満足は動機づけとして間違っている。満足とは受け身の気持ちである。確かに、強い不満をもつ者は辞めていく。辞めなければ不満をもち続け、企業やマネジメントに背を向ける。しかし、それでは満足な者はいったい何をするか。
要するに、企業は働く人に対し、進んで何かを行うことを要求しなければならない。企業が要求しなければならないことは仕事であり、受け身の気持ちなどではない。
今日、従業員満足が関心を集めている理由は、産業社会において、もはや恐怖が動機づけとなりえなくなったからである。しかし、従業員満足に関心を移すことは、動機づけとしての恐怖が消滅したことによってもたらされた問題に正面から取り組まず、横に逃げているにすぎない。今日必要とされていることは、外からの恐怖を仕事に対するうちからの動機に代えることである。ここにおいて意味あるものは満足ではなく責任である。
他の者が行うことについては満足もありうる。しかし、自らが行うことについては責任があるだけである。自らが行うことについては常に不満がなければならず、常によりよく行おうとする欲求がなければならない。
『現代の経営(下)』 p160-161より引用
実は、そもそも働く人が責任を欲しようと欲しまいと関係はない。働く人に対しては責任を要求しなければならない。企業は仕事が立派に行われることを必要とする。もはや恐怖を利用することができなくなった今日、企業は働く人に対し、責任をもつよう励まし、誘い、必要ならば強く求めることによって、仕事が立派に行われるようにする必要がある。
『現代の経営(下)』 p162より引用
仕事が一人で行うには大きすぎたり複雑で難しい場合には、連続的かつ機械的に結び付けられた個々の人間の仕事ではなく、チームで行う必要がある。ともに働く人は社会的な集団としてのチームを形成する。仕事の関係に重ねて、仕事の関係を超えた人間関係をつくる。
『現代の経営(下)』 p154
その社会的な集団が求めるものと仕事の組織が衝突するとき、犠牲にされるのは仕事のほうである。
したがって、最高の仕事を組織するための第一の要件は、社会的な集団とその一体性が仕事に直接貢献するようにすることである。少なくとも両者の衝突を避けることである。
『現代の経営(下)』 p154
これを実現するには、チームの仕事を独立したものにする必要がある。すなわち、まとまった仕事、独立した段階としての仕事、しかもスキルと判断についてなにがしかの挑戦の要素を含む仕事にする必要がある。
『現代の経営(下)』 p154
われわれは未来について、二つのことしか知らない。一つは、未来は知りえない。二つは、未来は、今日現存するものとも今日予測するものとも違う。
これは、新しくもなければ驚くべきものでもない。だが重大な意味をもつ。
第一に、今日の行動の基礎に、予測を据えても無駄である。望みうることは、すでに発生したことの未来における影響を見通すことだけである。
第二に、未来は今日とは違うものであって、かつ予測できないものであるがゆえに、逆に予測できないことを起こすことは可能である。
『創造する経営者』 p229
もちろん何かを起こすにはリスクが伴う。しかしそれは合理的な行動である。何も変わらないという居心地のよい仮定に安住したり、ほぼ間違いなく起こることについての予測に従ったりするよりもリスクは小さい。
『創造する経営者』 p229
第一に、経済や社会の不連続性の発生とそれがもたらす影響との間の時間的な差を発見し、利用することである。すなわち、すでに起こった未来を予測することである。
第二に、来るべきものについて形を与えるためのビジョンを実現すること、すなわち自ら未来を発生させることである。
『創造する経営者』 p230-231
自己開発とは、スキルを修得するだけでなく、人間として大きくなることである。おまけに、責任に焦点を合わせるとき、人は自らについてより大きな見方をするようになる。うぬぼれやプライドではない。誇りと自信である。一度身につけてしまえば失うことのない何かである。目指すべきは、外なる成長であり、内なる成長である。
『非営利組織の経営』 p211より引用
リーダーをリーダーたらしめるものは肩書ではない。範となることによってである。そして最高の範となることが、ミッションへの貢献を通じて自らを大きな存在にし、自らを尊敬できる存在にすることである。
『非営利組織の経営』 p211より引用
