「かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂」
黒船に乗ってアメリカへ行くことを企てた吉田松陰が、下田で捕らえられ、江戸へ護送される途中、泉岳寺付近で詠んだ歌だという。泉岳寺には、浅野内匠頭と赤穂浪士が眠っている。
こうすれば、こうなってしまうと、わかってはいるが、日本を愛する気持ちにしたがって、素直に行動したのだ。
自分の企ての失敗と赤穂浪士の結末を重ね合わせると、共通するものは大和魂だった。
本居宣長は次の歌を詠んでいる。
「敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山ざくら花」
日本の心とは何かと聞かれれば、朝日に輝く山桜を美しいと思う心だ。
江戸時代に男の人が山桜を美しいと表現することはどうだったのだろう。本居宣長は、美しいものを美しいと感じ、そのまま表現することが大和心だ、とあえて言っているのではないか。
これらの歌は戦時中には国威高揚のために利用されてしまったようだ。
大和魂はそんなものではないだろう。
感じたことを率直に表現してみる。よいと信じたらすぐに行動してみる。
昔の人はそうやって偉業を成し遂げてきた。
我々もそのように行動すれば、勇気がわいて、元気になれる。それが大和魂ではないか。
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Hitoshi Yonezu at 10:00
| 精神と心と魂