松本へ出張した折、カフェでメールの返信を書いていると、隣の席に、短大か、もしくは専門学校の学生らしき女性たちが4人、がやがやと入ってきた。
ショッピングでもしてきたのだろう、お店の袋やら、熊の形をしたプラスチック製の箱のようなものやら、それぞれがいろいろなものを抱えていた。今風のファッションを身にまとい、休みの日の買い物を楽しんでいるようだった。
一席を挟んだすぐ隣りの席なので、会話の声は気になったが、嬌声を上げることもなく、冷たい飲み物を片手に他愛ない会話をしているその姿が、とても平和そうだった。将来はこの子たちもお母さんになるのだろうな、この日のこともよい思い出になるのだなと想像すると、何となくうれしくなってしまった。
ところが、驚いてしまったことは、その中の一人が、バッグからおもむろに手鏡や化粧品を取り出して、お化粧直しを始めたことである。
それを見た別の子もお化粧直しを始めた。そして、あっという間に、4人全員が鏡に向かっていた。全員がそれぞれの鏡を見ながら会話をするという不思議な情景になったのである。
私としてはあまり気持ちのよいものではなかった。
うちの社員がこのようなことをしたなら、礼儀をわきまえるべきと諌めたことだろうが、見ず知らずの女性に、人前でお化粧直しをするなと注意するのは少々やりすぎだろうと思った。私が注意したなら、
「私たち、誰にも迷惑かけていないのに、何がいけないの?」
と逆に怒られてしまうかもしれない。
しかし、もしも私が、この席でお化粧を始めたら、彼女たちはどう思うだろうかと考えた。おっさんが化粧するなんて一般的ではないから、気味悪がって、会話が止まり、そそくさと出ていくかもしれない。
私がお化粧をするというのは冗談で、そんな趣味はないから、例えば、電動シェーバーで、ジョリジョリとひげそりをしたり、アフターシェーブローションをパタパタとたたいてみたり、鼻毛の手入れでも始めたなら、彼女たちは何と思うだろう。
不衛生なおっさんだと思うだろう。決していい気持ちはしないはずだ。恐らく席を移動する。
その店は統制がとれていて、良い意味でルールに厳しい店だから、私がコーヒーを片手にひげそりをしたら、店員さんから注意を受けるような気がするが、実際には、若い女性の化粧直しは注意されていない。
本当は、おっさんであろうと、若い女性であろうと、同じことなのである。公共の場所でこういうことをすると、他人はあまりいい気持ちはしないよという感覚があるかどうかである。情緒や共感力のない人には、わからない。
人に迷惑さえかけなければ、自分のやりたいことをしていいという考え方は、適法ではあるが、美しくはないということである。
我が国では太古の昔から気配や情緒や思いやりなど、目に見えないもの、形のないものを大切にしてきた。それは日本の力ではないか。そういうことを理解している人が美しい人なのである。
Hitoshi Yonezu at 18:10
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