三木清さんの『人生論ノート』より引用します。
機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。
三木清著 『人生論ノート』より引用
鳥の歌うが如くおのずから外に現れて・・・・・・
幸福であるならばそこまで表現しなくてはいけないのか・・・・・・驚きました。
かつて厳しい問題に対峙していたとき、どんなに辛い状況がふりかかろうと、表面でも心の中でも決して後ろ向きにならず、幸せであることを自分で確信していよう、とずっと誓っていました。
それはそれで自分への試練となり、よい経験になりました。
三木さんのおっしゃっていることは、それでは真の幸福ではないのです。
自分だけ幸福になって満足するのではなく、その幸福な気持ちを表現するというわけです。
同僚や家族にやさしい言葉をかけてみる、知らない人に挨拶をしてみる、タクシーのお釣りを運転手さんにあげてしまう、店員さんにやさしい笑顔を振り向けてみる、いろいろできることがあります。
幸福だと思ったら、何でもいいので、素直に表現した方がいいのです。
しばらく前のこと、段々のある坂道をキャリーバッグを引いて登っているおばあさんに遭遇しました。
キャリーバッグには車がついていますが、段を上げていくのが大変そうで、坂の途中で息を切らしていました。わずか10段ばかりでしたが「そこまで上げますね」と了解をとって、持ってあげたことがありました。
「おやさしい方ですね」と言われて、さっと上まで持っていきました。
すると、私を盗賊と勘違いしてしまったようです。キャリーバッグが持っていかれてしまうと思ったのでしょう。
「ギャー」と大きな声を出されてしまいました。
幸福の表現もなかなか難しいものです。

参考文献:『人生論ノート』 三木清 (新潮文庫)
参考ブログ:
「幸福の力」
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e834577.html
「希望を持つこと」
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e845347.html
「習慣がすべて」
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e900379.html
Hitoshi Yonezu at 10:00
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