可能性には限界がある

2011年05月31日

 内田樹さんの『疲れすぎて眠れぬ夜のために』より、引用します。

 自分の「可能性」というのは、喩えて言えば、ぼくたちを乗せた「馬車」を牽いている「馬」のようなものです。
 ときどき休ませてあげて、水を飲ませて、飼い葉をたっぷりあげて、うんと可愛がってやれば、「馬」は遠くまで歩いてくれます。でも、とにかく急がせて、少しも休ませずに鞭で殴り続けていれば、遠からず過労で死んでしまうでしょう。
 自分の潜在的可能性の「限界を超える」ためには、自分の可能性には「限界がある」ということを知らなくてはいけません。



 がんばれ、がんばれ、と励まされ、成長することこそ大切だと教えられ、できる限りの力を出して、決してあきらめず、前向きに生きていく・・・

 そういう風に教えられてきましたので、内田さんのこの文章を読んでも、自分のこととなると、そう簡単には「ああ疲れた、休もう・・・」とは思えないのですが。

 「少し休んだ方がいいのではないか・・・」と思うのは、他人の姿を見たときです。

 しばらくぶりに会った人が、年とともに見かけが変わるのは当然のこととしても、元気がなくなっていたり、体調が悪そうだったり、暗くなっていたりしていたときです。

 少し休んだ方がいいんじゃないか・・・まだ先は長いんだから、仕事がすべてじゃないよ、無理はしない方がいいよ・・・と心から思います。

 でも、それって自分のことでもあるんですよね。

 人は鏡、社会は鏡です。自分の枠の中で相手を眺めているのですから。


 今朝、近所のおばあさんとすれ違ったときに、

 「あなたは体格はいいけど、無理しないで、健康に気をつけてくださいね。」
 
 と言われました。

 ありがたかったです。

 私も人からは疲れているようにみえるのだろうなあ・・・と考えておりました。

 (自分では全然そう思っていませんけどね・・・)
 
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 参考文献:
 『疲れすぎて眠れぬ夜のために』 内田樹 (角川文庫)
 

 この本にも似たようなことが書いてありましたよ。
 『私はのんびり生きてきた。』 香山リカ (扶桑社)
 

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