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さて「江戸時代のドラッカー」と呼ばれる人物を、みなさまはご存知でしょうか。
ドラッカーが活躍した時代(1909~2005)は江戸時代よりもずっと後のことです。親日であったドラッカーですが、生前その人物のことを知っていたどうかは定かではありません。しかし、その人物の文章を読むと、ドラッカーと似ている部分が浮き上がってくるのです。
その人物とは、石門心学で知られる江戸時代の思想家、倫理学者、石田梅岩(1685-1744)です。
梅岩の次の文章をご覧ください。
富の主は天下の人々なり。主の心も我が心と同きゆへに我一銭を惜む心を推て、賣物に念を入れ少しも粗相にせずして賣渡さば、買人の心も初は金銀惜しと思へども、代物の能を以て、その惜む心を自ら止むべし。惜む心を止善に化するの外あらんや。
『都鄙問答』 石田梅岩 (岩波文庫) p26
・・・富の根源は世の中のお客さまです。心をこめて商品を仕上げ、お客さまにお売りすれば、はじめはお金が惜しいと思っていたとしても、やがてその商品を買ってよかった、と思っていただけるでしょう。・・・
私なりに意訳しましたが、これはドラッカーの「顧客の創造」と似ているのです。
企業とは何かを知るためには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、それぞれの企業の外にある。企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的の定義は一つしかない。それは、顧客を創造することである。
『マネジメント エッセンシャル版』 p15
経営(商売)の倫理について、梅岩は次のように述べています。
商人の道を知らざる者は、貪ることを勉めて家を亡ぼす。商人の道を知れば、欲心を離れ、仁心を以て勉め、道に合って栄ゆるを学問の徳とす。
『都鄙問答』 石田梅岩 (岩波文庫) p57
・・・経営の倫理を知らない者は、お金を求めるばかりになり、会社を亡ぼすでしょう。倫理を学んで理解できるようになれば、欲求から離れ、仁の心で経営に努めるようになるでしょう。・・・・
経営の倫理的なことについてドラッカーの文章を探すと次のようなものが見つかります。
マネジメント層が自分たちの誠実さや真剣さを証明するには、最終的には、人間としての高潔さをどこまでも訴えつづけるほかない。
『マネジメント 務め、責任、実践 Ⅲ』 有賀裕子(訳)p206
しかし経営管理者であるということは、親であり教師であるということに近い。そのような場合、仕事上の真摯さだけでは十分ではない。人間としての真摯さこそ、決定的に重要である。
『現代の経営(下)』 上田惇生(訳) p221
江戸時代に経営(商売)を説いていた人がいたことに驚きましたし、うれしかったです。
実は「江戸時代のドラッカー」と聞いて興味がわき、ほうぼうの書籍をひっくり返して調べてみましたが、東洋と西洋という文化の違いがあり、産業革命の前後という時代の違いもあり、同じといえるような文章はありませんでした。これについては少しがっかりしました。考え方が近いということだと思います。
ドラッカーは日本の水墨画を研究し、展覧会を開けるほど膨大なコレクションをもっていました。日本の財閥の起源について言及した文章もあります。もしも石田梅岩を知っていたとしたら、そこに日本的な経営の原点を見たかもしれません。
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参考文献:
『都鄙問答』 石田梅岩 (岩波文庫)
『マネジメント 課題、責任、実践(下)』
P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
『マネジメント 務め、責任、実践 Ⅲ』
P.F.ドラッカー(著) 有賀裕子(訳) (日経BP社)
『マネジメント [エッセンシャル版]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)

Hitoshi Yonezu at 10:00
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