私は幸せとはまさに主観的なものであると強く思います。幸せと感じられるのか感じられないのか、その成否はあくまでも、当人の心の状態にあるのであって、普遍的な基準など一切ないと思うのです。
物質的にいかに恵まれていようとも、際限のない欲望を追い続けていれば、決して幸せを感じることはできない。一方、物質的に恵まれず赤貧洗うが如し状態であっても、満ち足りた心があれば幸せになれる。
(中略)
幸福になれるかどうか、それは心のレベルで決まる ― つまり私たちがどれだけ利己的な欲望を抑え、他の人に善かれかしと願う「利他」の心を持てるかどうか、このことこそが幸福の鍵となるということを、私は自らの人生から学び、確信しています。
稲盛和夫『「成功」と「失敗」の法則』から引用
稲盛さんの考え方はこのブログでも何度かご紹介しています。
先日開催しました当社の全社会議でも、改めてこの文章を社員に読んでもらい、みんなで勉強しました。
どうしたら「幸せ」になれる?と聞くと、
「現金1億円があったら、・・・」
「うちの息子が○○大学に入学してくれたら、・・・」
「うちの家内が○○してくれたら、・・・」
「この苦労が報われれば、・・・」
「社長が分かってくれれば、・・・」
「タラ」と「レバ」のオンパレードになってしまいます。
『レバ→レル』(○○になれば→幸せになれる)
という、『レバレル』の公式は果たして正しいのでしょうか。
この辛い苦しい山道を登り切れば、その山のてっぺんの向こうに、本当に幸せな村があるのでしょうか???
ない、と思います。
なぜなら、
稲盛さんがおっしゃるように、
幸せとは自分の心が決めるものであり、
どんなに苦労をしようとも、何かを乗り越えても、
いま、この時点で、幸せだと感じられない人が、あとで幸せと感じられるようになるとは思えないからです。
乗り越えたあとには、また次の『レバレル』が出てきて、その時の状況に不平不満をこぼすようになってしまうでしょう。
幸せは足元にある。
足元にあることが信じられないとしたら、少なくとも1メートル先のその角を曲がったところにある。1メートルだけ進んで曲がればよい。
そのことに気がついてほしいと思います。
参考文献:『「成功」と「失敗」の法則』 稲盛和夫 (致知出版社)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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