柔道のかけ逃げ
井上裕之さんの『40代でやるべきこと、やってはいけないこと』に、柔道のかけ逃げついての記述がありました。
かけ逃げというのは、技をくり出した振りをして時間稼ぎをすることです。昔の柔道は、じっくりと一本勝ちを狙うものでしたが、いまの柔道はとにかく技をだしていかないとすぐに減点されてしまいます。そこで、審判の目を誤魔化すために技を出した振りをするわけですが、柔道もずいぶんいじましい印象のスポーツになったものだと感じないわけにはいきません。
素晴らしい日本人選手はたくさんいますが、私は「こういうルールは彼らの潜在意識によくないな」と感じないわけにはいきません。表面的な取り組みをする自分を観客にさらけ出しているわけですから、その気持ちが、スポーツの精神をねじまげることは疑いのないところではないでしょうか。
『40代でやるべきこと、やってはいけないこと』より引用
井上さんは柔道のことを「いじましい印象のスポーツ」と喝破しましたが「これこそ私も感じていたことだ!」と思いました。
柔道で積極的に技をかけなかったり、逆にかけ逃げをしたりと減点されるようになったのは、ここ20年くらいのことではないでしょうか。昔はそういう減点をいまほど細かくとることはありませんでした。
私が教わった柔道は、技をかけなくても、動きが止まっても、先生から怒号が飛んできました。攻め続けるのが当たり前でした。
「有効」や「技あり」などを先にとって、このまま逃げれば勝てる状態にあっても、それを守るような保守的な行動をとっていると、先生から叱られました。
ときには守りに入ってしまう選手や逃げる見せ掛けのうまい選手もいましたが、そういう選手はあまり尊敬されていませんでしたし、どんどん攻めた結果、返し技にあって負けたとしても、先生は怒ることはありませんでした。
日本で昔から教えられてきた柔道とは、減点制度がなかったとしても攻めていくのが当たり前で、守りに入ったり逃げたりするのは卑怯なことであるというコンセンサスがありました。
減点制度が始まった理由は知りませんが、私は柔道が国際化し、試合で勝つことのみを命題とした選手が増えてきたからではないか、と思います。
どんな方法をとったとしても勝てばいいんだという意識が柔道をつまらないものにしてしまいました。
たしかにスポーツは勝つことが最終的な目的でしょうが、柔道はスポーツとはいっても、その名の通り「道」であるのです。
「道」であるならば、勝ち負けだけを判定することが目的ではなくて、人生や生き方や礼儀を教える場でもあるはずです。
道を学ばず、勝負だけを目的とした柔道からどんな選手が生まれるでしょうか。
私ごときが制度の変更に抗うことはできませんが、国際化や簡素化を優先するために大切な道を忘れてしまっては、本末転倒です。
道がなければもはや柔道ではないだろう、「柔戦」とでも名前を変えれば?と思ったことです。
参考文献:『40代でやるべきこと、やってはいけないこと』
井上裕之 (フォレスト出版)
参考ブログ:
「もう見ません、JUDO」
http://uedasasaya.blog79.fc2.com/blog-entry-41.html
「『40代でやるべきこと、やってはいけないこと』を読んで」
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e891021.html
「意識の不明の中で」
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e173650.html
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