『福翁百話』を読んで

2011年07月30日

 『福翁百話』は、明治29年3月から同30年にかけて時事新報に掲載された福沢諭吉先生のコラムを、同30年7月に単行本としてまとめた本です。

 明治時代の文章とはいえ、古典の教養のない私には読みずらくて敬遠していたのですが、先日、平安堂書店長野店に行きましたら、現代語訳が出版されているのを見つけ、購入しました。

 『現代語訳 福翁百話 明日へのともし火』は、『福翁百話』(昭和43年、金園社)を底本として、その中の50話を現代語訳されたものです。

 現代語訳をしても読みずらい部分や、現代の文章としてみたら文法的におかしな感じがする部分もあるのですが、原文を読むよりはずっと楽に読むことができました。
 
 序言によると、『福翁百話』は、福沢先生が自宅に客を読んで話した雑談を記憶を頼りに書き溜めて発表したものだそうです。

 この本で福沢先生は、思っていることを率直に述べていて、とてもリラックスしてお話しされているような感じがします。
 いまの世の中でいうなら某都知事のように、達観して、開き直って、言いたいことを何でも言う人だったのではないかなあという印象をもちました。
 偉そうな感じはなくて、親しみやすい感じです。

 『福翁百話』より引用します。

 浮世を棄てるのは、すなわち浮世を活き活きと渡ることの根本姿勢と知るべきである。
 何かの物事に凝り固まって執念深く忘れることができず、ついにはその事がらの軽重を見定める明晰さを失って、ただ一筋に自分の重んじるところを重んじ、その果てに自分の思い通りにならなければ、すぐに人を怨み世を憤る。怨恨憤怒の気は、心の内を熱して顔色にあらわれ言行に出て、大事に臨んで方向を誤る者が多い。それは本人一人のためだけではなく、世の中のために不幸であると言うべきである。

         『現代語訳 福翁百話 明日へのともし火』より引用


 いまでも通じる話です。

 日本にとって、明治維新、大東亜戦争の敗戦に続く大転換といえるいまこそ、明治維新を動かした福沢先生の言葉を読む意味があると思います。

 皆さまもぜひご一読くださいませ。

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 参考文献:『現代語訳 福翁百話 明日へのともし火』 福沢諭吉 中村欣博訳 (金園社)
 

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