東北地方太平洋沖地震で被災された皆さま、および関係の皆さまに、心よりお見舞いを申し上げます。
お亡くなりになった皆さま方には、謹んで哀悼の意を表し、御冥福をお祈りいたします。
被災地や福島原発で身を挺して活動をされている皆様方に感謝を申し上げます。
デール・カーネギーの『道は開ける』に、「アッシジの聖フランシスコの平和の祈り」が掲載されていました。
アッシジの聖フランシスコ(1182年~1226年)とは、フランシスコ会の創設者であり、中世イタリアでもっとも有名な聖人の一人です。
この詩は、聖フランシスコの作ではなく、パリの信心会のEsther Bouquerel神父が1912年に書いたという説もあるようですが、聖フランシスコの精神を伝えるものとして広く知られています。
アッシジの聖フランシスコの平和の祈り
わたしをあなたの平和の道具として
お使いください
憎しみのあるところに 愛を
いさかいのあるところに ゆるしを
分裂のあるところに 一致を
疑惑のあるところに 信仰を
誤っているところに 真理を
絶望のあるところに 希望を
闇に光を 悲しみのあるところに
よろこびをもたらすものとしてください
慰められるよりは 慰めることを
理解されるよりは 理解することを
愛されるよりは 愛することを
わたしがもとめますように
わたしたちは与えるから受け
ゆるすからゆるされ 自分を捨てて死に
永遠の命を いただくのですから
D・カーネギー 『道は開ける』より引用
この詩は元はフランス語のようですが、さまざまな邦訳があるようです。
私は数年前に新垣勉さんのCDでこの詩を知りました。
新垣さんのCDを初めて聴いた時には、なんて重苦しく暗い曲なんだろうと思いました。
繰り返し何度も聴いているうちに、重く暗いことに変わりはないのですが、こんなに切実な強い願いをこめた祈りは他にはないだろう・・・と引きこまれました。
最後は自分が死ぬことによって永遠の命を得ることができる・・・身を挺して平和に尽くすというのです。
この詩はどんな想いで綴られたのでしょう。
我が国では大災害が起こり、世界中から救助の手が差し伸べられても対応がままならないのに、リビアではもう戦争が始まっています。
ひどいことが起こって大勢の人が悲しんでいるところに、また次の悲しみが足音を立てて近寄ってきます。
この世の中には、なぜ、憎しみや、いさかいや、絶望があるのでしょう。
聖フランシスコのイタリアも、Esther Bouquerel神父のフランスも、リビアの戦争に参戦しています。
彼らはあの世で何を想っているでしょうか。
一刻も早く世界に平和が訪れますことを祈っております。

参考文献:『道は開ける』 D・カーネギー (創元社)
CD:『命どぅ宝 沖縄の心~平和への祈り』 新垣勉 (ビクターエンターテインメント)
平和のための祈り 新垣勉 歌詞情報 - goo 音楽
わたしはキリスト教を信心しているわけではありません。
Hitoshi Yonezu at 10:00
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