機会を必要とせず、あるいは機械を必要としても機械に仕えさせている知識労働とサービス労働の場合、成果に貢献しない雑事は、すべて意識的に排除していくことが必要である。さもなければ知識労働者とサービス労働者は脇に逸れ、成果に集中しなくなる。雑事の排除こそが、知識労働とサービス労働の生産性向上の最高の方途である。
『ポスト資本主義社会』 p114より引用
知識労働者とサービス労働者のあらゆる活動について、「本来の仕事か」「本来の仕事に必要か」「本来の仕事に役立つか」「本来の仕事がやりやすくなるか」を問わなければならない。答えがノーならば、そのような活動は仕事ではなく雑事にすぎない。独立した別個の仕事にするか、なくしてしまう必要がある。
『ポスト資本主義社会』 p115より引用
雑事は、本来の仕事の生産性を破壊するだけではない。仕事への動機づけと誇りを台無しにする。
『ポスト資本主義社会』 p115より引用
第二次世界大戦中とその直後、私が初めてマネジメントの研究を始めた頃、経営管理者とは「部下の仕事に責任をもつ者」と定義されていた、いい換えればボスであり、地位と権力を意味した。
いまなお多くの人たちが、マネジメントというと心に描くであろう定義がこれである。しかし一九五〇年代の初めにはすでに、経営管理者とは「他の人の働きに責任をもつ者」と定義されるようになっていた。しかも今日われわれは、この定義さえあまりに狭義であることを知っている。正しくは「知識の応用とその働きに責任をもつ者」である。
『ポスト資本主義社会』 p59より引用
このような定義の変化は、知識が中心的な資源と見られるようになったことを意味する。今日では、土地、労働、資本は主に制約条件として重要である。それらのものがなければ、知識といえども何も生み出せないし、経営管理者がマネジメントの仕事をすることもできない。だがすでに今日では、効果的なマネジメント、すなわち知識の知識への応用がなされれば、他の資源はいつでも手に入れられるようになっている。
『ポスト資本主義社会』 p58-59より引用
イノベーションと技術変化の時代にあっては経済政策が難しい。おそらく企業家が行うべきことよりも難しい。特に新しい産業が生まれる時代にあっては、政策が生産資源の移動を妨げることがあってはならない。人と資金は、常に最も生産的な仕事に移動できなければならない。
『断絶の時代』 p48より引用
人の移動の自由は一人ひとりの人間にとって必要である。生産的でない雇用は所得も低い。生産的な仕事への移動を妨げることは、結局は低い所得を押しつけることになる。事実そのような政策は、一人ひとりの人間に対し、失業あるいはその不安をもたらす。
『断絶の時代』 p48より引用
生産的であれば仕事は楽しく満足も大きい。このことは、生産的な仕事が知識労働となっている今日特にいえる。知識労働では、仕事を楽しみ、かつ仕事に誇りをもちつつ、生計を立てることができる。
『断絶の時代』 p48より引用
世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする
グーグルのミッションは、簡潔である点と、多くのことが話題になっていない点で際立っている。利益も市場も出てこない。顧客、株主、ユーザーにも触れていない。これがわが社のミッションなのはなぜか、これらの目標を追求しているのは何のためなのかもわからない。むしろ、情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることが良いのは自明だと考えられている。
この種のミッションが個人の仕事に意味を与えるのは、それが事業目標ではなく道徳だからだ。歴史上きわめて大きな力を振るった運動は、そこで求められたものが独立であれ平等な権利であれ、道徳的な動機を持っていた。こうした考え方を拡張しすぎたくはないが、革命を起こすのは利益や市場シェアではなく理念だと言っていいだろう。
『ワーク・ルールズ!』 p64より引用
富の主は天下の人々なり。主の心も我が心と同きゆへに我一銭を惜む心を推て、賣物に念を入れ少しも粗相にせずして賣渡さば、買人の心も初は金銀惜しと思へども、代物の能を以て、その惜む心を自ら止むべし。惜む心を止善に化するの外あらんや。
『都鄙問答』 石田梅岩 (岩波文庫) p26
企業とは何かを知るためには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、それぞれの企業の外にある。企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的の定義は一つしかない。それは、顧客を創造することである。
