禅方式と修養

2022年08月01日

 残暑お見舞い申し上げます。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 今回は、日本企業の仕事に対する向き合い方の特徴をドラッカーの『マネジメント』からご紹介します。世界各国がwithコロナの生活になろうとする中で、日本がいまだにコロナウィルスに対して深く向き合っていることとも少し関係があると思っています。

 日本的経営に言及している部分(『マネジメント』第20章 成功物語「禅と儒教」)からご紹介します。
 
 仕事とツールへの現場の関与は、日本では継続訓練の一環である。あらゆる人間、しかもトップマネジメントまでもが、退職するまで研鑽を日常の課題とする。週一回のサークル活動が仕事の一部として日程化されている。

 日本企業には、人事、教育訓練、購買などについて通信教育を受けている者、外部のセミナーに出ている者、夜間の専門学校に行っている者が大勢いる。 私はある大企業の社長から、その日の午後は溶接の勉強会に参加するのでお会いできないといわれたことがある。これは特殊な例である。しかし、コンピュータのプログラムについて通信講座を受けている社長は珍しくない。もちろん人事の若い人も通信講座を受けている。
 
 これは、学ぶことの目的と本質が欧米とは異なるからである。儒教の伝統のある中国とも異なる。儒教では欧米と同じように、学ぶことは次の仕事のためである。”to qualify oneself for a new, different, and bigger job”

 学ぶことの本質は学習曲線で示される。一定の学習によって高原に達し、そこにとどまる。

 ところが、日本の考えは禅方式“Zen approach.”とでも呼ぶべきものである。学ぶことの目的は修養“self-improvement“である。いま行っている仕事を、より高度のビジョン、能力、期待値をもって行うためのものである。学習曲線に高原はない。継続学習は学習曲線を突き抜けさせる。そこから新しい学習曲線が始まる。



 上の節の原書部分です。

 The Japanese concept may be called the “Zen approach.” The purpose of learning is self-improvement. It qualifies a man to do his present task with continually wider vision, continually increasing competence, and continually rising demands on himself. While there is a learning curve, there is no fixed and final plateau. Continued learning leads to a break-out, that is, to a new learning curve, which peaks at a new and higher plateau, and then to a new break-out.


 すでにわれわれは、二〇世紀に入って、学ぶことの本質についての正しい考え方は儒教のそれではなく、禅のそれであることを知るにいたっている。継続学習によって人は自らの仕事ぶり、基準、同僚の仕事を知ることができる。仕事を「われわれの仕事」として見ることができるようになる。

 日本の組織では、継続学習が、新しいもの、革新的なもの、より生産的なものを受け入れやすくしている。サークル活動での焦点は、常によりよくである。新しいことを違った方法で行うことである。

 サークル活動はインダストリアル・エンジニアに圧力をかける。欧米ではエンジニアは現場からの抵抗を覚悟しなければならない。日本では現場からの要求に閉口する。 この継続訓練へのコミットがあるからこそ、日本では変化とイノベーションに抵抗するどころか、進んでそれを受け入れる土壌ができあがっている。同時に現場の経験と知識が不断の改善に寄与している。


 以上は『マネジメント(上)』p301~302より抜粋して引用しました。
 
 『マネジメント』は昭和48年(1973年)に著されました。ドラッカーは、この頃(昭和40年代中盤)の日本企業の姿をみてこの文章を書きました。高度成長期には欧米に追い付き、追い越すために、より良い製品を作ろうと懸命に働く日本人の姿がありました。

 ここからの話は、日本人のことを特別にひいきに見たものではありません。ドラッカーが日本企業を客観的にみたときの気づきを、私自身の気づきに発展させたものです。

 ドラッカーは日本企業で働く従業員が仕事のために学習することを「禅方式」“Zen approach”と呼びました。禅方式は、仕事に求められたことを学んだら終わりにするのではなく、より高い水準を求めて学びを深めていく学習の姿勢です。ドラッカーはこの姿勢を修養“self-improvement“と呼んでいます。

 この節の題名は「禅と儒教」となっております。対比されている儒教の考え方においては(欧米も同じですが)、学ぶことは、新しい仕事、今までと違う仕事、より大きな仕事をできるようになるためのもので、そこまで達すればそれ以上を求めることはありません。

 私の気づきは、日本がコロナウィルスに対して、いつまでも向き合おうとするのは、日本人の物事に対する対応が、禅方式にあるのではないかということです。コロナ禍において、徐々に感染防止策の知見が分かってくると、われわれは決められたルールを守り、グループ内、家族内で徹底し、例外を許しませんでした。手を洗ったり、うがいをしたりという行為がこれまで以上に徹底され、手が抜かれることなく実施されました。何事にもしっかり向き合い、放置せず、はっきりするまで改革や改善を続ける日本人の姿勢です。この姿勢がコロナウィルスを中途半端に放置することを許さない一つの理由ではないか、と思うのです。

 当社はコロナ禍の影響による行動様式や生活スタイルの変化を受けて、営業内容を変革しております。みなさまには大変ご迷惑をおかけいたしますことをお詫び申し上げます。

 みなさまが日に日にだんだんと幸せになっていきますように。今月もよろしくお願いいたします。

 


 参考文献:
  『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『マネジメント(上)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

"Management Tasks,Responsibilities,Practices" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books

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