『下山の思想』を読んで

2012年03月26日

 五木寛之さんの『下山の思想』を拝読いたしました。

 五木さんはあまりにも有名な方ですから説明は不要と思いますが、1932年のお生まれで、生後すぐに朝鮮にわたり、平壌で終戦を迎えられたそうです。この本には引き揚げの話も少し出てきます。

 下山とは何のことだろうか・・・・・・

 以前から書店でこの本を見かけていましたが、下山とは何の話なのか、想像がつきませんでした。

 下山とは山をおりるということ、登山に対しての下山のことでした。

 当たり前と言えば当たり前ですが、五木さんはいままで下山というプロセスが世間ではひどく軽くみられていたのだ、と述べています。

 しかし、登山ということが、山頂を征服する、挑戦する行為だとする考えかたは、すでに変わりつつあるのではないか。登山と下山とを同じように登山の本質と見なすのは当然のことである。そしていま、下山のほうに登山よりさらに大きな関心が集まる時代にはいったように思われる。
 安全に、しかも確実に下山する、というだけのことではない。下山のなかに、登山の本質を見いだそうということだ。
        
             『下山の思想』より引用


 いまの日本はもはや登山の時代ではないのです。下山の時代に入ったのだ、ということです。

 私たちの再生の目標は、どこにあるのか。何をイメージして復興するのか。
 それは山頂ではない、という気がする。私たちはふたたび世界の経済大国という頂上をめざすのではなく、実り多い成熟した下山をこそ思い描くべきではないのか。
 戦後、私たちは敗戦の焼跡の中から、営々と頂上をめざして登り続けた。そして幸運の風にも恵まれ、見事に登頂をはたした。
 頂上をきわめたあとは、下山しなければならない。それが登山というものだ。

          『下山の思想』より引用

 
 いまでは日本の将来について「成長、成長」という人はあまりいなくなりました。

 私の親の世代は日本の高度成長を間近で見て、支えたきた人たちですので、頭の中が成長志向だと思いますが、いまの人口構成や財政などを考えると、そうもいってはいられないのです。

 ではその逆回転をどう考えたらよいのか。

 五木さんは登山に対しての下山と見たわけです。

 下山の途中では何が見えるのか・・・・・・どうぞご一読くださいませ。

  


 参考文献:『下山の思想』 五木寛之 (幻冬舎新書)
 

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