五木寛之さんの『下山の思想』より引用します。
たしかに絶望は病いであり、生存には役に立たない。
しかし、絶望とか、希望とか、そういう境を超えて、真実を真実として認識することはできないものだろうか。
私たちにとって、きたるべき十年は、この国のたそがれと日没にすぎない。そう思いつつも、実感としてはそうは感じていない。
自分の余命が、あと十年以内、いや、五年くらいだろうと理解しつつも、それに対して向きあう姿勢がない。人間というのは、なんという困った存在なのだろうか。
『下山の思想』より引用
敗戦後、龍のごとく登りゆく日本を見つめてきた五木さんがこんなことを述べておられるのです。
親父の世代の人がこんなことをいうのか・・・・・・
私の父は高度成長期を経験してきた人ですから、いつも前向きですし、この先の日本のことも、ここまで悪くはいわないのです。
日本は、たそがれと日没なのか・・・・・・
・・・・・・いやいや絶対によくなるよ!必ずまた上向きになっていく!
虚勢をはるのもむなしいものです。
私は大学時代ワンダーフォーゲル部でしたので分かっているつもりですが、下山するときには足元をよく見て、靴のソールを地面に対して平行においていかなくていけません。適当に歩いていると濡れた岩や不安定な岩を踏んで滑ったり転んだりしてしまいます。
一歩一歩確実に踏みしめて下りるのがワンゲルの「下山の思想」です。
たそがれるのは集計されたデータのマクロ経済学の話ですから、個人個人の世界は別の話です。経済がどうなろうと個人の力が落ちるわけではありません。
下り坂ををどう生きるのか。
全体は下っていても、一人一人にはできることがいくらでもあるのではないか、と思います。

参考文献:『下山の思想』 五木寛之 (幻冬舎新書)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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