『マネジメント エッセンシャル版』 p15
商人の道を知らざる者は、貪ることを勉めて家を亡ぼす。商人の道を知れば、欲心を離れ、仁心を以て勉め、道に合って栄ゆるを学問の徳とす。
『都鄙問答』 石田梅岩 (岩波文庫) p57
マネジメント層が自分たちの誠実さや真剣さを証明するには、最終的には、人間としての高潔さをどこまでも訴えつづけるほかない。
『マネジメント 務め、責任、実践 Ⅲ』 有賀裕子(訳)p206
しかし経営管理者であるということは、親であり教師であるということに近い。そのような場合、仕事上の真摯さだけでは十分ではない。人間としての真摯さこそ、決定的に重要である。
『現代の経営(下)』 上田惇生(訳) p221
マネジャーにできなければならないことは、そのほとんどが教わらなくとも学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、初めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。
『マネジメント[エッセンシャル版]』 p130
真摯さを絶対視して、初めてマネジメントの真剣さが示される。それは人事に表れる。リーダーシップが発揮されるのは、真摯さによってである。範となるのも、真摯さによってである。真摯さは、取って付けるわけにはいかない。
『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 上田惇生(訳) p109
マネジメント層が自分たちの誠実さや真剣さを証明するには、最終的には、人間としての高潔さをどこまでも訴えつづけるほかない。これは、「人材」をめぐる判断に何よりも強く表れるはずである。というのも、リーダーシップは人柄を通して発揮される。模範を示し、追随を招くのもまた、人柄なのである。人柄は後天的に変えられるものではない。
『マネジメント 務め、責任、実践 Ⅲ』有賀裕子(訳) p206
人間性と真摯さは、それ自体では何事もなしえない。しかしそれらがなければ、ほかのあらゆるものを破壊する。したがって、人間性と真摯さに関わる欠陥は、単に仕事上の能力や強みに対する制約であるにとどまらず、それ自体が人を失格にするという唯一の弱みである。
『経営者の条件』 p120
組織が生き残りかつ成功するためには、自らがチェンジ・エージェント、すなわち変革機関とならなければならない。変化をマネジメントする最善の方法は、自ら変化をつくりだすことである。
経験の教えるところによれば、既存の組織にイノベーションを移植することはできない。組織自らが、全体としてチェンジ・エージェントへと変身しなければならない。
『ネクスト・ソサエティ』 p63より引用
そのためには、第一に、成功していないものはすべて組織的に廃棄しなければならない。第二に、あらゆる製品、サービス、プロセスを組織的かつ継続的に改善していかなければならない。すなわち日本でいうカイゼンを行わなければならない。第三に、あらゆる成功、特に予期せぬ成功、計画外の成功を追求していかなければならない。第四に、体系的にイノベーションを行っていかなければならない。
『ネクスト・ソサエティ』 p63より引用
チェンジ・エージェントたるための要点は、組織全体の思考態度を変えることである。全員が、変化を脅威でなくチャンスとして捉えるようになることである。
『ネクスト・ソサエティ』 p63より引用
会社がつぶれたときの責任は、明らかに「社長ただ一人」にある。
社会のすべての批判は、文字通り「社長だけ」に集中する。副社長や専務が責任を追及されることは絶対にない。
文字通り「ワンマンの責任」なのである。このような意味合いからも、”ワンマン経営”が正しいのである。
このことを知っておれば、心ない人々が「あの人はワンマン社長だ」などという言葉が、いかに誤っているか分かるはずである。
合議制、民主経営などということはまったくの誤りで、「ワンマン経営」以外はありえないのである。
『経営の思いがけないコツ』 p190より引用
何事も部下に相談し、会議で決めるというようなことは、厳しい現実に対しては、決して正しいことではない。
部下に相談したくてもできない、会議にかけたくてもかけられない、ということもある。それらのことは、それが重要なことであればあるほど起こる可能性が高いということを、社長以外の人々は心得ていなければならないのだ。
何事も部下に相談するというのは、”管理”に関することであって、”経営"にはまったく当てはまらないのである。
