森信三さんの『修身教授録』より引用いたします。
そこでまた言い換えますと、人間は批評的態度にとどまっている間は、その人がまだ真に人生の苦労をしていない何よりの証拠だとも言えましょう。もちろんその人の性質にもよることですが、とにかく自分は懐手をしていながら、人の長短をとやかく言うているのは、まだその心に余裕があって、真の真剣さには至っていないと言ってよいでしょう。
それはちょうど食物などでも、かれこれと好き嫌いを並べていられる間は、まだ真に飢えの迫っている人ではないわけです。人間が真にせっぱ詰まったならば、そういうぜいたくなことは言うていられないはずです。
森信三著『修身教授録』<Ⅱ>第35講498pより引用
飢えの話を伺うと、とても分かりやすいです。
私は飢えた経験はないですが、のどが渇いたときの一口の水が公園の水道水であったとしても、やっとありつけた御飯が冷えたおにぎりだとしても、とてもおいしく、ありがたく感じられるものです。
どんなことでも自分が真に向き合っていたら、批評などできなくなるということです。
余裕があるというのは、まだまだ向き合い方が甘いからです。
厳しくしていくには自分の時間を管理して行動を詰めていくしかないと思います。
高みの見物で涼しい顔をしていることのないようにしたいと思います。(もう寒くなりましたけど)

参考文献:『修身教授録』 森信三 (致知出版社)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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