組織は優秀な人がいるから成果をあげられるのではない。組織の水準や習慣や気風によって自己開発を動機づけるから、優秀な人たちをもつことになる。そして、そのような組織の水準や文化や気風は、一人ひとりの人が自ら成果をあげるエグゼクティブとなるべく、目的意識をもって体系的に、かつ焦点を絞って自己訓練に努めるからこそ生まれる。
P.F.ドラッカー『経営者の条件』 p223より引用
大統領が手に入れられる唯一の情報たる報告書なるものはまったく助けにならない。これに対し、あらゆる国の軍が、命令を出した将校が自ら出かけ、確かめなければならないことを知っている。少なくとも副官を派遣する。命令を受けた当の部下からの報告を当てにしない。信用しないということではない。コミュニケーションが当てにならないことを知っているだけである。
大隊長自らが隊員食堂に出かけていって隊員用の食事を試食するのもこのためである。メニューを見て料理を運ばせることはできる。だがそうはしない。自ら隊員食堂に出かけ兵隊たちと同じ鍋からとる。
コンピュータの到来とともに、このことはますます重要になる。決定を行う者が行動の現場から遠く隔てられるからである。自ら出かけ、自ら現場を見ることを当然のこととしないかぎり、ますます現実から遊離する。コンピュータが扱うことのできるものは抽象である。抽象化されたものが信頼できるのは、それが具体的な事実によって確認されたときだけである。それがなければ抽象は人を間違った方向へ導く。
自ら出かけ確かめることは、決定の前提となっていたものが有効か、それとも陳腐化しており決定そのものを再検討する必要があるかどうかを知るための、唯一ではなくとも最善の方法である。
P.F.ドラッカー『経営者の条件』 p188より引用
コンピュータの出現が、意思決定に対する関心に火をつけることになった理由は多い。しかしそれはコンピュータが意思決定を乗っ取るからではない。コンピュータが計算を乗っ取ることによって、組織の末端の人間までがエグゼクティブとなり、成果をあげる決定を行わなければならなくなるからである。
P.F.ドラッカー『経営者の条件』p216より引用
集中のための第一の原則は、生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手をつけるか」を問うことである。答えが無条件のイエスでないかぎり、やめるか大幅に縮小すべきである。もはや生産的でなくなった過去のもののために資源を投じてはならない。第一級の資源、特に人の強みという稀少な資源を昨日の活動から引き揚げ、明日の機会に充てなければならない。
つまるところ、成果をあげる者は、新しい活動を始める前に必ず古い活動を捨てる。肥満防止のためである。組織は油断するとすぐ体型を崩し、しまりをなくし、扱いがたいものとなる。人からなる組織も、生物の組織と同じようにスマートかつ筋肉質であり続けなければならない。
古いものの計画的な廃棄こそ、新しいものを強力に進める唯一の方法である。アイデアが不足している組織はない。創造力が問題なのではない。せっかくのよいアイデアを実現すべく仕事をしている組織が少ないことが問題である。みなが昨日の仕事に忙しい。
P.F.ドラッカー『経営者の条件』p142-146より抽出、編集して引用
成果をあげるには、人の強みを生かさなければならない。弱みからは何も生まれない。結果を生むには利用できるかぎりの強み、すなわち同僚の強み、上司の強み、自らの強みを動員しなければならない。強みこそが機会である。強みを生かすことは組織に特有の機能である。
鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが自らの墓碑銘に刻ませた「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」との言葉ほど大きな自慢はない。これほど成果をあげるための優れた処方はない。カーネギーの部下たちは、それぞれの分野において優秀だった。それは彼が部下の強みを見出し仕事に適用させたからだった。もちろん、最も大きな成果をあげたのはカーネギーだった。
強みを生かすことは、行動であるだけでなく姿勢でもある。しかしその姿勢は行動によって変えることができる。同僚、部下、上司について、「できないことは何か」でなく「できることは何か」を考えるようにするならば、強みを探し、それを使うという姿勢を身につけることができる。やがて自らについても同じ姿勢を身につけることができる。
成果に関わるすべてのことについて、機会を育て、問題を立ち枯れにしなければならない。特にこのことは人事についていえる。自らを含め、あらゆる人を機会として見なければならない。強みのみが成果を生む。弱みはたかだか頭痛を生むくらいのものである。しかも弱みをなくしたからといって何も生まれはしない。弱みをなくすことにエネルギーを注ぐのではなく、強みを生かすことにエネルギーを費やさなくてはならない。
P.F.ドラッカー『経営者の条件』p102-135より抽出、編集して引用
