内田樹さんの『疲れすぎて眠れぬ夜のために』より、引用します。
愛情をずいぶん乱暴にこき使う人がいます。相手が自分のことをどれほど愛しているのか知ろうとして、愛情を「試す」人がいます。無理難題をふきかけたり、傷つけたり、裏切ったり・・・・・・さまざまな「試練」を愛情に与えて、それを生き延びたら、それが「ほんとうの愛情」だ、というようなことを考える。
でも、これは間違っていますよ。愛情は「試す」ものではありません。「育てる」ものです。
きちんと水をやって日に当てて肥料を与えて、じっくり育てるものなのです。
若芽のうちに、風雨にさらして、踏みつけて、それでもなお生き延びるかどうか実験するというようなことをしても、何の意味もありません。ほとんどの愛情は、そんなことをすれば、すぐに枯死してしまうでしょう。
『疲れすぎて眠れぬ夜のために』より引用
この文章は「可能性には限界がある」という文脈からの流れとしてつながっているところです。
参考ブログ:「可能性には限界がある」
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e746742.html
自分の可能性を殺すものがあるとすれば、それは可能性にあまりにも多くの期待を寄せる自分自身であり、愛情を殺してしまうものがあるとすれば、愛情にあまりにも多くの期待を寄せすぎる自分自身である、というわけです。
もう44だから分かっているぞ、と威張るつもりでははありませんが、とかく若いときには愛情に飢え、愛情に頼り、愛情に依存してしまう傾向が強いのではないでしょうか。
大学生くらいの若者と恋愛の話をしていると、そんなことを感じます。
それはそれで、若さゆえの特権ともいえるのでしょうが、何も分からないままに愛に溺れていく若者を見ると、そこはかとない哀れさを感じます。
内田さんのいうように、愛情には限界があると知ることで、もっと素敵な愛情を知ることができるのではなかろうか・・・
と、独身の私がほざいております・・・

参考ブログ:「可能性には限界がある」
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e746742.html
参考文献:
『疲れすぎて眠れぬ夜のために』 内田樹 (角川文庫)
Hitoshi Yonezu at 10:03
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