『不思議なキリスト教』を読んで

2012年04月29日

 ともに社会学者の、橋爪大三郎さんと大澤真幸さんの対談をまとめた講談社現代新書『不思議なキリスト教』を拝読いたしました。

 この本は大変売れているそうで、先日書店の店頭で見かけた時には帯に20万部突破と書いてありました。中央公論新社主催の「新書大賞2012」にも選ばれている本です。

 ただ、アマゾンの書評をみると賛否両論ですね。面白いという方もおれば、内容に間違いが多いと指摘されている方もいます。

 私もそこに参戦したいところですが、いかんせん私にはキリスト教および世界史のの知識が不足しています。断片的には読めるのですが俯瞰して読むことが難しかったです。面白いといえるまでのレベルに到達しませんでした。

 ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も元は同じ、ということはみなさまご存知かと思います。 
 
 ユダヤ教もキリスト教も「ほとんど同じ」なんです。たったひとつだけ違う点があるとすると、イエス・キリストがいるかどうか。そこだけが違う、と考えてください。
 少し補足しましょう。
 このふたつは、どこが同じか。「一神教」である。しかも、同じ神をあがめている。ユダヤ教の神は、ヤハウェ(エホバともいう)。その同じ神が、イエス・キリストに語りかけている。イエス・キリストは神の子だけれど、その父なる神は、ヤハウェなんです。それを「父」とか「主」とか「God」とか言っている。
 
                  『不思議なキリスト教』より引用


 いまは日本でもキリスト教式の結婚式を挙げる方が多いですね。

 結婚は本来、世俗のことがらで、キリスト教と関係なかったんですけども、教会は何百年もの長い時間をかけて、それを秘蹟(サクラメント)だということにした。教会が認める結婚が、正式な結婚になった。主導者である神の許可によって、結婚できるというわけです。どういうふうにこれが政治力になるかというと、封建領主の権力基盤は土地で、それを相続するでしょう。相続権は、正しい結婚から生まれた子どもに与えられることになっていったから、教会の協力がないと、封建勢力はみずからを再生産できない。世代交代のたびに、教会に挨拶が必要になる。王位継承や土地相続のたびに、教会に介入のチャンスが生まれる。これが政治的パワーになった。

              『不思議なキリスト教』より引用


 日本人の無神論については次にようなコメントがありました。

 日本人の考える無神論は、神に支配されたくないという感情なんです。「はまると怖い」とかも、だいたいそう。それは大多数の人々の共通感覚だから、もしそれを無神論というなら、日本人は無神論が大好きです。
 でも、これは、一神教の想定する無神論とはだいぶ違う。
 日本人が神に支配されたくないのは、そのぶん自分の主体性を奪われるから。日本人は主体性が大好きで、努力が大好きで、努力でよりよい結果を実現しようとする。その努力をしない怠け者が大嫌いで、神まかせも大嫌い。と考える人びとなのです。

                   『不思議なキリスト教』より引用



 少し引用が長くなってしまいました。部分的には興味深いところがたくさんあります。

 キリスト教にお詳しい方にはもっと面白く読めるのではないかと思います。

 自分の教養の低さを感じた本でした。私にはもう数年勉強が必要です。

  


 参考文献:『不思議なキリスト教』 橋爪大三郎×大澤真幸 (講談社現代新書)
 

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