あらゆる組織が三つの領域における成果を必要とする。すなわち、直接の成果、価値への取り組み、人材の育成である。
これらすべてにおいて成果をあげなければ、組織は腐りやがて死ぬ。したがって、この三つの領域における貢献をあらゆる仕事に組み込んでおかなければならない。もちろんそれぞれの重要度は組織によって、さらには一人ひとりの人によって大きく異なる。
第一の領域である直接の成果については、はっきり誰にでもわかる。企業においては売上げや利益など経営上の業績である。病院においては患者の治癒率である。
第二の領域にある価値への取り組みは、技術面でリーダーシップを獲得することである場合もあるし、シアーズ・ローバックのようにアメリカの家庭のために最も安く最も品質のよい財やサービスを見つけ出すことである場合もある。
第三の領域が人材の育成である。組織は個としての生身の人間の限界を乗り越える手段である。したがって自らを存続させえない組織は失敗である。今日、明日のマネジメントにあたるべき人間を準備しなければならない。人的資源を更新していかなければならない。確実に高度化していかなければならない。
P.F.ドラッカー『経営者の条件』p81-83より抽出、編集して引用
貢献に焦点を合わせることによって、自らの狭い専門やスキルや部門ではなく、組織全体の成果に注意を向けるようになる。成果が存在する唯一の場所である外の世界に注意を向ける。自らの専門やスキルや部門と、組織全体の目的との関係について徹底的に考えざるをえなくなる。政策にせよ、医療サービスにせよ、自らの組織の産出物の究極の目的である顧客や患者の観点から物事を考えざるをえなくなる。その結果、仕事や仕事の仕方が大きく変わっていく。
なすべき貢献には、いくつかの種類がある。あらゆる組織が三つの領域における成果を必要とする。すなわち、直接の成果、価値への取り組み、人材の育成である。
これらすべてにおいて成果をあげなければ、組織は腐りやがて死ぬ。したがって、この三つの領域における貢献をあらゆる仕事に組み込んでおかなければならない。もちろんそれぞれの重要度は組織によって、さらには一人ひとりの人によって大きく異なる。
第一の領域である直接の成果については、はっきり誰にでもわかる。企業においては売上げや利益など経営上の業績である。病院においては患者の治癒率である。
第二の領域にある価値への取り組みは、技術面でリーダーシップを獲得することである場合もあるし、シアーズ・ローバックのようにアメリカの家庭のために最も安く最も品質のよい財やサービスを見つけ出すことである場合もある。
第三の領域が人材の育成である。組織は個としての生身の人間の限界を乗り越える手段である。したがって自らを存続させえない組織は失敗である。今日、明日のマネジメントにあたるべき人間を準備しなければならない。人的資源を更新していかなければならない。確実に高度化していかなければならない。
新任の病院長が最初の会議を開いたとき、ある難しい問題について全員が満足できる答えがまとまったように見えた。そのとき一人の出席者が、「この答えに、ブライアン看護師は満足するだろうか」と発言した。再び議論が始まり、やがてはるかに野心的なまったく新しい解決策ができた。
その病院長は、ブライアン看護師が古参看護師の一人であることを知った。特に優れた看護師でもなく、看護師長をつとめたこともなかった。だが彼女は、自分の病棟で何か新しいことが決まりそうになると、「それは患者さんにとっていちばんよいことでしょうか」と必ず聞くことで有名だった。事実、ブライアン看護師の病棟の患者は回復が早かった。
貢献に焦点を合わせるということは、責任をもって成果をあげるということである。貢献に焦点を合わせることなくしては、やがて自らをごまかし、組織を壊し、ともに働く人たちを欺くことになる。
P.F.ドラッカー『経営者の条件』p79-84より抽出、編集して引用
時間の使い方は練習によって改善できる。だがたえず努力をしないかぎり、仕事に流される。したがって次にくる一歩は体系的な時間の管理である。時間を浪費する非生産的な活動を見つけ、排除していくことである。そのための方法は三つある。
第一に、する必要のまったくない仕事、何の成果も生まない時間の浪費である仕事を見つけ、捨てることである。すべての仕事について、まったくしなかったならば何が起こるかを考える。何も起こらないが答えであるならば、その仕事は直ちにやめるべきである。
第二に、他の人間でもやれることは何かを考えることである。毎晩会食していた社長は、さらに三分の一はほかの幹部に任せられることを知った。参席者のリストに社名が出ていればよかった。
時間管理のための第三の方法は、自らがコントロールし、自らが取り除くことのできる時間浪費の原因を排除することである。人は、他人の時間まで浪費していることがある。
そのような時間の浪費が簡単にわかる徴候はなくとも、発見のための簡単な方法はある。聞くことである。「あなたの仕事に貢献せず、ただ時間を浪費させるようなことを私は何かしているか」と定期的に聞けばよい。
