薬師寺管主を務められた高田好胤さんは、写経勧進というユニークな方法で、1976年に金堂、1981年に西塔など、次々と薬師寺の伽藍を復興されました。
西塔を再建するにあたっては、世論の強い反対の声があったそうです。
高田さんの『心 いかに生きたらいいか』より引用いたします。
人々の心の中に「見上げる心」をはぐくみ、精神を昂揚するために必要な高さが塔の高さであり、精神的に必要な大きさ、それがお堂の大きさなのです。
私は人に物を書くことを頼まれたとき、
「一人でも多くの子供たちの心の中に、一人でも多くの人々の心の中に、美しい三重の塔の姿をつくりたい」
と書くようにしています。
薬師寺の三重塔を心の中につくって、「見上げる心」をはぐくみたいのです。それが私の祈りであります。
『心 いかに生きたらいいか』より引用
高田さんはあるとき、飛行機の機上から富士山の姿を見て、「毛の抜けた汚い馬の背中」のようだと感じたそうです。
「見上げて尊い富士の姿も、上から見下ろすとこんなものなのか」
と高田さんは思いました。
そこに気がついたから、「見上げる心」をはぐくみたい、とお考えになったのです。
昭和44年に書かれたこの本でも、「見上げること」が少なくなり、「見下げること」が多くなった世の中を憂いておられますが、いまの世の中はもっと見下すことばかりになっています。
たまにテレビを見ると、お笑い番組には、他人の失敗や不出来を告白させて、そこにいる全員がそれをとり囲んで、見下して笑いをとるというパターンが増えているのではないか、と感じます。
出張先のホテルでテレビをつけてみて、こんなことを笑いものにしているんだ・・・と愕然としました。
高田さんが熱心に説いておられた「見上げる心」とは、美しい三重塔を見上げる心ですが、それはすなわち、他人を尊敬し、大切にする心でもありましょう。
大震災の後、被災した日本のことを見下すように風刺した外国の漫画や報道があることを知って、心を痛めた人は多かったはずです。
この非常時に、人を見下して笑っているようなテレビ番組を国民全員が喜んで見ていたら、本当に国家の品格が下がります。
でも、毎日テレビを見てこれがお笑いというものだと思っている人には、なかなか気づくことができません。
早く気がついてほしいことです。

参考文献:『心 いかに生きたらいいか』 高田好胤 (徳間書店)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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