P.F.ドラッカーの『マネジメント(中)』より引用いたします。
スペシャリストによって構成される部門の長は、その部門のほとんどの者よりも多くの報酬を受ける。しかし、彼よりも多くの報酬を受けるスターが、一人や二人いることを例外としてはならない。いわんや望ましからざることとしてはならない。
営業マンについても同様である。花形営業マンは、地域担当営業部長よりも当然多くの報酬を受け取るものとすべきである。同じことは研究所についてもいえる。個人の能力、努力、知識が成果を左右するあらゆる分野についていえる。
『マネジメント(中)』 p22-23より引用
報酬に関してのこのような考え方はいまではよく理解されています。
分かりやすいのは、プロ野球です。プロの野球チームおいては優れた選手のほうがチームの長である監督よりも多額の報酬を獲得してます。サッカーや大相撲などプロのスポーツはいずれも同様ですね。
営業の仕事も同じです。たとえば、生保のトップセールスの報酬は営業所の所長よりも高い、という話はよく聞きます。特殊な研究で成果をあげている研究者なども同じでしょうね。
個人の能力、努力、知識が成果を左右するあらゆる分野がこれに該当するわけです。
横並びを好む日本においても、この考え方は特別ではありませね。報酬の逆転について文句を並べる監督や所長の姿など見たことがありません。
そうしなければ、優れた人材を確保できないからです。その結果として組織が社会に対して成果をあげることができなくなってしまいます。
マネジメントをする人間が組織の上部にいるから報酬が高いのだというなら、それはマネジメントのおごりでしょう。
マネジメントはマネジメントという仕事で、報酬に対する上下の位置関係ではないのです。
スペシャリストも組織における機能です。各分野のスペシャリストはその分野において最高の出来栄えを見せてほしいのです。余人をもって替えがたい仕事をしているのであれば地位と報酬の逆転はありうるわけです。
では、マネジメントの人間は報酬が低いか?といえばもちろんそんなことはなくて、会社をよくマネジメントして成果をあげている人は組織の中の誰よりも報酬が高いわけです。
参考文献:
『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)

Hitoshi Yonezu at 10:00
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