師範学校の教育

2012年06月12日

 『修身教授録』は、森信三さんの大阪天王寺師範学校での昭和12年から14年までの「修身」の講義をまとめたものです。
 
 師範学校とは教員養成の学校です。いまは教育学部といえば大学にしかありませんが、戦前はその予備段階がありました。師範学校は戦後GHQの指導によって廃止され、大学に改組されていきました。

 『修身教授録』を読んで感じるのは、教師に対する期待です。当時の教師は今よりもずっと特別な立場で、誰からも尊敬される存在だったのだと思います。森信三さんの言葉には教育に対する責任がこめられています。 

 この学校が工業学校でもなく、また農学校や商業学校でもなくて、まさに師範学校として国民教育者を養成するところである以上、本来から言えば、諸君らが本校に入学されたということは、そのこと自身がすでに、諸君らはその生涯の学問修養をもって、この日本国の基礎たる国民教育に貢献し、大にしては民族の前途に対して一つの寄与をするだけの決心がなくてはならぬはずですが、諸君果たしてこのような決心をお持ちですか。

               森信三著『修身教授録』第7講より引用


 諸君らはさらに眼を上げてアジアの形勢を見、さらには世界の動向をも大観して放たず、かくして常に世界におけるわが国の位置を見、近くはアジアにおけるわが国の使命に想いを馳せつつ、常に国民教育者が国家の運命に対して、いかなる角度から貢献しうるかを深省せねばならぬでしょう。

               森信三著『修身教授録』 第8講より引用


 大東亜戦争のはじまる前のことですから、民族主義的な感は否めません。

 植民地支配がはびこるアジアで何とか生き抜いていこうという日本の気概を感じます。

 いまのアジアの途上国の中には、戦争ではないにしても、経済も政治も、のし上がっていくぞ、伸びていくぞ、というこれと似たような勢いがあるように思います。もう日本にはない感覚です。

 こんな話をしたら、いまの学生さんは驚いてしまうでしょう。

 こういう時代があったことも知っておいてほしいと思います。

  


 参考文献:『修身教授録』 森信三 (致知出版社)
 

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