実りの秋でございます。お店にはいろいろな種類のりんごが並んでいます。その他にも、新そば、雑きのこ、松茸、巨峰、梨・・・信州人にはうれしい季節ですね。
みなさまいかがお過ごしでございましょうか。
日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうござます。
さて、有名力士が土俵上でガッツポーズをしたことが物議を醸しました。
世界の常識からしたら、スポーツの試合に勝って、素直に喜んで、ガッツポーズをして何がいけないの?ということになると思います。
おそらく世界中どこを探しても、こんなことが問題になる国はないと思いますし、問題の意味さえ理解してもらえないことでしょう。
いまやガッツポーズは、どんなスポーツでも、勝利した者が当たり前のように行う表現行動です。
そのことはよく分かっているうえで申し上げたいことは、やはり、相撲は伝統的な日本古来の競技である、ということです。
「武士は食わねど高楊枝」
ということわざがあります。広辞苑には以下のように説明されています。
「武士はものを食べなくても、食べたようなふりをして楊枝を使って空腹を人に見せない。武士の清貧に安んずること、気位の高いことにいう。」
日本ではこのことわざのように、ときに、建て前と本音を使い分けることが気品のあることとされてきました。(知っていても黙っていて指摘しないなど、悪いこともありますが、ここでは良いことだけに限定させてください。)
うれしいことがあっても、大騒ぎして喜ばない、悲しいことがあってもこらえる。このような行動は美徳であると私は教えられてきました。
照れて、はにかむ姿はそれはそれで美しいものです。大騒ぎしなくても喜びは伝わります。
大泣きしなくても、涙をこらえても、悲しんでいないわけではないのです。周りに配慮しているだけで、本当は悲しいのです。そのことは周りの人もよくわかっています。
柔道も伝統的な日本の武道です。
いまのJUDO(じゅうどう)では、日本人選手でさえ、ガッツポーズをするのが当たり前になってしまいましたが、私が学んだ柔道は、スポーツではなく、道であり、ガッツポーズは、絶対にしてはならないことでした。
勝ってもいちいち喜んでいてはいけない、と先生から指導されていました。
ガッツポーズはみっともない姿であり、そんなことをする余裕があるならば、倒れている相手に手を差し伸べて、起きるのを助けてやるべきであると教えられました。
ガッツポーズをすることは、負けた相手に対して配慮がない行動だと私は思います。負けて悲しんでいる相手に対して嫌みですし、負けた相手をさらに痛めつけるようにやんや大騒ぎするのは、いかがなものでしょうか。
日本的でも、武道的でもありません。
私は国粋主義者でも、ナショナリストでもありませんが、この感覚は大切にしたいと思います。
表面に出てこないものを表現してきたのが日本の美学ではないでしょうか。
日本文学、枯山水、俳句、茶道、寺院など、日本の芸術は、見えるものの裏にある、見えないものに美しさが含まれています。言わなくても、見せなくても、感じる美しさです。
美的感覚の問題ですが、日本古来の伝統競技でガッツポーズをすることが美しいのかどうか・・・
末筆となりますが、乾燥してまいりますので、インフルエンザには充分ご注意ください。
この秋、みなさまが益々お幸せにお過ごしくださいますことを、こちら信州上田のささやよりお祈り申し上げます。
参考:『もう見ません、JUDO』 2007年9月16日の私のブログより
http://uedasasaya.blog79.fc2.com/blog-entry-41.html
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Hitoshi Yonezu at 10:00
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