリーンコアの美徳に反することなのです。まずは、行動してみよう。もし失敗だったら軌道修正すればいいんです」

         『包むマネジメント』 p80より引用

 
 「お客さまのニーズを自分のニーズよりも優先させる」あるいは「お客さま第一」というお題目はどこの会社でも唱えていることです。

 では会社の利益はどうなるんだ!?というのが社長の本音でしょう。「卓越の戦略」はそこを乗り越えることを社長に求めています。

 季節の変わり目です。みなさまどうかご自愛くださいませ。今月もどうぞよろしくお願いいたします。
 いつもご利用いただき、ありがとうございます。
 
 参考文献:
 『ハイパワーマーケティング』 ジェイ・エイブラハム(著) 金森重樹(監訳) (インデックス・コミュニケーションズ)
 

 『包むマネジメント』 近藤寛和 (ぶんか社)
 


  

  

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