孤独とは
たそがれどきの渋谷の道玄坂。湧いて出てきたかのような人の群れでごった返しています。
家路を急ぐ中年の会社員、飲む店を探す若い男性、逢引きに向かう若い女性、遊びにでかける大学生グループ、これから出勤する女性、大声で呼び込みをする店員・・・・・・
一人その隙間を縫うように歩いていると、誰からも相手にされず、誰からも見えていない孤独な自分がここにいる、ということに気づくのです。
もっともにぎやかな街の中で、もっとも孤独な自分。
二十数年前大学生のときにもここに立ち、同じような感覚をもったなあ、と記憶がよみがえってきました。
あたりを見回してみると、この人も孤独かもしれない、という人が、そこにも、あそこにも、たくさんいるように見えました。
三木清さんは『人生論ノート』の中で、孤独について次のように述べています。
孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく。大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。「真空の恐怖」-それは物質のものでなくて人間のものである。
三木清著『人生論ノート』「孤独について」の章より引用
カップルや家族が幸せそうに見えるから、一人ぼっちの自分が孤独に感じる、という分かりやすい構図ではないのです。
どんなに幸せそうに見えたとしても、どんなに周りの人たちに支えられていたとしても、この街の中では誰もが孤独になり得るのです。
その証拠に、永遠の孤独を求めて街の中へ消えていく人は今でも後を絶ちません。
孤独を本当に恐れている人は、あの夕暮れどきの道玄坂の雑踏を歩くことはできないでしょう。
三木さんが書かれているように、「間」に孤独があります。
道玄坂には「間」だらけです。
孤独の恐怖は我々のすぐ隣り、その隙間にある、ということなのです。
参考文献:『人生論ノート』 三木清 (新潮文庫)
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