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さて、組織においてはごく当たり前にマネジメントが遂行されています。しかし、組織のトップはなぜマネジメントを遂行してよいのでしょうか。
ドラッカーは次のように述べています。
マネジメントがその権限を認められるうえで必要とされるものが、正統性である。マネジメントたる者は、自らの権限の基盤を、組織なるものの目的と特性に由来するところの正統性に置かなければならない。
『マネジメント(下)』p300-301より引用
正統性とは組織におけるマネジメントの妥当性と言ってもよいでしょう。内閣総理大臣が政治を行うことに正統性があるのと同様に、組織においてマネジメントを行うには正統性がなくてはならないのです。企業ならば、社長はなぜマネジメントを執行していいのか?ということです。
社会的な目的を達成するための手段としての組織の発明は、人類の歴史にとって一万年前の労働の分化に匹敵する重要さをもつ。組織の基盤となる原理は、「私的な悪徳は公的となる」ではない。「私的な強みは公益となる」である。これが、マネジメントの正統性の根拠である。マネジメントの権限の基盤となりうる正統性である。
『マネジメント(下)』p302より引用
いまやほとんどの個人は組織に所属しています。組織のトップは所属する個人の強みを生かして組織として社会に対して成果をあげます。一方、個人は組織という道具を使って自己実現を果たします。
私的な強みは、個人のためだけに使われるのではなく、社会がよくなるために使われるのです。その機能を果たすのが組織です。
マネジメントは制御されず制御しえず、したがって専制的たらざるをえない存在としての中央権力の僕ではないという意味において私的な存在である。と同時に、意識して公然と、公的なニーズを自らの自立した組織にとっての私的な機会に転換すべく働くという意味において、公的な存在である。
『マネジメント(下)』p303より引用
組織(企業)が公的な存在であることを見抜いたドラッカーの洞察はすごいですね。
私は民間企業を経営しておりますが、お客さまのニーズにお応えしてご満足頂くという意味においては、公的な存在でなくてはならないのです。逆に、当社が一円でも多く利益を上げるためにお客さまのニーズを利用するとしたら、これは私的な存在です。おかしいですね。ドラッカーの考えとは全く違います。
自立した存在としての組織のマネジメントたらんとするのであれば、自らを公的な存在としえなければならない。すなわち組織としての責任の真髄、一人ひとりの人間の強みを生産的なものとし、成果をあげさせるという責任を負わなければならない。
『マネジメント(下)』p304より引用
実はこの文章はドラッカーの『マネジメント 課題、責任、実践』三分冊のいちばん最後の文章です。大事なことが書かれていると思います。
経営者はお客さまに喜んで頂くという大きな目的があります。同時に、その実現のために働いてくれている社員たちの強みを生かして、生産性を上げ、成長させるという責任があります。
これこそがマネジメントの正統性です。
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参考文献:
『マネジメント 課題、責任、実践(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
参考ブログ:「マネジメントの正統性」
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e1591537.html

Hitoshi Yonezu at 10:00
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