P.F.ドラッカー『経営者の条件』p58-61より抽出、編集して引用
成果をあげるには自由に使える時間を大きくまとめる必要がある。大きくまとまった時間が必要なこと、小さな時間は役に立たないことを認識しなければならない。たとえ一日の四分の一であっても、まとまった時間であれば重要なことをするには十分である。逆にたとえ一日の四分の三であってもその多くが細切れではあまり役に立たない。
したがって時間管理の最終段階は、時間の記録と仕事の整理によってもたらされた自由な時間をまとめることである。
時間をまとめるには方法がある。ある人たち、なかでも年配の人たちは、週に一日は家で仕事をしている。編集者や研究者がよく使う方法である。
ある人は会議や打ち合わせなど日常の仕事を週に二日、例えば月曜日と金曜日に集め、他の日、特に午前中は重要な問題についての集中的かつ継続的な検討に充てている。
P.F.ドラッカー『経営者の条件』p73より引用
私は、成果をあげる人のタイプなどというものは存在しないことにかなり前に気づいた。私が知っている成果をあげる人は、気質と能力、行動と方法、性格と知識と関心などあらゆることにおいて千差万別だった。共通点はなすべきことをなす能力だけだった。
成果をあげるために身につけておくべき習慣的な能力は五つある。
(1) 何に自分の時間がとられているかを知ることである。残されたわずかな時間を体系的に管理することである。
(2) 外の世界に対する貢献に焦点を合わせることである。仕事ではなく成果に精力を向けることである。「期待されている成果は何か」からスタートすることである。
(3) 強みを基盤にすることである。自らの強み、上司、同僚、部下の強みの上に築くことである。それぞれの状況下における強みを中心に据えなければならない。弱みを基盤にしてはならない。すなわちできないことからスタートしてはならない
(4) 優れた仕事が際立った成果を領域に力を集中することである。優先順位を決めそれを守るよう自らを強制することである。最初に行うべきことを行うことである。二番手に回したことはまったく行ってはならない。さもなければ何事もなすことはできない。
(5) 成果をあげるよう意思決定を行うことである。決定とは、つまるところ手順の問題である。そして、成果をあげる決定は、合意ではなく異なる見解に基づいて行わなければならない。もちろん数多くの決定を手早く行うことは間違いである。必要なものは、ごくわずかの基本的な意思決定である。あれこれの戦術ではなく一つの正しい戦略である。
P.F.ドラッカー『経営者の条件』p41-44より抽出、編集して引用
トップマネジメントの仕事の一部を列挙するならば、次のとおりである。
(1)組織としてのミッションを考える役割がある。すなわち、「われわれの事業は何か。何であるべきか」を考えなければならない。
(2)基準を設定する役割、すなわち組織全体の規範を定める役割、良識機能を果たす役割がある。
(3)組織をつくりあげ、それを維持する役割がある。明日のための人材、特に明日のトップマネジメントを育成する必要がある。加えて、組織構造を設計する役割がある。
(4)トップの座にある者だけの仕事として、渉外の役割がある。顧客や取引先との関係である。金融機関や労働組合との関係、政府機関との関係である。
(5)公的行事や夕食会への出席など、数限りない儀礼的な役割がある。これは、むしろ大企業よりも、地域において目立つ存在になっている中企業、小企業のトップマネジメントとして逃れられない仕事である。
(6)重大な危機に際しては自ら出動するという役割、著しく悪化した状況に取り組む役割がある。
「組織の成功と存続にとって決定的に重要な意味をもち、かつトップマネジメントだけが行いうる仕事は何か」
「事業全体を見ることができ、今日と明日のニーズをバランスさせることができ、最終的な意思決定をなしうる者だけが行うことのできるものは何か」
P.F.ドラッカー 『マネジメント(下)』
第50章「トップマネジメントの仕事」p9-12より抽出、編集して引用
真摯さ(integrity)を絶対視して、初めてマネジメントの真剣さが示される。それは人事に表れる。リーダーシップが発揮されるのは、真摯さによってである。範となるのも、真摯さによってである。真摯さは、取って付けるわけにはいかない。
真摯さはごまかせない。ともに働く者、特に部下には、上司が真摯であるかどうかは数週でわかる。無能、無知、頼りなさ、態度の悪さには寛大になれる。だが真摯さの欠如は許さない。そのような者を選ぶ者を許さない。真摯さを定義することは難しい。しかし、マネジメントの地位にあることを不適とすべき真摯さの欠如を明らかにすることは難しくない。
①人の強みよりも弱みに目のいく者をマネジメントの地位に就けてはならない。
②マネジメントたる者は実践家でなくてはならない。評論家であってはならない。
③何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心をもつ者をマネジメントの地位に就けてはならない。
