昨日の朝は大久保秀夫塾のセミナーで学び、夜はお世話になっている先生に相談に行きました。
人生や仕事において新しい問題は常に発生してきましたし、それぞれ簡単に解決できるものではありませんでしたが、長期で見ればすべて解決してきました。さまざまな方々の教えに触れ、ご指導を頂いたおかげです。よい御縁を頂いて本当にありがたいことです。
人は困ったことが起こると、知らず知らずのうちに祈りをかけていることがあります。
昨夜、先生は「困ったからといって簡単に宗教に逃げてはいけない」というお話をされました。宗教に助けられると、その時点で自分で考え、解決する、という行動をとめて、思考停止になってしまうからです。
私は、いままで宗教に逃げることはなかったですが、祈るということについていえば、いつも祈りは捧げてきました。
『「助けて」と言える国へ』(奥田知志・茂木健一郎著)より引用します。
僕はやはり”祈り”とは、どうすることもできないものに対する、ある種の心のおさまりのつけ方だと思う。それ以外何もできないという。震災もそうですけど、何でああなってしまったのかというと、それはわからないし、どうすることもできない。そういうときに”魂”というものを考えざるを得ない。祈りが生物的にどんな意味があるのかわからないですし、それを説明する進化論的な議論があるのかもしれないですけど、とりあえず祈るしかないんですね。
『「助けて」と言える国へ』 p199 奥田知志さんの発言より引用
私は祈ることによっていままでずいぶん癒されてきたと思います。
いくら祈っても、明確な答えや正しい結果が出てくるわけではないですけどね。
奥田さんが述べておられるように、おさまらせようとした、というのが正しいのかもしれません。
自分では満足しています。
一年のうちでも全国的な”祈り”の季節である(笑)年末年始はもう近いですね・・・・・・

参考文献:『「助けて」と言える国へ』 奥田知志 茂木健一郎 (集英社新書)
参考ブログ:祈りのコツ
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e1027579.html
Hitoshi Yonezu at 10:00
| 読書感想 人生