念仏の効果

2012年09月10日

 私は自分で喪主となって葬儀を行ったことがありますし、その後法事も何度か行いました。

 最初は音が取れなかったご住職のお経も、経本を見ながら繰り返し聞いていると、耳が慣れてくるものです。

 専修念仏を主義とする浄土宗では、お経の中でも南無阿弥陀仏を繰り返し繰り返し唱える部分に特徴があるように思います。

 ご住職からは、おうちでは故人の顔を思い浮かべながら、南無阿弥陀仏を十回唱えてください、と言われます。

 念仏を唱えることは、一切衆生を救うため、という話は昨日のブログでご紹介しました。
 http://highlyeffective.naganoblog.jp/e1096606.html

 では念仏はどのような力をもっているのでしょうか。

 阿満利麿さんのご著書『法然入門』より引用します。
  
 念仏は、私が口で称える行為であり、そのかぎりでは念仏の主体はあくまでも私にある。だが、「わが名を呼べ」というのは、阿弥陀仏の要請なのであるから、念仏するということは、その要請を受け入れて、その名を呼ぶことになる。そこには、当然のことながらわが名を呼べという阿弥陀仏の行為がはたらくことになる。その意味で、念仏は人間の行為であると当時に阿弥陀仏の行為ともなる。


                     『法然入門』より引用 


 念仏が阿弥陀仏の行為だというのは驚きでした。そういう話を聞くと、念仏にも力が入りそうです。

 宗教の話は普段なかなかできませんし、できたとしても信者が話す教祖の話は美化されがちです。この本にもそういう面があることは否定できませんが、歴史や文化の面をから読んでみるとなかなか面白いです。

 今まで読んだキリスト教の文化や歴史の本は私には難しくてなじめなかったのですが、仏教のほうは比較的すんなり読めました。

  


 参考文献:『法然入門』 阿満利麿 (ちくま新書)
 

 参考ブログ:『不思議なキリスト教』を読んで
 http://highlyeffective.naganoblog.jp/e1000529.html

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