さわやかな秋風の季節となりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。
日ごろはたいへんお世話になっております。誠にありがとうございます。
先日、機会があって、初めて北京へ視察に行くことができました。
私はそれまで中国では大連、上海、香港、シンセン、広州に行ったことがありました。日本に来たら一度は東京へ行くように、中国に来たらやはり北京です。最も中国らしい場所だと感じました。
北京の故宮(紫禁城)を見学したときのことです。
故宮とは、1406年に明の永楽帝により建造が開始され、明朝14代、清朝10代にわたり491年ものあいだ居城とされた旧王宮です。
南北961m、東西753mという数字だけ見れば楽に歩けるような気がしますが、健脚な私がとばしながら急いで見学してもゆうに2時間もかかるその広さと大きさには日本にはないスケールの大きさを感じました。(皇居のように森があるわけではなく、濠に囲まれた建物の敷地だけでこの広さです。)
しかし、もっと驚いたのは、故宮が日本のある建物とだぶって見えたことです。
その建物とは、沖縄県の首里城です。私は一年前に首里城を訪ねたばかりでしたので、鮮明な記憶がありました。
一瞬、ここは沖縄??? 故宮は首里城の真似をしたの??? と思ってしまいましたが、そんなことがあるはずはありません。
首里城は、1429年から1879年まで存在した琉球王国の王宮です。
琉球王国は、明および清の冊封(名目的な君臣関係をともなう外交関係)を受けていました。日本の古代国家、奴国が後漢から金印紫綬(漢委奴国王印)を、倭の卑弥呼が魏から金印紫綬(親魏倭王印)を受けていたのと同じことです。
1609年に薩摩藩の島津氏が琉球に侵攻したことにより、琉球王朝は薩摩藩に従属するようになり、以降、清との冊封は続けながらも、薩摩藩、江戸幕府の支配下に入ったのです。
現在の首里城は18世紀以降につくられたものをモデルとして1992年に再建されました。
つまり、故宮が首里城の影響を受けたのではなく、首里城が冊封を受けていた明、清の故宮の影響を受けたのです。面積は故宮の方がずっと広いのですが、私は首里城に故宮の面影を感じました。
中国が我が国の南西諸島を気にかけているのは、資源確保の問題だけではなく、このような経緯も関係しているのでしょう。
いま沖縄県はまぎれもなく日本の領土ですが、領土とは世界のどこの国でも戦争によって取ったり取られたりしてきました。
いまでは領土といえば歴史的な経緯よりも、その土地を実効支配している国のものになってしまっています。
日本の独自文化の発展には誇りを感じていますが、その過程では中国の影響を相当受けてきました。中国の影響を受けてきたのは沖縄だけでなく、日本の本土も同様です。
なんといっても漢字は中国から来たものです。日本の神社では必ず見かける狛犬ですが、ほとんど同じようなものが北京のあちらこちらにあって、これも中国から来たのかな?と思いました。
先刻、きちんと支払いをしたのに、こちらの顔を見つけて、
「アト50元! アト50元!」
と、片言の日本語でどなりながらついて来るおばさんから逃げながら・・・・・・中国とはこれからもいろいろな面で摩擦はあるだろうけど、お隣同士お互いによいところは認め、悪いところは悪いこととして、仲よくつきあっていくのがよいのだろうなあ、と考えておりました。
私が個人的に知っている中国人のみなさんはすばらしい方ばかりで大変尊敬しております。
日に日に風が冷たくなってきておりますが、どうぞお体に気をつけてお過ごしくださいませ。
日ごろのご愛顧に心より感謝を申し上げます。今月もどうぞよろしくお願い申し上げます。
参考:
首里城HP
http://oki-park.jp/shurijo-park/index.html
ウィキペディア 紫禁城
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E7%A6%81%E5%9F%8E
Hitoshi Yonezu at 10:00
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