『経営の思いがけないコツ』 p191より引用
経営管理者は部下とともに生き、部下の仕事を決め、部下を方向づけし、部下を訓練し、部下の成果を評価し、しばしば部下の将来を左右する。商人とその顧客、自由業者とその顧客の間に必要とされているものは、仕事上の真摯さにすぎない。
しかし経営管理者であるということは、親であり教師であるということに近い。そのような場合、仕事上の真摯さだけでは十分ではない。人間としての真摯さこそ、決定的に重要である。
『現代の経営(下)』 p221より引用
もし読者の会社の社風がすばらしいと、外部からの評判であれば、社長は今の行き方を自信をもって、進めていただきたい。しかし、ちょっと気になるような評判を耳にするようなことがあったら、その原因は社長自らがおつくりになっていると自覚してほしいものだ。
すなわち、社長の器、あるいは社長の人格が、社格を決めると言っても過言ではないということである。
『社長が絶対に守るべき経営の定石<50項>』 p411-412より引用
経営を術と捉えてテクニックに溺れる、ということなく、人の道に反することのないよう社会のため、従業員のためと、あらゆる人の道に通じるよう、いわば経営道を自らのなかで築くことができれば、会社というのは自ずと良いものになっていく。
だから、スター精密という会社を率いていく以上、我々は常に人格を高め、経営道を極めていく努力を怠ってはならない。
『社長が絶対に守るべき経営の定石<50項>』 p412-413より引用
リーダーシップとは人を惹きつけることではない。惹きつけるだけでは扇動者にすぎない。友だちをつくり、影響を与えることでもない。それでは人気取りに過ぎない。
『マネジメント(中)』 p111より引用
リーダーシップとは、人のビジョンを高め、成果の水準を高め、通常の限界を超えて人格を高めることである。そのようなリーダーシップの基盤として、行動と責任についての厳格な原則、成果についての高度の基準、個としての人と仕事に対する敬意を、日常の実践によって確認していくという組織の精神に勝るものはない。
『マネジメント(中)』 p111より引用
1.マネジメントの役割が要求するさまざまな体質を一人で併せ持つことは不可能である。
2.一人ではこなしきれない量がある。
3.一人だと継承の問題がある。
4.ワンマン体制では企業が成長できない。
『マネジメント(下)』 p20より抜粋して引用
第一に、トップマネジメント・チームのメンバーは、それぞれの担当分野において最終的な決定権をもつ。各メンバーの決定に対し、他のメンバーが異議を唱えることはできない。
第二に、トップマネジメント・チームのメンバーは、自らの担当以外の分野について意思決定を行うことはできない。
第三に、トップマネジメント・チームのメンバーは、仲良くする必要はない。尊敬しあう必要もない。ただし攻撃し合ってはならない。
第四に、トップマネジメントは委員会ではない。チームである。チームにはキャプテンがいる。キャプテンはボスではなくリーダーである。
第五に、トップマネジメント・チームのメンバーは、自らの担当分野では自ら意思決定を行わなければならない。しかし、ある種の意思決定はチームに留保する必要がある。それらはチームとしてのみ判断しうる問題である。
第六に、トップマネジメントの仕事は、トップマネジメント・チーム内のコミュニケーションに精力的に取り組むことを要求する。
『マネジメント(下)』 p26-29より抜粋して引用
基準を設定する役割、すなわち組織全体の規範を定める役割、良識機能を果たす役割がある。組織には、目的と実績の違いに取り組む機関が必要である。
『マネジメント(下)』 p10より引用
一般の人の無知を訴える企業人自身が、同じ無知という罪を犯している。彼ら自身、利益や利益率について初歩的なことを知らない。
(中略)
利益に関する最も基本的な事実は、「そのようなものは存在しない」ということだからである。存在するのはコストだけなのである。
P.F.ドラッカー 『すでにおこった未来』p57より引用
およそ企業の内部には、プロフィットセンターはない。内部にあるのはコストセンターである。技術、販売、生産、経理のいずれも、活動があってコストを発生させることだけは確実である。しかし成果に貢献するかはわからない。
P.F.ドラッカー『創造する経営者』p5より引用
管理可能な支出については、好況時に予算を増額し、景気にちょっとしたかげりが見えただけでそれを減額するような場当たり的な方法ではなく、たとえ間違っていたとしてもマネジメントの判断によって行う必要がある。
