清潔の精神と行動

2012年06月27日

 白取春彦さんの『生きるための哲学』より引用いたします。

 なぜ、清潔が美徳や幸福とつながるのか。清潔観念は、手や足を洗うなどの物理的衛生観念にとどまらず、精神と行動についての衛生観念にも何の抵抗もなく直接的にそのまま通じていくからだ。


 これはわたしたちが使っている言葉の用法にもはっきりと表れている。「汚い」は、不衛生な事柄の他に、仕事や行動や配置の美学にも使われる。「きれい」という言い方も同じだ。
 その感覚からすれば、盗み、嘘、抑圧、排斥、騙しなどは「汚い」ことになる。したがって、子供の頃から汚いことよりもきれいなことを好む性向をしつけておけば、悪自体とその周辺を汚いこととしてすんなり遠ざけることができるようになる。

                   『生きるための哲学』より引用



 きれい、汚いという概念が物理的のみならず、精神と行動についての衛生観念にも通じているという事実・・・・・・これには驚きました。

 ドラマや小説では「汚いやり方だ!」という言葉はよく耳にするものです。

 もしも自分が誰かにそう言わなくてはいけない場面があるとしたら、相手との断絶を覚悟します。精神における「汚い」という概念とはそれほど重いものでしょう。

 一方で、やましいことがない人のことを、清廉潔白とか廉潔とかいいますが、いずれも清潔な意味を含んでいますね。

 自分では気づかぬうちに、清潔という観念を物理的にも精神的にも使っていたのです。

 白取さんは、人間において物理的な事柄と精神的な事柄がどうしてそのままつながっているのか?という哲学的な疑問を投げかけています。

 その理由は、不明だそうです。

 清潔という観念が自分の精神にまで及んでいるということを知ってますます清潔を保たなくてはならないと思った次第です。

  



 参考文献:『生きるための哲学』 白取春彦 (ディスカヴァー・トゥエンティワン)
 


 参考ブログ:
 「清潔なたたずまい」
 http://highlyeffective.naganoblog.jp/e1042992.html

 「清潔感とは」
 http://highlyeffective.naganoblog.jp/e829432.html
 

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