④真摯さよりも頭のよさを重視する者は、マネジメントの地位に就けてはならない。
⑤できる部下に脅威を感じることが明らかな者も、マネジメントの地位に就けてはならない。
⑥自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネジメントの地位に就けてはならない。
いかに知識があり、聡明であって、上手に仕事をこなしても、真摯さに欠ける者は組織を破壊する。
このことは特にトップマネジメントについていえる。しかも、組織の精神はトップで形成される。組織が偉大たりうるのはトップが偉大なときだけである。組織が腐るのはトップが腐るからである。「木は梢から枯れる」との言葉どおりである。したがって、範とすることのできない者を高い位置に就けてはならない。
『マネジメント(中)』第36章「成果中心の精神」
p109-110より抽出、編集して引用
自己目標管理(MBO:Management by Objectives and Self-control) の最大の利点は、自らの仕事を自らマネジメントできるようになることにある。自己管理が強い動機づけをもたらす。適当にこなすのではなく、最善を尽くす願望を起こさせる。目標を上げさせ、視野を広げる。
自己目標管理の値打ちは、支配によるマネジメントの代わりに、自己管理によるマネジメントを可能にするところにある。
自らの仕事ぶりを管理するには、自らの目標を知っているだけでは十分でない。目標に照らして、自らの仕事ぶりと成果を評価できなければならない。
したがって、あらゆる分野にわたって、自己評価のための明確な情報を与える必要がある。それらの情報は数学である必要はない。厳密である必要もない。しかし明瞭でなければならない。意味があり、かつ直截でなければならない。正確さの程度を知りうるだけの信頼性をもつものでなければならない。難しい説明や解釈を必要としない平易なものでなければならない。
あらゆる者が自らの仕事ぶりを測定するための情報を手にすることが不可欠である。しかも、必要な措置がとれるよう、それらの情報は早く提供しなければならない。
それらの情報は、彼ら自身に伝えるべきであって上司に伝えるべきではない。情報は、自己管理のためのツールであって、上から管理するためのツールではない。このことは、情報の収集、分析、統合に関わる技術進歩の結果、それらの入手能力が急速に増大した今日、特に強調しておく必要がある。
『マネジメント(中)』第34章「自己目標管理」p83-85より抽出して引用
自己目標管理(MBO:Management by Objectives and Self-control)
すでに社会は、「どれだけの教育ある者を扶養できるか」から、「どれだけの教育のない者を扶養できるか」へと問題の焦点を移している。こうしてマネジメント教育は、企業が社会に対して果たすべき責任を果たすためにも必要とされている。
もし企業にその力がなくなれば、社会は放置しない。なぜならば、組織、特に大企業が継続して成果をあげていくことが、社会にとっては死活的に重大だからである。社会は、企業という富を生み出す機関が、有能なマネジメントの欠落のために危機に瀕することを許さないし、その余裕もない。
しかも今日の社会においては、仕事は生計の資以上のものを意味する。人は、仕事に誇りと自己実現という金銭を超えた満足を求める。したがって、マネジメント教育とは、仕事を生計の資以上のものにすることであるといって過言でない。それは、働く者が自らの能力をフルに発揮できるようにすること、すなわち仕事をよき人生にすることである。
マネジメントの人間は、育つべきものであって、生まれつきのものではない。したがって、われわれは明日のマネジメントの育成、確保、スキルに体系的に取り組まなければならない。運や偶然に任せることは許されない。
『マネジメント(中)』第33章「マネジメント教育」p55-56より引用
いかなるマネジメントを行うかはトップマネジメントが決める。そのための最終製品が決定され、事業上の目標が設定される。
しかしマネジメントの仕事は、下から決めていかなければならない。生産、販売、設計の最前線の活動からスタートしなければならない。すべては最前線のマネジメントの仕事ぶりにかかっている。上層のマネジメントの仕事は、この最前線のマネジメントを助けるための派生的な仕事にすぎない。
あらゆる権限と責任が最前線にある。彼らにできないことだけが上層にゆだねられる。いわば、最前線のマネジメントが組織のDNAである。上層の機関のなすべきことは、すべてそこで規定される。
マネジメントが行うことのできる決定の限界については、一つだけ簡単なルールがある。GEの電球事業部の内規は、アメリカ憲法をなぞって、「明文をもって規定されていないかぎり、権限は下位のマネジメントにある」としている。これは「命じられていないかぎり、すべては禁じられる」とのプロシア法の考えの逆である。 担当する仕事について行うことのできない決定は、すべて明文をもって明らかにしておかなければならない。他のことについては、すべて権限と責任を有するものと解さなければならない。
