『経営者の条件』第5章「最も重要なことに集中せよ」より引用します。
完全な失敗を捨てることは難しくない。自然に消滅する。ところが昨日の成功は非生産的となったあとも生き続ける。もう一つそれよりもはるかに危険なものがある。本来うまくいくべきでありながら、なぜか成果のあがらないまま続けている仕事である。
そのような活動は拙著『創造する経営者』でも説明したように、「経営者の独善的投資」となり、やがて神聖さまで帯びてくる。そのような活動は、厳しく排除しなければ組織の血を奪ってしまう。そしてそのときこの当然の成功をもたらすための不毛な試みに浪費されるのが、最も有能な人たちの能力である。
『経営者の条件』 p142-143より引用
原書では次のように表現されています。
No one has much difficulty getting rid of the total failures.They liquidate themselves.Yesterday's successes,however,always linger on long beyond their productive life.Even more dangerous are the activities which should do well and which,for some reason or other, do not produce.These tend to be become,as I have explained elsewhere "investments in managerial ego" and sacred.Yet unless they are pruned,and pruned ruthlessly.they drain the lifeblood from an organization.It is always the most capable people who are wasted in the failure attempt to obtain for the investment in managerial ego the "success it deserves."
”The Effective Executive” p104-105
完全な失敗は、やがて消滅します。捨てるのは簡単です。
逆に、昨日まで成功していたことは、そのことが頭に焼き付いているために、やがて非生産的になったとしても惰性で生き続ける可能性があります。
最も危険なのは、本来うまくいくべきなのに、うまくいかないまま続けている仕事です。
そのような活動は「経営者の独善的投資」となり、神聖さまで帯びてくる、といいます。
この部分です。
These tend to be become,as I have explained elsewhere "investments in managerial ego" and sacred.
経営者の趣味で行っているような仕事で「やがてよくなるから」という言い訳のもとにずっと続けている仕事はないでしょうか。そこに優秀な人材が割り当てられていないでしょうか。
そのような仕事は経営者が認め、許しているがために、やめること(捨てること)ができません。
大切な経営資源を昨日という過去に投資していることです。
経営者は、自分一人の満足や家族の利益のために経営をしてはいけません。それは成果を外部ではなく、内部に求めていることです。
経営者には生産的か、必要であるか、という冷静な判断が求められます。
常に自らをマネジメントし、過去を定期的に廃棄することです。

参考文献:
『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
”The Effective Executive” P.F.Drucker (Harper Business)
Hitoshi Yonezu at 10:00
| ドラッカー