『「助けて」と言える国へ』を読んで

Hitoshi Yonezu

2013年11月29日 10:00

 奥田知志さんと茂木健一郎さんの対談を記録した新書『「助けて」と言える国へ』を拝読いたしました。

 奥田さんは1963年滋賀県生まれ、日本バプテスト連盟・東八幡キリスト教会牧師で、NPO法人「北九州ホームレス支援機構」理事長を務めておられます。
 茂木さんは1962年生まれ、脳科学者で、ソニーコンピューターサイエンス研究所シニアリサーチャーを務めておられます。

 11月に博多で開催されたドラッカー学会で奥田さんのご講演をお聞きし、その場で購入しました。「絆が人を生かす」の言葉とともに奥田さんがサインをしてくださいました。

 奥田さんはホームレス支援を続けてきた方です。どうして茂木さんとの対談なのだろう?と思いましたが、NHKの番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』が機縁になっているようです。また、茂木さんは人々の連帯と倫理について社会的に発信をされてきた方なのだそうです。

 気になった部分を引用いたします。

 奥田 不登校がつらいのは、本来学校に行くか行かないかということがその子の人生の一部にすぎないにもかかわらず、その子の全部であるかのように周りや本人が思ってしまうことです。中学生にとって自己実現できる場所が学校しかない。クラブ活動も塾も学校を核として存在している、いわば付属品みたいなものです。

              『「助けて」と言える国へ』 p101-102より引用


 奥田 支援の現場で「ホームレスになった理由」を尋ねます。最後の引き金は何であったか。第一は「仕事」にまつわることです。失業とか。しかし、少なくない答えとして「家族と別れた」とか「離婚した」ということを言う人がいます。つまり、縁が切れて孤立するとき、人は働く意欲をなくし、金とも切れる。縁の切れ目が金の切れ目というわけです。人は、誰かのため、家族のために働くという面がある。だから、金がないから無縁になる一方で、無縁になったから仕事ができなくなり、金がなくなったということもあるわけです。

              『「助けて」と言える国へ』 p153-154より引用


 「なぜ、困窮者を支援するのか」。私はこの問い自体にたじろぐ。質問者に問い返したい。「なぜ、そんなことを問わねばならないのか」と。「困窮者を支援することに、理由が必要か」と。この質問の根っこには、困窮は自業自得であり、助ける必要などないという現代社会の掟が見え隠れする。あえて答えるならば、こう言いたい。「それが人間だからだ」「それが社会だからだ」
 なぜ、そう答えるのか。それは「人は一人では生きていけない」からだ。野宿者であろうとが、富裕層であろうが同じこと。この事実からは誰も自由ではない。私も、野宿者も、同じ現実を生きている。どちらも誰かを必要としている。「自己責任だ」ですますなら、社会も国家も不要となる。

             『「助けて」と言える国へ』  p208より引用


 ご講演をお聞きしなければ、自分からは絶対に読むことのなかった本です。

 私とホームレス支援はだいぶ離れたところにありましたが、この本を読んで自分の至らなさに気づきました。

 引用した部分はすべて奥田さんの言葉です。茂木さんよりも奥田さんのおっしゃっていることのほうに学びがありました。

 みなさまもどうぞご参考になさってください。

  


 参考文献:『「助けて」と言える国へ』 奥田知志 茂木健一郎 (集英社新書)
 



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