三宅秀道さんのご著書『新しい市場のつくり方』を拝読いたしました。
この本は12月26日に開催される第24回ビジネス読書会の課題図書です。会員のHさんが選んでくださいました。一見、厚くて、読もうとすると勇気のいる本です。
三宅さんは1973年生まれ、1996年早稲田大学商学部卒業後、都市文化研究所、東京都品川区産業振興課などを経て、2007年早稲田大学商学研究科博士課程単位取得退学。東京大学ものづくり経営研究センター特任研究員を経て、2010年より東海大学政治経済学部専任講師を務められています。
副題に『明日のための「余談の多い」経営学』とありますが、本当に余談が多いです。余談がなければここまでの厚みはなくなるのではないかと思います。
いまの日本はあまりにも技術偏重で、市場をつくることを忘れてはいないか、というのが著者の問題提起です。
本当に市場が創造される最初の最初は、生活をこんなふうに変化させたい、という文化の話であり、企業の職分でいうと技術開発ではなく、企画にまつわる話になります。
『新しい市場のつくり方』 p18より引用
市場の発生とは、その成長と比べるとはるかに短い期間であり、ほんの一瞬にすぎません。
しかし、市場の「発生」を試みないことには、世の中にある市場はみんな成熟した、年老いた老壮年期の市場ばかりということにならないでしょうか。そのおじさん市場ばかりが、「俺たちはこうして大きくなった」と技術の話ばかりしているのが、私が最初に述べた「技術神話」ではないでしょうか。
『新しい市場のつくり方』 p20より引用
企業の現場で調査をされている方ですので、中小のオーナー企業についての記述も多いです。
オーナー企業は前近代的と見られていて、確かに身内の集まりですが、自分の財産と会社の業績が密接に関連している立場だからこそ責任感をもって長期的な視野に立った戦略を立てられる、といいます。
本書で述べるような、新しい市場をつくろうとする未確定の将来に、思い切って踏み出そうとする雄大な企業家精神が必要とされるような状況では、むしろそうした「近代的」でない事業組織のほうが、向いている面があるでしょう。それは、どうあがいても本当の「身内」をリストラできないからこそ、逆に覚悟を決めて、思い切ったしがらみやセクショナリズムを克服できるからです。そして「近代的」に整備された組織も、そうした「前近代的」な組織から学べることが多いのではないでしょうか。
『新しい市場のつくり方』 p144より引用
似たようなことは稲盛和夫さんの本で読んだことがあります。
参考ブログ:「世襲とは」
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e1132039.html
私には納得しきれなかった部分もありました。26日の読書会でどんな理解ができるか楽しみです。

参考文献:『新しい市場のつくり方』 三宅秀道 (東洋経済)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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