P.F.ドラッカーの『現代の経営[下]』より引用いたします。
トップマネジメントは姿勢やビジョンや能力を、善意、直感、好意、友情に代行させることはできない。大企業の社長にとって、職長全員のフルネームを知っていることは自慢すべきことではない。むしろ恥ずべきこととなる。社長が名前を暗記している間、トップマネジメントの仕事は誰が行っていたのか。人間性をもって成果に代えることはできない。
まったくのところ、よき意図なるものが、成長に伴う問題の解決を不可能にしている例があまりにもよく見られる。よき意図があるために、問題の存在に気がつかなくなっている。大きく成長した企業のトップマネジメントは、かつての仲間たちが相も変わらず創業時の修理工場のようにマネジメントしていることを知っている。他の企業にも同じ問題が起こっていることを知っている。
しかし、(あらゆる女性が「自分だけがあの人のアルコール中毒を治せる」と思うように)自分だけは「従業員との親密な関係」を保ち、「人間的なつながり」をもち、「コミュニケーションできる」がゆえに、昔からの方法でマネジメントしていけると思う。そして、これらの言葉の素晴らしさのゆえに、いまや姿勢と行動の変化を要求する問題に直面しているという事実が目に入らなくなる。
『現代の経営(下)』 p86より引用
このことをドラッカーは既に1954年(昭和29年)に指摘していたのですね・・・・・・
日本においては、その後もドラッカーの指摘とは逆に、むしろ「善意、直観、好意、友情に代行させる」方法で経営をしてきました。
それは大変すばらしいことですし、おかげで日本経済は大成功を収めました。
しかし、あとから考えてみると、日本は高度成長に乗っていたからこそそれでもうまくいったのではないか、と思えるのです。
私は家業をしているうちで育ちましたが、祖父母も父母も「善意、直観、好意、友情」で経営をしていました。祖父母が亡くなって十数年が経ちますが、いまだに祖父母にお世話になったと言及してくださるお客さまがいるくらいです。
人間性で経営がうまくいった時代だったと思います。大変ありがたい時代でした。
いまの時代、「よき意図」だけでは経営ができなくなってきました。
「もしドラ」があれだけ読まれて、ドラッカーの人気が再燃しているのは、日本中のあらゆるところでマネジメントが求められているからではないでしょうか。
先行きの見えない厳しい状況のなかで、どう経営すべきかが問われ、頼りになるものが必要とされています。

参考文献:
『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
『現代の経営[下]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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