反応的な言葉より主体的な言葉を
反応的な言葉がなぜ重要な問題なのかというと、それが心理学でいう「自己達成予言」になるからである。つまりそういう言葉を使う人は、決定づけられているというパラダイムをさらに強く持つことになり、その信念を支える証拠を自分でつくり出すことになる。ますます被害者意識に陥り、生活のコントロールを失い、自分の人生を自分でつくり出す能力を失くしてしまうのだ。そして、自分の状況をすべて外的な要因(他人、環境、星座に至るまで)のせいにするのである。
『7つの習慣』より引用
自分には責任がなく、すべては自分以外の人や環境のせいだと考える人は、反応的な言葉を発することが多くなる。
反応的な言葉とは、何かの事態に対して、自分の意思や想いを加えることなく、一般的に植え付けられたイメージとして出てくる言葉だ。
無理だ・・・
○○でないとだめだ・・・
○○でさえあったら・・・
どうしようもない・・
しなくてはならない・・・
疲れた・・・
これに対して、主体的な言葉とは、何が起こっても、自分が主体的に選択した結果として発する言葉である。
やってみる!
○○がいい!
○○するぞ!
次の案を出すぞ!
そうすることに決めた!
充実している!
反応的な言葉ばかりを話す人・・・反応的な人・・・と話していると、こちらまで暗くなり、元気がなくなってくる。耳を閉じたい気持ちになってくる。
主体的な言葉を話す人・・・主体的な人・・・と話していると、どんな状況であっても、よいことがあるぞ、先は明るいのだ、と思えるようになる。
そういう人と友達になりたい。
宗教的でもなく、心理学でもなく、ただ純粋にそう思うから・・・
明日のブログではこのことと同じことを言っている日本人の先生を御紹介します。
参考文献:『7つの習慣』 スティーブン・R・コヴィー (キングベアー出版)
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