高田好胤さんの『心 いかに生きたらいいか』に、対食五観(タイジキゴカン)という仏教の食事作法が掲載されていました。引用いたします。
一、功の多少を計り、彼の来処を量るべし。(コウノタショウヲハカリ、カノライショヲハカルベシ)
二、己が徳行の全と闕と多と減を忖るべし。(オノガトクギョウノゼントケツトタトゲンヲハカルベシ)
三、心を防ぎ、過を顕わすは三毒に過ぎず。(ココロヲフセギ、トガヲアラワスハサンドクニスギズ)
四、正しく良薬を事として、形苦を済わんことを取る。(マサシクリョウヤクヲコトトシテ、ギョウクヲスクワンコトヲトル)
五、道業を成ぜんが為なり。世報は意に非ず。(ドウギョウヲジョウゼンガタメナリ、セホウハイニアラズ)
『心 いかに生きたらいいか』より引用
こうのたしょうをはかり、かのらいしょをはかるべし・・・
と、読んでみて、あっと思ったのは、私が小学生の頃、塾の夏合宿がお寺で行われて、そこで食事をする前にこれを唱えていたなあ・・・とよみがえってきたからです。
毎朝毎夕の座禅のお勤めで肩を叩かれたこと、食事作り、お堂での勉強、ジョギング、蟻地獄に蟻を落として遊んだこと・・・いろいろなことをしました。
対食五観は、合宿中に覚えなくてはならないことになっていましたが、小学生ですから毎日三回も唱えていたらすぐに覚えてしまいました。
家に帰ってきてからも、食事の前にこれを唱えていたら、おじいさんやおばあさんにたいそう褒められて、とてもいい気分になっていました。
それから三十数年、すっかり忘れていましたが、読んでみたら思い出したのです。
当時は説明されても意味はまったく分かりませんでしたが、いま高田さんの解説を読んでようやく理解できました。
五番は、「食事は人間としての道を成ぜんがためにするのであって、享楽的な食事は本意ではない」との解説がありました。
享楽的な食事ばかりを求めている私には、厳しい言葉です・・・
子供のころによい言葉を暗唱することは、意味が分からなかったとしても、後から何らかの効果を生むような気がします。
私は決して立派な大人ではありませんが、こういうことを思い出すということは、人格形成の一助になっていたのだろうなあ、と思います。

参考文献:『心 いかに生きたらいいか』 高田好胤 (徳間書店)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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