『国民の修身』を読んで

2012年10月27日

 渡部昇一さんが監修された『国民の修身』を拝読いたしました。

 渡部昇一さんは昭和5年山形県生まれ、現在は上智大学名誉教授を務められています。渡部さんのご専門は英語学ですが、たくさんの著作やテレビ出演、発言などをされている方ですから、みなさまご存知かと思います。

 この本は戦前の修身の教科書を再現したものです。本文は基本的にカタカナ表記ですが、現代語訳がついているので大変読みやすいです。
 
 ひらがなに慣れてしまうとカタカナは読みずらいですね。

 明治生まれのおばあさんが元気だったころ、メモをするのによくカタカナを使っていたので、不思議に思っていましたが、戦前の低学年向けの教科書はカタカナだったわけです。

 やはり明治生まれのおじいさんからは私が小学生だった頃「修身の授業はある?」「教科書は国定教科書をつかっているか?」と聞かれたことを思い出しました。
 
 当時は「修身」の意味も「国定教科書」の意味も分かりませんでしたので、父に教えてもらいました。
 ときどき「道徳」という時間がありましたが、修身と比べると量も少なく、筋も通っていないもので、時間の埋め合わせにやっている程度のものと認識しておりました。

 日本人の精神がガタガタになってしまったのは理念に基づいた教育がなされてこなかったからだと思います。日本の精神を解体させようとしたアメリカの意図が見事に成功したわけです。

 そのせいで国際的には自分の主張をできない弱い国になってしまいましたし、国内でも豊かさにおぼれた若者が増えているのです。

 自由で公平だというそのアメリカですが、大統領がスピーチの最後に"God bless you"(神のご加護がありますように)というのを私は何度も聞いたことがあります。

 日本の総理大臣がそんなことをいったら、大問題になりますね。

 この本に紹介されていた逸話です。

 貝原益軒は、庭で相撲をとった若者に大切にしていた牡丹の花を折られてしまいました。若者は心配して謝りに行きました。

 「じぶんがぼたんをうゑたのはたのしむためで、おこるためではない」といつて、そのまゝゆるしました。

           『国民の修身』より引用

 
 これは「寛大」の意味を教える節です。

 私もそろそろ怒るのをやめます。

 「修身」が何を教えようとしていたのか、ぜひ読んでほしい本です。

  


 参考文献:『国民の修身』 渡部昇一(監修) (産経新聞出版)
 

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