ドラッカーの『経営者の条件』第1章「成果をあげる能力は修得できる」より引用します。
知識労働者が何を考えているかは確かめようがない。だが考えることこそ知識労働者に固有の仕事である。考えることが彼らのなすべきことである。
しかもその動機づけは、成果をあげることができるか否かにかかっている。彼自身が物事を達成できるか否かにかかっている。成果をあげられなければ仕事や貢献に対する意欲は減退し、九時から五時までただ体を動かしているだけとなる。
知識労働者は、それ自体が独立して成果となるようなものを生み出さない。溝、靴、部品、などの物的な生産物は生み出さない。知識労働者が生み出すのは、知識、アイデア、情報である。それら知識労働者の生産物は、それだけでは役に立たない。それらのものが意味をもつためには、他の知識労働者がインプットとして使い、何らかのアウトプットを生み出してくれなければならない。
P.F.ドラッカー 『経営者の条件』 p21-22より引用
溝、靴、部品・・・・・・
なんともドラッカーらしいおもしろいものを例示しています。「溝」って!?いったい何でしょうね?
原文では「溝」は、ditchという言葉です。この言葉には、水路、溝、掘割、排水溝などの意味があるそうです。
知識労働者のすべき仕事は「溝」に象徴されるような物的な生産物を生み出すことではありません。
知識労働者の仕事は、知識、アイデア、情報といった、それだけでは役立たないもの、すぐには役立たないものを生み出すことです。
では、溝を掘っている労働者は肉体労働者(原文はmanual worker)であって、知識労働者とは別のものなのでしょうか?
私は別ではない、と考えます。
溝を掘っている労働者も仕事のやり方次第でいくらでも知識労働者になれるのです。
親方の言われたとおりに一日中漫然と溝を掘りつづけるのならば、肉体労働者かもしれません。
しかし、指示された仕事のなかで、より効率よく掘ることのできる方法を考えたらどうでしょう?
もっと早く掘れる工具を考えたらどうでしょう?
怪我や疲労の少なくなるようなワークシフトを考えたらどうでしょう?
これらはすべて、知識、アイデア、情報です。すぐには役立たないかもしれませんが、上司やしかるべき部署が形にして、やがてその方法が採用されることになるのです。
やがて組織の成果につながります。
こうなると、溝を掘っている人も、知識労働者と言えます。
逆に、一日中デスクやPCに向かって考える仕事をしている人でも、繰り返し作業を行っているだけなら、肉体労働者ではないでしょうか。
ドラッカーは知識労働者が何を考えているかは確かめようがないと言っていますが、まさにこのことです。
デスクに向かっている知識労働者らしい人ほど、より明確に貢献をし、組織の成果につなげていかねばならないのです。

参考文献:
『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
”The Effective Executive” P.F.Drucker (Harper Business)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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