『マネジメント(中)』第32章「マネジメントの権限」p50-52より抽出して引用
(1)第一に、最も一般的な間違いは、仕事を狭く設計し、人が仕事で成長することを妨げることである。マネジメントの仕事は、その職にあるかぎり、学び、育つことのできるものにしなければならない。大きく設計した仕事が害をなすことはない。たとえ害があっても、直ちに直すことができる。ところが、小さく設計した仕事は、人と組織を知らぬ間に麻痺させる。
(2)マネジメントの働きを妨げる間違いの第二に、仕事とはいえない仕事、つまり補佐の仕事がある。マネジメントの仕事には目的、目標、役割がなければならない。明確な貢献ができるものでなければならない。責任ある存在となれなければならない。 ところが、補佐の役には直接貢献できることがない。自分だけでは責任ある存在とはなりえない。自身の目的、目標、役割がない。
(3)間違いの第三は、マネジメントが自分の仕事をもたないことである。マネジメントとは仕事である。しかしそれは、マネジメントがすべての時間を費やすほど時間を要する仕事ではない。マネジメントの人間の仕事は、マネジメントの仕事と自分の仕事の二つからなる。マネジメントの人間とは、マネジメント兼専門家である。 したがって、自分の仕事がなければならない。十分な仕事がないとき、マネジメントの人間は部下の仕事をとってしまう。
(4)第四に、マネジメントの仕事は、一人あるいはその直接の部下を使うだけでなしうるものにしなくてはならない。会議や調整を常に必要とする仕事は間違いである。最初から人間関係を織り込むことは無用としなければならない。
(5)第五に、報奨の不足を肩書で補ってはならない。もちろん、仕事の中身の不足を肩書で補ってはならない。採用すべき原則は、優れた仕事ぶりには報酬を与えることとし、肩書は仕事、地位、責任が変わったときにのみ変えることとすべきである。
(6)第六に、「後家づくり」の仕事は再考して廃止しなければならない。今日では、優秀な者が連続して失敗する仕事が「後家づくり」である。理屈ではよくできた仕事に見える。しかし、実績のある者が二人続けて失敗したならば、そのような仕事は廃止し、仕事の内容を再構成しなければならない。
『マネジメント(中)』第32章「マネジメントの仕事の設計」
p33-41より抽出して引用
人のマネジメントに関わる能力、例えば議長役や面接の能力は学ぶことができる。管理体制、昇進制度、報奨制度を通じて、人材開発に有効な方策を講ずることもできる。
だが、それだけでは十分でない。スキルの向上や仕事の理解では補うことのできない根本的な資質が必要である。すなわち真摯さである。
最近は、愛想をよくすること、人を助けること、人づきあいをよくすることが、マネジメントの資質として重視されている。だがそのようなことで十分なはずはない。
事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいもよくない者がいる。この種の者は、気難しいくせにしばしば人を育てる。好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。自ら知的な能力をもちながら、真摯さよりも知的な能力を評価したりしない。
逆に、このような資質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきあいがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。そのような者は、マネジメントとしても紳士としても失格である。
マネジメントの仕事は、体系的な分析の対象となる。マネジメントにできなければならないことは学ぶことができる。
しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、初めから身につけていなければならない資質が一つだけある。才能ではない。真摯さである。
『マネジメント(中)』第31章「マネジメントの仕事」p29-30より引用
But when all is said and done, developing men still requires a basic quality in the manager which cannot be created by supplying skills or by emphasizing the importance of the task. It requires integrity of character.
But one quality cannot be ‘learned, one qualification that the manager cannot acquire but must bring with him. It is not genius; it is character.
