ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』Part4より引用します。
そもそも「何が受け入れられやすいか」「何が反対を招くから言うべきではないか」を心配することは、無益であって、時間の無駄である。心配したことは起こらず、予想しなかった困難や反対が、突然、ほとんど対処しがたい障害となって現れる。換言するならば、「何が受け入れられやすいか」からスタートしても得るところはない。それどころか、通常、この問いに答える過程において、大切なことを犠牲にし、正しい答えはもちろん、成果に結びつく可能性のある答えを得る望みさえ失う。
『プロフェッショナルの条件』より引用
会議で難しい話を決めなくてはならないとき、いろいろな人の顔を思い浮かべると「何が受け入れられやすいか」「誰に受け入れられやすいか」を考えてしまうことがあります。
これは、問題解決を始めから避けているのと同じことです。玉虫色の解決になってしまいます。
また「なぜそう考えるの?」と言いたくなるような不思議な提案が出てくることがあります。ひも解いてみると、特別の人の影響を考えすぎていたり、自分の要求を通すための工夫がしてあったりします。
ドラッカーは、正しい意思決定をするために「何が正しいか」から考えなくてはいけない、といっています。
最初に答えありきでは議論の意味がないでしょう。
基本に立ち返って、正しいことを追求することから始めるのが大切なのだ、と思います。

参考文献:『プロフェッショナルの条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(編訳) (ダイヤモンド社)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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