アルボムッレ・スマナサーラさんと養老孟司さんの対談集『希望のしくみ』より引用いたします。
-では「苦しみ」とは何ですか?
スマナサーラ 「現実をありのままに受け入れないこと」です。だから、現実を受け入れたら「苦しみ」はないですよ。それなのに皆さん、「現実をありのままに受け入れるのが苦しいんだ」と勘違いしている。それで現実から目をそらして、「幸福」という観念が生まれるんです。
『希望のしくみ』より引用
これは現実や苦しみというものを自分と区別して、遠いところへ離しておきたいと思うから起こることなんですね。
剣術の柳生新陰流では、敵と味方、自分と他人という対立関係の世界を乗り越えたところに極意があるそうです。
参考ブログ:『負けない奥義』を読んで
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e965829.html
自分の人生を他人の人生と比べると、また同じ結果になります。幸福も不幸も、すべて相対的で、あてにならない観念でしょう。幸福と思ってもその状態に期待・希望を足してみると、不幸という結果になる。不幸という状態に期待・希望を足すと、さらに不幸、という結果になる。ですから、期待・希望(仏教用語で渇愛)が問題です。
『希望のしくみ』より引用
期待や希望をもつと不幸になる・・・・・・逆説的ですが、真理ではないでしょうか。
昨年お隠れになってしまいましたが、小林正観さんもほとんど同じようなことを述べていました。
参考ブログ:
「幸せになれる」
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e281695.html
「小林正観さんの講演会」
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e291990.html
「本当の自分とは?」
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e700311.html
つまらない、悲しい、お金がない、苦しい、老いていく・・・・・・これらすべてをそのまま受け入れ、それでも幸せだなあと感じられるかどうかです。
結婚したら、
子供が大きくなったら、
お金が貯まったら、
主人が出世したら、
株が上がったら、
こういうすべての仮定は妄想なのでしょう。
期待、希望という苦をつくる原因から逃れられたとき、ようやく幸せを感じることが出来る、というわけです。

参考文献:『希望のしくみ』
アルボムッレ・スマナサーラ 養老孟司 (宝島社)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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