マネジメントの仕事には基本的なものが五つある。それら五つの仕事が相まって、活力にあふれた成長する組織を生み出す。
(1)目標を設定することである。すなわち、目標をもつべき領域を定め、そのそれぞれについて到達地点を決める。そのために行うべきことを決める。連携する人たちとのコミュニケーションによって、それらの目標を意味あるものにする。
(2)組織することである。すなわち、活動、決定、関係を分析し、仕事を分類する。分類した仕事を活動に分割し、作業に分割する。それらの活動と作業を組織構造にまとめる。それらの活動とそれぞれの部門のマネジメントを行うべき者を選ぶ。
(3)チームをつくることである。すなわち、動機づけを行い、コミュニケーションを図る。組織においてこれを行う。人との関係においてこれを行う。昇給、配置、昇進などの人事においてこれを行う。部下、上司、同僚とのコミュニケーションによってこれを行う。
(4)評価をすることである。すなわち評価のための尺度を定める。評価測定の尺度ほど、組織全体と一人ひとりの成果にとって重要な要因はない。部下の全員が組織全体の成果と自らの成果について評価の尺度をもつようにする。彼らの成果を分析し、評価する。尺度の意味と成果を部下と上司、同僚に知らせる。
(5)自らを含めて人材を育成することである。
これら五つの仕事は、さらに細分化することができる。その細分化した仕事の一つひとつについて一冊の本を書けるとさえいってよい。
そのうえ、これら五つの仕事に必要とされる能力が多様である。
例えば目標を設定するには、バランスの能力を必要とする。自らの信条の実現と事業上の成果とのバランス、将来のニーズと眼前のニーズとのバランス、入手可能な手段と期待する結果とのバランスである。明らかに、目標の設定には分析と統合の能力を必要とする。
組織するには分析の能力を必要とする。稀少な資源を最も経済的に使用しなければならない。それと同時に、人を扱うがゆえに、正義の原則のもとにあって終始真摯たるべきことが要求される。人材の育成にも、分析の能力と真摯さが要求される。
動機づけとコミュニケーションを行うには、対人能力を必要とする。分析よりも統合の能力が要求される。公正さが主であって、経済性は二の次である。ここでも、分析的な能力よりも真摯さのほうがはるかに重要である。
評価をするには、分析の能力を必要とする。評価とは上からの管理ではなく、自己管理を可能にするためのものである。この大原則を破っていることが、マネジメントの仕事のうち評価測定が最も貧弱な分野になっている原因である。上からの管理手段としているかぎり、評価はマネジメントにとって不毛な分野であり続ける。
目標設定、組織、動機づけとコミュニケーション、評価、人材開発は、マネジメントの仕事のいわば形式的な分類である。しかしこれらの分類は、あらゆるマネジメントとその活動に適用することができる。
『マネジメント(中)』第31章「マネジメントの仕事」p26-28より引用
マネジメントの人間たるためには、肩書や個室などの地位を示すシンボル以上のものが必要である。卓越した能力と高度の仕事ぶりが要求される。
しかし、マネジメントの仕事のためには、天賦の才能は必要か。直感と方法論のいずれが重要か。マネジメントの人間はいかに仕事を行うべきか。
マネジメントには二つの課題がある。
(1)第一に、部分の総和よりも大きな全体、すなわち投入した資源の総和よりも大きなものを生み出すことである。それは、自らのビジョン、働き、リーダーシップによって、多くの楽器をまとめあげるオーケストラの指揮者に似ている。だが指揮者が手にしているのは、作曲家の手になる楽譜である。これに対し組織のマネジメントは、指揮者であると同時に作曲家である。
(2)第二に、自らのあらゆる決定と行動において、直ちに必要とされるものと、遠い将来に必要とされるものとをバランスさせることである。いずれを犠牲にしても組織は危険にさらされる。いわば、石臼に鼻を突きつけつつ丘の上を見るという曲芸をしなければならない。
『マネジメント(中)』第31章「マネジメントの仕事」p24-25より引用
Management (マネジメント)
1a.取り扱い、統御、運用、経営
1b.経営力、支配力、経営の手腕
2.経営幹部、経営陣、経営者
『リーダーズ英和辞典』p1526より
あらゆる意思決定と行動がそれを行った瞬間から古くなり始める。したがって通常の状態に戻そうとすることは不毛である。通常とは昨日の現実に過ぎない。
P.F.ドラッカー『創造する経営者』p10より引用
Any human decision or action starts to get old the moment it has been made.
It is always futile to restore normality; ”normality” is only the reality of yesterday.
プロフェッショナルにとっての最大の責任は、二五〇〇年前のギリシャの名医ヒポクラテスの誓いの中にはっきり明示されている。「知りながら害をなすな」である。
医師、弁護士、組織のマネジメントのいずれであろうと、顧客に対し、必ずよい結果をもたらすと保証することはできない。最善を尽くすことしかできない。しかし、知りながら害をなすことはしないとの約束はしなければならない。
顧客となる者は、プロたる者は知りながら害をなすことはないと信じられなければならない。これを信じられなければ何も信じられない。
『マネジメント(上)』p430より引用
仕事とツールへの現場の関与は、日本では継続訓練の一環である。あらゆる人間、しかもトップマネジメントまでもが、退職するまで研鑽を日常の課題とする。週一回のサークル活動が仕事の一部として日程化されている。
日本企業には、人事、教育訓練、購買などについて通信教育を受けている者、外部のセミナーに出ている者、夜間の専門学校に行っている者が大勢いる。 私はある大企業の社長から、その日の午後は溶接の勉強会に参加するのでお会いできないといわれたことがある。これは特殊な例である。しかし、コンピュータのプログラムについて通信講座を受けている社長は珍しくない。もちろん人事の若い人も通信講座を受けている。
これは、学ぶことの目的と本質が欧米とは異なるからである。儒教の伝統のある中国とも異なる。儒教では欧米と同じように、学ぶことは次の仕事のためである。”to qualify oneself for a new, different, and bigger job”
学ぶことの本質は学習曲線で示される。一定の学習によって高原に達し、そこにとどまる。
ところが、日本の考えは禅方式“Zen approach.”とでも呼ぶべきものである。学ぶことの目的は修養“self-improvement“である。いま行っている仕事を、より高度のビジョン、能力、期待値をもって行うためのものである。学習曲線に高原はない。継続学習は学習曲線を突き抜けさせる。そこから新しい学習曲線が始まる。
The Japanese concept may be called the “Zen approach.” The purpose of learning is self-improvement. It qualifies a man to do his present task with continually wider vision, continually increasing competence, and continually rising demands on himself. While there is a learning curve, there is no fixed and final plateau. Continued learning leads to a break-out, that is, to a new learning curve, which peaks at a new and higher plateau, and then to a new break-out.
