どなたにも、思い出がこもっていて捨てられないガラクタ・・・があると思います。
結局、ガラクタをひとまとめに表現すると「後ろめたさの集積」、あるいは「不安の集積」なんですね。断捨離では、常に時間軸は「今」とお伝えしていますが、後ろめたさや不安は、過去や未来に軸がずれた状態とも言えます。
やましたひでこ著『新・片づけ術 断捨離』より引用
お恥ずかしい話ですが、母と論議になるときには、捨てる、捨てないの話になることが多いです。母は捨てるなと言い、私は捨てると言います。
しかし、母に捨てるべきと言っている私にも、実は家の中には捨てられないものがたくさんあるのです。それは、一枚の古いタオルだったり、古びたレターセットだったりします。
片づけをしていて、それらが出てくると、手が止まってしまいます。大切な思い出があるから残しておこう、と思ってしまいます。
古くなったタオルを雑巾にしたとき、そういえばこれは・・・と思い出して、寂寞感を覚えたこともあります。
中には、南無阿弥陀仏と唱えながら、思い切って捨てたものもあります。
結局のところ、捨てても捨てなくてもその後の人生には何の変化もありませんでした。
やましたひでこさんの『新・片づけ術 断捨離』によれば、捨てられないものには自分で美化してしまった思い出の裏側に、逆の負の要素の集積があるというのです。
思い出のものだけは残そうと思っていた私ですが、思い出のもののなかにも捨てた方がよいものがあるということを理解しました。
いままでよりももっと捨てる勇気がつきました。
参考ブログ:『捨てる技術』
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e389435.html

参考文献:『新・片づけ術 断捨離』 やましたひでこ (マガジンハウス)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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