管理可能な支出については長期的な視点が必要である。あらゆる活動が短期間だけ強化しても成果はあがらない。しかも支出の急激な減額は、長年築いてきたものを一日で壊す。
P.F.ドラッカー 『現代の経営(上)』 p117より引用
例えば、事業の目標として利益を強調することは、事業の存続を危うくするところまでマネジメントを誤らせる。今日の利益のために明日を犠牲にする。売りやすい製品に力を入れ、明日のための製品をないがしろにする。研究開発、販売促進、設備投資を目まぐるしく変える。そして何よりも資本収益率の足を引っ張る投資を避ける。そのため、設備は危険なほどに老朽化する。言い換えるならば、最も稚拙なマネジメントを行うよう仕向けられる。
P.F.ドラッカー 『現代の経営(上)』 p82より引用
今日マーケティングと称されているものの多くは、せいぜい、販売予測、出入庫、広告を統合した体系的販売活動に過ぎない。もちろんそれはそれでよいことである。
しかしそれらのマーケティングは、依然としてわが社の製品、わが社の顧客、わが社の技術からスタートしている。内部からスタートしている。
『創造する経営者』 p117-118より引用
(1) 顧客と市場を知るのは、顧客のみ
(2) 顧客は満足を買う
(3) 競争相手は同業他社にとどまらない
(4) 質を決めるのは企業ではない
(5) 顧客は合理的である
(6) 顧客の企業に対する関心は些細なものである
(7) 決定権をもつ者、拒否権をもつ者
(8) 市場や用途から顧客を特定する
『創造する経営者』p118-129より引用
市場の現実からいえることは一つだけである。すなわち、事業にとって重要なことは、顧客の現実の世界、すなわちメーカーやその製品がかろうじて存在を許されるに過ぎない外部の現実の世界を知ることだということである。
『創造する経営者』 p129より引用
人口構造の変化と同じように重要でありながら、経営戦略上ほとんど関心を払われていない二一世紀の現実として、支出配分の変化がある。二一世紀に入ってからの数十年というものは、この支出配分の変化が、人口構造の変化と同じように大きな意味をもつ。
『明日を支配するもの』 p57より引用
1.われわれのミッションは何か?
2.われわれの顧客は誰か?
3.顧客にとっての価値は何か?
4.われわれにとっての価値は何か?
5.われわれの計画は何か?
『経営者に贈る5つの質問』より引用
何ごとにも満足することなく、すべてを見直していかなければならない。だが最も見直しが求められるのは、成功しているときである。下向きに転じてからでは遅い。
明日の社会をつくっていくのは、あなたの組織である。そこでは全員がリーダーである。ミッションとリーダーシップは、読むもの、聞くものではない。行うものである。
『経営者に贈る5つの質問』 p7-8より引用
①事業の目的を考えるという役割
②基準を設定する役割、すなわち組織全体の規範を定める役割
③組織をつくりあげ、それを維持する役割
④トップの座にある者だけの仕事として渉外の役割
⑤行事や夕食会への出席など数限りない儀礼的な役割
⑥重大な危機に際しては、自ら出動するという役割、著しく悪化した問題に取り組むという役割
『エッセンシャル版 マネジメント』 p224より抜粋
この日本人の美意識を西洋や中国の美意識と対照するならば、西洋画は基本的に幾何学であると規定することができる。近代的な西洋絵画が、一四二五年ごろの直接投影法の再発見、すなわち幾何学による空間の征服とともにはじまったということは偶然ではない。
これに対して、中国の絵画は代数学である。中国画では比例が支配する。それは儒教の倫理と同じである。
それらに対して、日本画は位相的である。位相は、形と線が空間によって規定される。それは、直線と曲線の区別がないという面と空間の特性を扱い、一七〇〇年ごろに成立した数学の一分野である。位相は角度や渦巻きや境界線を扱う。それは、空間を規定するものではなく、空間が規定するものを扱う。
日本の画家は、その美意識において位相的である。彼らはまず空間を見て、次に線を見る。線からスタートすることはない。
『すでに起こった未来』 p256より引用
日本の近代社会の成立と経済活動の発展の根底には、日本の伝統における知覚の能力がある。これによって日本は、外国である西洋の制度や製品の本質と形態を把握し、それらを再構成することができた。日本画から見た日本について言える最も重要なことは、日本は知覚的であるということである。