すでにわれわれは、二〇世紀に入って、学ぶことの本質についての正しい考え方は儒教のそれではなく、禅のそれであることを知るにいたっている。継続学習によって人は自らの仕事ぶり、基準、同僚の仕事を知ることができる。仕事を「われわれの仕事」として見ることができるようになる。
日本の組織では、継続学習が、新しいもの、革新的なもの、より生産的なものを受け入れやすくしている。サークル活動での焦点は、常によりよくである。新しいことを違った方法で行うことである。
サークル活動はインダストリアル・エンジニアに圧力をかける。欧米ではエンジニアは現場からの抵抗を覚悟しなければならない。日本では現場からの要求に閉口する。 この継続訓練へのコミットがあるからこそ、日本では変化とイノベーションに抵抗するどころか、進んでそれを受け入れる土壌ができあがっている。同時に現場の経験と知識が不断の改善に寄与している。
わかっていることで最も重要なことは、仕事と働くことすなわち労働とが根本的に異なるということである。もちろん働く人が仕事を行うのであって、仕事は常に人が働くことによって行われる。しかし、仕事を生産的なものにするうえで必要なものと、人をして成果をあげさせるうえで必要なものとはまったく異なる。
『マネジメント(上)』p231より引用
The most important thing we know is that work and working are fundamentally different phenomena. The worker does, indeed, do work; and work is always done by a worker who is working. But what is needed to make work productive is quite different from what is needed to make the worker achieving.
“ Managerment : tasks, responsibilities, practices”
われわれは仕事を未熟練労働、熟練労働、知識労働に分けるが、これは間違いである。仕事が未熟練であったり、熟練であったりするわけではない。働く者が未熟練であったり、熟練であったりするだけである。仕事そのものは変わらない。
かつては靴をつくるのに熟練を要した。しかし一〇〇年も前から、さほどのスキルは必要なくなった。いまや完全にオートメ化して肉体労働を不要にしてしまうことさえできる。それでも靴という製品は変わらない。仕事のプロセスも変わらない。革を用意し、裁断し、折り曲げ、縫い、のりづけする。製品にいたるまでのステップに違いはない。ツールやスキルは変わっても靴をつくるという仕事は変わらない。手製か機械製かさえ一瞥しただけではわからない。
仕事を生産的なものにするには、仕事が客観的な存在であり、スキルや知識は、仕事側ではなく労働側の問題であることを認識しておかなければならない。なぜならば、仕事がそのようなものであるからこそ、仕事を生産的なものにすることに体系的に取り組むことができるからである。
『マネジメント(上)』p251より引用
利益とは企業存続の条件である。利益とは、未来の費用、事業を続けるための費用である。 諸々の目標を実現するうえで必要な利益をあげている企業は、存続の手段をもっている企業である。諸々の目標を実現するうえで必要な利益に欠ける企業は、限界的な危うい企業である。
それら七つの領域における目標達成に必要な利益とは、企業がその社会的かつ経済的機能を果たすうえで必要とする利益でもある。
(1)事業の継続に伴うリスクをカバーする。
(2)雇用を創出する。
(3)イノベーションを行い経済発展の担い手となる。
もちろん利益計画の作成は必要である。しかしそれは、無意味な常套語となっている利潤極大化についての計画ではなく、利益の必要額についての計画でなければならない。ただしその必要額は、多くの企業が実際にあげている利益はもちろん、その目標としている極大額をも大きく上回ることを知らなければならない。
『マネジメント(上)』p148より引用
目標は次の八つの領域において必要とされる。
(1)マーケティング
(2)イノベーション
(3)人的資源
(4)資金
(5)物的資源
(6)生産性
(7)社会的責任
(8)必要条件としての利益
これらの領域についての目標が五つのことを可能にする。事業の全貌の把握、個々の活動のチェック、とるべき行動の明示、意思決定の評価、現場での活動の評価と成果の向上である。
目標は絶対のものではない。方向づけである。命令されるものでもない。自ら設定するものである。未来を定めるためのものでもない。未来をつくるために、資源とエネルギーを動員するためのものである。
『マネジメント(上)』第8章「目標」p130-133より抜粋して引用
「もとをたどれば、すべては個々の消費者にたどり着きます。消費者が肉にいくら払う気があるかという疑問に……現在の世界的な肉の消費レベルは、[能力を強化された]現代のニワトリ抜きではとうてい維持できないだろうことを、思い出さなければなりません……消費者が私たちにできるかぎり安い肉だけを求めていたら──消費者はそれを手にすることになるのです……消費者は自分にとって何がいちばん重要かを決める必要があります──価格か、何かそれ以外のものなのかを」
『ホモデウス(下)』より引用
新事業への参入の開始と同じように重要なこととして、事業の目的とミッションに合わなくなったもの、顧客に満足を与えなくなったもの、業績に貢献しなくなったものの体系的な廃棄がある。
