残暑もいくぶん和らぎ、過ごしやすい季節となりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、今回はドラッカーの『マネジメント(上)』の第28章から「プロフェッショナルの倫理」についてご紹介します。
プロフェッショナルにとっての最大の責任は、二五〇〇年前のギリシャの名医ヒポクラテスの誓いの中にはっきり明示されている。「知りながら害をなすな」である。
医師、弁護士、組織のマネジメントのいずれであろうと、顧客に対し、必ずよい結果をもたらすと保証することはできない。最善を尽くすことしかできない。しかし、知りながら害をなすことはしないとの約束はしなければならない。
顧客となる者は、プロたる者は知りながら害をなすことはないと信じられなければならない。これを信じられなければ何も信じられない。
『マネジメント(上)』p430より引用
「知りながら害をなすな」は、紀元前5世紀に、科学に基づく医学の基礎をつくった医師、ヒポクラテスの弟子たちが後にまとめた「ヒポクラテスの誓い」の中の一文です。インターネットを検索すると、さまざまな訳文があります。一つご紹介します。
「私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。」
私たちは、どんなに名医であっても絶対に大丈夫、ということはない、もしかしたら手術や治療に失敗することがあるかもしれない、ということは知っており、それを恐れています。事実、いまでも医療事故の発生を聞き及びます。
そのことを重々知りながらも、なぜ私たちはお医者さんに身を委ねるのでしょうか。
それはお医者さんが、自分のために最もよい方法で、誠意をもって、治療に当たってくれている、と信じることができているからです。われわれがお医者さんを信じることができるのは、人が人を信じるという社会の基盤であります。
これは医師だけに限ったことではなくて、あらゆる職業に言えることであります。私の商売もお客さまとの信頼関係によって成り立っています。お客さまは私のことを信じてくださっているからご利用くださいます。私は、私の倫理として、絶対に知りながら害をなすことはありません。
それでもなぜ、世の中では、ビジネスの不祥事が起き続けるのでしょうか?人間は、追いつめられると、自分や組織を守るために、簡単に悪いことをしてしまうからです。新聞をにぎわすビジネスの犯罪のほとんどは「会社のために」という、一瞬、良いことをしていると勘違いしてしまいそうな、聞こえの良い理由で発生しています。
私の世代は、小さい頃からよい成績をとるために、あるいはスポーツの大会で勝つために、がんばれ、がんばれ、と追い立てられながら育てられました。限界を超えようとする態度はほめられこそすれ、やめろと言われることはありませんでした。
だから、ビジネスにおいても出来る限りがんばってしまいます。コンプライアンスぎりぎりまで攻めていく傾向があります。私が大学を卒業し、社会人となったのは1990年ですが、そのとき流行っていたCMが「24時間戦えますか?」で有名な「勇気のしるし~リゲインのテーマ~」です。(聞いたことのない方は後で検索してみてください。)
しかし、いくらがんばっても限界はあります。自分の力では、その限界を超えられない、と分かったとき、それでも成果を上げなくてはならないという重圧や他人に対する見栄のようなものが、あったとしたら?越えてはいけない一線を越えようとする人が出てきます。
仕事の数字を達成するために、生き方を捨ててしまっていいのでしょうか?知りながら害をなしてはならないのです。
ただいま当社はコロナ禍の影響を受けて営業構造の転換に取り組んでおります。みなさまには大変ご迷惑をおかけいたしております。心よりお詫び申し上げます。
一日一日だんだんと幸せになっていきますように。今月もよろしくお願いいたします。-

参考文献:
『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
"Management Tasks,Responsibilities,Practices" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
Hitoshi Yonezu at 10:00
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