『負けない奥義』を読んで
柳生一平厳信さんの『負けない奥義 柳生新陰流宗家が教える最強の心身術』を拝読いたしました。
柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)は、室町時代末期に生まれた450年近い歴史を誇る剣術兵法で、江戸時代には徳川将軍家の兵法指南を務め、徳川御三家の尾張藩の庇護のもとに発展し現代まで伝わっているそうです。
著者の柳生一平厳信さんはその第二十二世宗家です。
どのテレビ番組で見たのか覚えていませんが、柳生十兵衛というすごい剣士がいたということは子供の頃から知っておりました。それが柳生新陰流の剣術使いなんですね。
柳生新陰流独自の技として有名なのが「無刀取り」だそうです。
「無刀取り」とは、太刀を持って向かってくる相手に対して、太刀を持たない状態で向かい合い、相手の太刀を奪って勝つ技だそうです。この場合、無刀であるならば、地面に転がっている石でも、自分が着ている服でも使えるものでは何でも使うのだそうです。
太刀を持たない無刀のときに、刀を持つ人の気持ちになる。それは相手と自分が一つになるということで、これが「自他一如」です。
この境地に達しないと無刀は成就できないのです。
相手は太刀を持ち、こちらは無刀という不利な状況下では、なかなか勝機をつかむことは望めないでしょう。けれども、そのときに必要以上に焦ったり、不利に思ったりせず、敵の気持ちになり、斬りやすいように誘いを出し、斬り込ませて、そして対応するのです。
『負けない奥義』より引用
石ころも、生物も元をただせば出所は同じ宇宙や地球を構成している元素から出来ています。そういう世界観に立つと、大自然の中では敵と味方、あなたとわたしという二元的な対立関係はなくなるのだそうです。自分と他人という区別を乗り越えるという教えだそうです。
これは「自他不二」「万物同根」という考え方で、これこそが柳生新陰流が最終的に目指す境地だとのこと。
相手や異物を自分にとりこむという考え方は別の先生からも教えてもらったことがあります。
例えばトイレが汚い、と思っているのは自分がトイレから離れているからです。自らトイレ掃除をしてトイレという異物を自分に取り込めば、トイレが汚いとは思えなくなります。
相手が敵だと思い込んでいるうちは、まだまだ負けている状態ということではないでしょうか。
相手を自分の中に取り込むことができて、相手を異物として感じなくなったとき、次の段階に上がって自分の優位が見えてくるということではないか・・・・・・そんなことを考えておりました。
剣術にご興味のある方はご参考になさってください。
参考文献:『負けない奥義 柳生新陰流宗家が教える最強の心身術』
柳生一平厳信 (ソフトバンク新書)
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