「一流のものに触れ続ける」というと「そんなこと無理」と言われそうですが、一流というのは価格のことではないのです。
美術館でも音楽でも食事でも洋服でも、本当によいものに触れる機会は結構あるはずです。
山﨑拓巳さんの『やる気のスイッチ』より引用します。
骨董屋の弟子を育てる一番の方法は。
いい品だけをひたすら見せ続けることだそうだ。
これが本物、これが偽物だと教えても審美眼は育たない。
本物だけに触れ続けることで、目が肥えて、知らず知らずセルフイメージが上がっていく。
重要なのは、「本物」を自分にとっての「標準」にしていくことだ。
山﨑拓巳著『やる気のスイッチ』より引用
食事についても、まったくこの通りではないか、と思いました。
ポテトチップスなどのスナック菓子や工場でつくられた食べものばかりを食べていたら、食材の本当のおいしさが分からなくなってしまうと思います。
高級であるとか、価格の高低の問題ではなく、素材を活かして丁寧に調理しているかという問題です。工場でつくられたものを否定することでもありません。そういうものもときどき食べたくなりますし、忙しいときには大変便利です。
普段きちんと調理されたものを食べていないと、そうでないものの違いが分からなくなります。
最近参加したある経営セミナーでは、講師の先生が上場している超優良企業の財務諸表を持ってきてくださいました。安定性、収益性、成長性など、どの指標をとっても申し分のないすごい企業ばかりです。
その財務諸表を見ているとき「こんな企業になれっこない!」という声を聞きました。
「そうだろうか?もしかしたら、こういうのを見ることで段々目が慣れていくのではないだろうか・・・・・・」と私は思いました。
おいしい食事を食べていれば、おいしさが分かるように、すごい財務諸表に慣れていくことで「見たくない」「なれっこない」という拒否感がなくなっていくでしょう。知らなければ想像することさえできないでしょう。
一流のものに触れ続ける意味がここにあるのではないか、と思います。

参考文献:『やる気のスイッチ』 山﨑拓巳 (サンクチュアリ出版)
Hitoshi Yonezu at 10:00
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