朝夕の寒気が身にしみる季節となりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。
日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、少子高齢化が進む中で、知識労働、サービス労働の労働生産性向上は喫緊の課題と言えます。
ドラッカーは知識労働、サービス労働の生産性向上について「仕事への集中が最後の条件」であり、そのためには「雑事を排除すること」だと述べています。
機会を必要とせず、あるいは機械を必要としても機械に仕えさせている知識労働とサービス労働の場合、成果に貢献しない雑事は、すべて意識的に排除していくことが必要である。さもなければ知識労働者とサービス労働者は脇に逸れ、成果に集中しなくなる。雑事の排除こそが、知識労働とサービス労働の生産性向上の最高の方途である。
『ポスト資本主義社会』 p114より引用
雑事とはその人に求められている中心的な仕事ではなく、付帯的な仕事のことです。例えば、医師ならば診察や手術などをすることが本来の仕事ですが、カルテの整理、医薬品の発注などの付帯的な業務が増えていくと、本来の業務のための時間が削がれてしまうことになります。
最近、大病院では医師の傍らにセクレタリーがいて、診察中にカルテとは別の記録事務を行っています。これなどは雑事を排除している典型的な事例ではないでしょうか。
知識労働者とサービス労働者のあらゆる活動について、「本来の仕事か」「本来の仕事に必要か」「本来の仕事に役立つか」「本来の仕事がやりやすくなるか」を問わなければならない。答えがノーならば、そのような活動は仕事ではなく雑事にすぎない。独立した別個の仕事にするか、なくしてしまう必要がある。
『ポスト資本主義社会』 p115より引用
医療の現場では高度に専門的な判断が求められますから、医師には診断や治療に専念してほしいと思います。そのための雑事排除です。
雑事は、本来の仕事の生産性を破壊するだけではない。仕事への動機づけと誇りを台無しにする。
『ポスト資本主義社会』 p115より引用
さて問題は、医師同様に知識労働者である経営者の場合です。経営者にとって、まず、どの仕事が本来の仕事か分かりずらいという現実があります。そして分からないまま、あらゆる仕事を引き受けてしまいます。特に自分が得意なことはやってしまいたくなります。
また仕事に見える雑事として、団体などを通じた社会的な活動や経営者同士の交流があります。社会的な活動は大切だと思いますが、それをどれだけ熱心に行っても、商品やサービスはよくなりませんから、本来の仕事ではありません。
お客さまにもっと喜んで頂けるように、私は経営者として「本来の仕事」をしなくてはなりません。そのために雑事を見極め、排除していくことです。経営者に課せられた使命であると自戒しております。
いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。今月もご指導のほどよろしくお願いいたします。
参考文献:『ポスト資本主義社会』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)

Hitoshi Yonezu at 10:00
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