『すでに起こった未来』 p268より引用
マネジメントがその権限を認められるうえで必要とされるものが、正統性である。マネジメントたる者は、自らの権限の基盤を、組織なるものの目的と特性に由来するところの正統性に置かなければならない。
『マネジメント(下)』p300-301より引用
社会的な目的を達成するための手段としての組織の発明は、人類の歴史にとって一万年前の労働の分化に匹敵する重要さをもつ。組織の基盤となる原理は、「私的な悪徳は公的となる」ではない。「私的な強みは公益となる」である。これが、マネジメントの正統性の根拠である。マネジメントの権限の基盤となりうる正統性である。
『マネジメント(下)』p302より引用
マネジメントは制御されず制御しえず、したがって専制的たらざるをえない存在としての中央権力の僕ではないという意味において私的な存在である。と同時に、意識して公然と、公的なニーズを自らの自立した組織にとっての私的な機会に転換すべく働くという意味において、公的な存在である。
『マネジメント(下)』p303より引用
自立した存在としての組織のマネジメントたらんとするのであれば、自らを公的な存在としえなければならない。すなわち組織としての責任の真髄、一人ひとりの人間の強みを生産的なものとし、成果をあげさせるという責任を負わなければならない。
『マネジメント(下)』p304より引用
あらゆる組織が三つの領域における成果を必要とする。すなわち、直接の成果、価値への取り組み、人材の育成である。これらすべてにおいて成果をあげなければ、組織は腐り、やがて死ぬ。したがって、この三つの領域における貢献をあらゆる仕事に組み込んでおかなければならない。
P.F.ドラッカー 『経営者の条件』 第3章 p81より引用
For every organization needs performance in three major areas
(”The Effective Executive” p55)
自己目標管理(MBO:Management by Objectives and Self-control)の最大の利点は、自らの仕事を自らマネジメントできるようになることにある。自己管理が強い動機づけをもたらす。適当にこなすのではなく、最善を尽くす願望を起こさせる。目標を上げさせ、視野を広げさせる。
『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 p83より引用
ここまで本書において、私は管理という言葉はあまり使っていない。評価という言葉を使ってきた。これは意図してのことだった。管理という言葉は誤解を生みやすい。管理という言葉は、自らと自らの仕事を方向づける能力を意味する。しかし、人を支配する能力も意味する。目標は前者の意味での管理の手段でなければならない。後者の意味での管理のためのものであってはならない。それではすべてが台無しである。
『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 p84より引用
自己目標管理の値打ちは、支配によるマネジメントの代わりに、自己管理によるマネジメントを可能にするところにある。
『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 p84より引用
今日、目標管理すなわち目標によるマネジメントについての議論のほとんどが、「唯一の正しい目標」を探求するものである。しかしそれは、賢者の石を探し求めるように空しいだけではない。明らかに毒をなし、誤って人を導く。
例えば、事業の目標として利益を強調することは、事業の存続を危うくするところまでマネジメントを誤らせる。今日の利益のために明日を犠牲にする。
『現代の経営(上)』 p82より引用
(1) 目標とは「われわれの事業は何か。何になるか。何であるべきか」という問いから導き出されるものである。
(2) 第二に、目標とは、行動のためのものである。具体的な仕事と成果に、そのままつながるものである。仕事と成果にとって、基準となり動機づけとなるものである。
(3) 第三に、目標とは、資源と行動の集中を可能にするものである。事業活動のうち重要なものを区別し、人、金、物という主たる資源の集中を可能にするものである。
(4) 第四に、目標とは、一つではなく、複数のものである。
(5) 第五に、目標とは、事業の成否に関わる領域すべてについて必要である。
