話をしているとき、ほとんどの人は、理解しようとして聞いているのではなく、答えようとして聞いているのだ。話しているか、話す準備をしているか、二つにひとつである。聞いている話をすべて、自分のパラダイムというフィルターを通して、自分の自叙伝を相手の生活に映し出しているだけである。
『7つの習慣』より引用
この文章に初めて出会ったとき、私にとっては衝撃的で、「こりゃあ自分のことを言われているなあー」と反省したのを覚えている。
その頃の私は、人の話を聞くふりをしながら、頭の中では、「次に何を話してやろうか」ということばかりを考えていた。
何か相談を受けても、
「その話は、自分の体験では・・・」
「自分にもそういうことがあったぞ、あの時は・・・」
「そのパターンはこうやればうまくいくはずだ・・・」
というように、自分のパラダイムの中で、自分の自叙伝の中で、何か教えてやろう、という態度で話を聞いていた。
つまり、聞いていたのでなく、話す準備をしていたことになる。
しかし、相手の方は、話を聞いてほしかったのだ。
何の偏見もない状態で、何の準備もしないでいいから、ただ純粋に、話を聞いてほしかったのだ。
このことに気づかされて、「聞く」が「聴く」になり、やがて、「傾聴する」という言葉の意味が理解できるようになってきた。

参考文献:『7つの習慣』 スティーブン・R・コヴィー (キングベアー出版)
Hitoshi Yonezu at 10:21
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