『マネジメント(上)』第7章「目的とミッション」p121-122より引用
集中のための第一の原則は、生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手をつけるか」を問うことである。答えが無条件のイエスでないかぎり、やめるか大幅に縮小すべきである。もはや生産的でなくなった過去のもののために資源を投じてはならない。第一級の資源、特に人の強みという稀少な資源を昨日の活動から引き揚げ、明日の機会に充てなければならない。
『経営者の条件』 p142より引用
つまるところ、成果をあげる者は、新しい活動を始める前に必ず古い活動を捨てる。肥満防止のためである。組織は油断するとすぐ体型を崩し、しまりをなくし、扱いがたいものとなる。人からなる組織も、生物の組織と同じようにスマートかつ筋肉質であり続けなければならない。
『経営者の条件』 p145より引用
古いものの計画的な廃棄こそ、新しいものを強力に進める唯一の方法である。アイデアが不足している組織はない。創造力が問題なのではない。せっかくのよいアイデアを実現すべく仕事をしている組織が少ないことが問題である。みなが昨日の仕事に忙しい。
『経営者の条件』 p146より引用
メディチ家、イングランド銀行の創立者からIBMのトーマス・ワトソンにいたるまで、偉大な事業の建設者は、自らの決定と行動を規定する明確な事業の定義をもっていた。ひらめきに頼ることなく、明確でシンプルな事業の定義をもつことは、自らが財をなすだけでなく、自らの亡きあとも成長を続ける組織を築きあげるという真の企業家の特徴である。
『マネジメント(上)』第7章「目的とミッション」p91より引用
われわれの事業は何か
顧客は誰か
顧客にとっての価値は何か
われわれの事業は何になるか
われわれの事業は何であるべきか
『マネジメント(上)』第7章「目的とミッション」p91-122より抜粋して引用
真のマーケティングは、シアーズが顧客の人口構造、顧客の現実、顧客のニーズ、顧客の価値からスタートしたように、顧客からスタートする。「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」を考える。「われわれの製品やサービスにできることはこれである」ではなく、「顧客が見つけようとし、価値ありとし、必要としている満足はこれである」という。
実のところ、販売とマーケティングは逆である。同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない。
何らかの販売は必要である。しかし、マーケティングの理想は販売を不要にすることである。マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、顧客に製品とサービスを合わせ、自ら売れるようにすることである。
『マネジメント(上)』第6章「企業とは何か」p76より引用
企業の目的は顧客の創造である。したがって、企業は二つの、ただ二つだけの企業家的な機能をもつ。それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。他のものはすべてコストである。
『マネジメント(上)』第6章「企業とは何か」p74より引用
市場をつくるのは、神や自然や経済ではなく企業である。企業が満足させようとする欲求は、顧客がそれを満たす手段の提供を受ける前から感じていたものかもしれない。飢饉における食物への欲求のように、生活全体を支配し、人にそのことばかり考えさせていた欲求かもしれない。しかしそれでも、有効需要に変えられるまでは、潜在的な欲求であったにすぎない。有効需要に変えられて初めて、顧客と市場が誕生する。 欲求が感じられていなかったこともある。
コピー機やコンピュータへの欲求は、それらのものが手に入るようになって初めて生まれた。イノベーション、信用供与、広告、販売活動によって欲求が創造されるまで欲求は存在しなかった。顧客を創造するものは、常に企業である。
『マネジメント(上)』第6章「企業とは何か」p73より引用
企業とは何かを知るには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、それぞれの企業の外にある。企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的の定義は一つしかない。それは顧客の創造である。
『マネジメント(上)』 p73より引用
To know what a business is we have to start with its purpose. Its purpose must lie outside of the business itself. In fact, it must lie in society since business enterprise is an organ of society. There is only one valid definition of business purpose: to create a customer.
"Management Tasks,Responsibilities,Practices" Peter.F.Drucker HarperCollins e-books
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