『マネジメント(上)』p128-129より要約して引用
(1) マーケティング
(2) イノベーション
(3) 人的資源
(4) 資金
(5) 物的資源
(6) 生産性
(7) 社会的責任
(8) 必要な条件としての利益
『マネジメント(上)』p130より引用
老フォードは、フォード社を個人の所有物としてマネジメントした。そして彼の経験は、法律上の規定はどうあれ、近代企業がそのようにはマネジメントされえないことを明らかにした。企業に寄託された資源は、一人の人間の一生という時間的な制約を超えて富を生む。企業は永続する。そのためには経営管理者が必要である。
また、企業のマネジメントはあまりに複雑であって、たとえ中小であっても一人の人が助手を使って行うことはできない。組織化され一体化したチームが必要である。チームのメンバーが、それぞれマネジメントの仕事を行うことが必要である。
『現代の経営(上)』 p162より引用
確かに発生学的には、マネジメントは、小さな事業のオーナーが一人では果たせなくなった仕事を助手たちに代理させることから生まれる。そして事業の成長すなわち量的な変化が、マネジメントを必要不可欠の存在にする。しかし、そこにもたらされる変化は質的なものである。
『現代の経営(上)』 p163より引用
ひとたび企業となるや、マネジメントの機能はもはやオーナーの助手として定義することはできない。マネジメントは客観的なニーズによる機能をもつ。それらの機能を軽視し否定することは、企業そのものを破滅させる。
『現代の経営(上)』 p163より引用
仕事とはプロセスである。プロセスはすべて管理しなければならない。したがって、仕事を生産的なものとするには、仕事のプロセスに管理手段を組み込まなければならない。
『マネジメント(上)』p266より引用
あらゆる仕事がそれぞれ管理を必要とする。標準などはない。しかし、管理には共通の条件がある。
『マネジメント(上)』p266より引用
(1) 第一に、仕事のプロセスを管理することは、仕事を管理するということであって働く人を管理することではない。管理とは、人の道具(ツール)であって人の主人となるべきものではない。しかも、それは働くことの妨げとなってはならない。
(2)第二に、管理手段は予め設定しておかなければならない。基準と基準からの乖離の許容範囲を決めておく。管理とは本質的に例外管理である。基準からの乖離が大きな場合に限り、管理が作動するのでなければならない。
(3)第三に、管理は、仕事の成果からのフィードバックによって行わなければならない。仕事自身が管理のための情報を提供するようにしておく。仕事そのものを常時チェックしていかなければならないというのでは、管理はできない。
時間は特異な資源である。主要な資源のうちでは、資金は豊富にある。経済発展や経済活動の阻害要因になっているものは、資金供給ではなく資金需要であるとさえいってよい。もう一つの資源である人材は、雇うことができる。ところが時間は、借りたり、雇ったり、買ったりして増やすことができない。
時間の供給は硬直的である。需要が大きくとも供給は増加しない。価格もない。限界効用曲線もない。簡単に消滅し、蓄積もできない。永久に過ぎ去り決して戻らない。したがって時間は常に著しく不足する。
P.F.ドラッカー 『経営者の条件』 p46-47より引用
時間資本主義の時代においても、需要と供給で価格が決まるという原則は変わらない。しかし、これからは物やサービスを選ぶ際に、「時間価値」という新しい選択要素が組み込まれる。価格とその物・サービスから得られる満足度が見合っているだけでなく、時間制約から抜け出せる付加価値を提供する物・サービスほど需要が高まり、価格は上がっていく。
『時間資本主義の到来』 p 64より引用
1.その物やサービスを使うことによって時間が短縮でき、有意義な時間が生み出される=「節約(saving)時間価値」
2.その物やサービスを利用することによって、有意義な時間が生み出される=「創造(creative)時間価値」
『時間資本主義の到来』 p 64-65より引用
1.時間を生み出す。時間のかたまりを作るために、便利なサービスや仕組みはどんどん使う。間に挟まった細切れの時間も有効に活用する。
2.まとまった時間ができたなら、その時間の目的にあった正しい選択をして、効果的に生かす。仕事であっても遊びであってもその時間内に最大限の成果をあげる。
