言語社会学者の鈴木孝夫先生によると、日本語はテレビ型言語であり、英語やフランス語、中国語など、日本語以外のほとんどの言語は、ラジオ型言語であるそうです。
日本人は、話しているときには文字の大雑把な形が頭の中のどこかに隠れていて、それが必要なときには顔をのぞかせ、話の理解を助けるという複雑な仕組みを使っています。
話の中で、
「けんかいのそうい」
という言葉が出てきたときに、話の流れとして「県会の総意」なのか、「見解の相違」なのか、判断しなくてはならないのですが、その際には頭に文字が顔をのぞかせるということだと思います。
「こうぎょう」と言ったときに、工業なのか、鉱業なのか、興行なのか、「にっこう」と言ったときに、日光なのか、日航なのか、日興なのか、「かがく」と言ったときに、科学なのか、化学なのか、「せいか」と言ったときに、製菓なのか、生花なのか、製靴なのか、青果なのか、これらはすべて同じことです。
ラジオ型の言語の場合は、話しているときには原則として音声の中にすべての情報が含まれているので、文字表記を意識する必要がないのです。
例えば、英語などは単語を知っているか知っていないかが問題で、その単語を知っていさえすれば、その単語の発音がその単語の意味を表現するわけですから、文字を知らなくても話はできるわけです。
逆に、テレビ型言語である日本語は、ある程度の漢字表記の知識がないと話が出来ません。だから日本では識字率も高くならざるを得ないといいます。
日本語はすごく頭を使う言語なのですね。日本語を使う方は、他の言葉を使う方よりも特別な能力をもっていることになりますね。
鈴木先生によれば、日本語の力のおかげで、外国のよいところを取り入れて、国内で活かすことが出来るようになり、それが戦後の経済成長につながったそうです。
ヨーロッパの方々が数ヶ国語を自由に操るのも何となく理解が出来てきました。
日本人は日本語の言語構造で考えてしまうと、文字中心になってしまいますから、外国語を学ぼうとすると、時間がかかるし、かえって難しくなってしまいますよね・・・

参考文献:『日本人はなぜ日本を愛せないのか』 鈴木孝夫 (新潮選書)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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