企業とは何かを知るためには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、それぞれの企業の外にある。企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的の定義は一つしかない。それは、顧客を創造することである。
『マネジメント エッセンシャル版』 p15より引用
市場をつくるのは、神や自然や経済的な力ではなく企業である。企業は、すでに欲求が感じられているところへ、その欲求を満足させる手段を提供する。それは、飢饉における食物への欲求のように、生活全体を支配し、人にそのことばかり考えさせるような欲求かもしれない。しかしそれでも、それは有効需要に変えられるまでは潜在的な欲求であるにすぎない。有効需要に変えられて、初めて顧客と市場が誕生する。
欲求が感じられていないこともある。コピー機やコンピュータへの欲求は、それが手に入るようになって初めて生まれた。イノベーション、広告、セールスによって欲求を創造するまで、欲求は存在しなかった。
『マネジメント エッセンシャル版』 p15-16より引用
知識によって生計を立てられるようになったのは組織社会になったからであり、組織が存在し機能しうるようになったのは、多くの人が高度の学校教育を受けるようになったからである。
マネジメントは、この二つの発展の原因であり結果である。マネジメントは、組織が機能し、それぞれの使命を遂行することを可能にする機関である。
『マネジメント(下)』p297より引用
組織をして、社会、経済、コミュニティ、一人ひとりの人間のために成果をあげさせることが、今日のマネジメントの役割である。
『マネジメント(下)』p298より引用
マネジメントの第一の役割は、組織が自らの使命を果たすようマネジメントすることである。成果をあげることである。第二の役割は、仕事を生産的なものにし働く者に成果をあげさせることである。第三に、よりよい社会をつくることである。
『マネジメント(下)』p299より引用
社会から正統なものとしてその存在を是認されなければならない。
『マネジメント(下)』p300より引用
そのような正統性の根拠は一つしかない。それが組織の特性である。したがって、マネジメントの権限の基盤となるものである。すなわち、人の強みを生産的なものにすることである。組織とは、個としての人間一人ひとり、および社会的存在としての人間一人ひとりに貢献を行わせ、自己実現させるための手段である。
『マネジメント(下)』p302より引用
「あなたに本当に必要なのは、欲しいとおっしゃった商品より安い商品ですよ」
この方法では、最初の販売額は小さくなるが、新しい友人ができ、そのうちの何人かは、次の購入時期まであなたを覚えていてくれる。その人は間違いなくあなたやあなたの会社について、自分の友達にそのすばらしさを伝えてくれるだろう。
『ハイパワーマーケティング』 p65より引用
多くの人々が犯している致命的なミスは、間違ったものに愛着をもっていることである。
具体的にいえば、自社の製品、サービス、自分の会社に惚れ込んでいるのだ。
あなたは、自分の製品やサービス、または会社を盲目的に信じているに違いない。しかし、本当に愛着を持つべき相手は、あなたのクライアントなのだ。
『ハイパワーマーケティング』 p69より引用
グリーンコアでは、満室になった後に受けた「今日、空いていますか?」という宿泊予約の電話に対し、簡単に「満室です」で終わらせない。まずは、そのお客さまの連絡先を聞いて控える。次に、近隣ホテルの空き状況を電話で尋ね、もし空いていたらそこの予約を代わりに取って差し上げて、その旨を伝える。もし、どこも満室で部屋が取れない場合は、部屋が空き次第伝える。
そうやって宿泊希望のウェイティングリストが出来上がる。多いときで五組くらいになる。
『包むマネジメント』 p145-146より引用
「まず、全員が欲しがるということはあり得ないでしょう。あり得ないことを想定して行動を止めるという判断が、いろんなことのネックになっていると思います。もし、万が一にでも『全員が欲しい』というようなことになったら、今度は販売すればいいんです。あり得ないリスクを想定して行動しないという判断は、グリーンコアの美徳に反することなのです。まずは、行動してみよう。もし失敗だったら軌道修正すればいいんです」
『包むマネジメント』 p80より引用
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